魔術と魔力

ヴェントゥスと一緒に客間に戻ると、安心して気が抜けたのか、どっと疲れと眠気が押し寄せてきた。


客間は大きな窓のある、贅沢な広さの部屋だった。今は夕陽が差し込んで、部屋をほの赤く照らしている。上質な艶のある木で造られたテーブル、椅子と鏡台が配置され、広々としたベッドとソファには美しく繊細な刺繍の施された布がかけられている。


全体的に落ち着いた色合いのその部屋は、何だか懐かしいような、不思議な安心感があった。


その居心地のよさも手伝ってか、いよいよ眠気が強くなる。


申し訳ないとは思いつつ、今日は早めに休む旨、リュカード様に伝言を依頼し、ベッドに入る。

一緒にヴェントゥスがベッドに潜り込んできたところまででことりと記憶が途切れ、私は泥のように眠った。


***

昨夜は早めに休んだせいか、今朝の寝覚めはとてもよかった。


昨日は1日でいろいろなことが起こり過ぎて、目が覚めたときは一瞬、自分がどこにいるのかわからなくて混乱した。けれど、私にぴったりとくっついている白くてふわふわとした存在の温かさが、これは夢ではないと教えてくれた。


…ふふ、昨日家を追い出されたのに、まさか自分の部屋のベッドよりもふかふかのベッドで目覚めるなんて。

人生、何が起こるかわからないわね。


そんなことを考えつつ、ヴェントゥスを起こさないようにそっとベッドを抜け出すと、手早く身支度を整える。

身支度をちょうど終えたとき、控えめにコンコンとドアをノックする音がした。


ドアを開けると、朝から溌剌とした笑顔のローナが立っていた。


「起こしてしまったら申し訳ないと思いましたが、起きていらして安心いたしましたよ。

リュカード様がアリシア様を朝食にお誘いです。

よろしければいかがですか?」

「はい、ぜひご一緒させてください!」


ちょうど、もっとお話してみたいと思っていたところだった。

昨日の馬車では、さすがにぐったりとしているリュカード様に話しかけるのも申し訳なく、泊めていただくという話になった後はあまりお話できなかったのだ。


ローナがさらに笑みを深める。

「私も長いことこの家で働いておりますが、…それはもう、坊ちゃん、いえリュカード様がお小さい頃から存じ上げていますが、女性をお食事に誘うなんて、初めてのことで、驚いておりますよ。

もしかしたら、あまり女性と接していないリュカード様に不躾なところがあるかもしれませんが、どうぞ広い心でお許しくださいましね」


楽しそうなローナに笑みを返して頷く。

ちょうどベッドから床に降り立ったヴェントゥスを抱き上げて、朝食に向かった。


***

ダイニングルームでは、既にテーブルの上に朝食が並べられていた。

湯気のたつスープにふっくらとしたオムレツ、こんがりと焦げ目のついた肉汁の滴るベーコンに、香ばしいパン。彩り鮮やかな野菜とフルーツも添えられている。

しかも、ヴェントゥス用のお皿までちゃんと分けて用意してあった。


…昨夜は眠気に負けて、夕食を抜いてしまったのよね。美味しそうだわ…!


食欲に目が眩んでじっとテーブルの上を見つめていると、テーブルの脇でこちらを見る4つの目にはっと気付いた。


…しまった。


「お、お早うございます」


慌てて頭を下げると、くすりと笑いながら先に手を差し出してきたのは、馬車でリュカード様を心配していた従者と思しき男性だった。


「お早うございます。ご挨拶が遅くなりましたが、僕はザイオン・テーム。リュカード様の側近です。

…アリシア様、昨日は助けてくださって、本当にありがとうございました」


私は慌てて首を振る。

「いえ、私は何もしていませんから。回復薬も、いただきものですし…。

私も、お名前を伺いそびれたと思っておりましたが、改めてご挨拶できてよかったです」


握手をしたとき、なぜだか不思議そうに私の顔を見つめられた気がしたが、気のせいだろうか。


「僕も、朝食をご一緒しても構いませんか?」

「はい、もちろんです。ザイオン様」


そう答えると、ザイオンは嬉しそうに微笑んだ。

栗色のサラサラとした髪に、琥珀色の瞳の人懐こそうな爽やかな彼は、やはり随分と話しやすそうな雰囲気だ。

よく見ると、片目だけ赤味を帯びている。魅惑的な、綺麗なオッドアイだ。


「それはよかった。僕はリュカード様と違って高位貴族ではないし、ザイオンでいいよ?」

「よろしいのですか?では、お言葉に甘えて。私のことはアリシアとお呼びください」


「じゃあ、よろしくね、アリシア。

…リュカード様。ご覧の通り、アリシアの了承も得られたので、僕も朝食に参加しても異存ありませんよね?」


リュカード様を振り返りながらにこやかに話すザイオンに、あきれたようにリュカード様が答えた。

「ああ、アリシア嬢がそう言うなら構わないよ。

…改めて、俺はリュカード・ノーク・グラキエス。このグラキエス家の長男だ」


差し伸べられた手を取り、握手をする。

…朝陽の差すダイニングルームで改めて見る彼は、眩しいくらいに美しい。そして、この大陸でミドルネームがあるということは、やはり高位貴族なのだなと思う。


少し手が震えたのに気付かれたのだろうか、彼は握手しているとき、私の手を観察でもするかのようにじっと見ていた。


「リュカード様、私は今は家を追われた身です。貴族でもございませんので、アリシアとお呼びくださいませ」


リュカード様は私を見つめて、頷いた。


椅子を勧められ、食事を始める。

ヴェントゥスを見ると、いつの間にか自分用の皿から器用に食べ始めていた。


緊張している私に気付いたのか、ザイオンが微笑んでくれる。


「リュカード様と2人だと、もしかしたら堅苦しくなるかと思ってさ。リュカード様、あまり女性と話さないから、だんまりの朝食になっても嫌でしょう…?

アリシアは今年16歳と言っていたよね、僕も同い年だよ。気楽に、聞きたいことがあれば遠慮なく聞いてね」


リュカード様が溜息をつく。

「おい、ザイオン。お前は…」


2人の様子を見ていた私は、あっけに取られた後、思わずくすくすと笑い出してしまった。

目の前の2人は、単なる主人と側近、という関係とも違うようだ。


「お2人は、随分と仲がよろしいんですね。昔からのお知り合いなんですか?」


リュカードが口を開く。

「ああ、幼なじみだ。俺たちは2歳差で歳も近いし、住んでいる場所も近かったから、幼い頃からよく遊んでいたんだ。

…今もこんな口調で俺に話しかけるのは、ザイオンくらいかもしれないな」


ザイオンが笑みで返す。

「リュカード様は、幼い頃から変わらないよ。ちょっと人を寄せ付けないような、壁を感じるところがあると思えば、人の気持ちには人一倍敏感で。…一見取っ付きにくく見えるかもしれないけど、すごく優しいから安心して」


私は首を傾げる。

もちろん、あまりに美しい顔立ちと独特な気品に、少し緊張はするのだけれど…。

「そもそも、リュカード様、お優しい方だと思いましたよ?

取っ付きにくいとか、思いませんでしたし。もし黙っていらしたとしても、居心地の悪さを感じないというのでしょうか。馬車の中で座っていた時もそうでしたし…」


はっとリュカード様を見ると、耳が真っ赤になり、食事の手が止まっている。


ザイオンがにやりと笑った。

「…リュカード様の理解者が現れて、僕は嬉しい」


そして、急に真顔に戻って口を開いた。


「話を急に変えてしまって、悪いけど。…アリシアは、魔術が使えないとわかって、家を追い出されたと言っていたよね。

アストリア王国では、それは一般的なことなの?」


答えたくないなら答えなくていいと前置きされたけれど、私は問題ないと頷いた。

きっと、この辺りの話が朝食で話そうとしていた本題だろう。


「はい。…アストリア王国では、魔術の強さで家格が決まります。

…恐らくこのディーク王国でも同じようなものだと思いますが、魔術の能力は遺伝によるところが大きいためか、普通は親の代、子の代で魔術の能力レベルが大きく変わることはそう多くはありません。なので、普通は家格に大きな変動は生じません。

けれど、時々、飛び抜けて魔術の才に優れた者が生まれることがあり、その場合には、その家の貴族位が魔術の能力に応じて跳ね上がります。ただし、本人の魔術の制御がうまくいかないなどの要因で、魔術を暴走させるなどした結果、家自体がなくなってしまうことも歴史上散見されます。…ある意味、諸刃の剣とも言えるかもしれませんね。


また、逆のケースで、魔術に優れている家系に魔術の能力のない者が生まれることも、稀にあります。…私のようなケースです。

その場合には、放っておくと家格が急落する憂き目に遭います。なので、たいていは、そのような者は家から除籍され、追い出されるのです」


リュカード様が、気遣わしげに眉を顰める。

「それは、いくらなんでも横暴なのではないだろうか。

この国でも、魔術師の家系に魔術が使えない者が生まれることはあるが、だからといって、家族は家族だ。追放など、聞いたことがない」


私は力なく笑った。

「先程申し上げた通り、アストリア王国では、魔術の能力は遺伝によるところが大きいと信じられています。

…もし、魔術の才能がないのに、家名を残してしまい、さらに子孫が残れば、魔術の使えない者が、家名を継いでしまう可能性がある。たとえそれが、家を継がない女性であったとしても、家系図にそのような名が残るだけで不名誉とされます。


そのような者を身内に残すだけで、ただでさえ家格が下がるリスクがあるのに、さらに先の代まで考えれば、それは、家格を尊重するアストリア王国の貴族にとっては、自殺行為とも言えるでしょう」


「なるほどな…」


リュカード様、ザイオンとも口を噤んでしまった。重苦しい沈黙が落ちる。


何かを考えるようにしばらく視線を宙に向けていたリュカード様は、私に問いかけた。


「では、魔術は使えないが、魔力は持っている者がいた場合、アストリア王国ではどうなる?」

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