手を携えて

アストリア王国の王宮からリュカード様の転移陣でディーク王国に戻った後、程なくアストリア王国軍は慌てたように全軍を引き上げた。


ルーク様とエリザに聞いたところによると、ディーク王国に攻めてきたアストリア王国軍の騎士や魔術師たちが使っていた武器の一部も、戦の最中に急に壊れ、その混乱もありディーク王国を守りきることができたらしい。

エドガーさんに今から聞く術はないけれど、あの時エドガーさんはアストリア王国に脅されて造らされた魔具に、引き渡す前に何らかの細工をしたのかもしれない。

オルガさんから貰った片翼のペンダントは、今でも綺麗な銀色の輝きを保っている。



ディーク王国に戻った直後、ふとアストリア王国の方向から、なぜかぞっとするような、凍りつくような気配を感じて背筋が冷えた。

視界にフレデリック様の切迫した表情が見えて、私は咄嗟に魔具から弾を放ったのだけれど……フレデリック様は無事だったようで、胸を撫で下ろした。


後から知ったところによると、私たちが王宮を去った後、イザベルさんのお兄さんである魔族の長がアストリア王国の王宮に現れ、国王陛下たちを襲ったらしい。

意識の戻らない国王陛下に代わって、急遽フレデリック様が王位を継いで即位されることになった。

国王陛下と共に襲われたローレンス将軍とカーグ家のお父様も、意識が戻らないまま、アストリア王国の病院に収容されているそうだ。魔法を使った治療が施されているものの、意識の戻る兆候は現れていないと聞いている。


そして、キャロラインお姉様は、アストリア王国の王宮から魔族の長に連れ去られてしまったらしい。彼と一緒にお姉様がその姿を消すところを、フレデリック様が目撃したという。それ以降、お姉様の姿を見た者はいない。

なぜ、魔族の長がお姉様を攫ったのか、真相は闇の中。……でも、なぜだろうか、イザベルさんはその話を聞くと、楽しげな色を瞳に映してくすりと微笑んでいた。意外と2人は仲良くやっていたり、するのだろうか。

最後に見たお姉様の優しい微笑みが、まだ私の頭を離れずにいる。



フレデリック様はディーク王国に対して和睦を申し入れ、これからの両国の友好関係の発展のために全力を尽くすと約束された。国民の意識はすぐには変わらないかもしれないけれど、アストリア王国とは今後は敵対することなく、協力関係を築いて行けるであろうことに、心の底から安堵している。



ディーク王国に戻ってからも、先日の戦に関する対応で忙殺されていたリュカード様だったけれど、ようやくディーク王国に平和と国民の笑顔が戻ってきたことに、とても嬉しそうだった。仕事にもより身が入っていたようだ。


仕事にリュカード様がしばらく専念されていたのは、早く休日を取り私と過ごすためだったと知ったのは、今朝。

久し振りに朝食をご一緒して、柔らかく微笑みかけるリュカード様に、私はやはり真っ赤になってしまった。

いつ見ても輝くほどに美しいリュカード様の顔が綻ぶと、私はいつも息を飲んで見惚れてしまう。

一見冷たい美貌に浮かぶ普段の淡々とした表情と、2人だけで過ごす時のギャップの大きさにも、どうしようもなくときめいてしまっていることに、リュカード様は気付いているのだろうか。


その後、リュカード様が私を連れて行ってくださったのは、アイオライトのペンダントを以前にリュカード様に買っていただいた、あのリュカード様の馴染みの宝石店だった。

私の好きな婚約指輪を選んでくださるということで、また足を運んだのだけれど……。


「このサファイアもアリシアに似合うんじゃないか。いや、このダイヤも……」


こともなげに、間違いなく貴重な大ぶりな宝石を、指輪用の候補にと次々と選んでいくリュカード様に、私は目を白黒させながら慌てていた。


「リ、リュカード様……!

私、この前にいただいたこの指輪も、十分過ぎるくらいに気に入っているんです。

そ、それほどまでに高価な宝石をあつらえた指輪を、また買っていただかなくても……!

小ぶりのものでも、そのリュカード様のお気持ちがとても嬉しいので……」


私の左手薬指には、アストリア王国の王宮に向かう前日にいただいた、金に彫りが施されて濃青の宝石の埋め込まれた指輪が嵌まっている。


私たちのやり取りを見ていた白髪の上品な老店主が、おやと驚いた表情で私の薬指の指輪をじっと見つめた。


老店主は遠慮がちに、しかし興奮を抑えられないように、私に向かって口を開く。老店主の目がきらりと光った。


「失礼致しますが、お嬢様。お嬢様が嵌めていらっしゃる、その指輪は……」

「この指輪ですか?リュカード様にいただいたものですが……」


また、失礼致しますと言った老店主は私の左手を取り、薬指の指輪をじっと見つめている。


「おお、やはりこの指輪は……!」


目を輝かせる老店主に、リュカード様は苦笑した。

「余計なことを言わなくていいからな……」


頬を上気させる老店主の耳には、リュカード様の言葉は届いていないようだ。

「いや、素晴らしいですね!

私も直に拝見したのは初めてですが、これは魔力の枯渇を防ぐための、魔術師垂涎の指輪では……?

いや、間違いありませんね。この宝飾品業界でも伝説のように伝えられる指輪です。


魔力の残量が減ると、色が変化する魔力の込められた宝石が使われていると言われますが。……実に素晴らしい。この繊細で美しい紋様自体にも魔力が込められているそうですね」


感嘆の溜息を漏らし、目を細めて頷く老店主の言葉に、私は驚いて目を見開いた。

「この指輪は、魔具なのですか?」


リュカード様を見上げると、リュカード様は微笑んで頷いた。

「ああ、そうだ。……戦いの前だったから、その指輪を贈ったが、婚約指輪に魔具というのもどうかと思ってな。平和の戻った今の状況では、その魔具が必要になることもなさそうだ。

アリシア、今日は君の好きなものを選んで?」


……そういえば、アストリア王国に向かう前日、あの日は、自分を粗末にするなとは言われたけれど、魔力を使い尽くさないようにとリュカード様に釘を刺されなかったような気がする。


私はリュカード様の瞳を見つめてにこりと笑った。

「リュカード様、そうだったのですね。お気遣い、どうもありがとうございます。


でも、この指輪、私はとても気に入っているんです。もちろんお気持ちはありがたいのですが、さらにこんなに大きくて高価な宝石でなくても……」


目の前に広げられた、きらきらと輝く美しい大ぶりの宝石たちには、思わずほうと溜息は漏れるのだけれど……。

ただでさえ、私は地位も何もないところを、リュカード様に手を差し伸べていただいたのだ。もう十二分に与えてもらっているのに、あまりに贅沢をしては罰が当たりそうだ。


戸惑う私の様子に、老店主が少し口角を上げた。


「お言葉ですが、お嬢様。

お嬢様の身に付けていらっしゃる指輪は、この国に片手で数えられるほどしか伝わっておりません。

その指輪だけでも、この店ごとお買い上げいただけるくらいかと…」


「え、…………えええっ!?」


信じられず目を瞠り、リュカード様を呆けたように見つめる私に、リュカード様は愛しそうに笑いかけた。


「アリシアの命よりも貴重なものはないからな。いくらだって惜しくはない。

まあ、今どの宝石を選んでも、そう大差ないということだ。だから、アリシアの気に入ったものを選べばいい」


「……だから、の使い方が間違っているような気がします……」


力が抜けた私が、そんなに甘やかさないでくださいね、と呟くと、リュカード様は悪戯っぽい色を目に浮かべて、老店主の目を盗んで私の耳元にそっと口付けた。

耳までかあっと血が上った私に、リュカード様は蕩けるような微笑みを向ける。

……リュカード様には、敵わない。


リュカード様の屋敷に帰って見掛けたザイオンに、溜息混じりにその話をしたら、目を丸くした後、彼に言わせるとリュカード様の溺愛ぶりに絶句していた。氷の貴公子もアリシアには形無しだね、と。

さらににやりと笑った彼は、2人の将来の子供の髪色でも見てみようか、なんてからかうものだから、私は顔を火照らせて、思わず逃げ出してしまった。


アルスは、カーグ家の跡取りの地位を捨てて、このままディーク王国に住むことを選んだ。

シリウス様の勧誘に応えてディーク王国の魔術師団にも加わり、今回の戦で出た怪我人の治療にも活躍している。

そして、リュカード様の屋敷にずっと住まわせて貰う訳にはいかないと、新しい住まいを物色中らしい。

私も、リュカード様と正式に結婚するまでの間、一緒に住まないかと誘われているけれど、リュカード様が私を離してくださるかどうか……ちょっと疑わしい。


元執事のグレンはリュカード様の屋敷の使用人にすっかり溶け込んで、器用な彼は今や欠かせない存在になっているようだ。

これでアリシアお嬢様のお側にずっと居られますね、なんて微笑まれると、どこかこそばゆい気持ちになりつつも、やっぱり心強いなと思う。

アルスからも執事の勧誘を受けているようで、もしお嬢様がアルス様のところに行くなら当然着いて行きますよ、とさらりと言われてしまった。


元々勉強熱心なシリウス様は、平和になったことで少し時間の余裕ができたと喜んで、アストリア王国に負けじと精獣や魔物の生態系について研究している。シリウス様の推薦で、シャノンは神官へと戻り、元来真面目な彼女はしっかりと神官職に励んでいるそうだ。


ルーク様とエリザも、シリウス様との勉強会には度々参加しているようだ。剣を振る以外も新鮮だと笑っていた。

魔物の襲撃や戦が落ち着き、ルーク様はその表情を随分と和らげていた。

エリザからは早速、私の左手薬指の指輪に突っ込みが入ると、まるで自分のことのようにリュカード様との婚約を喜んでくれた。


クレアとノア、そしてイザベルさんは、クレアが働いていた薬草茶の店で一緒に働いている。

美しいイザベルさんや可愛いノアの接客も加わって、さらに客足が伸びているらしい。お勧めの薬草茶があるからと、つい先日はたくさんの香りのよいお茶をクレアにプレゼントしてもらい、リュカード様たちと美味しくいただいている。


そして、ヴェントゥスはさらに体躯が大きく立派になり、素晴らしく美しい白銀の犬に成長した。精獣と呼ぶにふさわしい気品と威厳がある。けれど、私の側にいる時は、仔犬だった時と同じように甘えて来るから可愛らしい。聡明さを映すその金色の瞳を見て、……もしヴェントゥスが人間だったら、とんでもない美形なのだろうなと、ふと想像してしまった。


***

リュカード様と出会い、失意の底にあった私の人生は大きく変わった。

彼の花咲くような笑顔を、これからもずっと見ていたいし、支え合って一緒に歩んで行きたい。


先日訪れた宝石店に、出来上がった婚約指輪を取りに向かう馬車の中、リュカード様は私を右手で柔らかく抱き寄せ、もう離さないと呟いて、彼の左手を私の左手に絡めた。思わず驚きびくりと肩を震わせた私は、彼の瞳の奥に燻る独占欲に、くらりとするような陶酔を覚える。

……彼の美しい菫色の瞳に、私もずっと映り続けていたい。私だけを映していて欲しい。

ゆっくりと近付いてくる彼のあまりに美しい顔に、瞳をそっと閉じながら、私は心の底からそう願ったのだった。

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