第230話 リンチペックの弱点探し
学園の桜並木も木の葉が色付き始め、少しずつ秋らしくなってきた。
柔らかな陽射しが部屋の奥まで射し込むようになった調理室で、ルーリアはシロップを煮詰めながら、シャルティエに尋ねる。
「芸軍祭のお菓子ですけど、何を作るかもう決めましたか?」
シャルティエは今では料理と菓子、どちらの学科でも有名になっている。菓子作りは言うまでもないが、シャルティエより美味しいパンやパイを焼ける生徒は、料理学科にはいないそうだ。料理学科の最優秀であるマリウスが、菓子学科の授業に顔を出した時に悔しそうに言っていた。二人は良いライバル関係にあるらしい。
「もちろん決めたよ。タルトとシュークリーム、どっちにしようか迷ってたんだけど、やっぱり最優秀を取ったからにはシュークリームかなって。お祭り用に新作を出す予定なの」
「シュークリームですか」
そういえば最近あまり作っていない。
助手のグレイスも、今まで菓子学科で最優秀を取った人は、秋の芸軍祭で神のレシピの菓子を来園者に披露してきた、と言っていた。
せっかくだから、シャルティエとは違うシュークリームを考えてみるのもいいかも知れない。
シュークリームと言えば、シャルティエはこの夏、シュークリーム専門店をダイアグラムに開業させている。店名は父親のタルト専門店と同じ『セルトタージュ』なのだそうだ。
同じ名前でややこしくならないのかな? と思って聞いたら、「お客さんの方で勝手に呼びやすくするから大丈夫」と、シャルティエは笑っていた。
しばらくすると、シャルティエの言った通り、タルトの店が『タルセル』、シュークリームの店が『シューセル』と呼ばれるようになっていた。
客の考えそうなことまで予想するなんて、さすがシャルティエである。
「お祭りに来る人が楽しみにしてくれているのなら、わたしもシュークリームにした方がいいのかなぁ?」
「きっとその方がお客さんも喜ぶと思うよ」
シャルティエがここまできっぱりと言い切るのだから、間違いはないのだろう。
「じゃあ、わたしもシュークリームにします」
出来上がったシロップを冷やしながらルーリアがそう言うと、シャルティエはにこにことした笑顔を向けてきた。
「ねぇ、ルリ。何か良いことでもあったの?」
「え、何がですか?」
「ちょっと前までは何か悩んでいるようだったけど、今は顔が明るくなってる」
からかうように、つんつんと頬をつつかれ、自分ではちょっとだけ満足している顔で頬を緩ませる。
「そうですね。良いことかどうかは分かりませんけど、少しだけ人の役に立てたような気がします。自分では嬉しかったから、つい顔に出たのかも知れません」
あれからリューズベルトはよく笑うようになった。パーティメンバーからは『魔王スマイル』とか言われているけど、無表情よりはいいと思っている。
「また人の話? たまにはルリ自身の楽しかった~とか、嬉しかった~とか、そういう話が聞きたいんだけど?」
「ふふっ。はい、努力します」
軽く話を流そうとすると、「それは努力することじゃないでしょ」と、むうっとした顔をされてしまう。
シャルティエは小さくため息をつき、思い出したように紙の束を自分のカバンから出した。
「あ、そうだ。はい、これ。昨日の分」
「いつもありがとう、シャルティエ」
借りたのは料理学科でシャルティエが習ったレシピだ。家に持ち帰って書き写し、時の日にまとめて料理を作り、家の時蔵庫で保管して毎日の部活に持ってきている。
料理学科の授業に行くのを止め、リンチペックの研究を薬学学科でしていることは、クレイドルにまだ伝えていない。ちゃんと納得のいく結果が出せるまでは黙っているつもりだ。
「ねぇ、作りたかった薬はもう完成したんだよね?」
「はい。とりあえず薬は出来ました」
「だったら料理学科に戻ってくればいいのに」
「まだ調べたいことがあるんです。料理は後からでも習えますけど、薬の研究はここでしか出来ないことも多いですから……」
これだけ自由に何度でも失敗できる環境は他にはない。魔族領にしかいない魔物の研究が出来るのも、ルーリアの知る限りではここだけだ。何の研究をしているのかは、シャルティエにも話していない。
「う~ん。そう言われちゃうと何も言えなくなる」
……ごめん、シャルティエ。
不満顔のシャルティエに、ルーリアは心の中で謝った。チーンと、話を逸らすにはちょうど良いタイミングでオーブンの音が鳴る。
「あ、焼けたみたいですよ」
厚手の手袋をはめてオーブンを開けると、ライル粉の焼けた香ばしい匂いと、ふんわりと爽やかな果物の香りが鼻先をくすぐる。
ドライフルーツや木の実をたっぷり入れて焼いたパウンドケーキからは、隠し味に入れた果実酒の甘い香りが後を追うように広がっていった。
「はぁ~~っ。いい香り……」
「この瞬間だけは料理人の特権だよねぇ」
「ですねぇ」
ほっこりひと息ついたところで、果実酒で作ったシロップを塗り、時を進める魔術具に入れてしっとりするまで味を染み込ませる。
さっそく出来上がったパウンドケーキを切り分けて味見をしてみた。
……うん。甘さも焼き加減もちょうど良い。
少し甘酸っぱいドライフルーツと蜂蜜を加えた生地との相性は抜群だ。これならみんなの好みからも外れないだろう。
「今日も部活に行くんでしょ?」
「はい。そのつもりです」
切り分けたパウンドケーキをタイムボックスに詰めていると、周りをキョロキョロと見回して人の目を確認したシャルティエが、こそっと耳打ちしてきた。
「芸軍祭の運営本部が本気で動き出したようだから、ルリは気をつけた方がいいよ」
「……はい?」
……運営本部? なにそれ?
シャルティエの言葉の意味が分からな過ぎて、思いっきり首を傾げる。
話を聞くと、芸軍祭には『運営本部』という、祭りの進行を管理している生徒たちの集まりがあり、最近になって祭りのとある企画で行き詰まり、神に泣きついたという。
その企画とは、いつだったか前にちらっと聞いたことのある美男美女の投票企画のことだそうだが、生徒たちから推薦の声が上がった者に出場を頼みに行っても断られてばかりいるらしい。
「……えーと、ごめん、シャルティエ。話が全く見えてきません」
「運営本部はね、大人の姿になったルリを参加させたくて探しているらしいよ」
「!! ど、どうしてっ!? 何でシャルティエがそれを知って──」
慌てるルーリアの言葉を遮り、シャルティエはにっこりと微笑む。
「私はルリのお母さんを知ってるんだよ? 理衣祭であれだけ目立っておいて、私が気付かないとでも思っていたの?」
自信たっぷりに言われてしまい、ルーリアはがっくりと項垂れた。
「……シャルティエの洞察力を甘く見ていました」
「うん、知ってた」
……え、ちょっと待って。さっき神様に泣きついたって……!?
美男美女の投票企画には、他の生徒たちから多く名前の上がった者が選ばれるらしい。
しかし今年は例年以上に選ばれた生徒たちが企画に参加したがらないから、運営本部の者たちが神に「どうか助けてください!」と泣きついたそうだ。
学園の中で神に声をかけられてしまえば、断ることはまず不可能だ。
そんな中、理衣祭から推薦の声が多かった大人の姿になったルーリアを運営本部の者たちがずっと探している、とシャルティエは教えてくれた。
──怖……っ!
「まぁ、直近の理衣祭であれだけ人目を引いちゃったんだから、推薦されるのは当然だよねぇ」
「……うぐっ。わたしを探している人がいるって聞いたことはありましたけど、まさかそんな理由だったなんて」
学園の園則には、神の言葉は絶対
「まぁ、見つかるのは時間の問題だろうね」
「そ、そんなぁ……」
若返りの薬の効き目は短い。
大人の姿を求められても困る。
……本当に呼ばれたらどうしよう。
神からの呼び出しを回避する方法なんて思いつくはずがない。ルーリアは途方に暮れた。
しかし、まだ起こってもいないことを心配しても無意味だ。授業が終わり、シャルティエに慰められて休憩時間を過ごした後は、気持ちを切り替えて薬学学科の研究室へ向かった。
最近はリンチペックの研究ばかりしているため、実験中の瓶がズラーッと棚に並んでいる。もちろん中にはリンチペックが入っている。
この瓶の数だけ繰り返して調べているのは、リンチペックの弱点についてだ。
思いつく限りの材料を用意してもらい、片っ端から試していった。
岩、砂、ガラス、魔石、金属などには何の反応もない。食材、木材、布……と、何でも与えてみる。この辺りは少しだけ増えた。
毒を出すのは液体に触れた時で、水に限らず、解毒薬以外のほとんどの液体で毒を出すことが分かった。
今日は魔族領内に流れる川の水と海の水を用意してもらっている。地域によって違いがあるかも知れないから、12ある各領地分だ。
昨日、紙ヒコーキで実験材料の要望を送った時は、さすがに無理があるかと思っていたのだけど、研究台の上には頼んだ物がきちんと全部そろっていた。さすがである。
……頼んでおいてなんだけど、誰がどうやって持ってきているのだろう? そもそも、この研究室自体が現実とは違うのだろうけど。
ルーリアはそれぞれの水を瓶に移し、次々とリンチペックを入れていった。慎重に作業をするため、これだけでもけっこう時間はかかる。
用意してもらった水を見れば、魔族領内の全領地に川があることが分かった。
海に面しているのは、6領地らしい。
水とリンチペックを混ぜた瓶に、分かるように一つずつラベルを貼っていく。全部で18の瓶が出来た。あとはどうなるか、毎日観察しようと思う。
だいぶ増えたなぁ、と出来た瓶を棚に並べながら、前に作った実験中の瓶を観察していく。
いろいろ試す度に増えていくから、今では4百近い瓶が棚に置かれている。
……そういえば、あれはどうなっただろう。
ルーリアは一つの瓶を手に取った。
「えっ……!?」
試しに、とウチの魔虫の蜂蜜にリンチペックを入れてみたのだけど、その中身が予想と違う物に変化していた。
「これ、何だろう?」
リンチペックの姿は無くなり、その代わりに真っ白い小さな丸い粒が瓶の底に沈んでいる。
蜂蜜もトロリとした感じはなく、色はそのままで水のようにシャバシャバとした液体となっていた。
……えっと、リンチペックを倒しちゃったってこと?
どうやら魔虫の蜂蜜でリンチペックを退治してしまったらしい。実用的ではないだろうけど、魔物の討伐に蜂蜜が使えるなんて知らなかった。
だからと言って、マルクト全土に蜂蜜を撒くことは出来ないけど。
「……これはいったい何でしょう?」
瓶の底にある、コロンとした小さな白い粒を取り出してみた。
『
念のために解毒の魔法を掛け、指でつついて安全かどうか確かめる。素手で触れても大丈夫そうだ。
よく見てみると、粒は真っ白ではなく薄く虹色に光を反射していて、真珠のように淡く輝いていた。
「わぁ、綺麗。フェルドラル、これが何か分かりますか?」
小さな丸い粒を一つ渡すと、フェルドラルはそれを指で摘まみ、光にかざすようにして目を細めた。
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