第112話 嬉しい贈り物


「あの男は、お前であれば結界の不備が分かると言っていたな」


 この森の結界にいくつか穴があると言われたことを、ガインは何よりも気にしていた。


「ええ、分かりますわ。対人向けでしたら、今のままでも良いのでしょうけれど。今回のようなことが度々起こっても面倒です。わたくしが対処しますわ」

「そうか、助かる」


 フェルドラルも少しは悪いと思ってくれたのか、珍しく自分から協力を申し出た。


「……さて」


 ガインが横を向くと、隣に座っていたエルシアはビクッと肩を竦めた。さらに小さくなり、あとちょっとで泣きそうな潤んだ目でガインを見つめている。


「…………ぐすっ」

「……っ」


 この顔をされてしまうと、ガインはもう何も言えなくなる。ある意味、エルシアの必殺技と言えた。けれど、また同じことをされても困る。


「お父さん。二人の魔法対決は、ちゃんと禁止にしてくださいね。春からミツバチの養蜂を始めるのに、巻き込まれたら困ります。どうしてもケンカをするなら、言い合いまでにしてください」


 むん! と、腰に手を当てて強く言うと、ガインも頷いた。


「だ、そうだ。エルシアもフェルドラルも、いいな」

「わ、分かりました」

「仕方ありません。姫様がそうおっしゃるのでしたら、従いますわ」


 二人ともきちんと約束をしてくれたから、ひとまずは安心だ。結局、徹底的にぶつかるような形にはなってしまったけど、誰もケガをしなくて済んだから良かった。


「ところで、ルーリアはフェルドラルと一緒に眠ると言っていましたけれど、同じ部屋で良いのですか?」


 必要であれば部屋を増やすことも出来ると話すエルシアに、ルーリアは首を振る。


「今の部屋をセフェルと三人で使いたいと思っています。フェルドラルにも小さくなってもらいましたから、ベッドもあのままで大丈夫だと思います」


 それなら……と、エルシアが話を切り上げようとすると、ガインが声を上げた。


「ちょっと待て。セフェルとも一緒に寝るつもりか?」

「えっ? はい。今までもずっとそうでしたけど?」

「何!? それは駄目だろう」

「……ダメ? 何がですか?」

「セフェルは男だぞ」


 これにはエルシアもフェルドラルも呆れた顔をした。


「ガイン、セフェルは大丈夫です」

「娘馬鹿も度が過ぎると見るに堪えないですわ」

「…………お父さん」


 3対1。ガインの意見は却下された。


「ルーリアがあの部屋を使いたいということは分かりました。でも……そうしましたら、私はどうしましょう。今まではルーリアと一緒に眠っていましたから……」


 頬に手をつき悩むエルシアを、フェルドラルは小さな唇の端をニヤリと上げて笑った。


「んふ。何を今さら。いつも通りにすれば良いではありませんか。……姫様が眠りに就かれた後のように」


 それを聞いたエルシアの顔色が一瞬で変わる。


「ど、どうして貴女がそれを知っているのですか?」


 自分で出した質問だが、すぐに答えが思い浮かんだエルシアは怯えたような目をフェルドラルに向けた。長い間、弓の姿だったフェルドラルは、ずっとガインの部屋にいたのだ。そして、その部屋にフェルドラルを置きっ放しにしていたのは、自分だ。

 青ざめたエルシアは震える声を出した。


「あああ貴女、もしかして……この家に来た時から、ずっと記憶があるのですか?」


 フェルドラルは無言で笑みを深めると、唇に人差し指を当てた。そして、たったひと言。


「イルタベータの反糸はんし


 フェルドラルがそう呟くと、エルシアはガタタッと取り乱すように席を立ち、真っ赤な顔に影を落としたまま台所の方へ走り去ってしまった。


「フェルドラル、イルタベータの反糸って何ですか?」

「姫様も身に着けていらっしゃる糸のような魔術具のことですわ」


 ああ、あの『恥じらい』の時の……。


「……その名前を聞いたからって、どうしてお母さんが台所に走って行ったんですか?」

「んふ。さあ? わたくしには分かりませんわ」


 楽しそうにフェルドラルが微笑むと、ガインは居心地が悪そうに頭を掻いた。


「フェルドラル、あまりエルシアをからかうな。あいつはそういった話に何の耐性もないんだ」

「あら、いつまでも神殿にこもっていた頃のままでいてもらっては困りますわ。先ほどの件も、わたくしの存在を無視して雑に扱った末の、完全な自業自得ではないですか。言うなれば自滅ですわ」


 これ以上この話を続けることは、自分にとっても都合が悪い。ガインはため息をつくと、台所の方へ目を向けた。


「ルーリア、エルシアの様子を見てきてくれ。落ち込んでたら『気にするな』と言って引っ張ってこい」

「はい」


 ルーリアは台所に向かい、中に一歩踏み込んだ所でピタッと動きを止めた。そこで目にしたものに驚き、そのままガインの所に取って返す。


「お、お父さんっ! あれっ、どうしたんですか? だ、台所が!?」


 ああ、あれか、と口にしたガインは、少し照れた顔で頬を掻いた。


「あれは……ユヒムとアーシェンに聞いてくれ。俺は詳しくは分からん。あと、走ると危ないから慌てるな」

「だって、すごいですよ! 焼き台があって、オーブンがあって。調理器具だって、いっぱい……!」

「分かったから。落ち着け、ルーリア」


 ガインは苦笑いしていたけれど、ルーリアは落ち着いてなんかいられなかった。

 何もなかった家の台所に、ユヒムの屋敷の調理場にあったような調理器具や道具、それに見たこともないような魔術具が、新しい菓子店でも始めるかのように整然とそろえられていたのだ!


 ちなみに。


 エルシアはそのピカピカな台所の隅の方で、膝を抱えて小さくうずくまっていた。

 顔を真っ赤に染め、「ま、まさか、あれが見られて……? で、では、あれも? もしかして、あれも!?」と、ブツブツ呟いていた。


 新しい台所に興奮したルーリアがガインにしがみ付いていると、店の床に魔法陣が二つ広がり、ユヒムとアーシェンが転移してきた。


「ユヒムさん、アーシェンさん」

「ルーリアちゃん。レシピのノートとか、部屋に残ってた荷物を持ってきたよ。あとこれ、こっちはお菓子作りの材料」

「私からは服と小物ね。ひとまず、ここに置いてもいいかしら?」


 台所のことを詳しく聞こうと駆け寄るも、話を聞く暇もなく店のテーブルに次々と荷物が積まれていった。


 うっ……。


 浮かれた気分から一気に現実に引き戻されたルーリアは、目の前の荷物を見つめる。明日からは、自分一人で頑張らなくてはいけない。浮かれている場合じゃないと、軽く両手で頬を叩き、気を引きしめ直した。


 フェルドラルとセフェルに荷物を任せ、ユヒムたちに茶を淹れるため、ルーリアは台所へ向かう。

 エルシアは隅っこの方で、まだ何かを呟いていた。魂が抜けたような顔は、まるで精神ダメージを受ける呪いでも掛けられてしまったかのようだ。ちょっと怖い。


「お母さん、ユヒムさんとアーシェンさんが来ましたよ。いつまでもそんな所にうずくまっていないでください」

「うぅ……っ、ルーリア。私はもう、フェルドラルに勝てる自信がなくなりました」

「……お母さんはいったい、何と戦っているんですか?」


 その後、エルシアはガインと同じ部屋で過ごすことが決まった。



 テーブルに茶を運び、それぞれに配る。

 ガインとエルシアとユヒムが玄関側のテーブルで、ルーリアとフェルドラル、アーシェンとセフェルが暖炉側のテーブルに着いた。


「この姿のフェルドラルさんは初めて見るけど。これが本来の姿なの?」


 アーシェンが白い髪のフェルドラルを見るのは、これが初めてだった。幼い姿を見るのは、ユヒムも初めてだ。


「本当なら、もう少し大人な見た目なんですけど、いろいろ考えて幼い姿になってもらいました」

「え? あ、ああー、なるほどねぇ。ルーリアちゃん、考えたわね」


 エルシアの方をチラリと見たアーシェンは、コクコクと頷いた。どうしてこの姿にしたのか、すぐに分かってもらえたようだ。


「それよりアーシェンさん。あの台所はどうしたんですか? さっき見て驚きました」

「ああ、あれ? ふふっ、驚いた?」


 アーシェンはいたずらっぽく笑うと、ルーリアが家にいない間に、ユヒムと共同して台所を改装していた話を教えてくれた。

 この話は、ルーリアが結界の外に出る前から決めていたらしい。


 料理を習い始めたルーリアのために、ちょっとした贈り物をしたいと、ガインがユヒムとアーシェンに、こっそり依頼していたそうだ。

 ユヒムの屋敷にいた時、アーシェンに質問された色や模様の好みも本当はこのためだった。


「……お父さん、そんな話、わたしにはひと言も……。さっき初めて見て驚いた時だって、ユヒムさんとアーシェンさんに聞いてくれ、自分は何も知らないって……」


 ユヒムたちから……と聞くと、ちょっと申し訳ないというか、遠慮してしまうけど。ガインに自分からだ、と言ってもらえたら、とても嬉しいのに。


「ガイン様は『自分から』っていうのが、ちょっと照れくさかったみたいよ。でも、ルーリアちゃんのために何かをしてあげることが出来て、とても嬉しかったみたい。重い物の設置は、ほとんどガイン様がしてくださったわ」

「わたしがいない間に、お父さんが……。流行り病もあったから、お店も一人で忙しかったはずなのに……」


 迷惑をかけてばかりの自分を、ガインがそこまで思ってくれていたことに、ルーリアは胸の奥がじんと熱くなった。


「最初は、ちょっとした道具やオーブンをそろえるくらいで終わるつもりだったんだけど、神様のレシピに挑戦するって話を聞いて、私もユヒムも凝っちゃって。つい、ね」

「そうだったんですか。本当にありがとうございます。わたしも精一杯、頑張らないとですね」


 お父さんにも、あとでちゃんとお礼を伝えよう。そう思い、ルーリアは隣の席に座るガインに、ちょっぴり照れた笑顔を向けた。


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