第192話 同じ早さで歩けたら
理衣祭の本番で、モデルとして活動する時間は、およそ10分だと聞いている。
薬を飲んでドレスに着替え、魔術具で化粧をするまでが、約5分。舞台を歩き、審査員たちの前で作品を披露して下がるまでが、さらに5分。その、計10分だ。
薬の効果は15分くらいあるから、たぶん大丈夫だろう。
「あとは……」
ひたすら歩く練習をするのみ。
今回ばかりは、ものすごく自分勝手なわがままにレイドを付き合わせているから、本当に申し訳なく思う。
理衣祭が終わるまで、楽器の練習は止めようかと思ってレイドに話すと、ここに来ている間は好きにしていいと言ってくれた。
何をするにしても、海の家には付き合ってくれるらしい。なんていうか、レイドが優しすぎる。
こんなに甘えてしまっていいのだろうか。
もちろん後で楽器の練習もするつもりだけど、それまでの間、レイドにはゆっくり休んでいて欲しいと伝えた。
とりあえず今は歩く練習をしようと、ルーリアは革袋から『ほんの少しくらい過去の栄光に縋ったっていいじゃない』──通称、若返りの薬の小瓶を取り出す。
他にも、大人用の白いワンピースドレスと靴、それから大きめのタオルも用意する。
良かった。ちゃんと飲み物以外も出せた。
「? 服に、靴? 何をする気だ?」
ルーリアが練習のために取り出した物を並べていくと、明らかにサイズが違う服などを前に、レイドは戸惑った表情を浮かべていた。
「実際に舞台の上に立つのは大人の姿でになりますから、その姿で練習しておかないと、歩く感覚が掴めないんです」
手順はこうだ。
頭からシーツほどの大きさのタオルを被り、服を脱ぐ。それから薬を飲み、大人用のワンピースドレスに着替える。以上。
それを伝えると、なぜかレイドは顔色を変えた。
「ちょっと待て。それを今から、ここでする気か?」
「はい、そうですけど。ちゃんとタオルで隠しますから、何も問題ないですよ?」
それが何か? と、キョトンとした顔を向けると、レイドは急に大きな声を出した。
「も、問題、大有りだっ! お前には恥じらいってものがないのか!?」
恥じらい。
まさかその単語をレイドから聞くとは思っていなかった。何がいけないのか尋ねると、レイドは顔を手で覆って空を仰ぐ。
その後、ルーリアはガインが乗り移ったようなレイドに、こってりと絞られた。
「うぅ……っ。だって、他に練習する場所も時間もないんですから、仕方ないじゃないですか」
涙目の顔を向けると、レイドは深いため息をつき、こめかみを押さえる。
「お前はオレを何だと思っているんだ?」
「レイドはレイドですよ。それに、困った時は兄だと思って頼っていいって言ってくれたじゃないですか」
「ぐっ……。よくそんな前のことを覚えているな。それは言葉の綾で、本当の兄という意味ではない」
「それは分かっています。そうじゃなくて、家族のように信頼しているって意味なんですけど」
「……っ。…………はぁ」
レイドは何かを言いかけてから止め、しばらく頭を抱えていた。
「それなら、少しの間だけ他の場所に行って練習してきましょうか?」
「それは止めた方がいい。他の誰かに見られたら、もっと面倒なことになる」
じゃあ、いったいどうしろと。
むぅっと膨れた顔をしていると、レイドは魔法で姿は消せないかと聞いてくる。
「あ、姿を消せばいいだけだったんですね。それならレイドにも見えなくなるから、ここで練習も出来ますね」
良案だと思ったのに、レイドはまだ渋い顔をしている。
「さっきルリは、歩く感覚を掴むための練習だと言っていたよな?」
「はい」
「薬を飲んだ後の姿でも、転ばずに一人で歩けるのか? それとも、まだまともに歩いたことすらないのか?」
「……あ」
「その顔だと、初めて歩くようなものなんだろ?」
「う……っ」
前に薬を飲んだ時は、ドレスに着替えたのもあって、みんなに支えられてようやく立っているような状態だった。
たぶんまだ一人では、ちゃんと歩けない。
「……あの、レイド。すみませんが、歩く練習を手伝ってもらってもいいですか?」
ちゃんと着替えが終わり、準備が整ってから視覚共通の魔法を掛けると話せば、レイドもやっと納得をしてくれた。
「そうやって、ちゃんとした上で頼ってくれる分には、オレだって協力できる。あまり言いたくはないが、ルリは他人に気を許し過ぎだ。もっと注意深くなって欲しい」
「……う、はい。今度からは気をつけます」
そうしてルーリアは魔法で姿を消してから薬を飲み、服を着替えた。レイドにも魔法を掛ける。
『
これでレイドも他の人からは見えなくなり、自分と同じものが見えているはずだ。
着替えた白のワンピースドレスは、スカートの裾が足首まであり、フワッと柔らかく広がっていた。軽いので、歩く練習をするにはちょうど良い。
「あの、レイド……?」
魔法はちゃんと掛かっているのに、レイドは固まったように、ただ立ち尽くしている。
そういえば前に薬を飲んだ時も、シルトたちはしばらく固まっていた。
いきなり外見が変わると、みんなこうなってしまうのだろうか。ガインが色違いになった時、自分も全力で逃げ出したことを思い出した。
「…………っ本当、に、ルリ……なのか?」
目を見張り、息を呑んだような声でレイドは尋ねる。
「他に誰がいるって言うんですか。薬の効果は15分くらいですから、何回か繰り返して練習したいと思っています。さっそくお願いしてもいいですか?」
「……あ、ああ。それは、構わない」
レイドが差し出してくれた手に、そっと指先を重ねる。手が触れた瞬間、レイドの身体がビクリと震えたような気がした。
「あの、大丈夫ですか?」
顔を覗き込めば、ふいっと逸らされてしまう。
やっぱり見慣れない身体と顔だから、違和感が気持ち悪いのかも知れない。
「……済まない。大丈夫だ。気にするな」
口ではそう言ってくれたけど、レイドは出来るだけこの身体には触れたくないようで。
こちらが倒れそうになって支えてもらう度に、それはそれは深く息を吐いていた。
本当にごめんなさいと、心の中で謝っておく。
ゆっくり、ゆっくりと歩く。
何度もつまずいて転びそうになりながら、足の感覚を慣らしていった。
レイドはこちらに歩幅を合わせて、同じ早さで歩こうとしてくれている。それでも転びそうになると、すぐに支えてくれるから、安心して練習に集中することが出来た。
そして1時間くらいが過ぎた頃。
目や膝の高さにもだいぶ慣れ、一人でもどうにか転ばずに歩けるようになってきた。
あとは優雅に見せる指先の動きや、視線の向け方などを練習をすれば、少しは形になってくると思う。
「……? どうかしたんですか?」
レイドが、じっとこちらを見ていたから、思わず聞いてしまった。
「あ、いや。ルリが前に言っていた、起きている時間の分しか成長しないって話を思い出していた。もし、ちゃんと時間が流れていたら、本当はこうだったんだろうな、と」
「……この姿になるには、今のままだと、あと2、30年はかかると思います」
本当なら、5年くらいで済むのに。
ノド元まで出かかった言葉を呑み込んだ。
「早くて20年、か。……長いな」
レイドは切なげに目を伏せ、遠くを見るように視線を巡らせた後、表情を引きしめた。
「なぁ、ルリ。ルリのその呪いは、どうにもならないのか? いくら人族ではないと言っても、周りと流れる時間がここまで違うのは、一人だけ違う世界に取り残されているように思えてならない。……何か、方法はないのか?」
そう言って真剣な目をするレイドに、ルーリアは声を詰まらせた。
「…………レイド……」
まっすぐな目と言葉を向けられ、ずっと胸の奥に隠してきた気持ちが溢れそうになる。
前は、木陰に隠れて一人で泣いていた。
こんな風に、誰かに自分のことを思ってもらえる日が来るなんて思っていなかった。
胸に置いた手を、ルーリアはギュッと握りしめる。
……でも、これは自分だけの問題だ。
レイドのように、多くの人たちの生活に関わる話ではない。レイドには、やらなければならないことがたくさんある。それを自分一人だけの問題で邪魔をしてはいけない。
学園にいられるのは、あと8か月ほど。
レイドだって、自分の時間には限りがある。
……わたしは、レイドの足を引っ張りたくはない。
気にかけてもらえただけで嬉しい。
その気持ちだけで、自分には十分すぎる。
「心配してくれて、ありがとうございます。実はこの呪いを解く方法は、もう分かっているんです。ただ、ほんの少し時間がかかるだけで。学園を卒園する頃には、ちゃんと普通に時間が流れるようになりますから。だから、大丈夫です」
ルーリアは嘘をついた。
呪いを解く方法なんて知らない。
手掛かりすら、まだ掴めていない。
だけど、この嘘には気付かないで欲しい。
そんな気持ちを込めて、微笑む。
「…………そうか……」
レイドはたった一言、そう返しただけだった。
その後も、ルーリアたちは海の家に行く度に、歩く練習を繰り返した。もちろん楽器の練習も続けている。
シルトたちの工房でも、ドレスの試着を何度も重ね、着々とコンテストの準備を進めていった。
そしてついに迎えた、理衣祭の当日。
この日の授業は、午前中だけだった。
午後からは闘技場が理衣祭の会場となり、全学部で授業は休みとなる。
夏の理衣祭は秋の芸軍祭とは違い、一般向けには公開されない。学園内だけで行われる、ちょっとした発表会のような催しである。
衣部は、制作した衣装や装飾品の発表を。
理部は、開発した薬や調合品の展示と実演を、それぞれに行う。
どちらも作品の記録を映像に残し、それを元に商人たちと教師を交えて商談するという。
衣部コンテストは、その商談のための展示とは別に、生徒同士が互いの腕を競い合う発表の場である。もちろん最優秀に選ばれれば、学園から様々な特典が与えられる。
ルーリアの役目は、衣部コンテストでシルトたちの作品を身に着け、審査員の前まで歩いて行き、それを良く見せるように披露すること。
それだけだと、シルトたちから聞いていた。
それなのに。
衣部コンテストが行われる予定の闘技場の観戦席には、なぜか大勢の人たちが集まっていた。
ざっと見て、千人くらいはいるように思える。
──こ、こんな話、聞いてないんですけど!?
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