第29話 魔力の枯渇


 結界は張り直したが、大きな魔物が入ってきていたら討伐しておかなければならない。

 ガインは日が暮れる前に、結界内の様子を見て回ることにした。


 邪竜と戦った場所も確認しておこうと、森の奥にも足を向ける。邪竜が通った所は樹木がなぎ倒され、穏やかな日常がえぐり取られたようで痛々しかった。


 ……エルシアが見たら、きっと悲しむだろうな。


「……ん?」


 ふと顔を上げると、邪竜が最期にいた辺りに、ほのかな明かりが灯っているように見えた。


 ……何だ? あの光は?


 警戒しながら近付くと、そこには大きな卵が一つあった。薄紫色で大人が二人掛かりで腕を回すくらいの大きさだ。その卵が、ほんのりと光っている。思いつくことは一つしかなかった。


 ……まさか、邪竜の卵か!?


 すぐに叩き割ろうかと思ったが、さすがにそれは早計かと考え、止めておく。

 一応、エルシアにも見せた方が良いだろう。


 ガインは速やかに家に戻り、エルシアに見たままの光景を話して聞かせた。

 どうするか問うと、エルシアは自分の目で見て確認したいと言う。

 ルーリアを二階の部屋に残し、ガインたちは再び現場へと向かった。


 日が暮れて薄暗くなった森の中に、ほのかな明かりが見える。迷うことなく到着すると、卵は変わらずに同じ場所にあった。


「これだ」

「……本当に卵ですね。念のため、触れないように気をつけてください。もし邪竜の卵なのでしたら、触れるだけで何が起こるか分かりませんから。……あ、ここ」


 エルシアが何かに気付いた顔をしたが、ガインには何も見えない。魔力的なものだろうか。


「……? 何かあるのか?」

「ガインには見えないかも知れませんが、ここに神の調印があります」

「神の調印? 何だ、それは?」


 神と聞いて、一瞬、神殿が頭をよぎる。


「……そうですね。神様の創られたもので、この世界に途切れることなく存在するものの証、といった感じでしょうか」

「つまり、これは神の仕業ってことか」


 まさか世界の常備設定ものが、こんな形でここに誕生するとは思わなかった。


 ……しかも、邪竜の卵だろ、これ。


「壊せないのか?」

「神の調印がある内は、どんな攻撃も効かないのです。例え勇者であっても破壊は無理でしょう。これが本当に邪竜の卵なのでしたら、この調印は恐らく魔王にしか外せないと思います」


 ……魔王、か。


「よく、知っているな」

「何を言っているのですか。神殿そのものが神の調印の塊ではないですか。あそこも破壊は不可能なのですよ」

「それは初めて聞いたぞ」


 あぁ、でも言われてみれば、とガインは思い出す。確かに神殿は破壊不可能だった。

 どんな攻撃も受けつけなかったことは覚えている。


「だからと言って、このままここに放置しておく訳にもいかないだろう。どうするんだ?」

「一時的にはなりますが、私の工房に封印しておこうと思います。少なくとも、ここよりは安全なはずです」

「分かった。どうやって運ぶ?」

「こちらを使おうと思います」


 そう言ってエルシアは小さな革袋を取り出した。『時限竜の胃袋』という、聞いたこともないような素材で作られたアイテムらしい。大きさはエルシアの手の平サイズだ。

 その革袋の口を開けて殻に押し当てると、卵はぐにゃりと歪み、吸い込まれるように消えていった。


「この中に入れておけば外と遮断されますし、時間の流れも遅くなりますから、しばらくは大丈夫だと思います。卵は出来るだけ早い内に、どこか遠い所へ封印しましょう」

「……それも神殿から持ってきたのか? 相変わらず変なもん持ってるな。俺は未だにお前の底が分からん」

「そうですか? 今日のガインは素敵でしたよ。惚れ直しました」



 それから家に戻ったエルシアは、二階の自分の工房に時限竜の革袋を保管する。

 工房の扉を閉め、自分の魔力以外では開かないように魔術具の鍵を掛けた。


 ガインたちはひとまずこれで、今回の邪竜討伐の件はひと通り片付いたものだと考えていた。


 しかし、それは終わりなどではなく。

 むしろ、その日の夜からが長い混迷の始まりとなった。



 ◆◆◆◆



「ガイン! 起きてください!!」


 寝静まった夜に、声を荒らげた叫び声が響く。

 エルシアのそんな声をガインが耳にしたのは初めてのことだった。外はまだ暗く、月の明かりだけが部屋を薄く照らしている。


 ガインが飛び起きると、部屋の入り口に真っ青な顔をしたエルシアが立ち尽くしていた。

 胸に抱いているルーリアは血の気のない青白い顔で、手足はだらりと垂れ下がり、虚脱状態に陥っていると、ひと目で分かる。

 ガインと目が合うなり、エルシアは絞るように震える声を出した。


「……ルーリア、が……っ」


 その声でガインは反射的に動いた。

 ルーリアの細い首筋と手首に指を当て、脈を測る。しかし、ルーリアの鼓動が感じられない。

 自分の心音だけがうるさく響き、気が焦るほどに邪魔をしてくる。ルーリアの脈がない。


  嘘だ! どうして、こんな……!


 しかしガインが何度試そうとも、ルーリアの脈はなかった。



「……ル、リア……! どう、して……っ」


 悲痛なエルシアの声で、ガインは我に返る。


「エルシア、落ち着け。ルーリアに何があった?」


 ガインはエルシアを刺激しないように、出来るだけ穏やかに声をかけた。

 本音を言えば、なりふり構わずに叫びたいところだが、自分の心音が耳まで届くほどに激しく、逆に頭を冷静にさせる。

 エルシアは蒼白な顔でルーリアに視線を落とすと、かすれた声をどうにか出した。


「ル、リアの、身体から、魔力を……感じないのです。ルーリア、の、魔力が、身体から、抜けて……」


 魔力! 魔力の枯渇か!?


 魔力のことなどさっぱり分からないが、ガインは直感的にそう思った。魔力が抜けたのなら流し込めばいい、と。


「エルシア、ルーリアに直接魔力を流し込むんだ。落ち着いて、ゆっくりだ」


 ガインの声を聞いてハッとすると、エルシアはルーリアの胸元に触れて目を閉じた。

 エルシアが魔力を集中させると指先が柔らかく光り、その光がルーリアの身体を少しずつ包み込んでいく。

 ガインはその傍らでルーリアの小さな手を取り、祈るように手首に指を添えて脈を診た。


 ……頼む! 戻ってくれ!


 わずかな時間が、ひどく長く感じられる。

 魔力を持たない自分を、これほど恨めしく思ったことはない。


 重く、長い沈黙が続いた。


 そんな張り詰めた空気の中、トクン……と。

 かすかにルーリアの脈が戻った。


「!!」


 ガインとエルシアは顔を見合わせ、さらに息を詰める。エルシアは一心に魔力を送り続けた。


「……大丈夫。エルシア、大丈夫だ」


 震える唇をきゅっと結び、瞳からは涙が溢れそうになりながら、エルシアは魔力をルーリアに送り続ける。

 ガインは指の背でエルシアの涙をそっと拭い、隣に寄り添って二人を見守った。


 脈は戻ったが、まだ弱々しい。

 どんなに焦れても待つことしか出来ない。


 ……くそっ、まだか!?


 エルシアが少しずつルーリアの小さな身体に魔力を広げていくと、ピクッと、その指先がわずかに動いた。


「……!」


 何度も「どうか、お願い」と小さく囁き、エルシアは指先を震わせる。その肩を支えるように、ガインはそっと背中に腕を回した。

 つま先まで柔らかな光が満たされると、ルーリアの脈は安定し、顔色も少しだけ赤みを帯びてくる。


 すぅすぅと、ルーリアの小さな呼吸が聞こえてきた。


「……ッエルシア。よく、やってくれた!」


 自分たちもやっとのことで息を吐く。

 互いの呼吸が安堵のため息で溢れた。


「……良かった。本当に、ありがとう!」

「…………ガイン……!」


 涙に濡れるエルシアの肩をガインは強く抱き寄せ、首筋に頬をすり寄せた。本当にエルシアには感謝しかない。



「ルーリアに何が起こったんだ?」


 少し落ち着いたところで、魔力供給を続けるエルシアにガインは尋ねた。


「それが、分からないのです。ルーリアから魔力が抜け落ちていくことだけは分かったのですが」

「今もか?」

「はい。今もです。少しずつですが、こうして流しておかないと、また先ほどのように……」


 エルシアは困惑した目でルーリアを見つめていた。今は気持ち良さそうに、すやすやと眠っている。


 ……魔力の流出、か。


 エルシアは平気なようだが、ルーリアだけだろうか。それとも……。


「エルシア、ルーリアを任せても大丈夫か? 少し気になるから、ギーゼとシャズールの様子を見てこようと思うのだが」


 ルーリアの魔力流出は今も続いている。

 本当なら離れずに傍にいてやりたいが、万が一ということもある。


「ガイン、こちらは大丈夫です。任せてください」


 本当は心細いだろうに、エルシアは気丈にも顔を上げた。


「分かった。済まない、すぐに戻る」


 今日だけで何度目になるか分からない惚れ直しを唇で伝え、ガインはランプを片手に一階に下りた。




 明かりを灯し、ギーゼの部屋の扉を軽く叩く。

 中から物音がして少し待つと、すぐに扉が開いた。


「ガイン様!? どうしたのですか?」


 ギーゼはガインを見るなり驚いた声を上げた。

 夜中に扉を叩くなど、今までなかったのだから当然だろう。


「少し気になることがあって確認に来た。夜遅くに済まない。体調に変化はないか?」


 そう尋ねると、ギーゼはパパッと自分の身体を見回した。


「いえ、特には。何かあったんですか?」

「今はまだ分からない。シャズールにも声をかけるぞ」

「分かりました」


 同じように、シャズールの部屋の扉を軽く叩く。


「…………」


 返事がない。

 強めに扉を叩いて名前を呼んでも、シャズールからの反応はなかった。


「シャズール、開けるぞ!」


 妙な胸騒ぎがして返事を待たずに扉を開けると、苦痛に耐える表情で胸元を押さえるシャズールの姿があった。呼吸も荒く、声も出せないようだ。


「シャズール!」


 ギーゼはすぐに駆け寄ろうとしたが、それを制するようにガインは声を上げた。


「ギーゼ! 魔力を回復させるアイテムはあるか? 何でもいい、持ってこい!」


 命令形にしたことで、条件反射のようにギーゼが止まる。


「は! 承知しました!」


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