第3話

レギュラーメンバーから外された翔太。俺をコケにしやがってと翔太は内心思っていたが、当然のように、トレセン制度上。彼の情報は上まで届く。中学3年。U―15代表のメンバーリストに彼の名はなかった。これでは将来なんてお話しにもならない。その代わりに初めて瀬川駆が召集された。翔太は親友がやっとの事できちんと世に評価されたその事は嬉しかったが、その胸中は複雑だった。出来れば、一緒に日の丸のついたユニホームをを着れればと思っていただけに。レギュラーと控えの関係になってしまった幼なじみ。その距離は次第に離れて行く。幸いにして、地元の中学では違うクラスだったので、しょっちゅう顔を合わす必要がなかったのが、唯一の救いだった。しかも、周囲に悟られた感はない。只、親同士が仲がいいので、事ある事に母親が

「最近、駆君。ウチに来ないわね。あんた達。ケンカでもしたの?」

と訊いて来る。彼は

「もう、中3だろ、受験もあるし、俺もあいつも色々あんだよ」

と言って会話を反らして行く。

「母ちゃん。そんな事より牛乳は?」

「昨日、買って来たじゃない」

「もうねえよ。また買って来てよ」

「牛乳だって、バカに何ないんだからね。ウチそんなに裕福じゃないのよ」

「飲みたいんだよ」

「あれ、あんた牛乳、そんなに好きだったっけ」

あれから、背もまったく伸びる気配なし。昔から背の順は前の方であったが、それ程、コンプレックスは無かった。運動神経が良く、デカイ奴にも、何やっても負けなかったから。でも段々と一番前に近付いている気がする。サッカーに背の高さは関係ないとつい最近まではそう思っていたが、監督の言った通り。俺はマラドーナでもないし、メッシでもない。筋肉は強くないし、才能も…。彼は理解していた。“俺は天才と呼ばれる部類にはいない“と。最近、嫌と言う程、自分というものを客観視出来るようになった。例えば、同じ所にあるボールをセイので同時に取りに行ったら、必ずといっていい程、競り負ける。足元で貰えば簡単には取られないが、チームで一番華奢な体ではどうしても、体をぶつけて止めに来られる場合、フィジカルコンタクトで勝てっこない。クロスが上がってもその前でカットされる事が多くなった。みんな成長期真っ只中って感じで、体も頭もプレイもグングン伸びている。俺だけ取り残された感じだと彼は思っている。翔太は暗闇の中でもがいていた。けれんみの無いダイナモ(発電機を思わせる無尽蔵なスタミナでピッチを所狭しと駆け回る潤滑油みないな選手)を目指すべきなのか?翔太が大好きなフェイント。シザースなんかも捨て去り、自分を押し殺してでも、自分をアピールすればいいとでも言うのか。この状況。自分ではどうする事も出来ないのかと毎日、自問自答を繰り返す日々。俺だけが取り残されたと卑屈になってしまう。彼は自分自身が嫌いになっていった。ここから、誰もいない所へ逃げ出したい。自暴自棄。現実逃避といった言葉が頭を過ぎる。空を見上げては「何でだよ」と空に神がいて、神に文句の一つでも言ってみたくなる衝動に駆られた。神の存在なんて普段考える事もないのに。確かにボールを持った時は、視野も広いし、良いパスも出せる。一瞬の閃きはまだチームで随一の輝きを放つ。だが蹴ったボールの飛距離をとってみても、一つ違いが出る。翔太以外、皆、体が大人に近付いているので翔太より確実にボールを飛ばす距離が伸びている事実が、翔太には辛いとこだった。翔太のサッカーはまだ少年のままだった。「マジ最」この言葉を翔太は知らず知らずの内に呟くようになっていた。不幸や困難に遭遇したら、他人に話す事で気持ちが楽になる事もあるが、これは、他人に話てどうこうなる問題ではなかった。あくまでセルフメディテーション。

 いつもの帰り道。微炭酸のオレンジ飲料片手に川沿いを歩いていると

「翔太。今、帰り?あれー何か元気なさそうだけど、何かあったの?」

山口まみだ。こいつも小学生の時から同じクラスだった。くされ縁の女だ。そしてやたらと翔太に絡んでくる。弱冠。ウザイ。と翔太は彼女を嫌ってはいないがたまにそう思う。

「何だ。山口か」

「何だはないでしょ。こんないい女捕まえて。ちょっとシカトしないでよ。ねえ、サッカーの帰りでしょ」

「このカッコ見りゃ分かるでしょ。ボール持ってるし」

「で、調子は?」

「えっああ、まあまあってとこ」

「そう、じゃあ、どうしてそんな暗い顔して。下向いて歩いてんのよ」

「えっ」

こいつはいつも明るく、また大雑把に見えるが、実は何事も良く見ている。前にも熱があるのに無理して、学校に来て授業を受けているとすぐに翔太の異変に気付き、先生にそれを告げてくれた事があった。何気に鋭い女だ。

「あまり、サッカーとか分かんないし、口出しはしないけど、3組の瀬川君だっけ。今、Jrユースの代表合宿で福島行ってんでしょ。もう、学校中凄い騒ぎ。女の子の中じゃワーキャー言われて凄いわよ。彼も板橋のチームでやってんでしょ。翔太と同じ。それに二人は幼なじみ」

「ワーキャーか」

「ちょっと、声チイサイから。あんた、瀬川君に嫉妬してんじゃないの?だから、そんな暗い顔になってるんじゃない?」

彼女が翔太の肩を叩いた瞬間。翔太はその腕を思いっきり払いのけた。

「うるせえ、そんなんじゃねえよ」

「いったーい。ちょっと何すんのよ」

と言い、彼女は走って行ってしまった。彼女は少し、泣いてるように見えた。俺、何やってんだろ。彼女は何も関係ないのに。その関係ない女の子に冷たい態度。それもガキ丸出しの。自分が酷く情けなくちっぽけな男に思えた。背も小さく、心も小さい最悪な男。それが十五歳の吉川翔太だ。

「くそったれ」

転がってる石を思いっきり蹴っ飛ばした。このままでは俺、どうにかなっちゃうぜ。心の中で翔太は呟いた。

 次の日。山口まみとは同じクラスなので、瀬川駆のように、会わない訳にはいかないと分かっていたので、すぐに昨日の事を謝ろうと思っていたが、あっという間に5時間目終了。チャンスを逃したと彼は思った。仕方なく帰ろうと下駄箱で上履きと靴を換えようと思い下駄箱に目をやると、紙切れが二つ折りになって入っていた。

“この前、皆で行ったカラオケBOXで待ってる。まみ”

カラオケ屋。この前、文化祭の打ち上げでクラスの皆と流れのノリで行ったカラオケBOX。今日はこの後、Jrユースの練習があったが、携帯で電話し、学校の三者面談があるとか適当に言ってサボる事にした。初めてサッカーをサボる。にも関わらず、彼にはサボる事への罪の意識は皆無だった。サッカーも大事だが、女の子を泣かせた事への罪悪が勝っていたからだ。

「山口。手紙読んだよ。俺、その…」

「ちょっと、皆。注―目。翔太君のご登場。今日は何を歌ってくれるのでしょうか」

カラオケBOX。90年代。全盛を誇ったってウチの親が言っていたが、俺らの年代からすれば、色々ある遊びの内の一つ。只のツールに過ぎない。

「次、翔太」

みんなに促されて歌を歌う。今日はロックな気分だった。歌ってると、心が晴れていくのが自分でも分かる。サッカーとは違う。サッカーは競い合う。確かに数あるスポーツの中でもっとも自由が与えられているスポーツではあるが、プロを目指す集団でボールを蹴っていると、人間の嫌な部分、エゴや恨みや妬みや嫉み等を嫌でも目にし、感じる事になる。他人を蹴落としてでも、上に這い上がろうとする。今、俺はそういう空間に身を置いている。それをほんの僅かでも忘れられるこの狭い部屋が彼には心地良かった。ミラーボールが暗闇の中で光ると一条の光に思えた。気持ちよく、歌を歌い上げると拍手が起こった。良く見ると、皆、笑顔と驚きの表情を浮かべていた。

「スッゴーイ。翔太君。歌上手くない?この前打ち上げで私、翔太君の歌聴けなかったから。あの時。翔太君の歌を聴いた人が言ってた。めっちゃ歌上手かったって。だから、私も翔太君の歌、聴いてみたかったんだ」

「えっ何、そんな事。俺、影で言われてたんだ」

「翔太。良かったじゃん。ファンが増えて」

山口まみが軽く悪態を付く。

「バーカ。そんなんじゃねえだろ」

「凄いね。サッカーも上手くて、歌も上手いなんて、将来どっちでもイケるんじゃない?高校入ったら、バンドでも組めば。ねえ、ギターとか弾けたりするの?」

「ギター?ちょっとくらいなら」

ギターは兄貴がやっていた。本当はサッカーも兄貴にくっついて行き始めた。どっちも兄貴の影響。だけどその兄貴と来たら、今は大学4年で、サッカーもギターも小休止。就活とやらに励んでいる。俺は今でもたまにギターを教えて貰っている。サッカーに関してはもう、俺の方が上手い。兄貴の方が気をきかしてくれて、サッカーだけじゃ息が詰まるだろうって弟の俺を、良くも悪くも構ってくれていた。何だかんだ言って実にいい兄貴だ。翔太は兄に少なからず感謝している。

「そうなんだ。で、どうなの。サッカーと音楽。どっちで勝負する気なの?」

「勝負って?」

「今、翔太。サッカーの方。絶不調なんだよね」

「山口、余計な事言うなよ」

「やっぱ、サッカーって身長とか関係あんの?」

KYで有名なタカシがカットイン。アイスブレイク開始。翔太は愛想笑いを始める。

「俺が、マラドーナ、メッシなら関係ないんだけど。残念ながら、そこまで才能ないみたい」

超が付くプレーヤーは、面の皮が厚い。というか、エゴイストが多い。そうはなりたくないというのも彼の中にはある。また空気が重くなった。心配ないって事が言いたかったのに。ここは退散した方が賢明だ。

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