閑話2・小さな誓い―前


 ユヒム・ケテルには、生まれながらに枷がはめられている。どんなに望んでも短命となる、決して外せない重い枷だ。


 ──邪竜の呪い。


 それは心臓部から徐々に広がり、細い枝を伸ばすように黒く身体をむしばむ。

 やがて全身を石に変え、少しずつ崩していくという恐ろしい呪いだ。


 ユヒムは今年で17歳になる。


 同じ呪いを掛けられたある剣士の子は、生まれてから15年ほどで、その短い生涯に幕を下ろしたという。


 自分はあと何年持つのだろう。

 魔力も持たない、ただの人族の商人だ。

 特別な力がある訳でも、長命な種族でもない。


 自分の最期はどうあるべきか。

 どうすれば綺麗に終えることが出来るか。

 ユヒムは常にそればかりを考えている。

 自分のことまで感情を外して客観的に見てしまうのは、商人の悪いクセだ。



 実家のケテルナ商会は、ダイアランの首都ダイアグラムに本店を置き、支店は7か国にある。

 末端まで入れれば、その店舗数は4 けたを超すだろう。ユヒムはそこの行商を担当している。


 家族は四人。父のギーゼと母のエイダ。

 それから3歳下の妹、フィゼーレがいる。

 本店の跡継ぎは妹のフィゼーレだが、まだ14歳と若いため、執事のルキニーや家の者たちに支えてもらっていた。親戚は多い。


 本来であれば長男であるユヒムが本店にいるべきなのだが、商いだけをして店で大人しくしているなんて、ユヒムの性には合わなかった。


 父のギーゼが開業したケテルナ商会は、今では取り扱う品種も様々で従業員の数もそれなりにいる。地上界では名の知れた商業団体の一つとなっているが、ここまで大きくしたのはギーゼとユヒムだった。


 元々ケテルの血筋は行商人とその護衛の流れを汲んでおり、他国にも親戚がいる。

 主に物品の物流と販売を行っており、取り扱う品は多岐にわたっている。ただその中でも特例なのは、何といってもルーリアたちの作る『魔虫の蜂蜜』だった。


 万能回復薬と呼ばれる『魔虫の蜂蜜』。

 体力、魔力、毒、病気、ケガ。それらを瞬く間に治してしまう、素晴らしくも恐ろしい秘薬とも呼べる究極の甘露。

 残念ながら呪いには効かないが、値が張る高級品だ。


 父のギーゼと古くから付き合いのあるガインは、その希少な魔虫の蜂蜜を惜しみもせず、ユヒムたち家族ともうひと組の家族、アーシェン・ビナーの家にも無償で与えてくれていた。


 アーシェンの家も同じく、ビナーズ商会という商業団体を構え、ケテルナ商会と似たような業種にある。その関係は屋敷が隣同士というだけでなく、仕事上でも密接な協力関係にあった。単に父親たちが元同僚の親友同士で仲が良かったからだ。


 アーシェンの家も四人家族で、父のシャズール、母のココ、ユヒムの妹と同い年の弟、イルギスがいた。ビナーズ商会の方も、弟のイルギスが本店の跡継ぎとなっている。


 アーシェンもユヒムと同じで、大人しく店にいる気はないらしい。女性ながらもたくましく、現在はユヒムと共に各地を旅して回っている。


 そのせいで最近ルーリアから、二人は付き合っているのか? と、おかしな質問をされた訳だが。



 ◇◇◇◇



 ユヒムとアーシェンが初めて会ったのは、魔虫の蜂蜜を作っているという、ミリクイードの森の中にある一軒の山小屋の中でだった。


 父親に付いて回り、行商の勉強を始めたばかりだったから、確かユヒムが5、6歳くらいの頃だったと思う。家が隣同士なのに、会うのはこれが初めてだった。

 互いに外面が良かったため、これといって第一印象などは記憶に残っていない。


 ……うわ。全部、剥き出しの木で出来てる。


 魔虫の蜂蜜屋だと教えられた山小屋は、丸太を組んだだけの質素な造りだった。中は木の匂いと蜂蜜特有の甘い香りがする。

 都会で屋敷育ちだったユヒムとアーシェンは、自然の中にいるというだけで普段は見せない子供の顔となっていた。押さえつけていた好奇心が顔を覗かせる。


 山小屋に住んでいた蜂蜜屋の親子は、服装も質素で素朴に暮らしているような人たちだった。

 だけど子供ながらにも、なぜかその人たちに人を惹きつけるようなものを感じてしまう。

 身なりは素朴なのに、それに似合わない気品を感じるというか。何となく、自分の家にいる大人たちとは何かが違う気がした。


 それに、父のギーゼはその夫婦を様付けで呼び、子供のことは『姫様』と呼んでいる。


 魔虫の蜂蜜屋の一人娘、ルーリア姫。


 ユヒムも父に倣い、三人を様付けで呼んだ。

 エルシア様、ガイン様、姫様と。

 だけど、その夫婦は自分の親よりもずっと若く見えたため、初めの内はその呼び方にも戸惑っていた。


 正直に言ってしまえば、母親と娘は姉妹にしか見えないし、蜂蜜屋は様付けをするような職業ではないと思う。暮らしぶりだって、その辺りの農家みたいなのに。……亡命してきた他国の王族、なんてことはさすがにないだろうけど。


 姫様と呼んでいる子とは、今までに何度か会ったことがあった。絹みたいになめらかな艶のある黒髪と、紫黒曜オブシディアンの瞳の神秘的な雰囲気を持つ綺麗な子だ。


 だけど、ほとんど話をしたことはなく、可愛らしい人形のような、上品でおっとりとした性格だと感じていた。活発そうなアーシェンとは対照的だ。この頃からアーシェンとは家でも山小屋でも、たまに顔を合わせるようになっていた。



 行商の勉強とは言っても、ユヒムもアーシェンもまだ幼い。見聞きして覚えることもあるが、ただ親に付いて回るだけの時も多かった。

 それに商談中は邪魔にならないよう、大人しくしていなければいけない。父親たちがガインと商談部屋で話し込んでしまうと、途端に暇を持て余した。


 そんな時、同じように暇そうにしていたアーシェンからユヒムは声をかけられる。


「ねぇ、ちょっとだけ森の方に探検に行ってみない?」

「いいね。行ってみよう」


 退屈だったユヒムは、すぐにアーシェンの誘いに乗った。

 しかし、この時のユヒムたちは何も知らなかった。この家の周りにも魔物が出るということを。

 そしてそれよりも、森にいる蜂たちが恐ろしい魔物である、ということを。



 ◇◇◇◇



 森へ向かう途中、ユヒムたちは花畑の中にルーリアを見つけた。

 服が汚れるのもお構いなしに、ルーリアは一生懸命に花の手入れをしている。肘から下を泥だらけにして、柔らかそうな色白の頬に乾いた土汚れを付けて。


 二人に気付くこともなく、小さな手でひたむきに畑仕事をしているルーリアを見て、ユヒムは思った。


 ……あれで、姫? 泥だらけのただの農家の子じゃないか。


「やだ、服が泥だらけじゃない」


 アーシェンも同じことを感じたらしい。

 あまり良い顔はしていない。


「どうする? 声をかける?」

「いや、いいよ。行こう」


 二人はルーリアに挨拶をすることもなく花畑の横を通り過ぎ、そのまま丘を越え、さらに森の奥へと足を進めた。

 しばらく進むと辺りは鬱蒼うっそうとした木々に囲まれ、葉のざわめきが大きくなっていく。子供二人を心細くさせるには十分な雰囲気となっていた。


「……少し、怖いね」


 アーシェンが身を縮めて辺りを警戒する。

 遠くからは悲鳴に似た鳥の鳴き声が響いてきた。


「森の中なんて、どこもこんな感じじゃないかな? あんな大人しそうな子が近くで畑仕事をしてるくらいなんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だって」


 ユヒムが明るく言うと、アーシェンも少し安心したような顔になった。


「そ、そうだよね。私よりもあの子の方が、ずっとか弱そうに見えたもんね」

「まぁ、でもけっこう歩いたし、そろそろ戻ろうか。父さんたちの話も終わってる頃だろうから」


 そう言ってユヒムが引き返そうすると、くんっとアーシェンに服の端を掴まれた。


「? どうかした?」

「…………ね、ねぇ。何か、聞こえない?」


 怯えた顔で言われ、ユヒムも耳を澄ます。

 すると、かすかに低く、森のざわめきではない音が聞こえたような気がした。


「……何だろう。とりあえず森を出よう」


 不気味な音の正体が分からず、言葉にならない緊張が走る。この時すでに嫌な予感はしていた。

 森の外へ向かって足早に駆けて行くが、その音は明らかに自分たちに向かって近付いてきている。


「ね、ねぇ! これって……!?」

「迷うな! 走れ!!」


 足がもつれそうになりながら、ユヒムたちは全力で走った。しかし、子供の足で逃げ切れるはずもなく。二人はすぐにその音に追いつかれてしまった。


 ブンッ……ブブッブ……ブブブッブブ……


 飛び交う黄色と焦げ茶色の群れ。

 魔虫の蜂の目は紅い攻撃色に光り、その腹先にある鋭い針からは、鈍い色の毒液が滴っていた。

 ユヒムたちを囲うように広がった蜂たちは、じっくりとその距離を詰めてくる。


「……ひっ」


 アーシェンは短く悲鳴を上げ、目の前の恐ろしい光景に立ち竦んだ。ユヒムはアーシェンを庇うように前に立ち、足元にあった太い木の枝を拾う。


「アーシェン、大きい木の所までゆっくり下がるんだ。それを背にすれば、前だけ見れば良くなる」

「……う、うん」


 ユヒムとアーシェンは呼吸を抑え、一番近くにあった大きい木の所まで下がり、ぐるりと囲む蜂たちと正面から睨み合う。

 数え切れない数の蜂に、思わず息を呑んだ。


 ……なんて数だ。


 蜂たちはすぐに襲ってはこなかったが、ユヒムたちから攻撃してこないと分かると、たちまち激しい羽音を立て始めた。


「…………来るぞ!」


 直後、蜂たちの攻撃が始まる。

 ユヒムは前面に立ち、近付いてきた蜂を思いきり木の枝で叩いた。アーシェンは水魔法で膜を張り、自分たちを囲って防御する。


 しばらくの間、一進一退の状態が続く。

 だが、所詮は子供と強靭な魔物。

 初めの内は良いように見えていても、まともな勝負になどなるはずもなかった。そもそも相手の数が多すぎる。


 ユヒムは体力が失くなり、アーシェンの魔力も残りわずかとなってしまった。それなのに、目の前の蜂の数は全く減ったように見えない。


 このままでは二人ともやられてしまう。

 逃げ道もなく、絶望的な状況だった。


「…………もう、無理だよ」


 アーシェンが悲痛な声で諦めの言葉を口にする。しかし、ユヒムは諦めていなかった。


「アーシェン、自分だけならまだ囲えるだろ? それで出来るだけ遠くまで逃げるんだ。オレが、囮になる!」


 もっと早くこうすれば良かった。

 アーシェンの魔力がもっとある内に。


 自分の考えの足りなさを後悔しながら、水の囲いの外に出たユヒムは、まっすぐ蜂たちに向かって行った。


「ユヒムッ! 何をバカなことを!!」


 アーシェンの叫び声を背中で聞く。


「いいから! 早く逃げろ!!」


 ユヒムが怒鳴ると、アーシェンは瞳いっぱいに涙を溜めた。


「そんなこと……出来るわけないよぉッ!!」


 叫ぶと同時に地面に両手をつき、アーシェンはユヒムの周りを大きな炎で囲った。蜂たちは炎を避け、ユヒムから距離を取ってザァッと広がる。


「アーシェン!!」


 魔力を使い過ぎたのか、アーシェンは自分で立つことも難しそうな顔で片膝を立てた。

 ユヒムはそんなアーシェンを抱きかかえて走る。


 ──炎が消えない内に、少しでも遠くへ!!


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