第64話 人見知りとホームシック
部屋に残されたルーリアが呆然としていると、いきなりフェルドラルに服を脱がされた。
「なな、何をするんですかっ!? 急に!」
ハッと我に返って抵抗する。
この弓は油断も隙もない。
「もちろん、お召し替えに決まっていますわ。姫様、せっかくのフィゼーレの好意を無駄にされるおつもりですか?」
まさかのフェルドラルに真面目な顔で怒られた。
……えぇ。わたしが悪いんですか、これ?
シュンとなって大人しくしているルーリアを、フェルドラルは嬉しそうに着せ替える。
「フィゼーレはなかなか見所があります。会ったことのない姫様にピッタリの服を用意できるのですから」
「……フェルドラルが人を褒めるなんて珍しいですね」
今は上機嫌だけど、今まではどちらかと言えば誰でも邪魔者扱いしていた気がする。
可愛い女の子だからだろうか。
「この様に、フィゼーレは想像だけで姫様のお身体のサイズまで当てているのです。きっと毎日のように姫様のことを妄想しているに違いありませんわ。わたくしも負けてはいられません」
…………うーん、この。
子供の服なんて、だいたいの身長が分かれば、どうとでも合わせられるでしょうに。でも、喜んでいるみたいだから黙っておこう。
フェルドラルとフィゼーレ。
この二人の前では好きな物や好みについて、軽々しく口にしない方がいい気がした。
下手に物欲しそうな顔をすれば、大変なことになってしまいそうだ。……すでに手遅れかも知れないが。
「出来ましたわ」
フェルドラルが満足げな声を上げる。
ルーリアが着せ替えられたのは、紫色の可憐なパーティードレスだった。袖やスカート部分に繊細な刺繍が入ったシフォン生地を花びらのように何枚も重ねている。
……わぁ。綺麗ー……。
今まで見たことがない形の服だった。
羽根のように軽くて薄い生地は、ちょっと引っかけただけで破れてしまいそうだ。
これは十分に気をつけて動かなくてはいけないだろう。
「姫様、髪も合わせましょう」
フェルドラルはルーリアを椅子に座らせ、髪を結い始めた。束ねていた髪をほどき、くしを入れていく。
……はぁ。
人に髪を触ってもらうのは気持ちいい。
エルシアにもよく髪を束ねたり、撫でてもらったりしていた。
ちょっと懐かしい感覚を思い出して大人しくしていると、フェルドラルが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「今日は随分と大人しくされていらっしゃいますね。どこか具合でもお悪いのですか?」
「……失礼ですね。髪を触ってもらうのは気持ちいいな、って思ってただけですよ」
それだと、いつも暴れているみたいに聞こえるじゃないですか。……暴れてませんよね?
「…………ほぅ。気持ち良い」
ルーリアのひと言に、フェルドラルが妖しく目を光らせた。
「どのように気持ちが良いのですか?」
「どのようにって……普通ですよ。撫でてもらってるのと一緒です」
「撫でられるのも、お好きなのですね」
確認するように呟き、フェルドラルは心のメモに書き込んでいるような顔をする。
「……人は選びますよ、さすがに」
話しながらも、フェルドラルは器用な手つきで髪に布を巻きつけ結んでいく。
髪に布を結ぶのなんて、ルーリアには初めてのことだった。頭を左右に振ると、布もフワッと付いてくる。とても不思議な感じだ。
「姫様はリボンも似合いますね」
「リボン?」
「髪に着けている、この布のことです」
「……リボン。物の名前だけでも、覚えることはたくさんありますね」
靴を履いて着せ替えが終わると、フェルドラルはルーリアの周りをぐるっと回り、満足そうに微笑んだ。
「では、姫様。参りましょうか」
「えっ? どこへですか?」
「ここにガインが来ていますが」
「お父さんが!? な、えっ!? そ、それを先に言ってください!!」
どうしてそんな大切なことを後回しにするのか。ルーリアは急いで部屋を飛び出した。
「──ッ!! な、何ですか、ここは!?」
部屋を出たルーリアが目にしたのは、左右に延びる通路と、その通路の両側にあるたくさんの扉だ。
まるで合わせ鏡を覗き込んだような光景にルーリアは息を呑んだ。天井も高く、とても広い。
「フェルドラル、お父さんはどこにいるんですか!? どこへ行けば……」
思わず通路で足踏みする。
「姫様、そのお姿で走られるのは危険です。ガインは逃げたりしませんわ。転ばれないように、ゆっくり参りますよ」
「……はい」
焦る気持ちを抑え、慣れない服と靴で転ばないように気をつけながら、フェルドラルの後を付いて歩く。
ユヒムの家は、家と呼ぶには広すぎる迷路のような場所だった。こういう家のことは『屋敷』と呼ぶらしい。自分一人だけだったら、絶対に迷う自信がある。
ルーリアが眠っていたのは屋敷の三階にある部屋で、ガインがいる一階へ行くにはそれなりに距離があった。
そして、この服は歩きにくい。
袖はひらひらで、スカートはふわっと広がる。
森へは着ていけないような服だけど、これがこの国では普通なのだろうか。
ウチに泊まっていた時のアーシェンの服を思い出す。あれは動きやすそうだった。
アーシェンはダイアランの人だから、あの時の服もこの国の物なのだと思うけど。
……どうせなら、ああいう服の方がいいんだけどなぁ。
そんなことを考えつつ慎重に歩き、やっとガインがいるという部屋の前まで辿り着いた。
フェルドラルが軽くノックをすると、中にいた男性が扉を開けてくれる。その男性はルーリアを見て目を細め、柔らかく微笑んだ。
……誰だろう?
灰色の髪に黒い瞳の男性は、ガインよりも年上に見える。上品な
挨拶をするのかと思いきや、フェルドラルはその前を素通りして中へ入っていく。ルーリアも慌てて、その後ろを追いかけた。
……ひっ!
そこにいたのは、10人以上のたくさんの人。
部屋の中は広く、テーブルや椅子もあるのに誰も座ってはいない。女性の姿はなく、男性ばかりだ。
ルーリアは部屋の中にはガインだけ、もしくは、いても他の人はせいぜい2、3人くらいだと考えていた。こんなにたくさんの知らない人と同じ場所にいたことはない。
人の目が怖くなったルーリアは、フェルドラルの後ろにサッと隠れた。そのままの状態でガインを探す。
すると、自然と人の視線が集まっている場所があった。ガインはそこにいるようだ。
フェルドラルはルーリアの手を引き、ガインの所まで連れて行く。
歩いている内に人の視線が自分に向いていくのを感じ、ルーリアはだんだんと顔が赤くなっていった。
……こんなに人がいるなんて。そんなにジロジロ見ないでくださいっ!
慣れない視線と照れと恥ずかしさで、ルーリアは逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。
ガインの所に着いたルーリアは、フェルドラルの後ろから出て、すぐにガインの後ろに隠れた。その様子にガインは軽く目を見張る。
「……ルーリア? お前、その恰好はどうした?」
「これは、フィゼーレさんが用意してくれたんです」
驚いた顔で、しげしげと見つめてくるガインにルーリアは首を傾げる。
この人族の姿は家で何度も見ているはずなのに、どうして何か言いたそうにしているのだろう?
「……あの、そんなに変ですか? みんながじっと見てくるから、恥ずかしいです」
「いや、それは……」
「姫様の可愛らしいお姿に、皆が目を奪われているだけですわ。周りを気になさる必要などございません」
慣れない視線に晒され、怯えるような気持ちになる。自分ではもう治ったと思っていたのに、どこからどう見ても人見知りだった。
この部屋にガインがいなければ、とっくに逃げ出していただろう。
「…………お父さんと、話がしたいです」
涙目になってそう言えば、ガインは顔色を変え、ルーリアを部屋の外へ連れ出した。
部屋に来た時に扉を開けてくれた上品な男性に案内され、ルーリアたちは違う部屋へと向かう。
そこは、さっきいた部屋よりも小さめの部屋だった。それでも蜂蜜屋のルーリアの部屋よりは5倍ほど広い。
案内が済むと、上品な男性はすぐに部屋から出て行った。部屋の中にいるのは、ルーリアとガインとフェルドラルの三人だけだ。
「ルーリア、どうした?」
「…………っ」
ぽたぽたと、涙の粒が落ちた。
ガインの服をぎゅっと掴み、顔をうずめて声を出さずに泣いてしまう。どうして泣いているのか、自分でもよく分からなかった。
「姫様は家が恋しいのですわ」
「…………そうか」
フェルドラルは短く言い残し、そっと部屋を出て行った。ルーリアは家が恋しい、それ以上に、家族が恋しいのだと。
ガインは椅子に腰を下ろし、ルーリアを右脚の上に乗せて髪を撫でた。
「……ルーリア、俺は驚いたぞ」
優しい声が室内に落ちる。
その声に、ルーリアは少しだけ顔を上げた。
「……何に、ですか?」
「お前の成長に、だ。服を変えただけで、こうも印象が変わるとはな。……正直、不安にもなった」
ガインは困った顔で淡く笑う。
「お父さんが不安に、ですか? どうして?」
「こんなに可愛い娘なんだ。男が放っておかないだろう?」
「……何ですか、それ。まるでフェルドラルみたいじゃないですか」
ルーリアも釣られて少しだけ笑った。
「本気の話だ。あまり早く大きくならないでくれ」
「……わたしはずっと早く大人になりたいって思っていました。身体は子供でも、心は大人のつもりでいたのに。……まだ、心も時間も全然足りないみたいです」
髪を撫でてもらいながら、ルーリアはガインの肩に額をつけて静かに目を閉じた。
「…………ゆっくりでいいさ」
ガインのルーリアの髪に指を通す音だけが、静かな室内に響く。
「……ルーリアは早く家に帰りたいか?」
穏やかな声でガインが尋ねる。
「……ここは、わたしの知らない物で溢れていて、違う世界に来てしまったように思えて、とても怖くなりました。でも、今日ここでお父さんと会えたから、大丈夫です。ちゃんと繋がってるって分かりましたから。……待てます」
強がって答えるルーリアを、ガインはギュッと抱きしめた。その顔には悔しさがにじんでいる。
「……俺にも魔力があればと、何度思えばいいんだろうな」
ガインの弱音のような言葉を、ルーリアは初めて聞いた気がした。
「魔力のことは、お母様にお任せするのが一番です。お母様もきっと、わたしと同じように家のことを思って外の世界で過ごしているんだと思います。わたしも早くお母様のように強くなりたいです」
自分のことは自分で出来るように。
そう言って、心配をかけまいとするルーリアの頭にガインはぽんぽんと軽く手を乗せる。
「エルシアも決して強い訳じゃない。ルーリアも、俺だってそうだ。今は離れてしまっているが、一人ではないことを忘れずにいて欲しい。俺はいつでもルーリアのことを思っているぞ」
ガインは寂しそうな金色の目を優しく細め、ルーリアをじっと見つめていた。
「……はい。お父さん」
しっかりと頷き、ルーリアはガインの脚から下りる。ガインに会うためにたくさんの人が集まっているのに、いつまでも邪魔をする訳にはいかない。
自分の部屋に戻るか? と尋ねられたが、ルーリアは首を横に振った。少しでもガインと一緒にいたかったから、というのは自分だけの秘密だ。
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