第173話 毒とは言えない
シトシトシトシト……
今日は朝から雨降りだ。
梅雨に入って間もない空には雨雲が広がり、時々雨粒が落ちてくる日が続いている。
…………雨。
前は雨が降っていると、森の中が潤いで満たされていくのを感じられて嬉しかったのに。
リンチペックの存在を知ってしまった今では、この雨で毒が大地に広がり、植物が枯れていく姿を想像してしまう。沈んだ気持ちで足元の水溜まりを見つめるばかりだ。
「おい、ルリ。びしょ濡れじゃないか」
「…………レイド……」
雨の中、ぼーっと立ち尽くしていると、レイドが手を引いて雨の当たらない大きな樹の下まで連れて行ってくれた。濡れた黒髪から
「あんな所に突っ立って。どうしたんだ?」
レイドが柔らかなタオルを頭からかけてくれる。雨で洗われた空気の中で、タオルからは爽やかな石鹸みたいな香りがした。
「今日みたいな日は畑仕事には向いてないな。先生は『自然と向き合うのも農業だ~』とか言っていたが、風邪を引いたらそれどころじゃないだろって話だよな」
レイドが被っていたフードを外すと、雨具は部紋入りのマントに変わる。
連日、雨が降るようになって先生が教えてくれたのだけど、学園から配布されたマントは所属している学部が分かるだけの物ではなかった。
マントに触れた状態でどんな形になって欲しいかイメージすると、いろんな形状に変えることが出来る。実はこのマント、とても便利な魔術具だった。
いろんなと言っても、基本的にはマントの形に近い物にしか変えられない。さっきのレイドのように雨具にしたり、もっと大きくしてシーツのようにしたり、逆に小さくして首に巻いたりと、使い方は様々だ。
それを知ったレイドは、今まで畑仕事をする度に面倒そうに外していたので、「もっと早く教えてくれよ」と、軽く愚痴をこぼしていた。
まさか変形するとは思ってなかったけど、人によってマントの大きさが違うことには、けっこう前から気付いていた。自分のマントは小さいのに、みんなのマントはそれぞれに合った大きさだったからだ。
「……ルリ? どうした? 大丈夫か?」
レイドは話しかけても反応が薄いルーリアを心配して、顔を覗き込むように腰を
「……!」
しかし、ハッとした表情を浮かべると、すぐに慌ててその顔を逸らす。
「っルリ、魔法で服を乾かすことは出来るか?……その、早く乾かした方がいい」
「……えっ、あ、はい……?」
そう言われて服を見てみると、夏が近付いて薄着になっていたから、濡れるとちょっとひどいことになっていた。肌の色がはっきりと分かるくらい、濡れた服が透けてしまっている。これはいくら一緒にいる相手がレイドでもダメな気がした。
「……~~っっ」
くるっとレイドに背を向け、風魔法を使って急いで服を乾かす。
「っ!」
ふわりと広がった髪がレイドの頬をかすめる。
レイドは思わず身体をビクリとさせたが、ルーリアは気付いていなかった。
……これでよし、と。
「ごめんなさい、レイド。もう大丈夫です」
「…………あ、ああ」
見ても平気だと伝えても、レイドは顔を逸らしたままだった。その姿がこの前のクラウディオたちと重なる。
──男たちにとって甘い蜜を含んだ毒。
あの時、シェーラから言われた言葉が、ずっと耳に残っていた。
「……わたし、レイドにとっても毒なんでしょうか」
「は? な、何の話だ?」
レイドは驚いた目でルーリアを見ている。
毒ということは、何かしら危険な存在だということだろう。側にいない方がいいのかと思うと悲しくなり、じっとレイドを見つめてしまった。
「この前、言われたんです。わたしは男の人にとって甘い蜜を含んだ毒だって」
「な……っ! セルから言われたのか?」
「? いえ、シェーラからですけど」
そう答えると、レイドはホッとしたように息を吐く。言われた意味が分からないと、素直にレイドに打ち明けた。
「わたしは、レイドにとっても毒ですか?」
思いきって尋ねてみる。すると今度は息を呑むような気配が返ってきた。
「……ルリは毒なんかじゃない。シェーラはきっと、ルリの料理を巡って男たちが争うことをそう例えたんだろう」
「……例え、話……?」
言われてみれば納得だった。シェーラは毒について調べるのが趣味だと言っていたくらいだ。レイドからそう言われれば、心から安心できた。
「……良かった。そういう意味だったんですね」
「ああ。分かったらもう変なことで悩むのは──」
「あ、もう一つだけ聞いてもいいですか?」
「……何だ?」
「ろりえろい、って何ですか?」
この言葉も、ずっと気になっていた。
「…………ルリ、獣人たちとはあんまり話すな」
「えっ?」
レイドはなぜか深くため息をつき、遠くを見つめていた。
◇◇◇◇
雨の日の闘技場では、全体を覆う透明な屋根に沿い、降った雨が流れ落ちていく様子が見られる。ナキスルビアはそれを『雨粒で出来た流星雨のようだ』と言っていた。
「あのっ、ルリ。ちょっといい?」
部活が始まり、ちょっと経った頃。
ルーリアの所へ真剣な顔をした女生徒が二人やって来た。
「は、はい。何でしょう?」
マントを見れば、二人とも衣部の生徒だと分かる。一瞬、身構えそうになったけど、この前のカエル事件の時にいた生徒たちとは違うようだった。初めて見る顔で、二人とも10代後半くらいの人族だ。
「初めましてっ。私は裁縫学科のシルトです」
「初めまして~。私は装飾学科のマティーナです」
シルトは
「は、初めまして。菓子学科のルリです」
衣部の人たちが何の用だろう? と戸惑った顔を向けると、シルトは両手で持った一枚の紙を突き出してきた。
「ルリ、お願いっ。私たちを助けて!」
「お願いします~!」
「えっ!?」
その紙には大きく『理衣祭』の文字がある。
「……理衣祭?」
字面で何となく予想がついたけど、念のために聞くと、やっぱり理部と衣部のお祭りだった。学園で毎年、夏に行われる恒例行事らしい。
「そのお祭りで開催されるコンテストに、モデルとしてルリに参加して欲しいの。お願いっ!」
「この通り、お願いします~!」
二人は腰を曲げて深く頭を下げた。
「…………こんてすと? モデル?」
二人の説明をまとめると、こうだった。
衣部のこの二人は、理衣祭の『衣部コンテスト』という、服飾の腕を競う競技に制作者として出場が決まっている。
そのコンテストに出す作品は、服と装飾品の二つがそろってなければいけない。それをモデルが身に着けて舞台に立ち、審査員に評価と採点をされるという。
モデルは作品を良く見せるために、とても重要な役目となるそうだ。
「どうしてそんな大切な役目を、見ず知らずのわたしなんかに?」
「……それが……」
シルトたちは一人の女生徒にモデルを頼み、コンテストに向けて春から作品の制作を進めてきた。
だけど、つい最近。突然、モデルを依頼していた女生徒から出場を断られてしまったらしい。
理由は、その人が他の制作者のモデルをすることになったから。
厳しい話だが、学園の女生徒の中でモデルに向いていそうな人や、引き受けてくれそうな人の数は少ない。制作者たちの間でモデルの奪い合いになることは珍しくないという。
モデルの人もせっかく参加するのならと、より条件の良い方や好きな作品の方を選ぶことになる。
今回は、その貴重なモデルを奪われてしまった、という話らしい。ちなみに、モデルの条件は『学園の生徒であること』だけ。
慎重な制作者は祭りが終わるまでモデルと契約を交わすそうだけど、二人はそこまでしていなかったそうだ。
その引き抜かれてしまったモデルの代わりを引き受けて欲しいと、困り果てた二人はやって来た、という訳なのだが……。
「あの、ごめんなさい。無理です」
即答で断った。
「ええっ! な、何でっ!?」
「どうして~!?」
断られるとは思っていなかったのか、驚愕の表情を浮かべるシルトとマティーナ。
「だって、考えてもみてください。わたしは自分で言うのも悲しいくらい小さいです。服のモデルだと言うなら、わたしよりも背の高い人の方が良いはずです」
何だったらナキスルビアを紹介しますよ、と言えば、シルトとマティーナは顔を見合わせ、ふるふると首を振る。
「ルリにお願いしたい理由は、作品を見てもらえば分かってもらえると思う。良かったら一度、私たちの工房に来て欲しい」
「私たちの作品のモデルは、誰でもいいって訳じゃないの~。作品を見て、それでも嫌だって言われたら、大人しく諦めるから~」
シルトもマティーナも、真剣な目でまっすぐにルーリアを見つめた。二人の熱意に思わず圧倒されてしまう。かなり断り辛い。
「姫様、ご覧になられるくらいでしたら宜しいのではないでしょうか? 二人は姫様を頼って来ているのですから。ご覧になられて、それでもお気に召さなければ、お断りなされば宜しいかと」
「…………」
フェルドラルが話に入ってくるなんて珍しい。
何か企んでいそうで怖いんですけど? と、疑いの目を向けてしまう。
でも、二人が困っているのも事実だった。
「……わ、分かりました。じゃあ、二人の作品を見せてください」
「やったぁっ!」
「ありがとう、ルリ~!」
こうしてルーリアはシルトとマティーナと共に、衣部の区域へ向かうこととなった。
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