第53話 つける薬のない病


「そういえば、キイカのことだが」


 説教され、フェルドラルの腕の中でちっちゃくなっているルーリアに、ガインは思い出したように切り出す。


「これは正直に言えば、ルーリアにはあまり聞かせたくない話なんだが……」

「過保護。親馬鹿」

「……ぐ……っ」


 出だしからフェルドラルに突っ込まれ、話し辛そうにしていたガインは開き直った。


「まぁ、いい。実はキイカの交際相手についてだが、ルーリアはもう会ったのか?」

「あ、言われてみれば。わたし、まだ会っていませんでした」


 キイカさんの好きな人。

 いったい、どんな人なんでしょう?


「キイカから何か聞いているか?」

「何か、ですか? う~ん。一緒に幸せになりたいとしか……」


 詳しく知らない様子のルーリアに、ガインは胸を撫で下ろすように小さく息を吐く。


「そうか。いいか、ルーリア。キイカの交際の話に、お前は関わるな。話を聞くのも止めてもらいたい」

「何かあったんですか?」

「あれは──」


 ガインは言葉に詰まり、視線を泳がせた。

 キイカの恋は、早い話が妻子ある男の浮気である。それをルーリアに知られたくなくて、ガインは悩んでいる。


「姫様、男がこの手の話でこういう顔をしている時は、大抵が色恋沙汰の良くない話です。あの娘の相手が、きっとろくでもない男なのですわ」

「……ろくでもない?」

「ええ。姫様はご自分の両親以外の恋の話を何かご存知ですか?」


 ……恋の話。


「他の人の話は知りません。お父さんたちの話も詳しく聞いたことはないです。最近、ユヒムさんとアーシェンさんが仲良いなぁ、ってくらいで」

「ほぉ……」


 フェルドラルの冷たい視線を受け、ガインは目を逸らした。ルーリアの心の中にガインの言葉があまり残っていないことは、フェルドラルも気付いている。親の顔をしたがるくせに、言葉が全然足りないのだ。


「……この父親がヘタレなのは分かりました」


 ガインを見限り、フェルドラルはルーリアに視線を戻した。


「男女の仲は互いに好意を持ち、一緒になれれば幸せと言えます。ですが、そう上手くはいかないのが恋というものです」

「……何かあるのですか?」


 フェルドラルに話を譲り、ガインは腕を組んで見守るポーズを取っている。


「人は好きになると盲目になる、ということです。周りが見えなくなるのですわ。例え相手にひどいことをされたとしても、好きになってしまうとそれを簡単に許してしまうのです」

「……それは、幻覚ですか? それとも魅了? 魔法で解除は出来ないのですか?」

「恋が厄介なのは、薬も魔法も効かないということなのです」


 ……薬も、魔法も。


 それなら確かに、ルーリアにはどうしようもない。出来るとしたら、ひどいことをしている相手を懲らしめることくらいだが、それがキイカのためになるとは思えない。


「……では、キイカさんはずっと辛いままなのですか?」

「いいえ。解決法が全くない訳ではないのです」

「それは何ですか?」


 キイカを助けたいルーリアは身を乗り出して尋ねる。


「厄介な恋の解決に必要なのは、時間です」

「……時間?」

「時が経つことだけで解決することが多いのです。今回の件も恐らくそうなのですわ」

「つまり、待つだけ、ですか? 何もしないのですか?」

「何もしないのではなく、出来ないのです」


 ……何も、出来ない。


 別れるのであれば、その心の傷が癒えるために時間がかかり、また恋を貫くと決めても、いろんなことに時間をかけ、じっくりと考える必要があるとフェルドラルは言う。

 どちらにしても時間が必要らしい。


「解除に時間がかかる呪いみたいですね、恋って。……分かりました。わたしはキイカさんの話には関わりません」


 恋をしたことがない自分では、きっと何もしてあげられない。そう思ったルーリアは、自分から話を聞いたりすることを止めた。

 周りから反対される恋をするのは、とても切なくて、苦しくて、すごく悩むことなのだと思う。キイカが話をしたくなった時に聞いてあげればいい。


 結局、キイカの交際相手について、ルーリアが詳しい話を知ることはなかった。

 今回の件で、ガインの中のフェルドラルに対する評価は『偉そうな変態』から『役に立つ変態』に変わっている。



 その後、ルーリアはオルド村に来た経緯などをガインに詳しく伝えた。


「結界から抜け出た理由については、キイカから聞いている。まさか、そんな方法で通り抜けが出来るとは思ってもいなかったが」

「わたしもです。あの時は中に戻れなくて本当に焦りました」


 許可証を持つ者と手を繋いで結界を通り抜ける。そんなことは誰も考えたことがなかった。


「その辺りは、すぐにでもエルシアに連絡をしよう」

「はい、お願いします。……あの、お父さん」

「何だ?」

「フェルドラルのことはどうしましょう? キイカさんに名前も姿も知られてしまいました」


 今は自分の恋に夢中になっているため、キイカはフェルドラルのことを何とも思っていないようだ。こんなに変なのに、変身好きなルーリアの知り合いくらいに思っているのかも知れない。

 だけど、ミンシェッド家に関わることである以上、このまま放置する訳にもいかなかった。


「俺も実は困っている。さすがにエルシアの魔法でも、そこだけ記憶を消すことは出来ないだろうからな」

「ですよね」


 そんな話をしていると、フェルドラルが自信たっぷりの笑みを浮かべた。


「んふ。わたくしなら出来ますよ」

「えっ!? 記憶を消せるんですか?」

「それは本当か?」


 記憶も時と一緒で、魔法ではどうにも出来なかったはず。……ということは、スキル!? 武器なのに!?


 ガインとルーリアは顔を見合わせ驚いた。


「記憶を消すというと語弊があるのですが、わたくしは自分に関する記憶を相手から抜くことが可能です。ただし辻褄を合わせるため、その者には失った分の埋め合わせとして、おかしな情報が残ったりはしますが」

「そんな便利なことまで出来るなんて。魔術具の武器ってすごいんですね!」


 普通の魔術具の武器にそんなことが出来るはずもないのだが、他の武器を知らないルーリアはいろいろと勘違いをしていた。


「お父さん、どうしますか?」

「…………そうだなぁ」


 ガインはしばらく悩んだ末、ダーバンとキイカからフェルドラルに関する記憶を抜くことにした。


 その結果、キイカの中でフェルドラルは、ルーリアの供として付いて来た下働きの人族の女性となり、鹿での移動は魔術具を使用したことに変わっていた。ダーバンも同じく、フェルドラルのことを蜂蜜屋の下働きの者だと思っている。

 少し心配だったが、特におかしな記憶は残っていないようだった。


 蜂蜜が行き届いた村では病も治まり、村人たちも落ち着きを取り戻しつつある。自分たちの役目は終わったと、ガインは村を出ることにした。


「じゃあ、あとのことは頼んだぞ」


 ガインが村に残るダーバンたちに声をかけると、キイカが勢いよく頭を下げた。ダーバンもそれに続く。


「ガイン様、お父さんを助けていただいて本当にありがとうございました」

「落ち着いたら、また店の方に寄らせてもらいます。娘が手間をかけました」


 そしてその別れ際、キイカはルーリアの側に寄ると誰にも聞こえないように、そっと耳打ちをしてきた。


「……あの、ルーリアさん。下働きの人と……しかも女性同士だなんて、すっごく大変かも知れないけど、私は応援します。愛の形は一つじゃないって、私、そう思っていますから。お互い辛い恋かも知れないけど、頑張りましょ!」



 ………………は、い?


 キイカの中にいったい何の、どんな記憶が残ったのか。想像するのも確認するのも恐ろしいから、ルーリアは何も聞かずに村を後にした。


 ……だ、大丈夫、ですよね? 放っておいても。




 人目につかない場所まで移動した五人は音断の魔法を掛け、これからの予定について話し合うことにした。


「ルーリア。済まないが当分の間、お前は家に帰れない。今のお前では結界の中に入れないんだ」

「…………え……。帰、れない……」


 渋い顔をしたガインの言葉で、すっかり家に帰るつもりでいたルーリアは頭の中が真っ白になった。


「……か、帰れないって……どうしてですか?」


 ガインはユヒムたちと視線を交わし、動揺するルーリアを落ち着かせるようにゆっくりと話し出す。


「まず、お前が結界の中に入るためにはエルシアがいなければならない」


 結界はエルシアにしか操作できない。

 今の状態では森に戻っても中に入ることは出来なかった。


「……そういえば、そうでした」

「魔物討伐の依頼は、これから最も忙しい時期を迎える。この前、呼び戻したばかりだから、エルシアが帰ってくるにはしばらく時間がかかるだろう」


 しばらく。……その間、どうしよう。


 この広大な外の世界に、安心して居続けられる場所があるのだろうか。身を潜める場所も、雨風を凌げる場所も、ルーリアは知らない。


 …………どこにも、居場所がない。


 それに気付いてしまった途端、ルーリアは言いようのない不安に襲われた。いつもなら心配をかけまいと表情を隠すのに、そんな余裕はどこにもない。込み上げてくる心細さに、じわりと涙がにじんでいく。


「心配しなくても大丈夫だよ、ルーリアちゃん。ルーリアちゃんにはダイアランのオレの家に来てもらうから」


 泣きそうになっているルーリアの目線に合わせてかがみ、ユヒムは慌てて優しく声をかけた。


「えっ!? ユヒムさんの……家?」


 人を頼るという発想がなかったルーリアが驚いた目で見つめると、ユヒムは力強く頷いた。


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