第153話 レシピの魔改造
ガインは微動だにせず、自分がどこで何をしているのか、混乱しているような顔になっていた。ぎこちない動きで、驚きに満ちた目だけを動かしている。
ルーリアを腕に抱えて横になり、ベッドで添い寝している状態だ。そして、自分の手がルーリアの腰にかかっていることに気付いた、その瞬間。
ガインはものすごい速さで飛び退き、出窓の棚板に思いきり頭をぶつけた。すごい音がしたけど、大丈夫だろうか。
「っ、なッ、何か済まん! 俺は何を!?」
それどころではない様子のガインは顔を赤くして、ひどく狼狽えていた。そんなに動揺されると、こっちまで反応に困ってしまう。
「お父さんは酔って虎の姿になって、寝惚けてわたしを捕まえていたんですよ。お父さんが起きるのを待とうと思っていたんですけど、わたしも眠くなって一緒に寝ちゃってました」
「……っ、済まん、全く記憶にない。いつからだ? まさかひと晩中!?」
朝になって起きてからだと伝えると、ガインは心の底からホッとしたように肩を落とした。
ずっと同じ姿勢で捕まっていたからか、ちょっとだけ開放感がある。ルーリアはベッドの上で身体を伸ばし、座り直してガインの顔を覗き込んだ。
「どうしてお父さんは昨日、家に帰ってこなかったんですか?」
「……っ……それは……」
ガインはルーリアから目を逸らし、窓の外へ視線を逃した。
「す、少し身体を動かしたくなって外に出ていただけだ」
「虎の姿になって酔い潰れるまでお酒を飲んだのはどうしてですか?」
ルーリアは顔を近付け、じぃっと見つめる。
ガインは決まりの悪い顔で、うぐっと口を結んだ。
「フェルドラルに何を言われたんですか?」
「……う……っ」
ガインは出窓を背にしているのに、さらに身体を引こうとした。が、当然、逃げ場はない。
「お父さんが帰ってこなかったのは、フェルドラルに何か言われたからですよね?」
じぃー……っと見つめていると、ガインは観念したようにひと呼吸つき、渋々といった様子で口を開いた。
「…………俺は、ルーリアが遠くに行ってしまいそうで、怖くなったんだ」
「遠くに? どうしてですか?」
「その……気に入ったヤツが出来たんだろ? レイドとかってヤツのことが……」
「……? レイドとは一緒に授業を受けているだけですよ?」
落ち込んだ声で話していたガインは、確かめるようにルーリアの目の奥を見つめ返した。
「…………本当にそれだけか?」
「それだけですよ?」
ルーリアがあっさり返すと、ガインは金色の眼光を鋭く光らせた。ギンッと顔を上げ、驚くような速さで部屋を飛び出す。
その後、一階の方から「フェルドラル、出てこい!!」と叫ぶ、ガインの声が響いてきた。
いったい何だったんだろう? と、ルーリアはガインの部屋から出る。とりあえずユヒムが持ってきてくれた物を確認しようと、自分の部屋に
部屋に入ると、エルシアが机の上に置いていたレシピを手に持ち、それに視線を落としていた。恐らく、さっきのガインの声で目が覚めたのだろう。
「ルーリア、これは他種族のレシピですよね? どうしてここに、こんな物があるのですか?」
ルーリアは
「このレシピで作ったお守りのお蔭で、お父さんは助かったと言っていました」
「そんなことが……。ガインの言っていたルーリアが作った魔術具とは、このレシピの調合品のことだったのですか」
エルシアは感謝の気持ちを込めるように、レシピに向かって祈りを捧げて目を閉じた。
「あの、お母さん。そのレシピにある剣を作ってみようと思っているんですけど、いいでしょうか?」
「剣を? それは構いませんけど、ルーリアが使うのですか?」
「いいえ。武器を作ったことがないので、いろいろ試してみようかと……」
「そうですか。ルーリア一人では心配なので、私も一緒に行きますね」
「えっ。お母さんもですか?」
なぜだろう。心強さよりも不安を感じる。
「せっかくですから、私も他種族のレシピを試してみたいのです」
ふふっと楽しそうに微笑むエルシア。
それを見て、ルーリアはまずいと冷や汗を流した。エルシアが……いや、天災がレシピ通りに作製をするとは到底思えない。
……ああ……クレイアさん、ごめんなさい。
ルーリアは心の中で先に謝っておいた。
一緒に一階に下りて、カウンターにある素材をレシピを見ながら確認する。
「足りない物がありますね」
「ユヒムさんは、あった物だけ持ってきたと言っていました。ここにある物だけでは足りないと思いますから、今日は止めておいた方が──」
と、やんわり止めようとするも、エルシアは階段の横にある物置の扉を開け、中に入って行った。
「足りない分は他の物で代用すれば良いのです。それにここには、ある程度の素材がそろっていますから」
「……っ、そ、そうですか」
阻止、失敗!
危険な物もあるらしいからルーリアが入ることはほとんどなかったが、この物置はエルシアが今までに集めた素材の保管庫となっている。
ユヒムの屋敷に置きっ放しになっている素材も、近い内に引き取ってここに入れようと考えていた。
「ルーリア、これを運んでください」
「は、はい」
「にゃ! 姫様、ボクも手伝う」
そういえば、セフェルは調合の手伝いが出来るんだった。
「では、これをお願いします」
「にゃにゃ、まっかせて」
そうしてルーリアとセフェルが素材を運んでいると、店のテーブルの上は、あっという間に物々しい雰囲気へと変わっていった。呪いの儀式、再び。
「では、場所を移しましょう」
運搬用の魔術具で素材を包み、ルーリアとエルシアは家の東側にある戦闘訓練の場所へ移動した。何かあると危ないから、セフェルはお留守番だ。
「ルーリアは武器を作るのは初めてですか?」
「はい」
「では、素材の加工から教えますね」
エルシアの説明によると、鍛冶に使う素材は、最低一回は加工する必要があるらしい。
例えば、鉱石から金属の塊へ。元の素材から粉へ、など。何種類かの素材を混ぜ合わせたり、必要な部位だけを切り分けたりと、手を加えなければならないそうだ。
それらの下準備を終えて初めて、鍛冶の準備が整ったと言えるらしい。
「私が今から一本の剣を作りますので、ルーリアは見ていてください」
「はい」
返してもらったレシピを見ながら、ルーリアはその様子を観察することにした。
エルシアはすでにレシピの内容を丸ごと覚えたそうだ。迷いなく材料を並べていく。さすがは天災。いや、この場合は天才か。
それぞれの素材に魔法で熱や圧力を加え、エルシアは下準備を進めていった。
その作業で出来上がったのは、金属の塊と粉が数種類。いくつかの素材はレシピに載っていない代用品だった。問題ないのだろうか?
エルシアは金属の塊にさらに熱を加え、液体のように溶かしていった。火色に変化した金属が空気に触れ、シュウシュウと薄く煙を上げている。
……あ、熱っ。
やはりかなりの高温になるようで、エルシアの立っている所を中心に、地面が黒く変色していた。離れていても、ものすごい熱が伝わってくる。
エルシアは自分の周りを氷魔法で覆っていた。
溶けた金属に粉を混ぜると、一瞬で色が変わる。
たぶん、今のが属性変化だろう。
混ぜているのは火属性の粉のようだった。
…………って、あれ?
と、ここでルーリアは異変に気付いた。
エルシアが作っているのは金属の剣だったはずだ。属性変化はいらない。すでに工程がおかしかった。
あ、れ……?
ルーリアが金属の剣を作っていると思い込んでいただけで、魔法剣の方だったのだろうか?
エルシアが何を作っているのか、よく分からなくなってきた。さらにレシピに書かれていない工程が繰り返され、ルーリアは考えることを諦める。
火色に輝いていた塊が、次第に剣の形になっていく。もうそろそろ完成なのだろうか?
そう思って見ていると、エルシアは何種類かの紅い石を取り出した。
ただの石ではないようだ。妙な存在感がある。
もしかして魔石だろうか?
距離があるので聞こえないが、エルシアは何かの呪文を唱えているようだった。
紅い石が空中に浮かび、剣の周りを囲うように広がる。魔法陣が浮かび上がったかと思うと、紅い石は剣の刃の付け根と柄の部分に吸いつくようにくっ付いた。
……な、何、今の!?
もちろん、そんな工程は存在しない。
レシピの魔改造っぷりも、ここまでくるといっそ清々しかった。もはや原型を留めていない。
エルシアが作っていたのは『魔術具の武器』だった。
魔術具の武器の作製は、普通の鍛冶とは違うとフェルドラルから聞いたことがある。
当然、ルーリアが作ろうとしている金属の武器とは、比べ物にならないくらい遥か上位の代物であった。
「ルーリア、どうですか? 少しは参考になりましたか?」
こんなの、参考になる訳がない。
紅い魔術具の剣を手にして微笑むエルシアに、ルーリアはにっこりと笑顔を向けた。
「お母さん、とりあえずクレイアさんに謝ってください」
エルシアの魔改造がここまでひどいものだとは、ルーリアも思っていなかった。
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