新月の宵

月がなく、時折細かな星が空に瞬くだけの深い闇夜の中を、ディーク王国の神殿に集まる影があった。


「……皆様、お揃いですね」


紺色の長衣に身を包んだシリウスは、穏やかな笑みを浮かべると、朧げな灯りのみが灯された薄闇の中、集った面々の顔を見回した。

リュカードをはじめ、ザイオン、グレンは落ち着いた表情をしているが、アリシアとクレアは、緊張の面持ちを隠せていない。アルスはそんな姉に気遣わし気な視線を向けており、ヴェントゥスはアリシアの足元にぴたりと寄り添っている。


「皆様をお送りする前に、再度お伝えしておきます。


……我が国の主力ともいえる皆様を、敵国の中枢である王宮にお送りする今回の作戦には、大きな危険が伴います。もしも何か違和感があれば、大きく負傷などする前に、急いでリュカード様の転移魔法でお戻りください。細心の注意は払っていますが、この作戦の情報が先方に漏れていないとも言い切れませんので。


皆様がご不在となれば、この国の守備も手薄になると言わざるを得ません。作戦の成功を心から願っておりますが、皆様がご無事で、速やかに戻られることを優先していただけますよう。


よろしいでしょうか?……では」


シリウスは、神殿の灯りのない一室の床に向かって両掌を向け、大きく紋を描いた。

シリウスが描いた転移陣が、青い光を放ちながら床から浮かび上がる。


「シリウス、俺たちのいない間、任せたぞ」


リュカードの言葉に、シリウスが落ち着いた笑みを湛えたままで頷く。


転移陣に入った全員を青い光が飲み込んだかと思うと、一瞬で転移陣内の姿がかき消えた。



シリウスは、光を失い空になった転移陣を見つめてから、そっと長衣から小さな淡く輝く石を取り出した。

四角錐を上下に張り合わせたような八面体のその石には、シャノンの肩から上の姿がぼんやりと浮かび上がっている。


「私が、彼女の命を預かることになるとは……」


シリウスがぽつりと呟いた言葉は、闇に吸い込まれて消えていった。


遥か昔、各国の対立が激しく、他国に対する密偵も、彼らが他国に寝返ることも少なくなかった時代。国の重要な情報に触れることも多かった神官は、他国に潜入する場合、国に忠誠を誓うことを求められた。もちろん、言葉などではない。彼らは自らの命を小さな石に込め、国に仇なす何かを行えば、その石を破壊されることも了承の上で他国に向かった。


生涯一度きりのこの魔法、それによって命を込められたこの石を、まさかこの目で見ることになるとは。


自分は神官には相応しくないと、引き留めに応じず自ら神官の職を辞した彼女から、命を込めたこの石が送られて来たということは、彼女がアストリア王国に寝返りを求められて、それをあえて承諾したということだろう。

そして、もしもこの国に不利になることが生じれば、この石を壊して欲しい、そういうことだろう。


彼女が敵方に声を掛けられた理由は、1つしか思い浮かばない。そして、なぜ彼女がそれを受けたかも。

……成功する保証はない、危険な賭けになる。


シリウスは、彼女とヴェントゥスの顔を思い浮かべると、祈るようにその瞳を閉じた。


***

アストリア王国の王宮では、新月の宵闇が窓の外に広がる中、ローレンスが国王に戦への出立前の挨拶をしていた。


「魔術師団、騎士団の全軍は既にディーク王国に向かわせております。キャロラインと私もこれから転移魔法で向かい、軍と合流します」

「……今度こそ、失敗は許さんぞ」


怜悧な視線を向ける国王に、ローレンスは余裕を含んだ笑みを見せる。

「当然承知しております、国王陛下。フレデリック皇太子殿下も、どうぞご安心して吉報をお待ちください」


国王の斜め後ろには、硬い表情のまま口を閉ざすフレデリックがいた。

カーグ家の家長ヘンリーが、フレデリックに慇懃に口を開く。

「フレデリック様、此度は娘のキャロラインも全力で軍をお支えします故、戦果をご期待いただけますよう。

おや……」


ヘンリーはローレンスに数歩近付くと、彼に耳打ちをする。

ローレンスは口の片端を上げてにやりと笑んだ。


「……どうやら御客人のようです。

招いてはいない客ですが、丁重に彼らをもてなしてからディーク王国に向かうことに致しましょう。

キャロラインも、お迎えを」


キャロラインは無言で頷くと、立ち上がった。


その時、部屋の窓の外に鋭い光が走るのが見え、空気が衝撃に揺れた。王宮を覆う結界の出入口付近からだった。

ローレンスがふっと溜息を漏らす。


「随分と乱暴な御客人ですね。……お呼びのようなので、すぐに参りましょう」


(飛んで火に入る何とやらというが、その言葉通りだな……)


ローレンスは国王に一礼すると、キャロラインを伴ってその場を後にした。

国王に背を向けたローレンスは、抑えきれず、冷酷な勝ち誇った笑みを顔中に浮かべていた。

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