第176話 音楽に夢中


 キンと張り詰めた氷のような、穏やかな水の流れのような。鈴とは違う心地良い音が、ポロンポロンと流れてくる。


「音楽って、魔法なんですか?」

「いいえ、魔法ではありません」

「えっ。魔法じゃないのに、こんなに風が反応するんですか?」


 楽器から出ている音は空気を震わせ、風に乗って広がっているように見える。それに自分の魔力も、音楽を聴いて影響を受けているように感じられた。


「音楽は音を耳触り良く繋げたものです。楽器から生み出される音は、特に風との相性が良いのですわ」


 ルーリアは引き寄せられるように、楽器の音のする方へ足を進める。


「姫様、そちらは……」

「ちょっとだけです。楽器を見たら、すぐに帰りますから」


 音が出ている建物に辿り着き、その中を窓の外からそっと覗く。中には男性が三人いた。

 一人はとても大きな黒いテーブルのような物に向かって座り、他の二人は不思議な形の物を手に持って椅子に腰かけている。


「まさか、ピアノがあるとは思いませんでしたわ」

「ぴあの?」


 珍しく驚いた顔をしているから聞いてみると、知っている楽器があったらしい。

 フェルドラルの音楽に関する知識は神の元にいた時のもので、地上界とは別物だと思っていたという。それなのに知っている楽器があったから驚いたそうだ。


「神様の所の物と名前が違っていてもいいので、あの大きな楽器のことを教えて欲しいです」

「かしこまりました。まず、あの楽器はピアノと言います。弦を叩くことで音が出る鍵盤楽器というものですわ」

「げん? けんばん?」

「弦は糸のことです。鍵盤は、あの奏者が手を動かしている場所のことですわ。そこから連動させて音が出る仕組みとなっているのです」

「これは糸の音なんですか」

「糸だけでなく、あの楽器全体で音を生み出しているのです」

「それであんなに大きく……。随分と複雑な物なんですね」


 ピアノの音はずっと聴いていたくなるような素敵な音色だった。欲しいけど、これだけ大きいと家には置く場所がない。残念。


 それからフェルドラルは、音楽について少しだけ話をしてくれた。音楽には『曲』と呼ばれるひとまとまりがあり、何かをイメージして作られたものが多いそうだ。


「あっちの楽器は何ですか? あの音もすごく好きです」

「あれは……胡弓こきゅう二胡にこといった糸をすって音を出す楽器と似ていますが、恐らく地上界特有の物だと思いますわ」


 残念ながら、知っている楽器で該当する物はないらしい。少し物悲しさのある音は、直に心に響いてくるようだ。


「……いいなぁ、楽器。欲しいです」


 すっかり音楽を気に入ってしまった。

 自分も楽器が欲しくて堪らなくなる。

 そこで、ちょっとしたことをひらめいた。

 音楽は音、音は風に乗る、風のことなら同属性のフェルドラル。と、強引に繋げてみる。


「フェルって、弓だけじゃなくて他の物にも変身できますよね。だったら楽器にもなれませんか?」

「………………は?」


 ルーリアからの突然の無茶ぶりにフェルドラルは固まる。


「……姫様、わたくしは武器なのですが」

「音が風に乗るのなら、楽器にもなれるんじゃないかな、と思ったんですけど」

「わたくしを楽器にして何をなさるおつもりですか?」

「え、何って、それはもちろん音楽を……」


 と言いかけたところで、フェルドラルは腕を組んで何やら考え込む。


「……ですが、そうですね。確かに同じ風。ならば音での攻撃というものを試してみるのも……」

「いえっ、あのっ。わたしはフェルが楽器になれたらいいなぁ、って思っただけですから。攻撃力は求めていません。き、今日はもう帰りましょう!」


 ちょっと物騒な発想が聞こえてきて焦る。

 フェルドラルは善処すると言ってくれたけど、「やっぱりいいです」と、やんわり断っておいた。



 ◇◇◇◇



 また別の日の放課後。


「この前、初めて音楽というものを知りました。みんなは何か楽器を使えますか?」


 さっそくこの前見た楽器の話題を振ってみると、ナキスルビアは驚いた顔となる。


「初めてって……ルリは小さい頃、歌を歌ったりしていないの?」

「うた? それって何ですか?」

「え、歌も知らないの!?」


 なぜかさらに驚かれてしまう。

 フェルドラルから声を繋げた音は音楽だと聞いていたけど、そこに詩や言葉を重ねると『歌』と呼ばれるものになるとナキスルビアは言う。何だかとても難しそうだ。


「よぉ~し。メガネ君、出番だよぉ~。歌え~」

「何でだよ、リュッカが歌えよ」

「楽器なら、私は横笛が好きかしら。自分じゃ上手には吹けないけど」

「ボクはリバータかな。少しなら弾くことが出来るよ」

「リバータ? それはどんな楽器ですか?」

「えっとね、こうゆう形で……」


 エルバーが説明してくれたリバータは、フェルドラルの言うギターという楽器に似ていた。

 前に見た、胡弓や二胡に似ていると言っていた楽器はラピスというらしい。

 そして、ピアノはそのままの名前だった。

 ピアノは神が学園に置いたのが始まりで、それを見た木工や細工、鍛冶の職人たちが技術を持ち寄り、再現、作製をして地上界に広めていった楽器なのだそうだ。


「ルリは何かやってみたい楽器でもあったの?」

「はい。ラピスです」

「あー、あれね。ちょっと切ない音がいいわよね」


 と、ナキスルビアと話していると。


「ラピスだったら、少し弾けるぞ」

「えっ、レイドが!? 本当ですか?」


 なんと、レイドの意外な一面を発見してしまった。ラピスは幼い頃から身近にあり、よく弾いていたそうだ。


「あの、もし良かったら、ラピスの弾き方を教えてもらえませんか?」

「それは別に構わないが、いつ教えればいいんだ? ルリは家の手伝いもあるから、あんまり時間はないんだろ?」

「……あ」


 そうだった。

 ミツバチと魔虫の蜂の世話、花畑の管理。

 リンチペックの調べ物に、衣部コンテストのモデル。することは増えていくのに、時間が全然足りないのだった。


 それにレイドの方こそ、そんなことをしている時間はないはずだ。レイドは故郷のことで手一杯なのに。

 なんて自分勝手なことをお願いしようとしていたのだろうと恥ずかしくなる。


「……あの、ごめんなさい。レイドの方が時間もないのに、無理を言ってしまって……」


 しゅんとして謝っていると、リュッカがぽんぽんと肩を叩いてきた。


「だったらぁ~、二人で海の家に行ってくればいいんじゃなぁい? もうすぐ夏だしぃ~」

「……海の、家?」

「ちょっ、おまっ! ロリちゃんに男と二人で海の家に行かせるとか、何考えてんだ!?」


 なぜかものすごい勢いで、エルバーがリュッカに食ってかかる。


「それって何ですか?」

「海の家はぁ、夏限定で開放される学園の癒しスポットだよぉ~」


 リュッカの説明によると、そこは楽園のような場所らしい。神が創った別空間となっていて、行った先での時間は消費されないとのこと。たぶん神のレシピの試食会場のような所なのだろうと予想する。

 それを聞いていたエルバーは「違う、楽園なんかじゃない」と呟いた。そして暗い顔のまま続ける。


「……ただでさえクソ暑い夏に、学園内でイチャつくという暴挙に出る目障りなヤツらが毎年おりまして」

「……?」

「そんなヤツらを見て、『視界に入れたくもない』と、独り身で嘆く者たちもおりまして」

「……」

「海の家は、そんな同士たちを憐れんで神様が生み出してくださったリア充どもの流刑地なんだ。……楽園だなんて、呼ばせないッ」


 唇を噛みしめ、エルバーはどこを見ているのか分からない遠い目で、そんな説明を付け足した。


「まあ、そうね。そこに男女二人で行くのは……その、あれだよ、ルリ」

「あれ?」


 ちょっと顔を赤くして口ごもるナキスルビアを、リュッカはぐいっと押し退ける。


「おチビちゃんはぁ、時間を気にしないでレイドから楽器を習いたいんでしょぉ? だったら、ちょうどいい場所だと思うよぉ~?」


 説明では、どんな所なのかよく分からなかったけど、楽器を習う場所としては最適らしい。


「レイドはどうですか?」

「オレは別に構わないぞ。時間が経たないのなら、ルリにとっても好都合だろ」

「じゃあ、夏になったらお願いします」

「ああ、分かった」


 リュッカがシャルティエのようにニヤニヤしているのは気になったけど、今から夏が楽しみだ。


 それからしばらくみんなの対戦の様子を眺めていると、残念な知らせが入ってきた。

 レイドの剣が折れてしまったらしい。

 今週に入って二本目だそうだ。


「あーあ、また折った」

「折ったんじゃなくて、折れたんだ」


 からかうような声をかけるエルバーを、レイドはジロリと睨む。ウォルクスと手合わせをしていて折れてしまったそうだ。


「済まない、レイド。見た感じだと、その辺りの剣では無理があるんじゃないか?」

「……うーん」


 困った顔で腕を組むレイドの横で、リューズベルトとセルが折れた剣を見ていた。


「使う側の技量に剣が見合っていないな。力量との差があれば武器の方が耐えられなくなる」

「レイドは魔法剣の方が合うのではないか? 魔法剣ならば、技量の影響は大して受けないはずだ」

「そうなのか。……んー、魔法剣か」


 と、そんな会話が聞こえてきて思い出す。

 そういえば、作りかけの火蜥蜴サラマンダーのレシピの魔法剣を放置したままだった。

 材料の一つである『ラウドローンの角』は、剣を使用する本人が倒して入手する必要がある。だからそこで、作製が止まってしまっていた。


 ユヒムから聞いた話だと、ラウドローンは砂漠と呼ばれる地域に生息している巨大な魔物なのだそうだ。

 砂漠を通って交易を行う商人たちの間では、砂の上を泳ぐように移動するラウドローンは、『死の船』と呼ばれて恐れられているという。

 ラウドローンの討伐には、商人たちと取引のある国からの要請で、勇者パーティが向かうこともあるらしい。

 エルシアも過去に何度か討伐に参加したことがあるそうで、「気を抜くと一瞬でやられてしまいますよ」と、ニッコリ笑顔で語ってくれた。


「レイドがラウドローンの角を手に入れられたら、魔法剣を作れるのに……」


 ぽつりと独り言を呟くと、それを耳にしたエルバーはキラリと本体を輝かせた。


「ねぇ、リューズベルト。確かラングランナとヤンクルーからラウドローンの討伐依頼が入ってたよね?」

「……ラウドローン?」


 突然、魔物の話をするエルバーにリューズベルトは訝しむ目を向けた。


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