第36話 親馬鹿と後悔


 エルシアたちが神殿に出発した、その日。

 ガインは真剣に悩んでいた。

 このことをルーリアにどう説明しよう、と。


「お父さん。お母さまはどこへ行ったのですか? いつ帰ってくるのですか?」


 自分と同じ幻惑の金色クライオフェンの瞳で、幼いルーリアが不安そうに尋ねてくる。

 無理もない。生まれて初めて母親から離れたんだ。不安にならないはずがない。


「いいか、ルーリア。エルシアは勇者と一緒に仕事に行ったんだ。えーと……悪いことをする人をやっつけ?……に行ったんだよ」


 ッ駄目だ! 説明がひど過ぎる!

 小さな子供にどう言えばいいんだ!?


 自分の言葉選びの最悪さに、ガインは思わず顔を背けたくなった。


「わるいことをする人? お父さんは行かなくてもいいのですか?」


 ぐっ。痛い所を……。


「俺は……アレだ。ルーリアと留守番だ。エルシアが帰ってくる、ここを守るのが俺の仕事だ。ルーリアも一緒に守るんだぞ」

「!……はい。わたしも守ります!」


 幼いながらも口を結び、決意を固めた目で小さな両手をグッと握る。可愛い。


 そんなルーリアの姿を見て、ガインも自分に出来ることを精一杯しようと思った。動いていないと不安に駆られるのは自分も同じだ。

 エルシアがいつ帰ってくるのか。

 それはガインにも分からない。


 トコトコと足元に来ると、ルーリアはガインのズボンを掴んで軽く引っ張った。それだけでガインの頬が緩む。とにかく可愛い。


「わたしもお父さんのおしごとをお手伝いしたいです」

「俺の仕事?」


 ……養蜂のことか?


 自分の仕事についてルーリアに詳しく話をしたことはない。だが、ガインが森へ行くことは分かっているようだ。


「わたしもお母さまみたいに、ハチをくるんてできます」

「蜂をくるん?…………ん? ルーリアは蜂を知っているのか?」


 ちょっと待て。なんでルーリアの口から『蜂』なんて単語が出てくる?


「しっています。お母さまといっしょに行きました」


 そう言ってルーリアは得意げな顔で、むん! と小さな胸を張る。


 なッッ!? いったい、いつの間に!?

 小さい子供に魔物の蜂は危険だろうが!


 どうやらエルシアはガインの知らない内に、ルーリアを蜂の所へ連れて行っていたらしい。


「……んんー……。絶対に俺から離れないと約束できるか? 少し離れるくらいはいいが、見えなくなる所へ行くのは駄目だ」

「はい、わかりました。お父さんからはなれませんっ」


 力いっぱいに宣言して、ルーリアはガインの足にピタッと張りつく。


 ──!! くぁ、か、可愛い……!!


 イチコロだった。


 ……よし、連れて行こう! 俺がしっかり守っていれば何も問題はない!


 最近のルーリアは、ずっとエルシアにべったりだった。エルシアが神殿から戻れば、こうして一緒にいることもなくなるだろう。それに他にも自分の知らないことがあるかも知れない。

 陽が出ている間くらいなら、ずっと傍にいてやれる。他にもやることはあるが、そんなことはルーリアが寝ている間に済ませればいい。


 ……俺は少しでもルーリアと一緒にいたい!!


 ガインは完全な親馬鹿となっていた。



 ◇◇◇◇



 試しに、ルーリアを養蜂場となっている森へ連れて行ってみることにする。


「わぁっ、とおくまで見えます! お父さん、すごいです!」


 森に入るまで肩に乗せていたら、ルーリアはとても嬉しそうにはしゃいでいた。さすがのエルシアでも肩車は無理だろう。


 ……いや、あいつなら出来るか。魔法もあるし。



 森に着き、やっぱり魔物の蜂はまだ危険だと思い、巣箱に近付くのは止めておこうと考えたが、ルーリアは手伝いをすると言って聞かない。


「いやです! ちゃんと、やくそくしました! うそをつくなんて、お父さんはわるい人なんですか!?」


 ルーリアが頬を膨らませ、プイッと横を向く。

 誰に似たのか、意外と頑固だ。


 ……はぁ。本当に大丈夫か?


 仕方なく巣箱の近くまでルーリアを連れて行き、わずかに離れた所から様子を見守ることにする。


「いいか、絶対に無理はするなよ」

「はい。わかりました」


 人の気配を感じた蜂たちがザワつき、群れを成して飛んでくる。ここまではいつも通りだ。


清き風を身にまとえフィース・オ・レイス


 ルーリアが小さく呪文を呟くと、左手が光り若草色の風に包まれた。


「!!」


 あれは……風の魔法か!?


 まさかルーリアが魔法を使えるとは思っていなかった。昼間は魔力の流出がないとは言え、魔法を使っても平気かどうかガインは知らない。

 血の気が引くのを感じながら、ガインは慌ててルーリアに声をかけた。


「おい、ルーリア! 魔法は使ったことがあるのか!?」

「ないです。でも、だいじょうぶです」


 なん……だと!?


「大丈夫な訳あるか! 一度離れるぞ!」


 目前まで迫った蜂たちからルーリアを奪うように引っ掴まえ、ガインは一旦、森の外へ出ることにした。




「……はぁ。ルーリア、初めてすることは必ず試してからじゃないと駄目だ。ぶっつけ本番で蜂は危ないと思うぞ」

「でも、いつもはくるんて……」


 仕事を手伝う気満々でいたルーリアは、途中で止められて不満顔だ。


「いつも? 魔法は初めてなんだよな?」

「まほーははじめてです。でも、お願いはいつもだいじょうぶだったから……。ダメですか?」


 ルーリアが何を言っているのか分からない。

 分かるのは「ダメですか?」の仕草が可愛かったことくらいだ。


「ルーリア、『お願い』ってのは何だ?」

「お願いはこれです」


 そう言って、ルーリアは左手にさっきと同じ風魔法を出した。呪文は口にしていない。

 無詠唱魔法のことか! と気付く。


 無詠唱魔法は生まれ持った属性であれば、長年修行した末に使えるようになると聞いている。

 普通は詠唱魔法を覚えてから、無詠唱に移っていく流れだった気がするのだが……?


「…………」


 なんでルーリアは先に無詠唱魔法を使ってるんだ? 修行の話はどこ行った?


 ガインの頭の片隅に、エルシアの笑顔が浮かんで消えた。無詠唱魔法はエルシアがよく使う。

 もしかしたらルーリアは、エルシアが使っているところを見て覚えてしまったのかも知れない。


 …………天才か。


 しかし、そんな親馬鹿な考えを持つのと同時に、胸の中には複雑な思いが広がっていった。

 実はガインにとって無詠唱魔法は非常に厄介な存在なのだ。


 相手が呪文を唱えていれば、『あ、来るな』と分かるが、黙って使われると心臓に悪い。

 ケンカ……とまではいかないが、エルシアに「やるなら先に言え」と、何度言ったか数え切れない。

 そう考えると、ルーリアがミニエルシアに見えてきた。『小さな天災』だ。


「……なるほど。それで、ルーリアは魔法とお願い、どっちが疲れないんだ?」

「……まほー? だとおもいます」


 曖昧な返事のところを見ると大して差はないのだろう。魔法であれ、お願いであれ、今のルーリアが使うのは危険な気がした。


「ルーリア。エルシアと来た時は、お願いで蜂を除け……その、くるんてやっていたんだな? 何匹くらいやっていたんだ?」


 せいぜい数匹くらいだろうが。


「ぜんぶです」

「!? 全部!?」


 はあぁあぁぁ~~ッ!?

 エルシア! お前、何やってんだ!?


 容赦ないにも程がある。

 子供相手にどんな教育してるんだ、あいつは? エルフはそれが普通なのか? いや、そんなことはないだろう。


 ガインは急に心配になってきた。

 エルシアに任せ過ぎたかも知れない。


「……と、とりあえず、ルーリアは休んで蜂蜜を食べておくんだ。あとは俺がやるから離れて──」


 自分を遠ざけようとする気配を感じ取ったのか、ルーリアはガインのズボンの端を両手でギュッと握り、尖った耳をしょんぼりと下げた。

 見上げるように見つめてきた金色の瞳には、うるうると涙が込み上げてきている。


「……わたしは……じゃま、ですか……?」


 やばい! 今にも泣き出しそうだ!

 ガインは即座に折れた。


「じゃ、じゃあ一緒に行こう。少しでも疲れたら、ちゃんと言うんだぞ」

「……! はいっ。お父さん」


 置いて行かれないようにガインにしっかりとしがみ付き、ルーリアはぱぁっと笑顔を輝かせた。


 その後。


 風魔法を片手に、ルーリアが楽しそうに魔虫の蜂の群れの中を歩いて行く姿を見たガインは、『間違いなくエルシアの子だ』と、遠い目をしたのだった。



 ◇◇◇◇



 夕方となり、ルーリアをベッドに寝かしつけたガインは一階のカウンターに独り静かに座る。

 酒が欲しいところだが、昨日オズヴァルトから聞いた話を思い返せば、呑気に飲む気になどなれなかった。

 それに、エルシアがいない家は寒々としていて、ひどく広く感じる。


 ……今頃、エルシアは神殿か。


 こう静かな空間にいると、どうにも嫌な方向にばかり思考を持っていかれそうになる。今はエルシアが無事に帰ってくることを、信じて待つしかないというのに。


 もしエルシアに何かあったとしたら、自分は間違いなく神殿に乗り込んで暴れるだろう。

 そうなったら自分は一生後悔するのだろうか。

 なぜあの時、一緒に付いて行かなかったのかと。


 …………くそっ。


 強引に頭の中を切り替える。

 オズヴァルトは、仲間が邪竜から受けた黒い呪いは全身に広がっていった、と言っていた。

 ガインはギーゼとシャズールから、そんな話を聞いたことは一度もなかった。


 ……あいつら、隠してやがったな。


 しかも遺伝だと。子供に移る、と。

 自分のほんの一瞬の不注意で、二人が被った損害があまりにも大き過ぎる。


 ……俺のせいだ。俺があいつらを──。


 後悔の言葉しか出てこない。

 この地に二人を呼んだのは他の誰でもない。

 自分なのだ。


 二人には今、それぞれに婚約者がいる。

 騎士を辞め、商人となり、きっとこれからは子供だって生まれてくるはずだ。


 神殿に行ったエルシアたちが邪竜の呪いを解く方法を知ることが出来れば、それが一番だ。

 しかしガインは素直にそれを期待することが出来なかった。


 ……俺に出来ることは何だ?


 悲嘆に暮れることじゃない。

 あいつらのために何をしてやれる?


 ガインはただ考えた。

 難しいことを考えられる頭じゃないのは重々承知だ。


 ……それでも考えろ。俺に出来ることを。俺にしか出来ないことを!


 エルシアたちが神殿から戻ったのは、それから2週間ほどが過ぎた、ある日の夕暮れのことだった。


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