第222話 勇者の暴走
「…………ん……」
ここ、は……?
ルーリアが薄く目を開けると、リューズベルトの姿がぼんやりと映る。
「……リューズ、ベルト……?」
自分は確か、闘技場で……。
意識が少しずつ戻ってきたルーリアは、リューズベルトの攻撃を受けたことを思い出す。
そうだ。自分はあの光の攻撃で──。
その時、リューズベルトが愕然とした表情で目を見開き、微動だにしていないことに気付いた。ルーリアの左手首を凝視して、瞬きもせずに固まっている。
いったい何を見て……と、その視線の先にある先代の勇者のお守りに、今度はルーリアが目を見張った。
お守りは魔法で見えないようにしていたはずなのに、今はその魔法が解け、リューズベルトの目にもはっきりと映ってしまっている。
──嘘っ! どうして!?
そこで一気に目が覚め、全身から嫌な汗が吹き出した。
「…………ルリ。どうしてお前が、それを持っている?」
地の底から響くような、低く、重い問いかけだった。まっすぐに向けられたリューズベルトの青い瞳には、突き刺すような怒りと疑心が透けて見える。
「あ、あの、それって……?」
「とぼけるなッ!!」
リューズベルトは火がついたように激しく怒り、ルーリアの左手首を強く掴んだ。
「ッい、痛いです!!」
逃げようと必死にもがくルーリアを、リューズベルトはもう片方の手首も掴んでベッドに乱暴に押しつける。ルーリアの細い手首など、簡単に折れてしまいそうだった。
「は、離してくださいッ! リューズベルト!」
「離せばどうせ逃げるのだろう! どいつもこいつも、今までだってずっとそうだった!!」
「痛いッ! お願い、離してッ!」
「もううんざりだ!!」
リューズベルトは掴んでいる手首にさらに力を込め、心の奥底に押しやっていた感情を吐き出す。
「人を守るのが勇者だと、弱き者を助けるのが勇者だと。それは、あんな人を物とも思わないようなヤツまで守らないといけないのか!? あんなヤツを守ってどうなる? その結果、勇者は……父さんはどうなった!?」
父に何があったのか。なぜ死んだのか。
誰かに殺されたのか。相手は誰なのか。
人に裏切られたのではないか。
だから誰も口にしないのではないか。
あれほど人々に尽くしてきたのに。
「言え、ルリ! それを持っているということは、お前も何か知っているんだろう!?」
怒りに染まったリューズベルトの瞳が、手が、叫びが。とても怖くて、痛くて、切なくて。
先代勇者のことをエルシアから口止めされているルーリアは何も答えられず、瞳には涙の粒が浮かんでいた。
「何をしている!!」
そう叫んで保健室に飛び込んで来た人物は、リューズベルトの腕を強く掴み、ルーリアから大きく引き離した。
自分の後ろにルーリアを庇い、リューズベルトとの間に立つその背中には、一つに束ねられた
「…………セル、邪魔をするな」
リューズベルトは怒りのこもった目で、間に入ってきたセルギウスを睨みつけた。
「落ち着け、リューズベルト。何があった? なぜ、お前がルリを襲っている?」
「……お前には関係のないことだ」
収まる気配のないリューズベルトの怒りに、セルギウスは目を細める。
「操られてもいない。魔法や魔術の影響でもない。これは、リューズベルト自身の意思か」
ため息混じりにセルギウスが呟くと、リューズベルトは鋭い眼差しを向け、腰に帯びている剣に手を伸ばした。
「セル。お前でも、これ以上邪魔をするというのなら……」
そう口にして、リューズベルトは魔法剣を鞘から抜いた。透き通った剣身が冷たく光る。
「……本気か、リューズベルト」
にわかには信じ難いと、セルギウスの目が見開かれた。
「……本気だ。だから退いてくれ」
リューズベルトの刺すような気配が広がり、セルギウスのまとう空気も周囲ごと変わる。
「お前がルリを力ずくでと言うのなら、私は絶対に退く訳にはいかない」
セルギウスも左手で黒剣を抜き、迎え討つように構えた。空いている右手を左胸に添え、深緑の瞳をまっすぐリューズベルトに向ける。
「表に出ろ、リューズベルト」
静かな保健室に、セルギウスの凛とした声が響いた。
リューズベルトのことは私に任せて欲しい。
セルギウスはそう言い残し、保健室から出て行った。
リューズベルトの鋭い視線からは逃れられたが、ルーリアの手はまだ小さく震えている。
……どうしてこんなことに。
剣を手にして出て行く二人を、ルーリアはただ見ていることしか出来なかった。
「リューズベルト……」
今までも軽く睨まれることはあったけど、あんなに怒っているリューズベルトを見たのは初めてだった。……だけど、怖かったけど、その目はとても辛そうで。
自分がもっと落ち着いて言葉を返していれば、このお守りについて、ちゃんと話が出来たかも知れないのに。
手首で揺れる水色の宝珠をルーリアは見つめた。
しっかりしなければ、と自分の頬を軽く叩く。
急いで周りを見回し、自分に出来ることを探した。
この独特な薬の匂いからすると、ここは癒部なのだろう。机の上に魔虫の蜂蜜と水の入った瓶が置いてあった。
セルギウスはつい先ほど、この部屋に来たようだから、倒れた自分に付き添ってくれていたのはリューズベルトということになる。
……え。もしかしてわたし、リューズベルトに蜂蜜を飲ませてもらっていたの?
その光景が全く想像できない。
けど、口の中には少し苦いような、ザラついた蜂蜜の味が残っていた。そして床には、割れたガラスの破片と飛び散った液体がある。
目を覚ました時に聞いた音はこれだろう。
恐らくリューズベルトは魔虫の蜂蜜を飲ませている時に、手首のお守り──自分の父親に繋がる物を目にして動揺したのだと思う。
ずっと探していた手掛かりをやっと見つけて、気持ちが抑え切れなくなって。
……止めなきゃ。
二人が剣を交える必要はどこにもない。
ルーリアはガラスの破片を避け、机に向かった。
まずは少しでも魔力を回復させないと。
蜂蜜の入った小さな瓶を手に持ち、覚悟を決めて、ひと息に飲んだ。
ゔぅ~~……! やっぱり美味しくないっ!
急いで水を流し込んでも、口の中にはわずかに苦みが残った。それに、ちょっと酸っぱい。
でも、これで二人を追えるはず!
まだ少しフラつくけど、ガラスの破片を風魔法で部屋の隅に寄せ、床を洗浄してから外に出た。
……うーん。どこに行ったのだろう?
さすがにあの状態で闘技場に戻ってはいないだろうから、辺りの気配を探る。
癒部と正門の間には、金属製の高い柵に沿い、背の高い木がたくさん生えている場所がある。その方角からザワつく風の気配を感じた。
風を伝ってくる金属音を辿って行くと、すぐに二人を発見する。
いるにはいたけど……と、恐る恐る木の陰から覗くと、二人は激しく剣を交えていた。
とても入っていけそうな雰囲気ではない。
だけど、そこでちょっと違和感を感じた。
……あれ? 二人の動きが見えてる?
補助魔法を何も掛けていないのに見える。
二人が本気で戦っている訳ではないことが分かり、ルーリアはホッと胸を撫で下ろした。
それに、二人は何か話しているようだ。
ルーリアは木陰から耳を澄ました。
「……
「うるさい。オレに構うな!」
攻撃をしているのは主にリューズベルトで、セルギウスはそれを受け流している感じだった。
「ここまで付き合ったんだ。理由くらい聞いてもいいだろう?」
「そんなことを頼んだ覚えはない!」
言い捨てるように放たれた斬撃に、セルギウスも斬撃を放って打ち消す。それなりに手数の多い攻防なのに、不思議と周りの木々は無傷だった。
恐らく、リューズベルトの攻撃を全部セルギウスが防ぎ切っているのだろう。かけている言葉も、どことなく穏やかなものばかりだ。
何となくだけど、セルギウスがリューズベルトを
「お前は自分が攻撃してしまったルリを心配して、自刃までしたのだろう? それなのに、あんなに怯えさせて。何を考えている?」
「ルリはオレを騙していた。その事実を確かめようとしていただけだ!」
……えっ、じ、自刃!? 何それ!?
セルギウスから飛び出した物騒な単語に、ルーリアは青ざめた。自分が退場した後に、リューズベルトが後を追ったということだろうか。いやいや、そんなまさか。
「ルリがお前を騙す?……本人がそう言ったのか?」
「それを確かめようとしたのを、お前が邪魔したんだ、セル!」
斬撃に乗せ、心の中に溜まっていたものを吐き出すようにリューズベルトは声を荒らげた。
攻撃を払い流し、セルは少しだけ距離を取る。
その後の会話はよく聞き取れなかったが、リューズベルトが自分に対して不信感を持っていることだけは伝わってきた。
リューズベルトがこんなにも父親のことを知りたがっているのに、それに気付いていて何も話さないでいるのは恨まれても仕方がないように思える。今も自分は、こうして木陰に隠れてリューズベルトから逃げているのだから。
そう思うと、心の中がズキリと痛んだ。
「あれが確認だと? あれでは力任せにルリに乱暴しているようにしか見えなかったぞ」
「黙れ!!」
セルギウスの言葉にびっくりする。
そんな風に見えていたなんて。
背が高いから大人っぽく見えるけど、リューズベルトはまだ15歳だ。シャルティエと一つしか違わない。せいぜい姉弟ケンカくらいかと思っていたのに。
でも、どうしよう。このままだと二人がケガをしてしまうかも知れない。そう思って、ハラハラしながら見守っていると、背後から予想だにしていなかった声が聞こえてきた。
「ん? あれは子供のケンカか? 剣を使ってまでするのは良くないな。ルリは下がっていろ。レイド、少しの間、剣を借りるぞ」
「は? 何を……」
えっ、今の声は!? と、振り返る間もなく。
クレイドルの返事を待たずに腰から刀を抜き取ると、ルーリアの背後にあった気配は、リューズベルトとセルギウスの
軽い金属音を響かせ、二人の剣を瞬時にさばき、その場の動きを完全に止める。
リューズベルトの剣は指先で挟んで固定し、セルギウスのノド元には刃先を突きつけていた。
「お、おと、お父さんっ!? どうしてここにっ!?」
驚きすぎて、その後の言葉が続かない。
「ルリ。何であの二人がこんな所で戦ってるのか、分かるように説明してくれないか?」
クレイドルはひくっと頬を引きつらせ、動きを止められて戸惑っている二人に冷やかな視線を向けていた。
「そんなことより、わたしはお父──」
何がどうなっているのか尋ねようとすると、ガクンと自分の身体が大きく傾いた。
自分でもすっかり忘れていたけど、どうやら時間切れらしい。
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