第116話 森の妖精と番人


 シャルティエに手紙の折り方を教えてもらい、丁寧に折っていく。ガインとエルシアに自分の気持ちが届くように、心からの『ごめんなさい』を込めて。


 出来た手紙を手の平に乗せ、空中に置くようにするとフワリと浮かび、ひらひらと蝶のように飛んで消えていった。


 もし読んでもらえなかったら、どうしよう。

 それに今さらだけど、とっても恥ずかしい。


「二人宛に手紙を出した時って、別々の場所にいたらどうなるんですか?」

「その場合は近い方に届くようになっているよ。半分になって飛んでいくとか、怪文書にはならないから安心して」


 ということは、この部屋の向かい……ガインの部屋にいるエルシアに届くのだろう。歩いても数歩の距離だから、それはそれでちょっと大袈裟というか、気まずいというか。

 シャルティエは茶をひと口飲み、ルーリアを見てニコッと笑った。シャルティエには、いつも助けられてばかりだ。


「シャルティエ、本当にありがとう。これでお父さんたちと少しでも話せるようになると嬉しいです。……でも、家族に手紙を書くのって、何かめちゃくちゃ恥ずかしいですね」

「あはは、だよね。私だったら一生ネタにされるかも知れない手紙なんて、絶対に出さないけど。ルーリアなら大丈夫、大丈夫」


 …………ん?


「……え、あの、シャルティエ? シャルティエが出したことがあるから教えてくれたんじゃないんですか?」

「そんなこと、私、ひとっ言も言ってないよ」


 んな……っ!?


「て、手紙の、取り消しはっ?」

「んー。手遅れかな」


 シャルティエは「テヘッ」と笑いながら、ペロッと舌を出す。はめられた感がものすごい。



 ◇◇◇◇



 シャルティエが帰った後の、台所。

 ルーリアが一人で菓子作りの勉強をしていると、送った手紙を手にしてエルシアがやって来た。


「ルーリア、少し、いいですか?」

「……は、はいっ」


 思わず緊張が走る。


「……手紙を、読みました。ルーリアの気持ちも、よく分かりました。……私はルーリアが生まれてきてくれたことを、本当に嬉しく思っているのですよ。ルーリアがいてくれたから、ここまで頑張ることが出来たのです」

「…………お母さん……」


 エルシアは強くルーリアを抱きしめた。

 そして真剣な目で、ルーリアの瞳をしっかりと見つめる。


「ガインは自分にこそ責任があると、ずっと考えていました。ルーリアが生まれた時から。……いえ、神殿を出た日から、ずっと」


 ガインは長い間、思い悩んでいた。

 エルシアを神殿から連れ出したことを。

 そして真実を知った時、果たしてルーリアは自分を許してくれるのかと。


「…………お父さんが……」


 ルーリアの想像がつかないくらい、ずっとずっと長く。ガインは自分を責め続けていた。


「自分の子であるために、ルーリアがミンシェッド家の者に受け入れられない、もしかすると生命さえ狙われてしまうかも知れない。そのことを、ガインはずっと悩んできたのです」


 ガインが抱えている悩み。

 それはきっと、ルーリアが思っているよりもずっと大きくて、ずっと重い。


「それでも必ず守ると決めて、ガインは私とルーリアを誰よりも近くで支えてきてくれたのです。ルーリアを本当に愛し、心から大切にして。だから、あの時のルーリアの言葉でガインがどれだけ傷ついたか、それが分かりますか?」


 エルシアの瞳はとても優しく、溢れるほどの慈しみを込めた深い蒼色をしていた。


「…………は、い。……ごめ、ん……なさい……」


 俯いたルーリアの瞳から涙の粒がこぼれ、床に小さな痕が散る。ルーリアはスカートのすそをギュッと握り、自分が言ってしまった言葉を、ただひたすらに悔やんだ。

 あの時のガインは、どんな気持ちだったのだろう。


 エルシアは声も出さずに肩を震わせるルーリアを抱き寄せると、優しい声で語りかけた。


「……言ってしまった言葉は元に戻りません。ですが、それを間違いだったと悔やむ心があるのでしたら、それ以上の言葉を伝えればいいのです。……ルーリアは、ガインに伝えたい言葉があるのでしょう?」


 顔を上げたルーリアの瞳から、透明な粒がはらりと落ちる。


「…………お父さんに、謝りたい、です。ひどいことを、言ってしまったから。代わりに……ありがとうって、伝えたいです」


 まっすぐに向けられた言葉を受け取ったエルシアは、しっかりとルーリアの手を取り、二階の子供部屋へと向かった。


「フェルドラル、ルーリアに暖かい服を出してあげてください。今から森へ行ってきます」

「今からですか? もうすぐこの辺りは吹雪になりますわ。姫様をそのような場所になど……」

「問題ありません。ガインの所に行ってきます」

「えっ。お父さん、今も外にいるんですか? こんなに雪が降ってきているのに?」


 フェルドラルは渋りながらもルーリアにコートを着せ、耳あてを着けてふわふわの帽子を被せる。その姿を確認したエルシアは、ルーリアを外に連れ出し、一面の銀世界を見渡した。

 こんな中でガインがどこにいるのか分かるのだろうか。


「ではルーリア、行きますよ。私にしっかり掴まっていてください」

「えっ、は、はいっ!」


 エルシアはブーツのかかとを二回鳴らし、自分とルーリアを風で包んだ。そして軽く地面を蹴り、ひと跳びで辺りが見渡せる高さまで上がる。


「ひっ、ひあぁっ!?」


 エルシアにしがみ付き、ルーリアは変な声を上げてしまった。信じられないことに、二人は雪が舞い散る空中に浮かんでいる。


 どういうこと!? なんで浮いて……?

 ただでさえ現状に頭が追いついていないのに、「いました」と小さく呟いて、エルシアは目を向けていた方角に急降下する。


「ひぅっ!?」


 こ、これっ、飛んでる!?

 風の使い方がおかしいっ!!


 エルシアのめちゃくちゃな魔法の使い方に、心の中で絶叫する。

 雪の上であろうとお構いなしに、エルシアはチョンチョンと足先を着けるかどうかくらいの速さで跳ぶように進み、あっという間に雪原を越える。

 そして雪のない、不自然に開けた場所にふわりと降り立った。


 常識をまるっきり無視した、むちゃくちゃな移動だ。ルーリアはカクカクと笑っている膝から崩れ落ち、地面にへたり込んだ。半分、腰が抜けている。


「お前ら……こんな所まで来て、どうした?」


 久しぶりに耳にした声は軽く驚いているようだった。ハッとして顔を上げると、長槍を手にしたガインが目に映る。


「──!!!」


 しかしその背後には、鈍く光る紅い点がたくさんあった。攻撃色に光る、魔物の目だ。

 ルーリアたちの周囲には、ガインの背丈の倍以上もある魔物たちが低く唸り声を上げ、今にも襲いかかってきそうな形相で身構えていた。

 ガインと魔物が対峙しているところに、エルシアは降り立ったようだ。


 ──どうしてこの森に、こんな大きな魔物が!?


「お、お父さ……ん。ま、魔物、が……っ」


 ルーリアはへたり込んだまま、震える声を絞り出した。こんな間近で大きな魔物を見たのは初めてだ。


「ガイン、何か必要ですか?」

「いや、特には。……あ、これだけ頼む」

「分かりました」


 ガインが人差し指を顔に向けると、エルシアは補助魔法を唱えた。


視覚強化ファウス・クルス


 たったあれだけの動きで、どんな補助が必要かエルシアにはすぐに分かったようだ。

 自分が思っている以上に、二人は戦い慣れている。そのことにルーリアは驚いた。

 そういえば二人の過去の話を聞いた時、旅の途中で一緒に魔物と戦ったと言っていたような。ついでに言えば、エルシアはこの間まで勇者パーティにいたのだった。


 ハラハラして見ていると、突然ガインと魔物を囲うように大きな風が渦巻く。この風はエルシアの魔法だろう。広い範囲に風を出し、ガインごと魔物を囲っている。エルシアとルーリアはその外だ。


「えっ、どうしてお父さんごと!?」

「それはもちろん、魔物がこちらに来てルーリアに何かあったら困るからですよ」

「お父さんは!?」

「ガインは大丈夫です」

「……その割には……お父さん、お母さんのことをジロッと見ていますけど?」


 見ているというより睨んでいる。


「あっ。ガインに合図を出すのを忘れていました。無詠唱で魔法を出すと、すぐに怒るのですよ」


 うっかり忘れてた、とでも言うように、エルシアは誤魔化して微笑む。


「…………本当に大丈夫ですか?」

「ふふっ。まぁ、見ていれば分かります」


 ガインを囲っている魔物は全部で八体いる。

 体長は4メートル近くあり、ウサギの耳を短くして、ものすごく凶暴にしたような魔物だ。

 鋭い牙を剥き出しにして、激しい咆哮を繰り返し、全身の灰色の毛を逆立てている。


 ガインは長槍を右手に持ち、魔物にゆっくりと近付いて行った。ガインが足を進めると、その分だけ魔物たちは後ろに下がって行く。

 ひと目見ただけで、魔物たちがガインを恐れるように警戒しているのが分かった。


 この森でルーリアが目にしたことのある魔物といえば、魔虫の蜂か、それと同じくらいの大きさの小物ばかりだ。普通の動物である鹿の方が大きいくらいだった。


 ルーリアとエルシアが見守る中、魔物が二体同時にガインに飛びかかる。その動きは身体の大きさからは想像がつかないくらい素早かった。目で追うのがやっとだ。

 しかしガインが左右に少し動いただけで、ズズンと大きな地響き音を立て、魔物は重なるように倒れ込んだ。その後も起き上がってくる気配はない。


「え、す、すごい……!」


 今の一瞬でガインが何をしたのか、ルーリアには全く見えなかった。ユヒムたちと行った戦闘訓練の時とは、まるで動きが違う。

 ルーリアが口を開けてポカンとしていると、エルシアはクスクスと笑った。


「ですから、心配はいらないと言ったのですよ。この結界は魔虫の蜂を逃がさないために、魔物が外に出られない仕様になっているのです。他の魔物が入ってきてしまった時は、こうしてガインが討伐してくれるのですよ」

「えっ。でも、わたしは今まで大きな魔物を見たことがありませんでしたけど?」


 そこでエルシアは、ガインが毎日のように森を見回っていた理由をルーリアに聞かせた。

 真冬でもガインが家の外に出ていたのは、結界の見回りの他に、入ってきた魔物を退治するためでもあったらしい。


「ルーリアが森の中を歩く時も、ガインはいつも近くにいたはずですよ」

「お父さんが……?」

「そうでなければ、少しくらいは魔物に遭っていたはずです。この辺りは強い魔物が多く出るのですから」

「それは……全然気がつきませんでした」


 それはきっと今だけの話ではなく、ルーリアが幼い頃から続いていたのだろう。

 ルーリアとエルシアが話している間にも、ガインの前には倒れた魔物が積み重なっていった。


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