第175話 大人になれる薬


 マティーナの話では、薬の効果は15分くらいで切れるらしい。フェルドラルにチラリと視線を向ければ、口の端をわずかに上げている。薬のことを知っていたようだ。


 これを飲めば、本当にわたしでも成長した大人の姿に……?


 思わず、ごくりとノドを鳴らしてしまう。

 自分の大人になった姿なんて見てみたいに決まっている。ずっと大人になりたいと思っていたのだから。でもそれは、こんな風に薬で無理やりとかではなくて。


「……やっぱり、薬はちょっと」


 大人になった姿は見たい。見たいけど、怪しい薬をいきなり飲むのは怖い。断ろうと思って声をかけると、シルトは笑顔で二本の指を立てていた。


「ロリ姫に用意された選択肢は二つのみ!」

「えっ?」

「私に無理やり飲まされるか、自分で飲むかのどっちかだけだよっ」

「えぇえっ!?」


 冗談かと思ってシルトを見つめてみても、二本の指が下ろされることはなかった。本気らしい。

 出口には鍵が掛けられ、フェルドラルには裏切られ。拘束されたこの状態では、どうにも逃げられそうにない。


「さあ、どっちにする~? 新たな趣味に目覚めそうなシルトに飲ませてもらう~?」

「そ、それだけは遠慮します!」


 飲まない、という選択肢はないらしい。

 ちょっと泣きたくなった。


「そ、その薬。本当に見た目が変わるだけですか? 他に副作用とかは?」

「他にはないらしいよ~。開発されてからだいぶ経ってる薬だし、安全だよ~」


 それでも何か断る良い方法はないかと考えていると、シルトが真顔を向けてくる。もしかして違う趣味とやらに目覚めたのだろうか。


「……飲ませてあげようか?」

「……じ、自分でやります」


 気付けば、そう答えてしまっていた。

 初めから選択肢は一つしかなかったのだ。

 拘束を解かれたルーリアは、服を全部脱ぐようにマティーナから言われる。


「えっ! 全部ですか?」

「身体が大きくなるからね~。小さい下着なんか着けてたら、死ぬほど食い込むよ~?」

「ひぃっ!」


 工房奥にある着替え室に案内され、妖精の服に着替えさせられた意味を考えないようにしながら服を脱ぐ。イルタベータの反糸はんしは伸び縮みするから放っておくとして、大きな布を肩からかけて身体に巻きつけた。


「い、一応、全部脱ぎましたけど」

「じゃあ、はい。ひと息で飲んでね~」


 マティーナは小瓶のフタを外し、笑顔で手渡してきた。無言で受け取る。


「…………」


 小瓶に鼻先を近付け、すんと匂いを嗅いでみた。特に変な匂いはしないようだ。長引いても嫌なので、覚悟を決めてグイッと一気に飲み干す。


「──ッ!!」


 酒の酔いをこれでもかと凝縮させたような強い感覚に襲われ、グラッと大きく視界が揺れる。倒れそうになったところを、フェルドラルがすぐに支えてくれた。


 ……き、気持ち、悪……っ。


 クラクラして立っていることが出来ない。

 身体が熱くなり、ほんのわずかな時間がものすごく長く感じられた。椅子に座らせてもらって目を閉じ、感覚が落ち着くのを待っていると、フェルドラルから声がかけられた。


「姫様、もう目を開けられても大丈夫ですわ」


 言われてゆっくりまぶたを開けると、驚愕の表情でこちらを見つめ、完全に固まっているシルトとマティーナが目に映った。


「わっ、目線が高い!?」


 椅子から立とうとすると、膝がカクッと変な所で折れ曲がる。すぐにフェルドラルが支えてくれたけど、目の高さが今までとは違っていた。フェルドラルよりちょっとだけ低いくらいだ。

 ぐんと背が伸び、足の長さと腰の位置がいつもと違っているのだと気付く。心の準備を整えるように、何度も深呼吸してから鏡の前に立った。



「!!!」



 ──────言葉に、ならない。


 鏡の中には、大人の姿になった自分がいた。


「………………」


 鏡に向かって意味もなく手を振り、映っているのが自分であることを確かめてしまう。

 毛先の白い黒髪と、純血のエルフより控えめに尖った耳は間違いなく自分だった。

 少し濃くなった金色の瞳はガインと同じ色合いだが、全体的な見た目はエルシアによく似ている。

 まつ毛は目を縁取るように長くなり、幼さがなくなった顔立ちはすっきりとしていた。


「…………はっ!」


 ルーリアは恐る恐る、身体に巻いている布の中を覗き込んだ。


 こ、これは……っ!


 眼下には、フェルドラルに負けないくらい豊かな谷間が出来ていた。思わず触ってみる。

 思っていた以上に柔らかくて驚いた。

 ちゃんと成長すると分かり、ひと安心する。


 ……うん。すごく嬉しい。


 その後も、もぞもぞと布の中を覗いては、その成長ぶりに感動する。しばらくそんなことをしていると、ようやくシルトたちが我に返った。


「……ル、ルリがあまりにも綺麗だったから、つい見とれちゃった~」

「どこの女神が降臨してきたのかと思っちゃったよ。まさかここまでの美人さんになるとは……!」


 そんな大袈裟なことを言いながらも、シルトとマティーナはテキパキと動く。薬の効果は短いからと、コンテストの衣装の試着を急ぐ。


「ルリ、ちょっとこっち来て!」

「は、はい」


 シルトは一緒に着替え室に入ると巻いていた布を剥ぎ取り、代わりにドレス用の下着を着せていく。


「ルリは形の良い胸してるねっ。くそぅ、美乳で大きいとか許せん。私の慎ましいロリ姫を返せっ」

「い、痛いですっ。シルト、胸が、潰れます!」

「これくらいは平気、平気っ」

「ぅぐっ」


 ぎゅうぎゅうと背中の紐を絞められ、呼吸が一気に苦しくなる。それが終わると、すぐに三人がかりでドレスの着付けとなった。


「もうちょい、そっち上げて」

「……っ。胸が、苦しいです」

「うーん、ここは手直しがいるなぁ」

「腰の部分も詰めないとね~」


 そんなこんなで何とか着付けも終わり、再び鏡の前に立ってみる。こんな豪華な衣装を着たのは初めてだったから、何だかちょっと照れてしまった。


「わあ~! ルリ、似合う~!」

「ほんとイメージにピッタリ! このドレスには、黒い髪のルリが合うと思ってたんだぁ!」

「あ、わたしに声をかけた理由って、髪の色だったんですか」


 そういえば学園では、黒髪の女性をあまり見かけないかも。


「ううん、それだけじゃないよ。ルリには何ていうか……衣装をまとった後の、そこから先を想像させてくれるものがあると感じたから」

「だから私たち、ルリにモデルをお願いしたいと思ったの~」

「……そこから先、ですか」


 それが何かと尋ねても、シルトたちはまだよく分からないと言って笑う。


「とにかく私たちは、自分たちの作った物で人を感動させたいんだっ」

「ね~。まだ勉強中だけど~」


 はにかんで笑うシルトとマティーナは、とても輝いていた。そんな二人を見ていたら、ルーリアも自然と笑顔となっていた。


「ルリ、改めてお願いするけど。良かったら、私たちの作品のモデルを引き受けてもらえないかな?」

「お願いします、ルリ」


 そう言って差し出される、二人の手。

 この大人の姿なら、誰にも自分だとは分からないだろうと考える。自分たちの夢に一生懸命な二人の手伝いになるのなら、引き受けてもいいような気がした。

 二人の手を取り、ギュッと握り返す。


「わたしは二人の作品を見て、人の心を動かすとても素敵なものだと感じました。薬を使ったこの姿で良かったら、二人のお手伝いをさせてください」


 シルトとマティーナは顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。


「本当!? やったぁっ!」

「ありがとう、ルリ~!」


 と、ここで綺麗に話が終われば良かったのだけど。手を繋いで喜び合う二人の目の前で、薬の効果が切れたルーリアからは、見事なまでにストーンと、ドレスと下着が脱げ落ちたのだった。


「っにゃあぁぁぁ~~~ッ!!」


 一糸まとわぬ姿で、叫ぶ。


「わお。これは眼福っ」

「あら~、可愛い~」


 フェルドラルは無言でルーリアを拝んでいた。



 ◇◇◇◇



 それからしばらく経った、ある日の放課後のこと。

 いつものように部活を早めに切り上げて帰ろうとすると、その日は転移装置の周りが混み合っていた。


「なんか今日は人が多いな」

「わたしはゆっくり帰りますから、ここまでで大丈夫です。レイド、いつも送ってくれてありがとうございます」

「そうか。こっちこそ、いつも料理をありがとう。今日のも美味かった。気をつけて帰れよ」

「はい」


 その後もしばらくは人が減りそうになかったから、仕方なく歩いて門の方へ向かう。門に向かって歩いて行けば、途中で空いている転移装置も見つかるだろう。


 大ホールに差しかかった所で、道が左右に分かれる。何となく芸部や理部側、門から見て左側の道を選んだ。普段なら、この道は避けている。なぜならこの奥には、法部の区域──法律学科と裁判学科の学舎があるからだ。


 法部には、クインハート・ミンシェッドという、遠い血族となるエルフの神官が教師として神殿から派遣されている。

 少しでもミンシェッド家の者に関わらないようにするため、この辺りには足を踏み入れないようにしていた。けれど今日は何となく、この道を選んで歩いている。


 大ホールに沿って進むと、最初に見えてくるのが芸部の区域。

 芸部にはいくつかの建物や学舎があり、それぞれの学科で個別に授業が行われている。

 他の学部と違い、学科がいくつもあるのが芸部の特徴だ。絵画、音楽、演劇、細工、彫刻、文学などなど。

 秋の大祭とされる芸軍祭は、軍部だけでなく芸部も主体となっている。


 音楽って何だろう? 演劇って……?

 そんなことを考えながら歩いていると、不思議な音が聞こえきた。鳥や動物の鳴き声とは違う。


「フェル、聞いたことのない音が聞こえてきます。これは……?」

「聞いたことのない音?」


 道を進めば、その音はだんだんと大きくなっていく。自分たちがその音に近付いて行っているようだ。


「ほら、これです。この繋がっている音です」

「繋がって……。もしかして楽器から出ている音のことでしょうか?」

「楽器! これが楽器の音なんですか?」


 楽器のことは本で読んだことがあるから、少しだけ知っていた。物語の中で、森の妖精たちは楽器を奏でてダンスを踊る。これが、その楽器の音。耳にするのは初めてだった。

 フェルドラルは楽器や声などで意味を持って繋げた音のことを『音楽』と呼ぶのだと教えてくれた。


 ……これが、音楽。


 言葉にならない不思議な感覚に、全身から鳥肌が立つ。自分の中の魔力がざわめくような、意思とは関係なしに感情が沸き立つような。そんな感覚に包まれる。ざわりとするのに、とても心地好い。


 流れてくるのは、静かな音楽。


 この音をもっと聴いていたい。

 この音の正体が知りたい。

 そう思ったルーリアは、無意識の内に芸部の区域の奥へと足を踏み入れていた。


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