そばうどん戦争

@Hisa-Kado

開戦

これは、私がうどんを食べるために戦った記録である。


 信州でうどんを食べることの熾烈さと、過酷さ、それ故の勝ち取ったものの大きさ。

 この物語をうどんを愛する全ての者に捧げる。



 長野県は松本、この信州の地に私が居着いてからかれこれ2年が経とうとしていた。この2年間、私は全くとしてうどんを食していない。日頃の麺類といえばもっぱらラーメンとパスタである。その生活を表すのであれば、米米ラーメン米パスタ、米パスタ米冷やし中華といった具合だ。そろそろ、うどんが食べたい。

「なら食べろ」そういう気持ちもまぁわかる。だがここは信州松本だ。これだけ説明すれば十分であろうが、知らない方のために説明する。信州はそばの名産地なのである。香川県をうどん県とするなら、長野県はそば県だ。うどん県でそばをたべることが容易でないように、そば県でうどんを食べることもまた容易ではない。長野県において、うどんは幻の食べ物とされているのだ。

 長野県に来る用事があるなら、試しに街を眺めるといい。通常は『そば・うどん』との看板があるはずの店は軒並み『そば』。地域のスーパーマーケットの麺食売り場にはそばが所狭しと並べられている。大学の学食のメニューには当然のようにうどんは無く。極まっては、全国チェーン店のコンビニにすらうどんが置いていない始末だ

 とにかく徹底したそばっぷりであり、うどんを食すことは愚か、その存在を確かめることすら難しい。生まれてから長野にいる生粋の信州人は、うどんを架空の食べ物と思っているとかなんとやら。「この県に入るものはうどんへの希望を捨てよ」と古の文書には書いてあるらしい。

 このうどんへの徹底的な抹消には、とある組織が関与しているとの噂がある。その名は『大信州そば連合』。信州のそば産業を裏で統括しているとされる組織で、長野県全土の麺文化を管理しているとされる。噂によればその力はインターネットによる情報統制にまで及び、ネットでうどんを注文しようとする者がいればそれを遮断し、「うどん」の画像検索すらもできないようにしているらしい。とんでもない都市伝説だ。そしてその本部はこの松本のどこかの地下にあり、日々うどん派閥を取り締まっていると語られる。もしうどんを食べている姿を連合の者に見られでもしたら、身ぐるみを剥がされた後に浅間温泉のとある旅館の奥にあるそば湯の風呂へと投げ込まれ、一生そばから逃れられない体にされるという。こんな嘘のような話ではあるが、松本のそば文化っぷりを見ていると全て嘘だとは笑えない。

 ともかく、松本でうどんを食べることがいかに困難なことであるか理解いただけたであろう。しかしその日の私はうどんが食べたかった。


 うどんが食べたい。うどんが食べたい。そう呟きながら私は冬の街を彷徨う。埼玉からこの街へ来て2年、発作とも言えるうどんへの衝動を抑えることはもう叶わなくなっていた。埼玉は香川に続いてうどんが消費されているうどん大国なのである。18年の間に埼玉で生まれ育った私は当然にうどんが大好きであり、可能であれば毎日食べていたいほどであった。そんな私が2年もうどんを食べていないのだ。多少奇行に走ってしまうことは多めに見てもらいたい。すでにあたりのコンビニやスーパーは回り尽くした後である。うどんはなかった。失意の中、最後の希望を持ち、どこかでうどんをゲリラ的に販売している屋台でもないものかと駅前から松本城、そして縄手通りと歩き回った。しかしない。うどんを食べるには長野県から抜け出すしかないのか。そんなことを考えていると、横を流れる女鳥羽川の対岸で、2人組がこちらを見ながら何かを話していることに気がついた。

「おい、あいつじゃないか」

「あぁ、間違いない。捉えるぞ」

何やら物騒な話をしている。恐ろしい。事件だろうか。なるべく関わりたくない。私はうどんが食べたいのだ。しかし、チラリとあたりを見渡すと私以外には誰もいない。すると彼らの目当ては私であろうか。いやそんなはずはない。きっと人違いだろう。私が1人納得していると彼らは近づきながら話しかけてきた

「いいか、逃げようなんて考えるんじゃないぞ」

「そうだ、大人しく捕まれば悪いようにはしない」

なるほど完全に勘違いされているようだ

「人違いですよ、私はあなた達なんて知らない。誰かと間違えている」

これで誤解は解け、厄介からは逃れられたと思われたが、そうはならなかった。彼らは怒りをあらわにしながらこちらに走ってきたのである。

「そんな目立つニット帽をしておいてシラを切るか!」

「絶対に逃がさん」

なんたることか、寒さ対策にとかぶってきた帽子が勘違いの原因らしい。こうなっては手遅れだろう。今更帽子を取り「違うほら!」と言ったところで「うるさい黙れ!」とどこかへ連行されるがオチだ。となれば私が取るべき行動は一つ。それすなわち逃げることであった。

 私はさながら流行りの曲が如く夜を駆けた。女鳥羽川を登り、中町通りを抜け、城を周り、再び縄手通りの入り口へと戻ってきた。なんとか奴らを撒いたようだ。しかしまぁ、原因となったこの帽子、これは友人である比嘉から貰ったものだ。私の厄介ごとの中心には何かと奴が絡んでいる。忌々しい奴め。うどんも食べられなければ、知らない男達から追い回される。近年稀に見る災難な日であった。思えば大学に入ってから不運が続いている気がする。今度お祓いでもしてもらおうか。縄手通りのすぐ横にある四柱神社でやってくれはしないだろうか。あぁ四柱の神よ、私の不運を消し去り、薔薇色のキャンパスライフと白色のうどんをもたらしてくれたまえ。ちなみに四柱神社に祀られている神はむすびの神らしい。きっと恋だろうが縁だろうがうどんでさえも結んでくれるだろう。もっとも、比嘉との縁を切る方がより楽で確かな方法であることはわかっている。

 そんな下らない神頼みの妄想に耽っていると、縄手通り入り口横にある公衆電話がピリリと鳴った。公衆電話へと電話をかけられることは知っているが、一体誰が何のために今かけてきたんだ。ここには相変わらず私以外誰もいない。このまま鳴らし続けていれば奴らが音で寄ってくるやもしれん。それに、何者かはわからないが、この今日の怒りを誰かに当てなければ気が済まなかった。勇んで電話に出る

「ええい!間が悪い!5分後にかけ直せ!」

向こうに返事の隙を与えずに切る。八つ当たりだ。どこの誰だかわからんがすまない。だがおかげで少しだけスッキリした。さてこれからどうするか。改めて考えよう。ニット帽をどこかに捨ててうどん探しを再開するか。それとも今日は帰って寝るか。いいやヤケ酒か。そんな思いを巡らせていた。すると、目の前にある縄手通りを象徴するカエル像の後ろの床、いや地面、というか石畳になっているその部分がギギギっと持ち上がった。床下収納の扉のように開いたのだ。その穴からは1人の男が顔を出した。

「どうやら本物のようだな。歓迎するぜ、入りな」

また何やら勘違いされているようだ

「なんの話だ」

「とぼけなさんな、さっきの電話での暗号にその帽子。あんたが今日来る新人なんだろ。早く入れ、今日は奴らが出回っている。見られるとまずい。早く入りな」

また帽子だ。しかもさっきの電話もなにかのトリガーになっていたらしい。相手は私を新人とやらに確信しているようだ。こちらの手を引いて中へ引き込もうとする。いかにも怪しいそこへは入りたくない。それに後で勘違いだとバレたら色々と大変なことになりそうだ。手を振り解いて逃げようとすると、すぐ向こうに先程の奴らがいるのが見えた。

「やばい」

思わず声が出た。それに反応し、手を引く男の力が強まる。

「奴らだ、早くしろ。えい、どんくさい」

その言葉とともに男は私をグイと引き込んだ。男達に気を取られていた私は抵抗する間もなく引き込まれ、そしてバランスを崩し、地下へと続く階段を転げ落ちた。

「おい大丈夫か、悪かったな。緊急事態だったんだ。」

そう言いながら男は手を差し出す。落ちた先は明るい空間が広がっており、さっきまで夜の闇の中にいた私は、眩しさに目が眩んだ。ぼんやりと周りを観察する。どうやら他にも何人もの人間がいるみたいだ。そのうち光にだんだん慣れてきてあたりの様子がわかってきた。男の手を取り立ち上がる。

「ようこそ」

「歓迎するよ」

「これから一緒に頑張ろう」

誰もが口々に私を歓迎しているようだ。どうやら新人とやらに勘違いされているらしい。いったいどんな組織なのだろう。パッとあたりを見渡すと、正面の天井付近に大断幕が掲げられていることに気づいた。


 『大信州そば連合』そこにはそう書かれていた。


「さぁ!一緒にうどん派を信州から駆逐しよう!」

彼らは笑顔でそう語りかけてくる。

 これが私の戦いの始まりであった。

 

 今一度言おう、この物語をうどんを愛する全ての者に捧げる!

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