第63話 豪邸という名の別世界


 ……何でしょう。すごく耳が……痛い?


 ルーリアが目を覚ますと、周りに音が溢れていた。自然の音ではなく、何のものとも言えない不思議な音が、あちこちからする。

 たくさんのものが一斉に動いているような、でもその全部が生き物ではないような。

 遠くからも近くからも、たくさんの音が途切れることなく耳の中に飛び込んできた。


 ……わ、何これ?


 次に目についたのは、いろんな色の家具だった。

 どれも自然な木の色をしていない。

 白や淡いピンクといった様々な色に染まっている。


 どうしてこんな色なのだろう?

 なぜこの部屋は木の匂いではなく、花の香りがするのか?


 ……どこにも花なんて見当たらないのに。


 寝かされていたベッドもルーリアの知っている物とは違っていた。


 ……すごい。


 一人で眠るには、あまりに大きい。

 四隅には装飾の施された細い柱があり、天蓋付きで豪華な厚めの布で覆われている。

 柔らかな枕が四つと綺麗な刺繍がされた掛け布もあり、ベッドだけで立派な個室のようだ。


 ……ここは、いったい?


 ベッドから下りた足元には、びっくりするくらいふかふかの絨毯が敷かれていた。

 そこに描かれた模様は洗練された絵のようだ。

 どんなに周りを見回しても、ルーリアの見慣れた物は一つもない。

 ひと言で言ってしまえば、別世界だった。


 ふと、フェルドラルの姿が見えないことに気がつく。別に寂しいとか、そういうのではない。

 ガインからも念のため、フェルドラルからは目を離さないように言われていたのだ。

 どこで何をしているのか、問題を起こしていないか、それが気になった。


 それと、ここはなぜか異様に空気が重い。

 注意深く見てみると、部屋のどこにも風がなかった。ルーリアはいつも自分の周りに風を感じていたのだが、どこにでもあるはずの空気の流れがここでは感じられない。


 ……うーん、どうしましょう?


 部屋から出てもいいのか、ダメなのか、それが分からない。ルーリアはしばらくの間、ベッドの隅っこで小さくなっていた。

 服の上から腕を触り、身に着けていた腕輪を確認する。


 ……うん、大丈夫。ちゃんとある。


 これさえあれば、とりあえず他の人には自分が人族に見えるはずだ。


 ここがユヒムの家でいいのだろうか?

 ひと目で分かる部屋の豪華さに不安を感じる。

 馬車の旅の途中で泊まった宿とは大違いだ。

 机も椅子も触れてはいけない芸術品にしか見えない。


 起きた時に騒がしく感じた音は耳が慣れてきたのか、あまり気にならなくなっていた。

 今では逆に、シンと静まり返っているように感じてしまう。


 このまま、ここにいていいのだろうか?

 時間が経つにつれ、ルーリアはだんだん心細くなってきた。


 靴を履くのも忘れ、柔らかい絨毯の上を歩いて扉へ向かう。ピタッと耳をつけ、外の音を窺った。

 話し声や人の歩く音などは聞こえてこない。


 ここから出ようか、どうしようか。

 扉に寄りかかり、しばらく考える。

 すると突然、勢いよく扉が開かれ、支えを失ったルーリアは尻もちをついて転がってしまった。


「ぁ、ぃたたたぁ……」


 ごろんと床に転がったまま見上げると、開いた扉の向こうにはフェルドラルと初めて見る女の子が立っていた。


「姫様!?」

「まぁ! 大丈夫ですか、ルーリア様!?」


 ……? 誰でしょう?……様?


 床に座り直して首を傾げると、その女の子は丁寧な仕草でお辞儀をする。


「この様な形でのご挨拶をお許しください、ルーリア様。私はフィゼーレと申します。兄がいつもお世話になっております」


 あ。この人が、フィゼーレさん?

 ユヒムさんの妹の。


 柔らかそうな灰色の髪の毛先が肩で丸く巻かれている、とても上品で可愛らしい女の子だった。

 瞳の色はユヒムと同じ海の水宝色アクアマリンで、ルーリアより少しだけ背が高く、優しそうな雰囲気である。


「ルーリア様、おケガはありませんか?」

「あ、ありがとうございます。大丈夫です」


 フィゼーレから差し伸べられた手を取り、立ち上がる。馬車の中でも話を聞いていたから、初めて会った気はしなかった。

 けど、それでもちょっとだけ緊張する。


「初めまして、ルーリアです。フィゼーレさんにお会い出来て嬉しいです。こちらこそ、ユヒムさんにはいつもお世話になっています」


 魔虫の蜂蜜屋を訪ねてきた人へ向けるように挨拶を交わしていると、ふるふると身体を震わせ、熱い視線を送ってくるフェルドラルが視界の片隅に映った。


「…………尊い」


 なんか聞こえた。


「……フェルドラル?」

「美少女同士の出逢いというものは、こうも尊いものなのですね」


 両手の指をがっちりと組んだフェルドラルの目は、遠いところにあるようだ。そこには触れてはいけない気がしたので放っておく。


「前触れもなく、突然、お部屋をお訪ねしてしまい、大変失礼いたしました。本来でしたら兄からの紹介を待つべきだったのですが、フェルドラル様から今すぐに、と強くお勧めをいただきまして……」


 フィゼーレは申し訳なさそうに、急に部屋を訪ねてきた理由を教えてくれた。

 フェルドラルに無理やり連れてこられたらしい。やっぱり問題を起こしていたようだ。


 頬に両手を当て、満喫した顔をしているフェルドラルにルーリアはジトッと目を向けた。

 そんな視線を物ともしないフェルドラルは、思い出したように手にしていた物をルーリアに押しつける。


「ああ、そうでした。姫様、このフィゼーレとやらが姫様にと、こちらを用意していたのです。さっそくお召し替えをなさってみてください」

「え? これ……服?」


 興奮気味なフェルドラルから渡されたのは、ヒラヒラした複雑な形の服だった。

 頭から被って袖を通すだけの単純なルーリアの服とは全く違う。


「着替えって……」


 必要? ルーリアは説明を求めるように、フィゼーレに視線を向けた。


「しばらくの間、ルーリア様がこちらに滞在されると兄から伺いまして。ルーリア様のお好みもあるかと思いますが、お着替えの方もご用意させていただきました。他にも日用品などを取りそろえましたので、後ほど運ばせていただきますね」


 にこりと笑顔を浮かべたフィゼーレは、笑顔の裏で押しが強そうな雰囲気がユヒムとよく似ていた。さすがは兄妹である。


 ルーリアがオルド村で眠っていた時、すでにユヒムはフィゼーレに生活に必要な物を準備するよう指示を出していたらしい。

 その話を聞いたフェルドラルは、ルーリアが起きるのを待たずに、どんな物があるか先に見に行っていたという。


「あの、フィゼーレさん。いろいろ準備していただいてありがとうございます。ですが、その、すみません。名前を様付けで呼ばれるのは、ちょっと……。出来れば違う呼び方で呼んで欲しいのですが」

「あら、それはお受け出来ませんわ」


 ふんわりとした笑顔のまま、ピシャリと断られた。きっぱりと言い切る辺り、さすが商人の娘だと思う。ルーリアは思わず気圧された。


「……あの、でも、ここにいさせてもらうだけでも助かりますのに。そんな風に名前を呼ばれる訳には……」

「まぁ、それは逆ですわ。兄や私たちは、いつもルーリア様とそのご家族に助けていただいているのですから。この程度のことをさせていただいたからといって、ルーリア様がお気になさる必要は全くございませんわ」


 ……え? 何かしてましたか、ウチの家族。


「えっと、そこまで言ってもらえるようなものが何も思い当たらないのですが?」

「まぁ。兄からお聞きしている通りの方ですのね、ルーリア様は」

「……あの、わたしはユヒムさんから何と言われているんでしょう?」


 ちょっと怖いけど、気になった。


「兄からは無欲で慎ましく、儚げで優しい淑女のかがみのような方と伺っておりますわ」


 …………だ、誰の話ですか、それ?


 ちょっとユヒムを呼んできて、何を考えているのか問い詰めたくなった。

 これはすぐに訂正しなくては。


「フィゼーレさん。その、ユヒムさんがフィゼーレさんに、わたしのことをどう話していたのかは分かりませんけど、わたしはそんな立派な人ではありません。無欲ではありませんし、優しくもないです。儚げ……は、身体が弱いから、そう見えることもあるかも知れません。ですが、少なくとも淑女ではないです」


 ルーリアの言葉を聞いたフィゼーレは、静かに頬に手を添えた。


「まぁ、そのようにご謙遜なさって……。それよりも、ルーリア様が無欲ではないとおっしゃられるのでしたら、何か欲しい物がお在りなのですね? それが何か、私に教えていただけますか?」


 きらきらと目を輝かせたフィゼーレが、ずいっと身を乗り出す。


 ……ま、まずい。


 ルーリアは冷や汗を浮かべた。

 何か欲しい物を言わないと、このままでは嘘をついたことになってしまう。


 ……うーん。欲しい物、欲しい物……あ!


「あ、あの、聞いても笑わないですか?」

「もちろんです」


 軽く頬を染め、もじもじするルーリアにフィゼーレは力強く頷いた。


「……そ、その、わたしは……タルトが、欲しい、です」


 消え入りそうなルーリアの声に、フィゼーレはキョトンとする。


「タルト、とは、お菓子のタルトですか?」

「……そう、です。前に一度、アーシェンさんからもらって食べたことがあって。その、わ、忘れられなくてっ」


 自分の欲しい物を口に出して伝えるなんて、もう恥ずかしくて消えてしまいたい。

 ルーリアは顔を真っ赤にして、心の中で身悶えた。

 しかし、そんなルーリアとは逆にフィゼーレは真剣な表情となっていく。


「タルトですね、かしこまりました。ルーリア様のご所望ですもの。全力で手配いたしますわ」


 そこにいるのは標的を定めたような、キリッとした商人の顔のフィゼーレだった。

 ふんわりとした雰囲気は、もうどこにもない。


 ……ぜ、全力!?


 フィゼーレの宣言にルーリアは慌てた。


「えっ、な、何をするつもりですか!?」

「ルーリア様がお気に召すタルトを世界中から探し出してみせますわ。まずはアーシェンさんにお話を伺わなくては。ルーリア様、少しお時間をいただきますね。お部屋の方には、また後ほどお邪魔させていただきます」


 フィゼーレはそう告げると、くるっときびすを返し、そのまま部屋を出て行ってしまった。


 …………え、えぇえぇぇえ!?


 もしかして自分は、とんでもないことを言ってしまったのだろうか。フィゼーレが出て行った扉を見つめ、ルーリアは激しく動揺した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る