第241話 呼び出しの理由
「神殿側が神に泣きついたのではないのか? エルシアを探し出せ、と」
「いいや、違う。仮に神殿側からそういう話があったとしても、その程度のことでテイルアーク様は自ら動いたりなさらない」
神殿が相手であれば全力で抗うつもりでいたが、神が相手となれば、どんなに足掻いてもガインに勝ち目はない。それにエルシアの望みは神と争うことではない。
「……くそっ」
無駄だと分かっていても逃げるしか手はないか。そう思い、ガインはエルシアを横抱きにして、すぐにもテントを飛び出そうとする。
しかし、両腕を広げたキースクリフがその前に立ち塞がった。
「邪魔だ! 退け、キースクリフ!」
「待て、ガイン。落ち着いて話を聞いてくれ。恐らくだが、テイルアーク様が二人をここに呼んだ理由は『神兵招集』だ」
「!! 神兵招集だと!?」
キースクリフの口から出た言葉にガインは驚きを隠せなかった。
『神兵招集』──それは文字通り、神の兵の招集を意味する。神兵とは、神が神敵と定めた者が出た時にのみ招集される、神の手足となる兵のことだ。その数は非常に少なく、またその存在を神殿内で知る者は、ごくわずかだという。
かつて神殿の騎士団長の座に就いていた時は、ガインもその役目を負っていた。
ただし、着任中に神敵が現れることもなかったため、招集されることは一度もなかったが。
「……誰なんだ?」
神敵として、神に断罪された者がいる。
時と場合によっては国が滅ぶような話だ。
神殿から逃亡しているだけの自分たちなど、どうでもよくなる事案に、その神に選ばれた敵は誰なのか、とガインはキースクリフに尋ねた。
「それは……」
言い淀むのではなく、『これ以上は話せない』といった顔でキースクリフは口を固く結ぶ。
自然と神官であるクインハートに、ガインとエルシアの視線は向けられた。
「……ガイン」
それまで黙っていたエルシアがガインの腕から下ろされ、クインハートの前に進み出る。
「お久しぶりでございます、エルシア様」
クインハートはエルシアの前に跪き、顔を上げて焦がれる瞳でその姿を見つめた。キースクリフもその後ろに跪く。
「……クインハート。自分勝手な行いで神殿を出た私に払う敬意など持ち合わせてはいけません。今は貴女が神官なのです」
凛とした声を落としたエルシアはクインハートの手を取り、自分の目の前に立たせた。
「神兵招集に関することで貴女がここにいるということは、ミンシェッド家の中で何かが起こっている……そういうことですね?」
ミンシェッド家の者に対するエルシアの目は冷たく厳しい。それでもクインハートは真摯にエルシアに応えた。
「はい。私如きが口にするべき案件ではないと十分に承知しておりますが……」
「構いません。話しなさい」
「はい。……ゴズドゥール様が、人狩りに手をお貸しになられました。ベリストテジア様はそれを黙認されていらっしゃいます」
「人狩りに手を貸しただと!? 神官がか!?」
人狩りとは、昔からある重犯罪の一つだ。
それよりも、神官が犯罪に手を貸すなど聞いたことがない。その有り得ない内容の告発にガインは驚いて声を荒らげた。
分家出身のクインハートにとって、本家であるベリストテジアたちの罪となる情報を人前で口にするということは、それだけで血族への裏切りを意味する。それだけ覚悟を決めた発言であるということは、エルシアにもガインにも正確に伝わった。
もしクインハートがベリストテジアに操られているのであれば、こんなことは絶対に口にしないだろう。
「前に神殿の魔術具を、複数の何者かが使っているという話をしただろ」
「ああ」
「その中の一人がゴズドゥール様だったんだ。あれからオレはクインハート様に命じられ、秘密裏にその調査をしていた。今回テイルアーク様に呼び出されたのは、その話をするためだとオレたちは考えていたんだ」
神殿に常駐する女神にはすでに話を通していて、神から声がかかるまで待つように言われていたとキースクリフは話す。
「何のために神官が人狩りなんて馬鹿げたことに手を貸したんだ?」
「それは……オレにも分からない」
人狩りの目的は様々で、単純に人の生命を
ひと昔前のことになるが、地上界にあったエルフの村が人狩りに襲われ、そこに住む子供たちがさらわれ、高値で売買されていたのは有名な話である。
それを行っていたのが主に人族だったため、今でもその名残で人族を嫌っているエルフは多いと聞く。けれど今はもう人狩りを行うような馬鹿はいないものだと、ガインは考えていた。
その理由は、神が人狩りを『禁忌』としたからだ。
人狩りを生業として、他人の生命や運命を人が
だから神官が……。神殿という、天上界に最も近い場所に住むエルフがそんなことに手を貸すなんて、ガインには信じられなかった。
「キースクリフ、そのゴズ……何とかって、どんな神官だ? 俺の知っているヤツか?」
「……あ。えぇーと……」
何やら気まずそうな顔でキースクリフは視線を泳がせる。ここまで来て言葉を濁す意味が分からないとガインが首をひねると、くいくいと袖を引く感覚があった。見ると、エルシアが苦々しい顔をしている。
「……あの、ゴズドゥールは、私の……婚姻予定にあった者です」
そう言ってエルシアが俯くと、ガインの表情は一変した。
「………………ほう」
まずい、とキースクリフは心の中で冷や汗を流す。ガインが今まで見たこともないような良い笑顔になった。
本人は気付いていないようだが、これは昔からのクセだ。ガインは物欲がない分、独占欲が強い。気に入ったものに限られるが、自分のものに手を出されることを何よりも嫌う。
この笑顔は、自分のものに手を出した者を排除すると決めた時の顔だ。まだクセが治ってなかったらしい。しかも今回はよりひどい。相手を凍りつかせるような鋭い目は、肉食獣が獲物に確実な狙いを定めた時の無慈悲なものとよく似ている。この視線の前には立ちたくないものである。
『あー、キミたち。そろそろ着替え室に入ってくれるかな? もうすぐ出番だよ』
突然、神から催促の声がかかった。
一瞬、何を言われているのか分からずに四人は顔を見合わせたが、すぐにここに案内された時のことを思い出す。
「本当に参加しないと駄目なのか、これ!?」
「……みたいだね」
呼び出し絡みの話をするために、ここに連れて来られたと思っていたが、それはそれ、これはこれらしい。
恐らく神官として染みついた条件反射みたいなものなのだろう。神の声が聞こえると、エルシアとクインハートはすぐさま着替え室に入り、煌びやかなドレスをまとって出てきた。
エルシアは淡い若草色、クインハートは澄んだ水色のロングドレスだ。装飾品や靴もそれに合わせた物となっている。
「着替えが一瞬だなんて、とても便利ですね」
「……ここの鏡ですが、なぜ変身後の姿が映るのでしょう? 映し出す時に魔術具の効果に干渉しているのでしょうか? もう少し時間があれば、詳しく調べられますのに……」
素直に驚いた顔をしているクインハートと、鏡を持って帰りたいと話すエルシア。
二人のドレス姿を目にしたガインとキースクリフは、思わず息を呑んだ。
そのままの姿でも十分に目を引く容姿だというのに、女神の用意したドレスは布地が薄手なのに加え、なめらかな白い肌が露わとなっている部分が多い。普通のドレスと言えば普通なのだが、普段着ている物と比べると、その露出具合は段違いだった。
「ッな!? そ、それで人前に出るのか!?」
「これは……神官としてどうなんですか? クインハート様!?」
ガインとキースクリフの反応は非常に分かりやすいものだった。他の男には見せたくない! と、顔に出ている。
「ガイン、早くしないと置いて行きますよ?」
「キースクリフ、テイルアーク様のお言葉には絶対
すでに準備の整っている互いのエスコートすべき相手を見て、ガインとキースクリフは仕方なく着替え室に入った。
そして間髪入れずに出てきた二人は、まるで戦場の指揮官か将官のようなバリバリ戦闘向けな服装となっている。それなりに飾り立ててある分、騎士服よりも迫力があった。
ガインが深緑色で、キースクリフが深青色。
さすがは女神の見立てと言うべきか、二人とも驚くほどよく似合っていた。
「驚いた。本当に一瞬なんだね」
「……こんなのを着るのは神殿以来だな。久々に着ると窮屈だ」
眉間にシワを寄せ、首元を緩めながら出てきたガインにエルシアは嬉しそうに微笑んだ。
「やはりガインはそういった戦闘服が似合いますね。普段着のままでも十分に素敵ですが、つい見惚れてしまいます」
神官の顔を忘れ、家にいる時のように
「エ、エルシア。ここでそれは……」
ニヤニヤとした視線がキースクリフから飛んでくる。ガインはその視線を打ち払うように鋭い眼光を向け、睨みを利かせるように低い声を出した。
「キースクリフ、これが終わったら場を作れ。さっきの件だが、詳しい話を聞きたい。神殿の騎士団の現状もだ」
ミンシェッドの本家で騒動が起こるとなれば、エルシアの今後にどう影響が出てくるのか先が読めない。
握った拳を心臓の位置に当て、ガインが騎士団の中で上の者が下の者に命令を下す際の体勢を取ると、キースクリフは嬉しそうに唇の端を上げ、跪いて右手の平を左胸に当てた。
「は! 承知いたしました」
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