第210話 夏の終わり


 採蜜したスイリーケの蜂蜜は、自分で料理に使いたい分を5瓶ほど除け、それ以外を全部シャルティエに渡した。


「ルーリアはそれだけでいいの?」

「わたしはお店がある訳じゃないですから。これだけあれば十分です」


 ミツバチの蜂蜜の相場なんて自分では分からないから、代金のやり取りはユヒムとアーシェンに丸投げしている。シャルティエが言うには魔虫の蜂蜜より味が良いから、市場に出せば間違いなく高級品扱いとなるだろう、とのこと。ふふっ、素直に嬉しい。

 お金にはけっこう厳しいシャルティエからそう言ってもらえて、蜂蜜屋の看板娘としては大満足である。


 シャルティエが帰った後、ルーリアは自分の部屋に向かった。

 カレンダーの中では、8の月も間もなく終わろうとしている。明日は海の家に行ける、最後の日だ。


 ルーリアはラピスを教えてくれたお礼にと、レイドにお守りを作ろうと考えていた。

 何が良いかいろいろ考えたけど、これからのことを思えば、お守りくらいは持っていた方がいいと感じたのだ。


 材料は、前にユヒムの屋敷から引き取った物がそのまま物置に置いてあるから、それを使うことにした。エルシアが今までに集めた素材も置いてあるから、調合の材料には困らない。

 お守りは少しずつ部品を作っていたので、あとは火魔法で焼く作業と、炎の刻印を刻む作業、それから仕上げの作業が少し残っているだけだ。


 パラフィストファイスの還印と、デキーラオの髪飾り。どちらも危険から身を守るお守りだ。

 どうせなら、この二つを組み合わせて強力なお守りを作ろうと思っている。

 火蜥蜴サラマンダーのレシピ通りの物を人前に出す訳にはいかないから、ちょっとだけ改造するけど、エルシアほどの脱線はしていないから大丈夫なはずだ。……たぶん。


 磨いておいたヒグニスカの骨に炎の刻印を彫り、リマロの粉とヤイロアの実、自分の血を混ぜて作った染料を流して魔力を加える。


 これでよし、と。


 フェルドラルがいると血を使うだけで何を言われるか分からないから、側にいないこの時をずっと待っていたのだ。

 刻印が赤黒く光って固定されたので、次の作業に移る。


凍てつく霧よクイン・ファー、氷衣となれ・リンツェ


 自分の周りを氷で囲い、クニエマの骨を切って磨いた物にバーヌマルの油をかけ、魔力を込めながら火魔法で焼いていく。

 次に、ラヒーロの皮で作っておいた革紐を使い、細かい部品と刻印の入った部品を繋ぎ合わせ、パラフィストファイスの還印の部分を作り上げた。


 あとは、デキーラオの毛皮を……。


 銀色の針のように硬い毛をバラバラにして並べる。

 レシピ通りなら、毛は皮に付けたまま使うことになっているけど、皮から外すことで、ほんのわずかだけど早く反撃することが出来るようになる。今回はあえてそうした。

 エルシアの調合を見ていて分かったことを応用して、少しでも強いお守りにしようと、ただそれだけを考える。


 ふうっ……と息を整え、机の上に手をかざす。

 銀色の針に込めるのは、風と闇の魔法。

 魔法陣を描いた紙の上に緑と黒の小さな魔石を置き、それぞれに攻撃魔法を込めていく。


 このお守りが使えるのは、恐らく一回だけだ。

 本当に危険な状態から、どうにか抜け出せるだけの効果を持たせる。

 レイドが危険な目に遭わないように。

 遭っても必ず切り抜けられるように。

 発動するのは、生命が危険に晒された時だけ。

 そんな状況でしか発動しないお守りだから、レイドの意思とは関係なく起動するようにしておいた。


 骨と魔石と針毛と革紐。

 そんな二つを組み合わせ、ちょっと野性味溢れる見た目のお守りを何とか完成させた。


 解毒薬もそうだけど、新しく出来たアイテムって、名前とか付けた方がいいのだろうか?……うーん。自分にはそういったセンスはない。そこは諦めよう。



 次の日。


 午後の農業の授業が終わりに近付いた頃、少しだけ緊張したような顔のレイドが声をかけてきた。


「ルリ。今日の放課後なんだが、海の家に付き合って欲しい。……構わないか?」

「はい、大丈夫です」


 レイドの方から海の家に誘われたのは、初めてのような気がした。


「わたしもレイドに声をかけようと思っていましたから。海の家に行けるのも、今日が最後ですし」


 元より、お守りを渡すためにレイドを誘うつもりでいたから、むしろ好都合だ。


「最後。…………そうだな」

「……?」


 ポツリと呟いたレイドの表情は、いつになく真剣なものだった。



 そして放課後となり、海の家の店に入ったルーリアは、カウンターに行く前にレイドを呼び止める。


「レイド、ちょっと待ってください」

「ん? どうした?」


 ルーリアは腰に付けた小さなカバンから、昨日作ったお守りを取り出した。


「あの、これを受け取ってください。身に着けていれば中に持ち込めるので、入る前にどこかに着けてもらえますか?」

「……これは?」


 ルーリアからお守りを受け取ると、レイドは目を見張り、一瞬だけ驚いたような顔となる。


「説明は中でします」

「……分かった。着ければいいんだな」


 腰のベルトの部分に紐を通してレイドがお守りを身に着けていると、その様子を訝しむ目で遠目に見ていたラメールたちから声がかかった。


「いらっしゃいませなの、ルリ。そんな所で何をコソコソしているの?」

「行くのか? 行かないのか?」

「……行くに決まってるだろ。そのために来たんだからな」


 覚悟を決めたように返すレイドを、バハルはジロリと冷めたような目で見る。


「ふぅーん」

「何だ?」

「いや、今日は朝からそんな顔をしたヤツばっか来るな、って思っただけだ」

「……? どんな顔だ?」

「なーんか、一大決心したぜ! って顔?」

「そんな顔をした覚えはない!」

「してたって。なぁ、ルリ?」

「うぇっ!? う、うーん……」


 思わず「してました」と、言いそうになってしまった。言葉を濁して、そっと目を逸らす。

 呆れと苛立ちを混ぜ込んだ顔をバハルに向け、レイドは盛大なため息をついていた。

 その横で、ラメールはちょいちょいとルーリアを手招く。


「ルリ、この男には気をつけるの。身の危険を感じた時は、大きな声で叫べばマーレが駆けつけてくれるの」

「えっ、えー……っと?」


 なんか似たようなやり取りを、ここに初めて来た時もしたような……?

 ラメールが台帳から離れた隙に、レイドはササッとサインを済ませ、「お前も早く書いてしまえ」と、ペンをこちらに差し出した。


「ルリ、妖精は放っといて、さっさと行くぞ」

「あ、はいっ」


 ルーリアが台帳にサインを済ませると、レイドはその手を引いて足早に入り口へ向かった。

 その背中に向かって「図星だな」「図星なの」と、妖精二人の声が投げかけられる。


「ふふっ、レイドは妖精にからかわれやすいんですね」

「……全く、いい迷惑だ」


 入り口を抜け、白い砂浜に辿り着いたレイドはため息をついて、軽く頭を掻いた。



「マーレ、こんにちは。いつものアイテムを貸してください」


 海の家に入り、カウンターにいるマーレに声をかける。


「よっ、ルリ。いらっしゃい」


 すぐに背面にある棚に手を伸ばしたが、マーレは困った顔で振り向いた。


「あー……残念。ランプだけ品切れ中だね。今日は客が多くてさー」


 今日が海の家の利用最終日となる人が多いため、こればっかりは仕方がないと、マーレは肩を竦める。

 ランプがないということは、椅子やテーブルなどの家具類が使えないということになる。


「他に何かないのか? ルリが座ることが出来れば、何でもいいんだが」

「うーん。座れる物、ねぇ。あるにはあるけど……」


 渋り顔のマーレはランプを一つ、レイドに手渡した。


「えっ? ランプ……?」


 パッと見は今までのランプとほとんど変わらないが、中身が空っぽで芯がない。


「使い方は今までのランプと一緒だけど、くれぐれもルリを泣かせるなよ~?」

「……は?」


 レイドは受け取ったランプとマーレを交互に見て、訳が分からないといった顔で首を傾げた。


「他はあるから、ちょっと待ってな~」

「はい」


 慣れた手つきで次々とカウンターの上に並べられたラピスや革袋を受け取り、ルーリアとレイドはいつもの小高い丘の上へと向かった。



「……ここに来るのも最後だと思うと、ちょっと寂しくなりますね」


 空と海が水平線の向こうまで見えて、ここから眺める景色は本当に綺麗で。

 そう言って振り返ると、海の方へ向けていた視線をルーリアに移し、レイドは表情を引きしめた。


「……ルリ。今日はお前に大事な話がある」


 穏やかだけど、少し堅い声が響く。

 真剣でまっすぐなレイドの視線から目を逸らせず、気持ちを掻き立てるような胸のざわめきを隠すように、ルーリアは自分の手を胸の前できゅっと握った。


「…………大事な、話?」


 張り詰めた空気に気を呑まれ、ルーリアは緊張した顔でレイドを見上げる。


「少し長くなる。座って話した方がいいだろう」


 その様子を気遣ってくれたのか、レイドはふっと視線を緩め、場の空気を和らげるように軽く微笑んだ。


「わ、分かりました」


 まだ収まらない胸のドキドキを誤魔化そうと、ルーリアは海の家で借りてきたランプを手に取り、慌てて小さなボタンをポチッと押した。

 地面に厚手の豪華な絨毯が敷かれ、ポンポンとクッションが現れ。あれ? いつもと一緒なんじゃ……と思っていると、最後にドーンと大きなベッドが現れた。


「……………………」


 レイドはさっきまでの真面目な顔を捨て、今まで見たこともないくらい目を剥いている。


「……ベッド? あの、レイド、」


 これに座るってことでしょうか? と、尋ねるより速く。言葉を失って呆然としていたレイドは、ものすごい速さでルーリアの手からランプを奪い、無言でボタンを押して現れた家具類を全て消した。


「……ルリ。ちょっっとだけ、待っててもらっていいか? すぐに戻る!」

「え、あの……っ?」


 ぎこちなく変な笑顔を作ると、レイドはルーリアの返事を待たずに海の家に向かって走り去ってしまった。


「は、速っ!」


 止める間もなく、あっという間に姿が見えなくなる。ぽつんと一人、丘に取り残されたルーリアは、レイドが戻ってくるのを待つ間、近くの木に寄りかかって座り、海を眺めることにした。


 ……大事な話って、何だったんだろう?


 きらきらと光を反射して、透き通るエメラルドグリーンの海に目を細める。本当に、夢みたいな場所だと思う。


「……ふぁぁ~……」


 静かに響いてくる波の音があまりにも心地好くて、とろんとまぶたが重くなったルーリアは、そのままその場で眠りに落ちてしまった。


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