第221話 退場と保健室


 序列最上位の三人は、すでに退場している。

 そこで目立ってくるのは、残った二つ名持ちであるセルギウスとランティスの二人であった。


 これだけ大荒れとなれば、ひょっとしたらがあるかも知れない。運良く二人の内、どちらかでも倒せたら……。そう考えた者たちは今がポイントを稼ぐ絶好のチャンスだと、集中的に二人を狙うようになった。


「セルはこの後どうする?」


 ルーリアが退場しても、無事に帰宅できたか確認するまでは安心できない。クレイドルはリューズベルトのように退場しようと考えたが、悪目立ちはしない方がいいとセルギウスに止められた。

 訳もなく自刃などすれば、教師のダジェットが何を言ってくるか分からない。そんなことで長時間拘束されるよりは、もう少しだけ待つ方が賢明だ。


 対戦終了まで、あと数分。

 恐らくリューズベルトは、ルーリアに付き添うためにあんな行動に出たのだろう。


「この対戦が終わったら、私は癒部に確認に行こうと思う。あの時、ルリはひどく魔力を消費していた」

「分かった。それなら、オレは念のために正門へ向かうとしよう」

「正門へ? なぜだ?」

「もしかしたら、帰りが遅いルリを心配して父親が迎えに来るかも知れない。それに門番に聞けば、ルリが帰ったかどうかくらいは分かるはずだ」


 すでに帰っていれば、セルギウスにそれを伝えるだけでいいが、まだだった場合はその後が問題だ。


「あの父親は、ルリの行動の決定権を握っているらしい。下手に他の生徒から攻撃を受けたなんて知られたら、今後、家から出ることを禁止されてしまうかも知れない」


 身の安全だけを考えるなら、家から出ない方がいいのは分かっているが、それはルーリアの望んでいることではない。

 癒部に運ばれていた場合、ルーリアの魔力を回復させて自力で帰ってもらうことが一番だが、それが出来そうにない時は父親に任せるしかなくなる。


「……いや、待てよ。付き添い人なら連れて帰れるのか?」


 その言葉でセルギウスもフェルドラルの存在を思い出したが、魔術具の武器が単体で主を転移させることは出来ない。


「そういや、フェルの姿が見当たらないな」

「魔法で姿を消して、ルリの傍に付いているのだろう。対戦中に見た時は武器として手にあったが……」

「そうか。ならいいが」

「……!」


 クレイドルには今の言葉の意味が分かったのか。ルリの付き添い人が魔術具の武器だと知っているクレイドルの受け答えに、セルギウスは軽く目を見張った。


 混乱を極めた今回のシュトラ・ヴァシーリエは、終了後に参加した者たちの序列を大きく変動させることになるのだが、それはもう少し後の話である。



 ◇◇◇◇



 自分の胸を貫き、シュトラ・ヴァシーリエから抜けたリューズベルトは意識が戻った身体を起こすと、すぐにルーリアを探した。

 間を置かずに戻ったから、倒れているとしても近くにいるはずだ。


 ……ここは闘技場の通路か?


 今まで途中退場をしたことのないリューズベルトは、先ほどまでいた景色と変わっていることに気付き、辺りを見回す。


 ……あそこか。


 少し離れた所に寝かされているルーリアを発見した。思った通り魔力切れを起こし、真っ青な顔で苦しそうに眉を寄せている。

 教師に呼ばれたのか、側にはリュッカと落ち着かない様子のエルバーがいた。


「えっ、リューズベルト!? 何で!?」


 シュトラ・ヴァシーリエは、まだ終わっていない。それなのに急に現れたリューズベルトに、エルバーは驚きの声を上げた。


「……抜けてきた」

「えっ、抜けて!?」

「そんなことはどうでもいい。ルリは魔力切れだけか?」

「ああ、うん。そう。魔力の減りがひどいみたいなんだ。だから、今から癒部に運ぼうと思って」


 あそこなら魔虫の蜂蜜があるから、と説明するエルバーを無視して、リューズベルトはルーリアを横抱きにかかえた。


「えっ、リューズベルト!?」

「ルリはオレが連れて行く。あと少しで他の連中も戻るはずだ。ウォルクスには『分かっている』と伝えておけ」

「えっ、わ、分かっている?」

「それだけで通じる」


 魔力の枯渇は生命に関わる。

 邪魔をするなと鋭い目付きでエルバーを黙らせ、リューズベルトはすぐに外へ出た。闘技場の出入り口横にある転移装置へ向かい、癒部へと移動する。


「自分からおチビちゃんを連れて行くって言い出すなんてぇ~。勇者ちゃん、どぉしちゃったんだろぉ~?」

「さあ……」


 リューズベルトが去った後には、呆気に取られたリュッカとエルバーが残された。



 癒部の学舎に着いたリューズベルトは、医療学科の入り口でたまたま目についた一人の生徒を呼び止める。ここに来た理由を手短に説明し、魔虫の蜂蜜が置いてあるか尋ねた。


「あら? ルリじゃない」


 偶然にもリューズベルトが声をかけたのは、以前クレイドルが癒部に運び込まれた際に、ルーリアがその居場所を尋ねたネアリアだった。


「随分と顔色が悪いわね」

「ルリを知っているのか?」

「前にちょっとね。顔を知っている程度よ。この子、どうしたの?」


 ネアリアはぐったりしているルーリアの顔を覗き込み、額に手を当て、手首に指を添えて脈を診る。


「魔力が枯渇しかけている。だから魔虫の蜂蜜があればと思ったんだが」

「枯渇!? こんな小さい子に何をさせているのよ、全く!」


 ネアリアは文句をこぼしながらも、てきぱきと各所に連絡用の手紙を飛ばす。すぐに返事が送られてきた。


「そのまま付いて来て。ひとまず空いているベッドに案内するから、そこにルリを寝かせてあげて」


 ネアリアは奥に向かい、通路を足早に歩き始める。案内されたのは二床のベッドが並ぶ、こぢんまりとした部屋だった。入り口には保健室と書かれている。

 入ってすぐの所に机と椅子があり、他に利用者はおらず、壁際には薬品の入った棚がいくつか並んでいた。


「ここに寝かせて」


 少しひんやりするシーツに、ルーリアをそっと乗せる。


 ……? これは……。


 ベッドに下ろす時、ルーリアの肩の辺りでリューズベルトは手に違和感を覚えた。


「じゃあ、しばらく様子を見ててあげて。私は魔虫の蜂蜜を受け取ってくるから」

「分かった。頼む」


 ネアリアが保健室から離れたのを確認すると、リューズベルトはさっき感じた違和感の元を掴んだ。このまま身体の下に敷いていたら、肩を痛めてしまうかも知れない。


 ……これは何だ?


 リューズベルトは目には映らないが、確かに手の中にある何かに視線を向けた。

 もしかしたら何かの魔術具かも知れない。

 そう思い、外したものをルーリアの枕元に置いた。


 その正体はもちろんフェルドラルなのだが、リューズベルトは全く気付いていない。

 フェルドラルは隙をついて抜け出し、人目につかない場所で魔法を解除して、それから戻ってくるつもりでいるのだが、今はじっとしているしかない。


 問題なのは、この後だ。

 ルーリアはこれから眠りの時間となる。

 眠っている間は一方的に魔力が減っていくため、このままでは残り少ない魔力を全て失うことになる。そうなるとルーリアを待っているのは、魔力の枯渇による『死』だ。


 どうにか今の内に、魔力を回復させる必要がある。ルーリアの作った蜂蜜は、闘技場の観戦席に置いてある荷物の中だ。

 まずは、この部屋から抜け出さなくては。

 フェルドラルはその機会が訪れるのを静かに待つことにした。


 部屋の隅にあった椅子をベッドの側まで持ってきて、リューズベルトは座る。

 静まり返った部屋の中に聞こえるのは、ルーリアの苦しそうな呼吸だけだった。


「…………」


 リューズベルトは深く思い詰めたような顔で、ルーリアの様子をじっと見ていた。


 パタパタパタ……と。

 通路側から響いてくる軽い足音に気付いたリューズベルトは、立ち上がって入り口へと向かう。ネアリアが戻ってきたのだろう。


 フェルドラルはリューズベルトが部屋の外に気を取られている隙にベッドから下り、人型に姿を変え、気配を悟られないようにそーっと壁際を動いた。


「魔虫の蜂蜜、あったわよ」


 ネアリアが両手で持つトレイには、蜂蜜と水の入った瓶、それから薬液を患者に飲ませるためのガラスで出来た薬呑器があった。


「ねぇ、魔虫の蜂蜜の使い方は知ってる? まぁ、使い方って言っても水で薄めて混ぜるだけなんだけど」


 それくらいは知っている、とリューズベルトが答えると、ネアリアは机の上にトレイごと置き、急いでいる様子で出入り口に引き返す。


「それなら悪いけど、ここを任せてもいいかしら? 軍部で乱闘が起こったらしくて、ケガ人が続出しているのよ」


 大人数でシュトラ・ヴァシーリエをした後は、いつも荒れる。リューズベルトはすぐに頷いた。


「分かった。飲ませるくらいなら、そう難しいこともないだろう」

「そう。なら、お願いね。また後で様子を見に来るわ」


 ネアリアが保健室を出て行くと、リューズベルトもすぐに動いた。ルーリアの顔色は運び込んだ時よりも悪くなっている。急がなければ危険だ。


 リューズベルトが机に向かったのを見たフェルドラルは、その隙に保健室を抜け出した。

 その足でルーリアの蜂蜜を取りに闘技場へ向かう。


 魔虫の蜂蜜と水を薬呑器で混ぜ、リューズベルトはすぐにルーリアに飲ませようとした。

 しかし簡単そうに見えて、これが意外と難しい。

 意識を失っている相手に薬液を飲ませるなど、リューズベルトは今までに一度もしたことがなかった。気持ちばかりが焦り、慣れない手つきのせいでルーリアの口元から薬液がこぼれる。

 寝かせたままでは無理そうだ。と、幼い頃、エーシャが倒れた自分に取っていた行動を思い返す。


 確か……こんな感じだったか。


 左腕でルーリアを抱えるように支え、少しずつ蜂蜜を口に流し入れる。ルーリアの呼吸に合わせるように、少し口に流しては飲み込むのを待つ。

 それを根気よく続け、ルーリアの苦しそうだった表情が和らぐのを目にして、リューズベルトはようやく肩の力を抜いた。


 しかし、次の瞬間。


「──なッ!!」


 リューズベルトはルーリアの手首に目を奪われ、持っていた薬呑器を床に落として割ってしまう。そこにあるのは、透き通った水色の宝珠で作られたお守りだった。


 静かな保健室に響く、ガラスの割れる音と薬液の飛び散る音。ルーリアはその音で目を覚ました。


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