第159話 悪いことはしないに限る


 その日の授業終了後。

 レイドが少し躊躇った後、尋ねる。


「ルリ、今日も部活には来ないのか?」

「……えっと、はい。ちょっと用事があって……」


 心配してくれるレイドに本当のことを話せないでいるのが後ろめたくて、自然と申し訳ない気持ちが顔に出る。


「……そうか。それなら門まで送ろう」

「あ、今日はシャルティエと約束があって」


 菓子学科の学舎前で待ち合わせしていると話すと、レイドは闘技場とは反対方向なのに近くまで送ってくれた。

 みんなへの差し入れだと料理の入ったタイムボックスを渡し、送ってくれたお礼を言って別れる。


 学舎前には、すでにシャルティエが立って待っていた。

 シャルティエは毎日、菓子、料理、菓子の順で授業を受けている。一日の内に二回、菓子学科の授業を受けているのだ。


 シャルティエは今回の件を専門家に相談すると言っていたけど、誰に何を話すつもりなのだろう? 未だに心当たりは浮かばない。


「これからどうするんですか?」

「ふふっ。もう連絡はしてあるから、あとはルリの家に行くだけだよ」

「わたしの家?」


 ルーリアは頭の上に『??』を浮かべたまま、シャルティエと一緒に家に帰った。




「お帰りなさい。ルーリアちゃん、シャルティエ」

「た、ただいまです。って、えっ?」


 店のテーブルに座っていたのは、のんびりと紅茶を飲むアーシェンだった。


「こんにちは、アーシェンさん。急にお呼び立てして、すみません」

「いいのよ。ルーリアちゃんの一大事ですもの」


 シャルティエが言っていた専門家とは、どうやらアーシェンのことらしい。ルーリアたちが隣のテーブルに荷物を置くと、アーシェンは紅茶を入れてくれた。

 ルーリアも学園で作ってきたお菓子を出し、座るように言われアーシェンの向かいの席に着く。


「じゃあ、さっそくだけど詳しい話を聞かせてもらおうかしら。ルーリアちゃんに嫌がらせをしてきた人たちがいるんですってね」


 アーシェンはカップを横にずらし、テーブルの上で指を組んだ。少し怖い目付きとなり、いつもの優しい笑顔は消えている。怒っているようだ。


「あ、あの。嫌がらせというか……」


 何だか大ごとになりそうな気がして、やんわりと言葉を濁そうとするも、シャルティエが細かく話してしまう。ルーリアが複数の女生徒たちから『邪魔だ』『目障りだ』と言われたと聞くと、アーシェンの目がすぅっと冷えていった。


「……へぇ」


 そんな目で薄く笑うものだから、ルーリアは背筋がゾクリとする。正直に言って、怖い。

 今までルーリアは、ユヒムやアーシェンが本気で怒ったところを見たことがなかったが、これはかなり怒っているのではないだろうか。


 女生徒たちがルーリアを狙った理由が、格好良い男子生徒と仲良くしていたことへの妬みだと聞くと、アーシェンは目をぱちぱちと瞬かせた。


「ルーリアちゃんに、仲の良い男子……! シャルティエ、それはどんな人たちなの?」


 その目からは、さっきまでの鋭さが消え、代わりに好奇心で満たされている。


「えーと、勇者パーティの三人は知ってますよね。それ以外だとセルっていう貴公子のような人と、農業をしているレイドって人です。セルはすっごい綺麗な顔をしてて、付き添い人を連れているから、どこかの王族か貴族なのかも。レイドはちょっと野性的かな。いつも一緒にいるから、ルーリアのお兄さんみたいな。ちょっと過保護な雰囲気がガインさんに似てるかも。私の見立てではレイドが本命」


 アーシェンは「へえぇ~……」と声を漏らしてにんまりする。


「ルーリアちゃんも青春してるのねぇ」

「それ、前にシャルティエからも言われたんですけど。青春って何ですか?」


 あとからも聞いてみたけど、シャルティエは「甘酸っぱいものだよ」とか、訳の分からないことを言う。


「うーん、ひと言では難しいわね。……そうね、若い頃にたくさんの人と出会って、いろんなことを考えたり感じたり、様々な経験をすることかしら。人によっては恋のことだとも言うわね」


 ざっくり言ってしまえば、大人になる前に過ごす時間そのものでもあるらしい。うん、よく分からない。


「じゃあ、話を戻すわね。その場にいた人たちの名前は分かってるのかしら?」

「それはもちろん」


 いつの間に調べたのか。シャルティエはルーリアに文句を言いに来た女生徒たちの名前を、紙に書いてアーシェンに渡した。情報収集は商人の基本らしい。


「あら、貴族の子もいるのね。じゃあ、今度はこちらの番ということね。ふふっ、ルーリアちゃんに手を出したらどうなるか、商人の流儀をたっぷり教え込んであげようじゃない」


 そう言って、アーシェンは感情を持たないような綺麗な顔で微笑んだ。その顔は『やられたら何倍にもして返す』と語っている。

 さすが専門家だ。言い方が悪いかも知れないけど、とっても悪役っぽい。これがアーシェンの商人の時の顔なのだろうか。敵には回したくないものである。


「あ、あのっ、アーシェンさん。これはわたしの問題ですし。アーシェンさんやシャルティエの気持ちは嬉しいんですけど、出来れば自分でどうにかしたいというか。それで、何か良い方法があれば教えてもらえると嬉しいのですが……」


 ルーリアからの申し出に、アーシェンは「あら、そう?」と、残念そうな顔をする。

 人と対立なんてしたことがないから、何をどうしたらいいのか分からないけど、出来るだけ関係のない人を巻き込まないで話を済ませたい。


「芸部にいる貴族の子が、軍部のお気に入りの男性を側に置きたがっていて、衣部の子がその取り巻きをしてるってことよね?」


 アーシェンがシャルティエに確かめるように尋ねる。


「まぁ、そんな感じです。あ、そうそう」


 こんな話もあるんだけど、とシャルティエが教えてくれたのは、部活での飲食について、モップル先生やグレイスから聞いた話だった。


 もともと放課後の観戦席での飲食は、食部の生徒を部活に参加しやすくするためと、小腹が空いた者たちへの配慮である。今回の芸部の貴族令嬢たちのように、贔屓ひいきにしている者たちを囲うための手段としては認めていないそうだ。それこそ神は、生徒間で上下関係を作ることを嫌っている。

 リューズベルトたちのように、誘われる度にうんざりしている者たちもいる。


「それでしたら軍部の者たちを利用して、その無礼者たちの願いを存分に叶えてやれば宜しいですわ」

「……ああ、なるほど。軍部の生徒がいるなら、それも可能ね」


 それまで見守るように黙っていたフェルドラルからの提案に、アーシェンはコクコク頷いた。フェルドラルは余程のことがない限り、学園のことには口を出さないようにしている。


「入園式の時、神様も『ルリをいじめたら、軍部の標的ターゲットにする』と明言されてたんだから、それがいいかも」


 シャルティエも軍部の者たちと協力して懲らしめるのがいいと賛成する。


「ふふっ。神様のお墨付きなら、決まりね」


 どんな仕返しがいいか決まったようで、アーシェンはその方法をルーリアにも詳しく説明してくれた。


 名付けて、『軍部の胃袋は底なし作戦』。


 まず、リューズベルトとセルに協力してもらい、女生徒たちからのお茶の誘いを受けてもらう。この際、『知り合いも誘っていいだろうか』と尋ねておいてもらい、他の生徒を呼ぶことを断られないようにしておく。


 そして、リューズベルトたちは『少し遅れる』とだけ伝え、実際に行くのはお腹を空かせたムキムキな軍部の者たちだけとなる。

 大勢で押しかけて底なしに食べ尽くし、これからリューズベルトたちが来るかも知れないのに、と女生徒たちを困らせる。

 そこで料理を持っているルーリアを目につく所に置き、女生徒たちに『助けて欲しい』と言わせて反省させる作戦だ。


「……そんなに上手くいくでしょうか?」

「大丈夫、大丈夫。いきなりマッチョな男の人たちに囲まれたら、冷静に考えてる余裕なんてなくなるから」


 そもそも囮とはいえ、リューズベルトたちが協力してくれるのか。そこが、まず問題だ。


「じゃあ、ルーリアちゃんはいつも通り、授業で美味しい料理とお菓子を作ってね」

「は、はいっ」


 どうなることやら、ちょっと心配だ。



 ◇◇◇◇



 作戦決行日の放課後。


 リューズベルトとセルは、割とあっさり協力してくれることとなった。ルーリアがいなくなったことで連日しつこく誘われ、かなりうんざりしていたらしい。


 ルーリアはシャルティエと一緒に部活で賑わう闘技場にいた。といっても、座っているのは観戦席ではなく、外の出入り口近くのベンチだが。


 その前を、部活に向かう衣部と芸部の女生徒たちが通り過ぎる。ルーリアはタイムボックスを大切そうに抱え、その姿を女生徒たちにしっかりと見せつけた。クスクスと嘲笑うような声が聞こえてくる。


「……どうですか?」

「大丈夫。ちゃんとこっちを見てたよ」


 それからしばらく経つと予定通り、衣部の女生徒たちが慌てた顔でルーリアの所に走ってきた。

 しかし、そこで思わぬ展開となる。


「ねぇ、その中身、料理なんでしょ!?」

「高値で買い取ってあげるから、全部、こっちに寄越しなさいよ!」

「えっ、あのっ、」


 なんとルーリアの抱えていたタイムボックスを乱暴に掴み、分捕るように持ち去ってしまったのだ。あっという間の出来事だった。


「…………ご、ごめんなさい、シャルティエ」


 まさか持ち逃げされるなんて。

 作戦は失敗。そう思ってしょんぼりしていると、シャルティエは「あ~あ」と、残念そうに笑った。


「あの人たち、ここで謝っておけば良かったのに」


 と、何やら同情めいた物言いだ。


「……ここで?」

「ルリには話してなかったけど、実はこの作戦には続きがあるの」


 そう言ってシャルティエが木陰から取り出したのは、ルーリアが作った料理が入っているタイムボックスだった。


「えっ、あれっ? 何で!?」

「あっちは偽物。中身は料理じゃないよ。別の物が入っているの。さて、私たちも現場に行こうか」


 いったい、いつの間にすり替えられたのか。

 全然、気付かなかった。


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