第211話 再会とあの日の約束
「──い、おい! ルリ! 大丈夫か!?」
……ん。レイドの、声……?
呼ばれた声に薄く目を開けると、ひどく狼狽えた様子のレイドの顔が目の前にあった。
──って、近っ!?
すぐに自分がレイドに抱きかかえられていることに気付き、眠気も吹き飛ぶ。
「わわっ!? な、何でっ!?」
「ルリ、急に動くな! いったい何があったんだ!? お前は木の下で倒れていたんだぞ!」
倒れて──……?
自分は眠くなって寝ていただけで……と思ったけど、何も知らないレイドからすれば、海の家に行っていた間に何かがあって倒れていたように見えたのかも知れない。なんてこった。
「あ、あの、レイド。違うんです。ついうとうとしてしまって、その、眠っていただけで……」
顔を赤くしながらも、正直に答えた。
小さな子供みたいで、とても恥ずかしい。
レイドは「はぁ?」と声を漏らし、理解できないといった顔で蜂蜜色の瞳を瞬いた。
「寝てた……? こんな何もない所でか?」
「ご、ごめんなさい。つい……」
波の音と、ほど良い木陰が気持ち良くて。
家の近くの森では、蜂蜜が流れ落ちるのを待っている間、たまに木に寄りかかって眠っている。外で眠ることに何の抵抗もなかった、なんて言ったら、また恥じらいがないとか怒られるだろうか。
案の定、レイドはランプをマーレに叩き返して戻ってきた時に、木の下で倒れている自分を発見して本気で心配したのだという。申し訳なさ過ぎる。
……ご、ごめんなさいっ!
ルーリアは心の中で土下座した。
「はあぁぁぁ──……」
レイドは脱力したように、全身で大きなため息をつく。まぎらわしいことをしてしまったから、これは説教だろう。そう思って座り直そうと、レイドの膝上から下りようとすると、グッと腕を掴まれた。
「……!?」
慌てて顔を覗き見れば、レイドは『大事な話がある』と言った時と同じ真剣な目をしている。
「あ、あの……?」
「そのまま話を聞いてくれ」
「こ、このまま?」
レイドはルーリアを抱えたまま、少し浮かせていた腰を落とし、柔らかそうな草の生えている地面に座った。
胡座をかいている男性の膝の上に座るなんて、ガイン相手でも数えるほどしかした覚えがない。
照れくさ過ぎて、まともに話なんか聞いていられないと逃げようとするも、真面目な顔をしたレイドに先に口を開かれ、完全に下りるタイミングを逃す。
「ルリ、オレとお前の姿を魔法で消して、視覚共通の魔法を掛けてもらってもいいか? もし使えるのなら、音断の魔法も頼む」
「……は、はい」
レイドの気迫に圧されたルーリアは、言われた通りの魔法を自分たちに掛けた。
海の家で借りた革袋から指輪を一つ取り出すと、レイドはそれを右手に着け、視界を覆い隠すようにルーリアの目元を左手で押さえた。
「……? レイド? いったい何を──」
これでは視覚共通を掛けた意味がないと、抗議の声を上げようとすると、レイドの物ではない低い声が響いた。
「ルリ……いや、ルーリア。この声に聞き覚えはあるか?」
「ッな! ル、ルーリアっ!? どうしてその名前を!?」
偽名ではなく本名を呼ばれたことで、ルーリアの鼓動はドクンと跳ねる。
レイドの声が低くなっていることにも気付かず、ルーリアは反射的に目を覆っているレイドの手を退かそうと、自分の手をかけた。
だが、触れたその手は人族のものではなく、ザラッとした硬い鱗に覆われた、火のように紅い色をしていた。
────え…………。
一瞬、思考が止まる。
どうにか目の前にある紅い手に視点を合わせると、黒くて鋭い爪が目に映った。
そのままゆっくりと視線を紅い手の持ち主の顔に向ければ、大きく裂けた口から白い牙が覗いている。
「……ク……クレイア、さん……?」
蛇のような細い瞳孔を持つ黄色い目と、自分の目が合った。
見知っている姿を認めたところで、何が起こっているのか分からず、ますます混乱する。
ルーリアは目を見開き、目の前にいる
「……レ、レイドの……本当の姿は、クレイアさん、なんですか?」
「…………」
クレイアは何も答えてくれない。
動揺しているルーリアの心が落ち着くのを待つように、じっとしていた。
……レイドが、クレイアさん……?
少し落ち着いてきたルーリアは、レイドが革袋から指輪を取り出して身に着けていたことを思い出す。
いえ。あれは……変身のための魔術具?
じゃあ、この姿は、魔術具の効果?
まとまらない思考を必死に掻き集め、何とか頭を動かす。レイドがクレイアに変身していた、ということは理解した。
それなら、レイドは?
レイドの、本当の姿は……?
レイドは人族ではない。魔族だ。
魔族である、本来の姿があるはず──。
ルーリアは無意識に手を伸ばし、クレイアの頬にそっと触れた。クレイアは目を閉じ、ルーリアの手にザラッとした紅い皮膚の頬をすり寄せる。
そして今度は、頬に伸ばされたルーリアの手を覆うように自分の紅い手を重ね、クレイアは指から変身の魔術具を外した。
ルーリアの目の前で、ルーリアによく見えるように。
それだけだったら、元のレイドの姿に戻るだけで終わっていただろう。レイドはさらに、紐状の腕飾りと首から下げた革紐の首飾りを外していく。
二つとも、初めて海の家に来て水着になった時、レイドが身に着けていた装飾品だ。
それが実は変身の魔術具だったのだと、ルーリアはたった今知った。水着のオマケではなかったらしい。ほとほと自分の注意力の無さに呆れる。
ルーリアはまっすぐ、レイドに目を向けた。
────あぁ──……。
目にした瞬間、理性ではない別の、もっと心の奥底にある本能のようなもので理解する。
確かにこれは、思考が止まる。
レイドが大人になった自分を見て固まった時のように、ルーリアもまた、レイドの本来の姿を見て固まってしまった。
切れ長で涼しげな目元の整った顔立ち。
暖かみのある夕日色の髪に、
一見すると冷静で物静かそうな端麗さがあるのに、身体は鍛えられていて靭やかに引き締まっている。
軽く伏せられた瞳には、目を瞬くだけでも見とれてしまう美しさがあった。
「…………綺麗……」
思わずこぼれた言葉の後、ルーリアはその瞳と髪色に懐かしさを覚えた。でも、まさか、と。
湧き起こる感情に頭が付いていかない。
「…………本当に、レイド、なんですよね?」
気付けば、大人の姿となった自分を見た時にレイドが言っていた台詞と似たような言葉をかけていた。
「他に誰がいるって言うんだ?」
レイドの返しも、あの時、自分が言ったものだ。その声にホッとして、ルーリアは胸の内にある質問を口にした。
「……レイドは、『サクサク』を知っていますか?」
じっと見つめるルーリアに、レイドは柔らかく瞳を細める。
「…………ああ。覚えている」
その答えで、ルーリアの瞳は込み上げる感情と視界をにじませる涙で揺らめいた。
「…………どう、して。いつから……?」
何から話せばいいのか。
何を言えばいいのか。
ルーリアは顔を両手で覆い、肩を小さく震わせた。
「……まさか、覚えているとは思っていなかった」
レイドはルーリアをそっと引き寄せ、自分の胸に寄りかからせた。
自分が贈った虹鳥の髪飾りを目に映し、壊れ物に触れるかのような手つきで、ルーリアの髪を優しく撫でる。艶のある黒髪が、レイドの指の隙間をなめらかに流れていった。
「……忘れるはず、ないじゃないですか」
いろんな想いが込められた声が、涙混じりにこぼれる。ルーリアの言葉を噛みしめるように、レイドは「そうか」と息を漏らした。
ルーリアはしばらくの間、レイドの胸に顔をうずめていた。
しかし、気持ちが落ち着いてくると、じわじわと気恥しさが膨らんでくる。レイドは本当の意味で、何も知らなかった頃の自分を知っている。
「…………綺麗な夕日の色……」
それでも、あの時の少年と再会できたことの方が嬉しくて、ルーリアは無意識に手を伸ばし、レイドの髪にそっと触れた。
サラッとしていて、柔らかくて、温かい。
「レイドは人族と見た目がほとんど変わらないんですね。クレイアさんの姿の方が、よっぽど魔族って感じがします」
「ルーリアの中の魔族のイメージは、魔物や魔獣といったところか。オレは魔族だが、鳥の獣人でもある。翼を隠してしまえば、見た目ではそう違わないだろう」
「レイドは何の獣人なんですか?」
「火の鳥だ」
火の鳥。どんな鳥なのか、名前を聞いたことも見たこともない。けれど、きっと綺麗な鳥なのだろう、とルーリアはレイドを見て思った。
「ルーリア、あの時の約束を覚えているか?」
「……約束?」
ルーリアの中に、旅の少年と別れた時の記憶が甦る。
『もしこの先。またどこかで本当の姿で会うことがあったなら、その時はオレから名乗ると約束しよう』
「はい。覚えています」
「オレの本当の名は、クレイドルだ」
「……クレイドル」
獣人は基本的に、継ぐべき土地がなければ家名を持たない。レイドも、自分はただのクレイドルだと名乗った。
「レイドに……クレイドルに、ルーリアって呼ばれるのって、何だかちょっと不思議な感じがしますね」
ふふっ、と自然に笑いがこぼれる。
くすぐったいような、変な感じだ。
偽名ではなく、本当の名前で呼ばれるのは、やっぱり安心する気がする。信用とか信頼とか、いろんな気持ちが詰まっているような気がして。
……あ、そうか。
クレイドルがクレイアだったということは、ヨングと繋がりがあり、蜂蜜屋のことも、ユヒムのことも知っているということになる。
ルーリアは自分のことを知っているクレイドルに、警戒心よりも先にホッとしたような妙な安心感を覚えた。
「わたし、クレイアさんに会ったら伝えたいことがあったんです」
「クレイアに?……何だ?」
クレイドルには思い当たることがないようで、軽く首を傾げる。
「前にユヒムさんの屋敷で会った時、クレイアさんが
そう言って深く頭を下げるルーリアを見たクレイドルは、少し目を伏せ、静かに首を振った。
「それは……違う。違うんだ」
「……違う?」
何が、と目で尋ねると、クレイドルは苦々しい顔をする。
「オレはお前たち親子を助けるために、あのレシピを教えた訳じゃない。オレは……オレがお前に近付いたのは、お前を利用するつもりだったからだ。散々世話になっておきながら、身勝手で卑怯な考えで、お前に近付いたんだ。……そんなオレに礼なんて言う必要は全くない」
ルーリアの視線から逃れるように横を向き、クレイドルは暗い表情で視線を落とした。
「……あの、利用っていうほど、わたしが何かの役に立つとは思えないんですけど?」
「お前は邪竜に関わるものを何か持っているはずだ。魔王から直接預かったのかどうか知らないが、オレはそれを利用しようとして狙っていた」
「えっ!? じゃ、邪竜ッ!?」
まさかクレイドルの口から邪竜の名前が出てくるなんて思ってもいなかった。
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