第193話 荒れる理衣祭
「シ、シルト、マティーナ! これはどういうことですか!?」
観客がいるなんて、ひと言も聞いていない。
舞台裏から観戦席を覗いて顔面蒼白となっていると、何をそんなに慌てているの? といった顔を二人から返された。
「あれっ? ルリはコンテストがどんなものか知らなかったの?」
「こんなにたくさんの人がいるなんて聞いてないですよ!」
「大丈夫だよ~。あれは人じゃなくて野菜。全部お芋だと思っていれば平気だから~」
「!? マティーナは何を言っているんですか?」
思わず真顔で突っ込んでしまった。
「観客がいてもいなくても、やることは変わらないんだから大丈夫だよっ。舞台を歩いて、審査員に作品を見せるだけだから。周りは無視、無視っ」
「ええ~っ!?」
無視する範囲が広いにも程がある。
しかし、ここまで来たらもう逃げる訳にはいかなかった。カタカタと震えながら、覚悟を決める。
その時、コンテスト用の衣装が置いてある準備室へ向かったマティーナから、悲鳴のような声が上がった。
「シルト!! 大変、早く来て!!」
「マティーナ、どうしたの!?」
ルーリアたちが駆けつけると、ズタズタに切り裂かれたドレスと、バラバラに千切られた装飾品が無残にも床に散り落とされていた。
「なッ──!!」
「これは!?」
シルトの目は信じられないと見開かれ、目の前の残酷な光景を映し出す。星の欠片のような小さな宝石たちが、寂しく床に光を散らしていた。
言葉を失くした二人は床に崩れ落ち、ドレスと装飾品の破片に震える手を伸ばす。無意識のような手つきで、破片を拾い集めていった。一つ一つ、丁寧に。
「…………ぅ……っ……」
シルトから小さく声が漏れた。
「……っく、うぅう──……。うぁああぁぁ────……っ!!」
「ううぅ~~~……!」
乱暴に散らされた、花びらのようなドレスの破片。それをシルトは大切そうに抱きしめ、マティーナも装飾品の欠片を手の平に乗せ、床に大きな涙の粒を落とした。
────。
そんな二人の姿を見た瞬間。
ルーリアは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
自分の中にある何かが、全身に熱く広がる。
例えるなら、この学園にある全ての風に神経を繋げたような。
研ぎ澄まされた感覚の中で、ルーリアは切り裂かれた作品から出ている糸のように細い風を掴み、すぐに動いた。
その瞳の中に意識の光がないことに、本人でさえ気付かないまま。
風を追ってルーリアが辿り着いた先にいたのは、女が三人と男が二人。
「…………」
無表情のルーリアは五人に向けて左腕を伸ばし、周囲の風をその手の内に集めた。その風を解き放てば、五人は間違いなくドレスと同じように切り裂かれるだろう。
「ルリ!」
名前を呼んでルーリアの手首を強く掴み、集まりかけていた風を一瞬で掻き消したのは、セルだった。
『
魔法で身体の自由を奪われたルーリアは、セルの腕の中に倒れ込む。しっかりとルーリアを抱き止めると、セルは後から追ってきたフェルドラルに鋭い視線を向けた。
「手を貸せ。本来はお前の役目だろう」
フェルドラルは何事もなかったような顔でルーリアを受け取り、腕に抱きかかえた。
セルはルーリアの頬に軽く手を添え、現状を確認する。
「……意識は切れたか」
先ほどの感情が抜け落ちたようなルリの目は何だったのか。麻痺の魔法を解除した後、セルはフェルドラルに質問を投げかけた。
「一つ確かめたい。お前が今のルリを止めようとしなかったのはなぜだ?」
「わたくしは、あのような低俗な者たちなど消え去っても構わないと思っております。それが姫様の意思であれば、尚のことですわ」
その返答でフェルドラルを理解すると、セルは視線をより鋭く険しいものへと変えた。
「なるほど。だが次からは全力で止めろ。そうでなければ、ルリの身を滅ぼすことになる」
「なぜです?」
「それがルリの本心ではないからだ」
確信めいたセルの言葉に、フェルドラルは一考するような顔を返した。
「分かりました。今後は留意しましょう」
セルはルーリアに心配するような視線を向けた後、すぐにその場から立ち去った。
フェルドラルもルーリアを抱え、シルトたちの所へと戻る。
「…………ん……」
目を覚ましたルーリアは、フェルドラルの膝の上に頭を乗せた状態で寝かされていた。
「姫様、気がつかれましたか?」
「……ここは? わたしは……」
頭にモヤがかかったように記憶がぼやける。
どうして自分は寝ているのだろう?
──って!
弾かれたように起き上がると、シルトとマティーナが沈んだ顔で無残な姿となった作品に視線を落としていた。
そうだ。二人の作品が壊されていて、それから──……?
そこから先が、どうしても思い出せない。
自分は何をしていたのだろう?
いや、今はそんなことより。
「シルト、マティーナ。落ち着いて、わたしの話を聞いてください。もしかしたら作品を元に戻せるかも知れません」
その言葉に、二人はそろって勢いよく顔を上げる。
「……えっ!」
「そんなこと、本当に出来るの?」
不安そうな二人の目を見て、ルーリアは大きく頷いた。
「わたしに心当たりがあります」
二人には作品の破片を残さず集めておくように伝え、ルーリアは闘技場を飛び出す。転移装置を使い、料理学科の学舎の一階にある調理室に向かった。
……良かった。あった。
ルーリアは目当ての魔術具を風で包み、それを持って急いで創部の区域にある鍛冶工房を訪れた。
「ドルミナ、力を貸してくださいっ!」
「…………ふぇっ?」
調理室からこっそり借りてきたのは、時の魔術具。中に物を入れ、ツマミを回せば時間を短縮することが出来るという優れ物だ。時の魔術具は、ドルミナの得意分野でもある。
ルーリアはドルミナに事情を話し、中に入れた物の時間を巻き戻せるように改造して欲しいと頼んだ。
「ルリ~。そんな簡単に言ってくれるけどさぁ、時間の逆行は神の禁忌に触れるって常識、知らないの?」
「それは生き物に使った場合ですよね。巻き戻したいのは、身に着ける物だから大丈夫です」
「でも、物でも巻き戻しはまだ試したことがないし……」
「そこを何とか! お願いします、ドルミナ!」
前に工房に遊びに来た時に、試してみたいと言っていたことをルーリアは覚えていた。
「う~ん……」
「ドルミナの好きな料理を三品、何でも作ってきますから!」
「……何でも?」
ドルミナの耳がピクッと反応する。
「はい。良かったら、鍋ごと!」
「鍋! うう~ん、よっしゃ! そこまで言ってくれるなら、引き受けようじゃないの!」
「あ、ありがとうございます!」
それからドルミナは驚くような早さで、魔術具を改造してくれた。実はやってみたくて仕方がなかったんじゃ、と疑いたくなる。
「いい、ルリ。絶対に生き物には使わないこと。それだけは守ってよね」
「それはもちろん。本当にありがとうございます、ドルミナ」
シルトたちの順番は最後の方とはいえ、もうあまり時間はない。ルーリアはすぐに闘技場に戻った。
「シルト、マティーナ、お待たせしました。どうですか? 全部集まりましたか?」
二人の前には、それぞれ集めた破片の入った箱が置かれていた。
「ドレスの方は、たぶんこれで全部だと思う」
「もしかしたら小さい宝石なんかは、いくつか足りないかも知れないけど、それでも大丈夫~?」
不安でいっぱいな気持ちになっている顔の二人を安心させるように、ルーリアはニコッと微笑んだ。
「たぶん大丈夫です。足りなくても、マティーナならすぐに直せますよね?」
「それはもちろん」
「それで、何をどうするの?」
ルーリアが運んできた魔術具を二人は期待を込めた目で見つめる。
「今からこの魔術具で、作品の時間を巻き戻したいと思います」
「ええっ!?」
「そんなこと出来るの!?」
「はい。二人とも、このことは誰にも言わないでくださいね」
「う、うん。分かった」
「約束する~」
二人にしっかり口止めをして、さっそくドレスの破片を全て中に入れる。
「シルト、今日の朝くらいまで戻せば大丈夫ですか?」
「うん。午前中は何ともなかったよ」
「じゃあ、いきますよ」
魔術具の魔石に魔力を流し、戻したい時間の分だけツマミを回す。チーンと高い音が鳴り響き、ツマミが元の位置に戻ったのを確認して、ルーリアはシルトに視線を送った。
シルトは恐る恐る魔術具の扉を開け、中から黒い布の塊を取り出す。
「ど、どうですか?」
ドキドキしながら尋ねると、布の塊を丁寧に広げていたシルトが、ガバッと抱きついてきた。
「わわっ?」
「ありがとう、ルリ! すごいよ! 元通りだよっ!」
シルトは満面の笑みを浮かべ、目には薄らと涙を光らせていた。
よ、良かった……!
肩に入っていた力が抜けて、ホッと息をつく。
同じようにマティーナの装飾品も元に戻した。
「あっ、やっぱり宝石が何個か失くなってる~」
「もう少しで私たちの番だから、急いで直そう」
「せっかくルリがくれたチャンスだもん。絶対に間に合わせる~!」
「うん、頑張ろうっ!」
二人なら、きっと大丈夫。
笑顔が戻って、本当に良かった。
そう思って見ていると、ルーリアの後ろで時の魔術具が『ボンッ』と音を立てて灰になった。
……ひ、ひえぇええっ!!
こっちはダメだったらしい。
借り物なのに、どうしよう。
とりあえず、あとでドルミナに結果の報告と相談に行こうと思った。
そうこうしている内に、シルトとマティーナの順番まで、あと二組となる。
見る影もなかったドレスと装飾品は、シルトとマティーナの手で綺麗に元通りとなっていた。
と、そこへ。
「あらぁ? もうすぐ審査の番だというのに、貴女たちはまぁだ何の準備もしていないの? いったい何しに来たのかしらぁ?」
こちらにジロジロと無遠慮な視線を送り、小馬鹿にしたような声をシルトたちにかける女性がいた。その後ろには、その女性の仲間だと思われる男女が四人立っている。
「……ダミア」
シルトは呟くように女性の名前を口にして、眉間にシワを寄せた。
マティーナが、ダミアはシルトをライバル視している裁縫学科の嫌味なおばさんだと教えてくれる。
そこで、あれ? と、ルーリアは思った。
ダミアをどこかで見たような……。
後ろの四人もだ。いったい、どこで?
思い出そうとするとモヤがかかったように、頭がぼんやりとした。
「まあ。もしかして、あれからモデルが見つからなかったのかしら? 私が抜けたせいでコンテストに出られなかった、なんて言わないでね」
うふふっ、とダミアの後ろにいた派手な女性が笑う。
「……コーデリア」
その女性は黒に近い暗灰色の長い髪で、背の高さは大人になったルーリアと同じくらいだった。
恐らくこの女性が、前にシルトたちのモデルを引き受けていた人なのだろう。
シルトたちが表情を硬くしたのを見て、ルーリアも気を引きしめた。
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