46.夏の終わり(円)


 目を開けると、もう外はすっかり夜になっていた。電気を点けて枕元を探ると、水の入ったペットボトルとメッセージカードが置いてあった。


「なんだこれ」


 ニコからの手紙だった。「後でお肉持ってくるね」と書いてある。


 そうだ、夜はバーベキューだった。今頃、肉を焼いているんだろう。窓の外を見ると向こうの方で、火を焚いているのが目に入った。


「良いなあ、肉」


 色杏先輩からの情報によると、土鍋先生の差し入れの肉は相当良い肉らしい。


 せっかくだから焼いてすぐのやつが食べたい。と言うか、あの中に混ざりたい。こんな時にぼっちなんて悲しい。


 行こう。せめて肉だけもらいに。

 体調も大分良くなっている。シャツとジャージに着替える。こそこそデッキに近づいていくと、煙と良い香りが漂ってきた。


 隅っこのベンチで、金色の髪がフラフラ揺れているのが目に入った。ニコだ。海の方を見つめる彼女の顔はぽうっと赤らんでいた。


 様子がおかしい。


「どうした。めちゃくちゃ顔色悪いぞ」


 声をかけると、驚いたようにこっちを向いた。


「お兄ちゃんどうして。部屋で寝てなきゃダメだよ」


「良い匂いがして。いてもたってもいられず」


「もう食い意地張ってるんだから」


「後、それと」


 ニコの隣のベンチに腰掛ける。


「普通にさみしかった」


 わいわいとにぎやかな声が聞こえてくる。


「最終日だし。クランクアップしたし。つーか俺が一番身体張った気がするし」


 足が筋肉痛でパンパンだった。あんなに歩いたのは久しぶりだ。


「だから雰囲気だけでもと思って」


「その気持ちは分かるけど」


「ていうか、体調悪そうけど大丈夫か」


「大丈夫じゃない。うつった。お兄ちゃんのせい」


「うわ。ごめん」


「うそうそ。冗談」


 顔色は悪かったけれど、いつもより上機嫌そうに彼女は言った。


 コンロの方を見ると、天道さんが立って何かを焼いていた。竹満たちがそれを遠巻きに眺めている。肉っぽくない甘い匂いがする。


「天道さん、何焼いてるんだ?」


「多分、大福アイスだと思う」


「大福アイス?」


「焼くと美味しいんだって」


「そうなんだ」


 良く分からないけれど、バーベーキューに持ってくるものじゃない気がする。みんなそれに気を取られていて、俺が来たことに気がついていない。


 まぁ見ているだけで十分だ。


 チャプンと海の音が聞こえてくる。夜の海は静かだった。遠く向こうの方に何かのあかりが見える。結局、海水浴はできなかったけれど、眺めるだけでも悪くはない。


 しばらくぼうっとしていると、ニコがスッと人差し指を海に向けた。


「あっちのね。ずっと向こう」


 彼女の瞳は、何かを見つめていた。


「何があるか分かる?」


「えーと。何だろ。島?」


「それはそうだけど。海を渡って、もっとずっと先のところ」


 何だろうと、想像する。検討がつかない。

 分からないと言うと、ニコは小さな声で言った。


「私が住んでたところ」 


 懐かしそうに彼女は目を閉じた。 


「ちょうどあっちの方角なの。ずっと海を渡って。車で行ったらバーバと一緒に暮らしてた家がある」


「へえ。そうか。そうなんだ」


「それでね。それが今はすごく不思議」


「不思議?」


「うん」


 彼女は手を下ろすと俺の方を向いた。白い明かりが彼女の顔の左半分を照らしていた。


「もう随分とここにいる気がするから。つい少し前までは、ここから見えない、あんな遠くにいたなんて不思議」


「そうだなあ。俺もそんな気がする。ニコはもうすっかり馴染んでるし」


「うん。あの時の私は、自分がこんな場所にいるなんて想像していなかった」


 ぼんやりと夢見心地に彼女は言った。


「新しい家族ができて、新しい友達もできた」


 風が吹いて長い髪がなびいた。夏にしては冷たい風。潮の香りがする。


「これは全部、お兄ちゃんのお陰なんだよ」


「いや……そんなことないだろ」


「ううん。お兄ちゃんが私に声をかけてくれたから。あの時、声をかけてもらえなかったら、私はずっと迷子で誰にも出会えなかったと思うから」


 彼女がキュッと目を細める。


「だから、お兄ちゃんのお陰って言ったの」


「たまたまだよ。それに俺がいなくても、勝手に着いてたよ」


「そうかな?」


「そうだろ」


 のぞきこむように彼女が見ている。火照った体温が分かるくらい近くに来て、彼女は悪戯っぽく笑った。


「赤くなってる」


「ん?」


「顔が赤くなってるよ」


 自分の頬に手をやる。ちょっと熱い。


「風邪だよ」


 服の下で肌が汗ばんでいる。


「お礼を言うのはこっちだよ。色々ありがとう」


 色々ってなあに、とニコが言う。 


「色々だ」


 言葉にするとキリがない。ニコが来てからの生活は絵の具をこぼしたみたいに、慌ただしくて鮮やかだった。


 楽しい、と言ってしまえばそれまで。 


「あら? 円くん」


 顔あげると、天道さんがいた。手に持っている紙皿から、さっきの甘い香りが上っている。


「来たのね。具合はどうなの」


「おかげさまで。だいぶ」


「ニコちゃんがずっと看病してくれたんだから。そしてちょうど良かった。これ食べる?」


「何です?」


「大福アイス」


 こんがり焼かれた大福の上に、バニラアイスが乗っている。じんわりと溶けていくアイスから、あんこの甘い匂いがする。


「美味しいわよ」


「じゃあ、ちょっとだけ」


 スプーンですくって口の中に入れる。とろりとした食感。温かくて冷たくて美味しい。舌が痺れるくらい甘い。


「うお。すごい」


「美味しいでしょ」


「美味しい。うおお、舌があんこに」


「病人には刺激が強過ぎたかしら。ニコちゃんはいる?」


「はい、いただきます」


 あんこを口に入れたニコは、パアッと顔を輝かせた。


「わあ。美味しい」


「でしょう」


「口の中があんこに」


 ほっぺたをおさえながら、彼女はブルブルと身を震わせた。肉目的だったけれど、これは美味しい。


 2人で並んで食べていると、天道さんが腕を組みながらポツリと言った。


「こうやって見ると、二人ってそっくりね」


「そうですか」


「うん。そっくり」


 ニコと顔を見合わせる。誰かにそんなことを言われるのは初めてだった。悪い気はしない。


「そりゃあもう」


 ニコも同じようだった。彼女は嬉しそうに笑っていた。


「私たち兄妹ですから」


「それもそうね」


 天道さんはクスクスと笑った。


 大福アイスを食べていると、竹満と瑛子がこっちに気がついて声をあげた。


「あ、起きてる」


「おおマド。サラダチキンあるぞ」


「普通の肉が食べたい」


 サラダチキンのチーズがけは美味しそうだったけれど、欲しいのはそんな色物じゃない。


 普通の肉を食べてるのは色杏先輩だけだった。もくもくと肉を食べている色杏さんに、天道さんが近づいていく。 


「色杏。円くん、来たわよ」


「お。元気そうじゃん。肉食べる?」


「いただきます」


「うい」


 串に刺した肉を網の上に乗っけた。パチンと脂が弾ける。俺がウーロン茶のカップを持つと、天道さんが色杏先輩の肩をつついた。


「みんな揃ったわ。色杏、挨拶してよ」


「えー。挨拶するの。チーム違うのに」


「肩書きは色杏が部長でしょ。締まらないわ」


「締まらなくても良いんだけど」


 えー、と仕方なさそうに色杏先輩は姿勢を正した。


「みんなのおかげで無事にクランクアップしました。と言うことで」


 珍しく気恥ずかしそうにゴホンと咳払いをすると、色杏先輩は手に持ったカップを掲げた。


「3日間、お疲れ様でした」


 終わってみるとあっという間だった。誰かとこんな長い旅行をしたのは、本当に久しぶりだった。


 大量にあった食材は空になった。サラダチキンも、大福アイスもなくなった。竹満が持ってきた花火をやっていたが、寒くなったのですぐ部屋に帰って寝た。


 帰りのバスはみんなも疲れて寝ていた。途中で目を覚ますと、行きと同じロッキーの映画が流れていた。次に目を覚ました時には、近所の駅前通りが見えてきていた。


 家まで送ってもらって、土鍋先生からもらったあじの干物と、やわらか温泉まんじゅうをお土産として母親に渡した。


 帰るなり熱でぼうっとしている俺とニコを見て、母親は困ったように笑った。


「あらまあ2人揃って風邪かあ。楽しかった?」


 ニコがこくんとうなずく。


「よっぽど楽しかったんだね。良かった」


 その日はずっと看病してくれた。隣並んだ布団でおかゆを食べた。そのままコテンと横になったニコはぐっすり眠っていた。


 夜になって水が飲みたくなって身体を起こす。


 大分頭が軽くなっていた。


 耳をますと窓の外の植え込みから、かすかに秋の虫の声が聞こえてきた。8月も間も無く終わる。


 9月からは新学期が始まる。ニコが学校に通う日がいよいよ近づいてきていた。

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