第38話 追憶の勇者


 邪竜の呪いの話を聞いた後も、ギーゼたちが取り乱すことはなかった。

 もしかしたら勇者の仲間の話をどこかで聞いていたのかも知れない。それとたぶん、ずっと前から覚悟をしていたのだろう。


 その後、二人は婚約者とも十分に話をしたと言っていた。呪いのことを聞いても気持ちが変わらない相手を選んだ二人は、さすがと言うべきか。

 子供は出来てみないと分からないけど……と、そろって照れくさそうに笑っていた。

 それについては、ガインもエルシアも口を挟むつもりはない。選ぶのは本人たちだ。


 ただ、二人に対して自分たちが決めたことを、しっかりと伝えた。もしもこの先、二人が子を授かったなら、自分たちに出来る全てで応えると。我が子同然とし、いつまでもその成長を見守ると誓う。

 二人は真剣に話すガインたちを前に、静かに目元を押さえ、肩を震わせていた。




 それから3年後にユヒム、4年後にアーシェンが生まれ、そのさらに2年後にはユヒムに妹、アーシェンに弟が生まれた。


 それぞれが、邪竜の黒い呪いを受け継いで。


 子供たちは呪いについての話を親から隠すことなく聞いて育った。そのため、同年代の子供たちとは馴染むことなく過ごすことになる。


 ユヒムとアーシェンは父親の行商に付いて回り、少しずつ仕事を覚え、10歳の頃には転移の魔術具を使って一人でもある程度の行動は出来るようになっていた。


 ガインはユヒムたちに無償で魔虫の蜂蜜を譲り、その代わり『たまにでいいから』と、ルーリアの相手をしてもらっていた。

 最初は二人とも蜂蜜が無償であることに不満を漏らしていたが、『家族のためには必要なことだ』と、エルシアと一緒に何とか説得した。


 魔虫の蜂蜜を売って得る金は、確かに高額ではある。子供に持たせる額ではないのかも知れない。けれど、ほとんど金を使うことのない自分たちが持っているよりはと、ガインは商才がある二人の事業の後押しをした。

 人との縁にも恵まれ、今では両家とも世界有数の商会へと成長している。


 それと、最近では子供二人で一緒に行商をするようにもなった。……いや、もう子供と呼ぶ歳でもないか。


 その頃にはギーゼとシャズールは行商を引退し、ダイアランにある自宅の屋敷で事業の経理などを手伝うようになっていた。

 二人とも少しずつではあるが、身体が動かなくなってきていると聞く。

 オズヴァルトの仲間だった剣士は、黒い呪いを受けてから十数年で命を落としたという。

 なぜかギーゼとシャズールは、まだ石化も始まっていなかった。


 確証はないが、魔虫の蜂蜜のお蔭だろう、と二人は言う。念のために毎日欠かさず食べていたそうだ。同じように蜂蜜を摂らせている子供たちも、そこまで変色は広がっていないらしい。


 ガインが屋敷を訪ねると、ギーゼもシャズールも『家族や家の者に献身的に世話をされて肩身が狭い』と、朗らかに笑っていた。

 しかし、どんなに二人が明るく笑おうとも、ガインは自分を責め続けた。

 邪竜討伐の時に、してはいけない油断をしたと。


 そしてその事実は、今でも心の奥底に根深く突き刺さっている。

 だからガインは、自分以外のことには慎重になっていった。決してまっすぐではない道を、注意深く進むために。



 ◇◇◇◇



 ある日、オズヴァルトから一通の手紙が届けられた。

 この男の行動は、いつも突然だ。

 どういう伝手か分からないが、ユヒムが預かって持ってきた。


「勇者様からですか?」

「ああ。俺ではなくエルシア宛だろう」


 エルシアと共に神殿に行き、最後に別れてから、すでに12年が経とうとしていた。


「…………これは……」


 手紙の封筒の中には、この森に入るための魔術具が一緒に入っていた。エルシアに返す、という意味だろう。

 手紙に記されていたのは、別れてから今までの勇者とその息子の経緯だった。


 息子を次の勇者として厳しく育てたこと。

 7歳になった頃に呪いの症状が悪化したため、時の魔術具で身体の時間を止め、現在まで眠りに就かせていること。

 その後の数年間は呪いについて調べながら、勇者として全力を尽くしたこと。


 そしてもうじき、時の魔術具の使用期限が切れ、息子が目覚めること。


 目覚めた息子を神殿に連れて行って欲しい、と手紙にはあった。エルシアの手で、息子を勇者へと導いてやって欲しいと。


 ──勇者の引き継ぎ。


 それは、オズヴァルトが自らの生命を断つことで、息子を救う道を選択したことを意味していた。


 勇者は、そう簡単には死ねない。

 それこそ魔王に敗れるか、相打ちにでもならない限り天寿を全うする。


 勇者は状態異常にはならない。

 なっても時間が経てば、すぐに回復する。

 その特殊な能力を利用して、息子の呪いを解くことをオズヴァルトは選択したのだ。


 きっと、もうすでにオズヴァルトは──……。


 手紙を読んだエルシアは、ただ静かに涙を流していた。




 数日後。


 手紙で指定された場所で、エルシアは初めて息子のリューズベルト・タウセルに会った。


 輝く金色の髪に、透き通った深い青色サファイアの瞳。

 まだ幼さはあるが目鼻立ちの整った綺麗な顔で、ひと目で分かるほどオズヴァルトの若い頃にそっくりだった。


 連れてきたのは邪竜討伐の時にもいた、オズヴァルトの元仲間二人だ。何の説明もないまま連れてこられたリューズベルトは、戸惑った顔で辺りを見回していた。


「ここはどこだ? オレをどうするつもりだ!?」


 神殿に着いたリューズベルトは、警戒心を剥き出しにして激しく抵抗した。何をするにも説明を求め、素直に従うことはない。

 父親であるオズヴァルトに強制的に眠りに就かされ、起きたと思ったら、いきなり『勇者になれ』と言われているのだから無理もなかった。


「──ッ」


 しかし呪いで苦しそうにしているリューズベルトには、ゆっくり説明している時間も他の選択肢もなかった。

 神殿での引き継ぎは強引に行われ、結果としてリューズベルトは生命を取り留めることとなる。


 途中で意識を失い、目が覚めたら勇者になっていた。


「…………どうして……こんな……」


 尊敬していた父の姿がなく、自分がそれに取って代わっている。突然『お前が次の勇者だ』と言われても、とても納得など出来なかった。


 なぜ父さんは生命を落としたんだ。


 自分が勇者となったことで父の死を知ったリューズベルトは、その質問を周りに向けて繰り返し、真実を求めた。

 しかし、『息子には真相を知らせないで欲しい』とあったため、エルシアはリューズベルトにオズヴァルトの最期を伝えずにいた。

 かつての父の仲間で、今の自分のパーティメンバーでもある二人にも詰め寄ったが、のらりくらりとはぐらかされ、リューズベルトは今現在でも何も知らされていない。

 勇者として過ごす日々で、リューズベルトは疑心と不満を溜め込んでいった。


 オズヴァルトの手紙には、リューズベルトが勇者として自覚を持つまで助けてやって欲しい、ともあった。


 初めはガインが行こうとしていたが、エルシアに強く反対されてしまう。人族に変身したとしても、魔法が使えないガインでは、何かの弾みで正体がバレる危険性が高い。

 それにルーリアと蜂蜜のこともあるから……と、エルシアはガインが断れないように理由をつけた。

 ガインがどれだけルーリアを大切にしているか知っていたからこそ、二人が離れないで済む選択をエルシアはしたのだ。


 こうして勇者パーティに加わることとなったエルシアだが、もちろんエルフの姿ではなく、人族の姿に変身して参加していた。


 黒い髪と瞳の魔法使い。人族のエーシャ。

 見た目の歳は17、8といったところだ。


 後に人々から、勇者パーティの『黒魔女』と呼ばれるようになるのだが、あれから新しい設定が追加されたかどうか、ガインは何も知らない。



 ◇◇◇◇



 それから8年の月日が過ぎ、リューズベルトは15歳となる。最近では、ますますオズヴァルトに似てきていた。


 オズヴァルトの仲間でもあった者たちはパーティから去り、代わりに新しいメンバーが加わった。今では若い勇者パーティとして、世間には広く知れ渡っている。

 まだ少し未熟ではあるが、自分もそろそろパーティを離れても大丈夫だろう、とエルシアは考えていた。



 と、そんな風に、やっとの思いでいろんなことが落ち着きかけていたこの時期に、あの忌々しい邪竜の気配が再びこの地で確認されたのだ。

 ガインの神経が尖るのも当然のことと言えるだろう。


 あの日、倒れたルーリアは二日経っても目を覚まさなかった。寝ている間は蜂蜜も与えられない。ルーリアの魔力が眠り続けてどれだけ持つのか見当もつかなかったから、ガインはエルシアを呼び戻さずにはいられなかった。

 本心からではないとは言え、『勇者なんぞ放っておけ』と言ってしまったことは反省している。


「ルーリアから少しは話を聞けたのか? 何と言っていた?」


 自分には言い辛くても、エルシアになら何か話しているかも知れない。そう思い、ガインは尋ねた。


「ガインも直接ルーリアに聞けば良いではないですか。……もしかして、まだあの時のことを気にしているのですか?」

「……ぅぐっ」


 現状、ガインはルーリアと上手くいっていなかった。こうなってしまった原因が自分にあるのだから仕方がないとも言えるが。

 その様子を見て、エルシアは小さくため息をつく。


「ルーリアは何かをはっきりと見た訳ではなく、『闇を見た』と言っていました」

「……闇」

「ルーリアにも言いましたが、やはり邪竜の残された思念だったのではないでしょうか。今は問題ないと思いますよ。あと、念のために確認しましたけれど、ルーリアの身体に黒い変色は見当たりませんでした」


 変色はなかった、と聞き、ガインは軽く息をつく。いつまで経っても不安は消えない。


「……さっきは済まなかった。リューズベルトは最近どうだ?」

「勇者としては形になってきたと思います。まだ父親のことで拗ねている部分はありますけど、時が経てば落ち着くでしょう」

「…………そうか」


 エルシアはリューズベルトに対し、完全に保護者のような顔になっていた。リューズベルトもエルシアには割と素直でいるらしい。


「ルーリアはユヒムとアーシェンによく懐いていますね」


 そう言って、少し寂しそうにエルシアは微笑む。


「ああ。今はルーリアがアーシェンから料理を習っているぞ。……俺はそのことで、アーシェンからこっぴどく叱られたがな」

「料理を?……それで、なぜ、ガインが叱られたのですか?」


 小首を傾げ、エルシアはキョトンとする。


 ……料理のことは、お前も同罪だからな!


 それぞれの子の成長を喜びつつ、ガインは引きつった笑顔をエルシアに向けた。


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