最近、妙に常連さんからの視線を感じる。

しんじょー

篠原悠の悩み(主人公視点)

俺ーー篠原悠が通う北の上高校には『妖精』がいる。無論、ポックルやエルフが所属しているファンタジーな高校というわけではなく、ただの比喩であるが。


曰く、『美人にも限度ってものがある』『顔だけでも反則級なのに声まで綺麗なんて世の中は不公平』『基本一人で、話しかけても袖にされる』『いっつも無表情で何を考えてるのかさっぱり理解できない』。


憧憬の視線を一身に集めながらもそれを意に介さず、他人に胸襟を一切開くことのない不思議な少女。

名前を、羽衣鈴芽というらしい。


人とコミュニケーションをとることが殆どないにもかかわらず、彼女が一挙手一投足に注目を集める理由はその容姿の端麗さに集約される。


日に照らされて輪を描く烏の濡れ羽色の髪はふわりと柔らかそうで、その下地となる肌は新雪のように白く、きめ細かい。極めつけは、覗き込んだ者を吸い込んでしまいそうなほどに妖しげな光色を放つアメジストの瞳である。

個々のパーツだけでもため息が漏れるほど美しいというのに、これらが黄金比と讃えて遜色ないほどに均整に配列されているのだ。

彼女が学校という小さなコミュニティで好奇の視線にさらされてしまうのも仕方ないと言えた。


俺とはクラスが異なるため、それほど学校における彼女や、その周囲の姿を見かける機会に恵まれている訳ではない。


だが年齢に似合わぬ透徹とした雰囲気と優れた容姿、どちらか片方でも視線を集めるに足る要素だというのに、それらを併せ持っているのだから注目されているのだろうなと予測することは容易だった。


さて、俺と彼女はクラスが離れており、学校で会うことなど殆どない。だがしかし、俺は彼女と学内で五指に入る程度には頻繁に顔を合わせているという自負がある。


その理由はーー



カランカラン、という子気味いい鐘の音が静かに鳴り響いた。布タオルで机上を拭く作業を一時取りやめ、音の発信源へと視線を滑らせる。視線の先には、美しい漆色の髪の毛を腰ほどまで垂らした少女、羽衣鈴芽が佇んでいた。


「いらっしゃいませ、好きな席にどうぞ」


「どうも」


声を掛けると、会釈と共に簡素な返事が返ってきた。羽衣鈴芽ーー常連さんと呼んでいるーーは特に迷う風でもなく、慣れた様子でカウンター席へと向かっていく。


住み込みで働く喫茶店の常連客、これが俺と常連さんの間柄である。


常連さんとはもう数年来の付き合いだ。ありがたいことに常連さんは常連中の常連と呼ぶべき人で、休店日以外はほぼ毎日訪れてくれる。

彼女は毎日のように訪れては、パソコンを開いて何らかの作業をし、また帰っていく。

実際に何を書いているのか、直接はっきりと尋ねたことこそないが、まあ、普段の言動から何となく察しはついている。


ここ数年のルーチンと化した手付きで珈琲を淹れ、カウンターに座る常連さんへと差し出した。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


常連さんはふわりと微笑んで珈琲に一度口をつけると、いそいそと鞄からノートパソコンを取り出し始めた。その様子を見て、胸の辺りからこみあがってきた欠伸をひとつ噛み殺す。


(……掃除でもするか? でも、もう汚れてるところが見当たらないんだよなぁ)


客がカウンター席に座って飲食している以上、掃除は控えた方が良いのかもしれないが、何かしていないと気まずくて仕方がないのだ。


俺が住み込みで働いている喫茶店『レストホール』は祖父が老後の趣味として経営している店舗だ。

客足は少なく、贔屓目に見ても常時閑散としている。経済的事情が心配になる有様だが、当人たる祖父曰く「人が少ない方が隠れ家のような趣きがあっていい」らしい。経営者としてその発言は正直どうかと思うが、老後の無聊を慰めるための店だと考えると妥当なのかもしれない。


肝心の祖父は体力の衰えもあり、今となっては俺がワンオペしているのが常なのだか……といっても、前述の通り来客はごく僅かなため、基本的には椅子に座って勉強やら読書やらをしていれば時間が過ぎている。


働くといっても労力を割く必要は殆どなく、クラシックが流れる穏やかな店内で座っていればいいだけだ。迷惑な客もおらず、来客の大半は気性の穏やかなご老公方。

彼ら彼女らも偶にふらりと訪れては近所の古本屋で購入した本を静かに読んでいるのみで、接客業で避けることのできない煩わしさを感じたこともない。

これらの要素に加えて、手ずから淹れたコーヒーも好きなだけ飲める環境であるのだから、文句を言う余地などないだろう。

俺はこの空間をいたく気に入っていた。


いた……のだが。


チラリと視線を前に向けた。カウンター席に座る常連さんは風切り音が聞こえてきそうなほどに素早く首を横へ向け、視線を逸らした。


(これは、どういうことなんだろうな)


俺が直接視線を向けるのはどうやらよろしくないようだ。品出しする素振りを見せながらそれとなく後ろを向き、手鏡で常連さんの様子を盗み見る。


(やっぱり、見られてる……よな……?)


違和感を覚えたのは三週間ほど前、そして違和感が確信へと昇華したのはつい二週間前だ。


最初は気のせいだと思った。俺の後ろの壁には掛け時計が吊るされているし、自分が見られていると感じるのは自意識過剰というものだろう、と。


だが、その状態が五分、十分と継続されるのならば話は別だ。常連さんが何らかの理由で俺を注視していることは間違いない。


正直、自分を見ている相手を目前にして本を読むのは気まずい。だから自然と掃除でもするかという思考になるのだが……いい加減、掃除する場所が見当たらなくなってきた。


……これに対する最大の問題点は、何故見られているのか、全く心当たりが無い点だ。


(身だしなみはさっき鏡で入念に確認したし大丈夫な筈、風呂も毎日入っているし匂いも問題ないとは思う。……なら、何故?)


やはり、顔に何かついているのだろうか。だが、手元でスマホを鏡代わりにして自らの顔面をまじまじと観察してもそれらしい物は見当たらない。


正面から原因を訊くのが最も手っ取り早いのだろう。だが、訊こう訊こうと思っても、つい直前で尻込みしてしまう。

常連さんとは長い付き合いだが、さりとて気安く話を振れるような親密な間柄では無いのだ。会話なぞ、品物を手渡す時に一言二言交わす程度で、正面からやや自意識過剰気味なことを尋ねるのは多少腰が引ける。


あまり容姿のことを理由にしたくはないのだが、常連さんの容姿も相俟って話し掛けづらい。相手は入学一ヶ月程度で高校全体に名を知らしめるほどの凛とした美少女である。

コミュ力弱者には大分難易度が高い相手だ。

少なくとも俺にとっては勇者が街路樹の枝オンリーで魔王に突貫を仕掛けるぐらいの難易度に値する。


(……まてよ)


そうだ、殆ど会話をしたことのない人物に話しかけるのは中々難しい。

学校にてトイレへと席を立った折に、見知らぬ女子に自分の席を占領されていると、正当性はこちらにある筈なのに妙に気まずくなってしまうように。


(なら、常連さんは何かしら俺に用事があって、でも話し掛けられない状況にある、と考えるのが自然か…? 忘れ物とかの)


コーヒーは先程注ぎなおしたばかりだ。何度見直しても白いカップの中には黒黒とした液体がなみなみと揺蕩っている。

仮に忘れ物等の用事だとすれば、残念ながら期待に応えることは出来なさそうだ。ここ最近、落とし物を発見した覚えはない。


考えをまとめて今一度顔を上げると、先ほどと同様に常連さんは顔を逸らした。


常連さんは瀟洒な顔をしている癖に、ほんのりと耳が赤く染まっていた。初めて知ったが、表情は僅かでも顔色は色彩豊からしい。


(……ちょっと楽しい、かも)


常連さんは俺から視線を逸らしてはいるのだが、時々チラリとこちらを見ては、すぐにまた視線を逸らす。その姿は、とてもいじらしく感じられた。

どうやら、常連さんは俺が思っていた以上に内気な性格らしい。新発見である。


そのどこか警戒心の強い小動物を彷彿とさせる様子に一瞬「このまま見守っていようかな……」という悪戯心が思考の隅を過ぎったが、一応とはいえ接客業をしている以上そうもいかない。

意を決して、いままで気まずさを言い訳に尻込み続けてきた問いを投げかけた。


「あの、何か御用ですか?」


まるで気の抜けていた猫のようにビクリと体をゆらした常連さんは、しばらく迷っていたようだが、やがて観念したように俺の目をまっすぐと射抜き口を動かした。


「……学校」


「……学校がどうかしましたか?」


「その、同じ高校、ですよね」


ああ、そのことかと得心したように頷いた。常連さんの容姿は非常に目立つため、俺は一ヶ月程前にあった入学式の時点で彼女と同じ高校であることを知っていたのだが、常連さんがこちらのことを知っているはずもない。


生憎、俺は学校で話題に挙げられるような煌びやかな高校生活は謳歌しておらず、同じ高校に通っていることを知る機会がないのは容易に想像できる。


だとすれば、どこで俺を見掛けたのかは知らないが、その時は相当驚いたのではないだろうか。

なにせ、中学生の頃から通っている常連先の店員が何食わぬ顔で目の前にいるのだ。俺だったら驚愕に瞠目するであろう。

俺も入学式の時、常連さんの姿を見て驚いたことだし。心臓に悪いことをしてしまって申し訳なかったなと内心で反省しつつ、口を開いた。


「そういえばまだ自己紹介していませんでしたね、5組の篠原悠です。まあ、クラスも離れてるので会うことは少ないと思いますがよろしくお願いします」


「……はい。私は1組の羽衣鈴芽です。よろしくお願いします」


常連さんは嫋やかに背筋を傾けた。その動作に唖然としつつも慌てて返礼をする。


知己の間柄同士での自己紹介という地味に奇妙な行為をしてしまったが、俺はとても心穏やかだ。数週間かけて徐々に山積していった心の澱のような物が強風で跡形もなく吹き飛ばされたかのような爽快感を覚える。


そうして安堵に胸を撫で下ろしていると、常連さんが僅かに首を傾け、ちょこんと控えめに手を挙げた。


「その……何とお呼びすればよろしいでしょうか?」


「へ? あ、え、ええと……お好きにお呼びください?」


呼称を尋ねられ、思わず吃った。異性との会話に手慣れている手合いならばサラりと自分の名前や苗字、若しくはあだ名といった物を教えられるのだろう。

相手が気安い様子で尋ねてくれたのならば、そういった方面に不慣れな自分でも答えられたのかもしれない。


けれど常連さんの表情はいやに真剣味を帯びていた。


その眼光の鋭さは、どこか剥き出しの日本刀を彷彿とさせる。動作が可愛らしいだけに絵面の違和感が尋常ではない。眼圧に圧され、特段いい案を思いつかなかった俺は彼女に選択を委ねることにした。


「では、悠さんと」


「……わかりました。では悠と呼んでください。えーと……鈴芽さん?」


「……はい、是非、是非とも、そう呼んでください」


「わかり……ました?」


名前で呼ばれたのだから、こちらも名前を呼ぶのが礼儀だろうと恐る恐る口にしたのが、どうやら功を奏したらしい。

常連さんは美しく微笑むと、俺の呼び掛けに満足そうに頷いた。


「悠さん、改めて、末永いお付き合いをお願いしますね」


「……随分と妙な言い方しますね。はい、こちらこそよろしくお願いします」


そして、自然と会話が途切れる。


暫くはよそよそしい雰囲気が漂っていたのだが、新たな来客でそれも払拭された。注文を取り終えた頃には常連さんも用が済んで満足したのか、ノートパソコンに向き直っていた。


先程の、剣の鋒を喉元に突き付けられているかのような、歴戦の将を思わせるほどの威圧感を漂わせていた瞳は霞のように消え失せ、現在は深緑の湖畔を思わせる凪いだ瞳へと転じている。打って変わって、常連さんもすっかり落ち着いている様子だった。


彼女から目を逸らし、手ずから淹れた珈琲を口に含む。僅かな酸味と強めの苦味、熱湯が喉を突き抜ける感覚が心地いい。今日は随分と慣れない会話をしたからか、喉が潤う感覚がいつも以上に心地いい。


(……疲れた)


行儀のよろしくないことだと自覚しつつも、椅子に深く座り直し、背もたれに寄りかかる。

決して社交的な性格ではない俺にとって、話慣れていない人との会話は極度の疲労をもたらすのだ。話している間は特段意識することはないのだが、会話を終えた瞬間にドッと疲れが押し寄せてくる。


(でも、まあ、悪くない気分かもしれない)


先程の可愛らしい姿を思い出して、俺も満足感を瞳に滲ませつつ、再度コーヒーを啜った。


▽▽▽▽


「ごちそうさまでした」


「ありがとうございました。またお越しください」


夕方の五時を回ったころに、常連さんは腰ほどにまで垂らした黒髪をゆらゆらと揺らしながら店を後にした。結局、あれ以来他の来客はなく、常連さんに追加で何杯かの珈琲を注ぎつつ、のんびりと過ごしていたところ、いつの間にか閉店時間となっていた。


「はぁ、疲れた」


一度大きく背を伸ばし、手頃な席に寄りかかる。特段重労働をしたわけではないが、やはり店内に客がいるという環境はやや肩がこる。もう一度大きく腕を伸ばして、脱力するように机上に頬杖をついた。


(……それにしても、可愛かったな)


一人きりになって徐に思い返すのは、常連さんの多彩な表情だ。普段の凛とした真顔は、人形を想起させる程に可憐である。けれど、今日目の当たりにした表情は、それとは別種の魅力を秘めていた。

じんわりと頬に熱が集まるのを感じる。


俺は、常連さんのことを美人だと思っている。だが、言ってしまえばそれだけだった。劣情だとか、愛情を抱くには余りにも人間味がなく、一つ次元の異なるフィクションの世界に住んでいるような人だとすら感じていた。


(でも、あの顔はずるいだろ)


ふわりと優しげに垂れるまなじり、新雪を思わせる白磁の肌は、羞恥によるものかほんのりと朱に染まっていた。

初めて見る彼女の微笑みは、いままでに見た事がない程--そう、例えるのならば母の慈しみを体現しているかのような神聖さと美しさに包まれていて。普段の透徹とした眼差しとは乖離しているが、その姿はとてもーー。


「……って何を考えてるんだ俺は。馬鹿馬鹿しい」


一度大きく頭を振って雑念を振り払う。

常連さんも同年齢の身近な少女であるという至極当然なことを完全に失念していた。ギャップ萌えというやつだろうか。

たった一度、たった一度赤面や微笑みを見ただけでこのざまだ。


別に自分が枯れていると思っていたわけではないが、ここまで俗物的な人物だと知りもしなかった。


(でも、それだけだ。それだけ。不意打ちで可愛かったから動揺しているだけで、別に何かあるわけじゃない)


「……美人ってのは、得だな」


誰もいない閑静とした店内で、負け惜しみの様に頭に去来した台詞を放ってみる。当然、誰の耳に入ることもない。はあ、と一つため息をつき、掃除でもするかと立ち上がった。


その時--カタンっと玄関から音がした。


(!!!!!!?)


十年と少しの人生において、産まれて初めて身体の芯から血の気がサッと引いていく感覚を覚えた。


驚愕の視線を玄関に向け、まさか今の独り言を誰かに聞かれていたのか、といった思考が頭をもたげる。


だとしたら誰がーーまさか、と考えた瞬間、「にゃー」という気の抜けた鳴き声と共に玄関前を猫のシルエットが通り抜けていった。


「なんだ、猫か……」


顔を赤くしたり青くしたり、忙しなくコロコロと色を変える自分が馬鹿らしくなった僕は、やや八つ当たり気味に粗雑な掃除を開始した。

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