第158話 部活に潜む黒い影


 短い春が終わり、初夏となる。

 つい先日、雨が降ってサクラの花びらが全て散ってしまい、がっかりしたのだけれど。


「ルリ、見てみろ。花筏はないかだだ」

「はないかだ?」


 農業学科の授業が終わり、道具を片付けようと学舎に戻る途中。レイドの視線を追って小川に目を向けると、水面を埋め尽くすようにサクラの花びらが浮かんでいた。あまりの美しさに、思わず息を呑んでしまう。


「…………綺麗……」

「ああ、見事だな」


 花吹雪のような、淡い薄紅色の絨毯。

 レイドは時々こうやって、ルーリアが見落としている綺麗な景色を教えてくれる。

 今だって声をかけられなければ、道具を落とさないようにするばかりで素通りしていただろう。この前も虹が出ていると教えてくれた。


「ありがとうございます、レイド」

「こういうの、好きだろ?」

「はい」


 ルーリアが微笑むと、レイドも柔らかく目を細めた。



 ◇◇◇◇



 とある日の、放課後。

 この日もルーリアは料理を持って、レイドと一緒に部活に顔を出していた。


 日が経つにつれ、部活に参加している者たちは自然とグループに分かれ、自分たちの定位置のような場所を持つようになっている。

 あれからルーリアは、勇者パーティの五人とセルとレイドという顔ぶれで、観戦席の決まった場所にいることが多くなっていた。


 きゃあっ! と、観戦席にいる女生徒たちから歓声が上がる。この喜色めいた声色の時は、誰が対戦しているのか、だいたいの予想がついた。

 今回はリューズベルトとセルが、それぞれに対戦を申し込まれ、石舞台の上に立っているようだ。


「あの二人は相変わらず、すごい人気ね」


 他人事のようにナキスルビアが呟くと、リュッカがそれに同意する。


「勇者ちゃん、顔だけは良いからねぇ~」

「顔だけじゃなくて実力もあるからな、あの二人は」


 そう言ってウォルクスは、リューズベルトたちに目を向けた。レイドも釣られて見る。

 エルバーは今日は理部の方で大事な打ち合わせがあるらしい。部活に来られるか分からないそうだ。


「そういえばぁ、おチビちゃんとこの付き添い人もぉ、よく分かんない人だよねぇ~。あの人ってぇ、魔法使いなのぉ~?」


 フェルドラルは今も対戦を申し込まれ、石舞台の上に立っている。出来るだけ目立たないようにと頼んではいるが。


「えっと、まぁ魔法を使ったり、いろいろと……」


 何とか笑って誤魔化す。

 対戦に出ていた者たちが戻り、入れ替わるようにレイドたちは申し込みを受けて出て行った。

 今、一緒にいるのは自分を除けば四人だ。

 リューズベルト、セル、フェルドラル、セルの付き添い人のラス。


 ラスは物腰の柔らかい老執事といった雰囲気の人で、いつも少し困ったような顔で微笑んでいる。話しかけると丁寧に受け答えをしてくれるが、ラスへの料理の差し入れは最初の頃に丁重に断られた。

 世間のことに疎いというセルに助言をしている姿をたまに見かけるが、使用人のようなものだと思って欲しいと言われている。


 フェルドラルも学園にいる間は食事はいらないと言っていたから、ルーリアはリューズベルトとセルにだけ、取り分けた料理と香草茶を出した。


「いつも済まない」と、リューズベルト。

「これは美しいな。花のようだ」と、セル。


 今日の料理学科では、大きなサーモンをまるまる一匹さばいている。今までは魚料理といっても、使うのは切り身だったり小魚だったりと、手の平に収まる大きさだった。

 魚は常に水の中を泳いでいる生き物だと聞いたけど、ルーリアには『泳ぐ』の意味が分からない。初めて大きな魚を目にした正直な感想は、『変に太ってしまった蛇みたい』だった。


 一から解体をしたのに、不思議と気を失うほどの怖さは感じていない。先に魚を食べていたからだろうか。だが、さばいたサーモンは体長が80センチ以上と大物サイズだったため、小さな身体のルーリアには大仕事となった。


 さばくのに時間がかかってしまったから、作った料理の数は少ない。サーモン自体に脂がのっているから、油類は使わずに料理した。

 サーモンのカルパッチョ、チーズ焼き、パエリア、クリーム煮。余った分は切り身にして時蔵庫に入れておいた。


「サーモンは色が鮮やかなので、花のように盛りつけてみました」

「よく見たら生なんだな。この紅い宝玉のような物は?」

「あ、それはサーモンの卵です。イクラと言って味が付いているので、そのまま食べられますよ」

「……魚の、卵……」


 リューズベルトは戸惑った顔をして、イクラをフォークでつつく。確かに知らなければ、宝玉のように見えるだろう。先生は黒や青、黄色の魚卵もあると言っていた。


「リューズベルト様、セル様。きちんと調理された物や新鮮な物であれば、生食で口にされた方が美味な肉や卵類もございます。そちらは王城の晩餐などでも出されている食材ですので、安心してお召し上がり頂けるかと」


 ラスは食に関しても深い知識を持っているようで、詳しい説明を付け足してくれる。

 二人とも生の魚肉や卵を食べる習慣はなかったそうで、たじたじとした顔を見せてくれた。

 対戦では、あんなに颯爽としているのに。

 何だかおかしくなって笑ってしまう。


「あ、美味い」

「肉よりあっさりしていて甘さがあるな」


 カルパッチョには焼き塩と香辛料、それから若い柑橘類の果汁を使った、さっぱり味のソースをかけている。口にするまでは生の魚肉に躊躇っていた二人も、大丈夫だと分かると美味しいと言ってくれた。

 リューズベルトもセルも、サーモンの脂が染み込んだパエリアは特に気に入ってくれたようだった。こちらにも味付けと彩りにイクラを使っている。


 しばらく見ていて分かったことだけど、リューズベルトはパーティメンバーが側にいる時といない時とで態度が変わる。メンバーの誰かがいると、途端に無口になってしまうのだ。

 なぜそうしているのかは分からないけど、自分から距離を置いているような、そんな気がする。いない時は普通に話をしてくれるし、言葉にも表情にもトゲがない。


 セルはある意味、自分に少し似ている気がした。あまり人のことは言えないけど、セルは時々、世間知らずなことを口にする。知っていることと知らないことの差があるみたいで。

 その度に、ラスがさり気なくフォローしているところなんかは、ちょっとフェルドラルと重なってしまった。


 リューズベルトとセルは気が合うのか、一緒にいることが多い。性格は違うけど、何となく雰囲気は似ていると思う。二人とも強くて、対戦では敵なし。軍事学科の生徒たちからも一目置かれている。

 たまにレイドは二人に対戦を申し込んでいるけど、今のところは一度も勝てずにいるらしい。


 少しすると二人にも対戦の申し込みが入り、ルーリアは一人で観戦席に残っていた。

 フェルドラルは連戦しているようだが、もう少しで帰る時間だ。明日は何を作ろうか考えていると、知らない女生徒たちから声をかけられた。


「ねぇ、ちょっといい?」

「えっ。はい、何でしょう?」


 見れば衣部の者たちで、その奥には芸部の者たちもいる。ルーリアを囲むように、八人の生徒が立っていた。全員、ルーリアを睨むように見下ろしていて、苛立っているような雰囲気だ。


「あのさ、リューズベルトやセルたちの周りをうろつくの、止めてくれない?」

「…………え……」

「私たち、彼らをモデルにして服作りのイメージをしたり、絵の勉強をしてるんだけど。あんたみたいなのにウロチョロされると、気が散って勉強にならないんだよね」

「そうそう、邪魔なんだよ。料理なんかで媚び売っちゃってさ。すっごい目障りなんだけど」


 …………勉強の、邪魔……。


「あのっ、わたしはそんなつもりじゃ」

「あんたがどう思ってるかなんてどうでもいいの。私たちが困ってるの。分からない?」

「こっちは写真だって撮れないってのに。近くにいて邪魔されると迷惑なの」


 女生徒たちはルーリアの声に耳を貸さず、次々と威圧的な言葉を並べ立てた。ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。ルーリアは怖くなり、すっかり口を噤んでしまった。


「もう放課後の部活に来ないでくれる? 料理を食べてもらいたいだけなら、渡してさっさと帰ればいいじゃない」

「ちょっと強い付き添い人を連れてるからって、いい気にならないでよね」


 ルーリアが真っ青な顔で涙目になると、女生徒たちはクスクスと笑いながら言葉を残して去って行った。


「これに懲りたら、明日からは邪魔しないことね」

「あんたはいるだけで迷惑なんだから」


 …………自分がいると、迷惑……。


 ルーリアはフェルドラルが戻ってくると、すぐに荷物をまとめて闘技場を後にした。



 ◇◇◇◇



 次の日から、ルーリアは部活に行くのを止めた。急に来なくなった理由を聞かれたけど、言葉を濁して誤魔化す。


 人に迷惑をかけていたなんて言えない。

 誰かの勉強の邪魔をしていたなんて、そんなこと、みんなには知られたくない。

 他にも自分が気付いていないだけで、誰かの迷惑になっていることがあるかも知れない。


 申し訳ないと思っているのに、心のどこかでモヤモヤとしていて、やりきれない。

 そんな気持ちをどうしたらいいのか分からず、気付けばルーリアは暗い顔で塞ぎ込んでしまっていた。


「ねぇ、ルリ。何かあったんでしょ? ここのところ元気ないよ?」


 優しい声でシャルティエに尋ねられ、ルーリアは目に涙の粒を浮かべてしまう。


「実は──……」


 ルーリアが事情を話すと、シャルティエは「ルリもやられたんだね」と、怒った顔をしていた。


「えっ。わたし『も』?」

「他の学科でもね、そういった話が出てるの。私が聞いたのは癒部の子の話だけど。ケガをした軍部の人の手当てをしただけで、いろいろ言われたらしいよ」

「えっ、癒部で? 手当てだったら、衣部や芸部の勉強とは何の関係もないですよね?」

「理由なんて何でもいいんだよ。だって、自分たちが相手をしてもらえないから他の人も近付くな、って言いたいだけなんだから」


 シャルティエが言うには、前に見せてもらったランキング表、あれに名前が載っている男性に近付くと狙われるらしい。

 リューズベルト、セル、レイド、ウォルクス、エルバー。改めて見ると、なんと全員、載っていた。


「じゃあ、わたしが勉強の邪魔になってるっていうのは……」

「そんな訳ないじゃない。ただの妬みとこじつけだよ」

「……そんな……」


 騙されたことにルーリアがショックを受けていると、シャルティエは目を細めて冷たく笑う。


「ねぇ、ルリ。こういう相談は、その道の専門家に任せた方がいいと思うんだけど、どう?」

「……専門家?」


 そんな人、いましたっけ? と、首を傾げるルーリアを見て、シャルティエは笑みを深める。


「いるじゃない。嫌がらせを何倍にもして返す専門家が、身近に」


 ……え? 誰だろう?


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