窮地
クレアがアストリア王国の王宮に張られた結界に一閃を放ったのは、つい今し方だった。クレアの攻撃を受けて、王宮の出入口付近の結界がみしりと震えた。
放たれたクレアの魔法に眩い光が走ったものの、未だに周囲はしんと静まり返っている。
(母さん、ノア、迎えに来たわ。お願い、私に応えて……!)
クレアは先の一閃に必死の思いを込めていたけれど、まだ王宮からは何の反応も感じられない。
クレアは、すぐ背後で様子を見守るリュカード達から、じっと自分に視線が注がれているのを感じていた。疑われている訳ではないと信じつつも、クレアの背筋をすっと冷や汗が伝う。
……なら、もう一度。
さらにクレアの手に光が宿ったとき、王宮の結界から飛び出して来た小柄な影があった。闇に浮かぶ銀色の髪が、風にさらりと揺れている。
「……ノア、あなたなのね!よかった」
ようやく安堵の表情を浮かべて微笑んだクレアとは対照的に、ノアは冷たく言い放った。
「姉さん。……すぐに帰って」
ノアは無表情で、掌から闇に溶け込むような黒い塊をクレアに放った。
クレアの足元で爆風が起こったことで、それが魔法による攻撃だったとわかる。クレアの身体を狙った訳ではなく、あくまで牽制ではあったけれど、クレアの意思に応えるつもりがないことは明らかだった。
「クレア、これはどういうこと……?」
アルスが戦闘の体勢に入りながら、クレアに疑念と緊張のこもった声で問い掛ける。
クレアは血の気の引いた混乱の表情で首を横に振った。
「わからないわ。
ねえ、ノア、どうして?私たちは、母さんとノアを……。
……!!」
クレアが言葉を失ったのと、夜の闇に浮かぶ鮮やかで大きな炎の存在を認めたのが同時だった。
そして、クレアの視線の先では、その炎が揺らめく中から現れた竜が、今まさにアリシアに襲い掛かろうとしていた。
シリウスに魔力を補うために、ディーク王国の方向を振り向いて魔具から弾を放った瞬間、アリシアの瞳に、頭上に突如現れた炎の竜の口が開き、頭から自分を飲み込もうとしている姿が映る。思わずアリシアは息を飲んだ。
「アリシア!!」
リュカードが叫ぶ。
アリシアの目前に炎の竜の牙が迫ったその時、炎の竜の開いた口が強い力で薙ぎ払われた。衝撃に地面に倒れたアリシアが目を上げると、氷で形作られた、透き通った美しく雄々しい鳥が、炎の竜に対峙している。
アリシアは目を瞠った。
(氷の鳳凰……。ほとんど使い手がいないと言われる、第一級魔法。リュカード様は、これほどの魔法を使えるのね)
ザイオンは倒れたアリシアに駆け寄り、素早く助け起こすと、アリシアの耳元に囁く。
「知ってるかもしれないけど、あれは氷の鳳凰。……ローレンス将軍の炎の竜には、これくらいの強さの魔法でないと対抗できない。でも、この魔法は魔力の消耗がすごく激しいんだ。リュカード様に魔力の補給をお願い」
アリシアはすぐに頷いた。
ザイオンは近い未来を見ていた。
シリウスは何かあればすぐに戻れと言ったけれど、転移魔法が使えるのはここではリュカードだけ。そして、リュカードは炎の竜から攻撃を受けている。……転移魔法で全員が戻る選択肢は、彼には見えなかった。
まだ炎の将軍の姿は見えない。
けれど、王宮の生垣の影から、幾つもの攻撃魔法がこちらを目掛けて飛んで来始めていた。
グレンがふっと息を吐いた。
「あの兵たちは私が相手をしましょう」
飛んで来た攻撃魔法とグレンの闇魔法が交錯し、弾ける。
アルスは、ノアの闇魔法の攻撃をクレアと共に防いでいた。身体は小さいのに、ノアの魔法の威力は強い。必死にノアに話し掛ける。
「ねえ、クレアは君たちを迎えに来たんだ。わかっているんでしょう、どうして、クレアに刃を向けるんだい?」
ノアは暗い目をして黙ったまま、ただ首を振った。
リュカードの前に対峙する炎の竜が氷の鳳凰に至近距離から襲い掛かろうとした時、ヴェントゥスの金色の瞳が闇に光った。
炎の竜が大きくゆらりと揺らめく。すかさず、氷の鳳凰はその鋭い嘴で炎の竜を切り裂いた。炎の竜は形をほとんど留めることができずに、残った炎が宙をたゆたう。
炎の竜が消えゆく様子を目にしたアリシアがほっと安堵の息を吐いた時、王宮から数人の人影が現れた。
「……俺の炎の竜をそのような姿にするとは、な」
宵闇を低い声が響く。その言葉に反して余裕の表情を浮かべるローレンスが、ぱち、ぱち、と大仰に手を叩く音が闇の中を通り過ぎて行った。
「なかなかやるではないか。お手柔らかにお願いできないか、賑やかな御客人よ」
王宮から姿を見せたのは、ローレンス、キャロライン、そして後から彼らを追って来たフレデリック。ローレンスの側には、ローブ姿の女性が影のように控えている。
ローレンスはリュカードを見て薄く笑った。
「だが、ディーク王国の筆頭魔術師様が、自国の大切な時に、こんな所で油を売っていていいのかな?」
「何だと……?」
はっとリュカードがディーク王国の方角を振り返ると、王国を包む結界が魔法で攻撃を受け、その光を反射して所々光っているのが視界に入る。
リュカードは唇を噛んだ。
偶然か、それともこの急襲を読まれていたか。
同じタイミングで、あの様子だとディーク王国に総攻撃が仕掛けられている。……このままでは、あまり長くは持ち堪えられないだろう。
ローレンスは、焦りを見せたリュカードの一瞬の隙を見逃さなかった。
ローレンスが視線で合図をすると、闇を裂くような光がローブ姿の女性の手から放たれた。
光はあっという間にヴェントゥスに届き、身を翻そうとするヴェントゥスを檻のように包み込んで行く。
その様子を見て、すぐさまアリシアは魔具に魔力を込めた。
ローレンスの目が、ヴェントゥスが光に覆われて動けなくなる様子に、喜色を映して細められる。
そして、あっという間に元の姿に回復した炎の竜が氷の鳳凰に大きく炎を吐き出したのと、リュカードの背後から、炎の槍が魔法で放たれたのが同時だった。
(間に合って、無事に無効化して……!)
アリシアの手から魔具の弾が放たれた先。それは、リュカードを狙う槍へとだった。
アリシアが放った弾は、リュカードの背後から放たれた炎の槍に当たると、炎の槍は無効化し、すぐに光を失い地面に落ちた。
「なぜだ……」
ローレンスは予想外の展開に舌打ちをする。
あの状況なら、アリシアはヴェントゥスを救うため弾を放つと思ったが……。
ぼそりとローレンスは吐き捨てた。
「氷の貴公子を助けたか。……奴はあれでかたがつくと思ったのだがな」
アリシアは震える手にまた魔力で弾を込めながら、シリウスの助言を思い返していた。
……ヴェントゥスが光魔法で狙われる時、きっと同時に誰かが狙われる。ヴェントゥスではなく、その同時に放たれた攻撃を無効化せよ、と。
ヴェントゥスは大丈夫、恐らくその魔法を抜けられる。けれど、もし抜けられなかったならば、それを自分に魔具で知らせて欲しい。
……最後のシリウスの言葉は、何が言いたかったのかしら?アリシアはその言葉を聞いた時、内心首を傾げたけれど、それはこの期に及んでも謎だった。
ヴェントゥスへの魔法を無効化しようと、また魔具に魔力を込める。
王宮から現れたフレデリックの足はノアへと向かい、ノアの魔法に加勢した。フレデリックの魔法と、クレア、アルスの魔法が激しくぶつかり、火花を散らす。
アルスは、ノアに加えてフレデリックのどこか辛そうな顔を見て、やり切れない表情で呟いた。
「なぜ、僕たちはこうして戦わないといけないんでしょうね……」
そこに、鈴を転がすような声が降って来た。
「あなたがフレデリック様のお相手をするなんて、早いわ。私が相手よ」
「キャロライン姉上……!」
目を見開いたアルスに、キャロラインは容赦なく流れるような水魔法で攻め立ててきた。キャロラインが放った第一級魔法の水竜に、アルスの手から放たれた炎の大蛇は次第に押されていく。
アルスの額には、玉のような汗が浮かんでいる。
「さすが、姉上ですね……」
息を吐きながら、アルスが声を絞り出す。
「……当たり前よ。あなたとは、やり合いたくなかったのだけれど」
キャロラインの水竜がアルスにじりじりと近付いてきたその時、キャロラインとアルスの間で拮抗していた魔法が瞬時に消滅した。
「アリシア姉さん……?」
アルスの見開いた瞳の先には、アリシアが魔具をこちらに向ける姿があった。
キャロラインはその美しい顔を歪める。
「あの子は…」
キャロラインが首を振り、アリシアへと視線をやった。
アリシアのすぐ側では、ローレンスの炎の竜とリュカードの氷の鳳凰が激しく戦っていた。
リュカードはあまりの魔力の消耗と、平然とするローレンスに、思わずその顔を顰めた。
……この魔法を使うには、信じられないほどの魔力と集中力が要求される。なのに、この男は涼しい顔だ。炎の竜に加えて、ほかの炎魔法も使うとは、まるで2人の敵と対峙しているようだ……。
ローレンスはリュカードをあざ笑うかのように、炎の竜に氷の鳳凰の相手をさせながら、素早く跳躍したかと思うとアリシアにするりと手を回した。そんなローレンスに構わず魔力を込めた弾をリュカードに放ち、その魔力を補充したアリシアの首には、ローレンスの手に握られた剣がぐいと押し当てられた。
ローレンスが笑みを深める。
「さあ、そろそろ遊びは終いだ。俺たちは先を急ぐんでな。……動くなよ。動いたら、すぐにこの娘の首が飛ぶ。1人1人片を付けさせてもらおう。
……まずは、氷の貴公子様。ご覚悟いただこうか」
「リュカード様!私のことなど気にしないで、戦ってください!」
アリシアの言葉が聞こえないかのように、リュカードは微動だにせず、氷の鳳凰も動きを止めている。
(……嫌!リュカード様!!)
アリシアは必死にもがくが、ローレンスはびくともしない。
ローレンスがにやりと笑ったその時、急に腕の中にいたアリシアから眩い光が放たれた。
アリシアの胸元の片翼のペンダントがひとりでに浮かび上がっている。それは白い輝きを放つと、羽ばたくようにふわりと揺れた。
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