45.何でも焼こう(ニコ)


 おかゆを食べたまどかはすやすやと寝ていた。さっきよりは顔色が良くなっている。


 気合を出したかいがあった。

 巫女服を脱いで、部屋着のパーカーに着替える。一回きりじゃ勿体ないくらい可愛い服だった。他に着る機会でもあれば良いけれど。ダメだ。思い浮かばない。


 しばらく円の横でぼうっとしていると、色杏さんたちからクランクアップしたよー、と連絡があった。ちょうどその時、天道さんと瑛子ちゃんが部屋の扉を開けた。


「お帰りなさい。天道さんたちも撮影終わったんですか」


「ええ。おかげさまで。具合はどう?」


「寝ちゃってます。ぐっすり」


 子どものように寝入っている円を見て、天道さんはホッとした顔になった。


「良かった」


「全く幸せな寝顔しやがって」


 瑛子ちゃんが頬を引っ張ると、円は「うう」と苦しそうにうなった。


「ああ。起きちゃうよ」


「ちょっとは感謝の言葉でも述べさせてやろうと思って」


「さっきありがとうって言ってたよ」


「そうなの。そうなんだ」


 ふーん、と瑛子ちゃんは面白そうに笑った。


「何か具合良さそうだね」


「うん。解熱剤のおかげ」


「そうね」


 クスクスと笑いながら、天道さんは円の顔を覗き込んだ。


「とても幸せそうな顔をしている」


 彼女が人差し指でツンツンとほっぺたを突くと、円は「うう」と苦しそうにうなった。


「会長、ちょっと近いです」


「そうかしら。まあ良いじゃない」


 一通りいじくり回して満足したのか、天道さんは「さて」と立ち上がった。


「夕飯の支度をしましょうか。今日は私たちだけで準備をしないといけないし」


「色杏さんたち、先に行ってるって言ってました」


「じゃあ円くんには悪いけれど行きましょうか。後でスープ作って持ってこようかしらね」


 寝込んでいる円を後にして、バーベキュー場へと向かうことにした。そこからは、海が遠くの方まで見えるようになっていた。


 バーベキュー場に入ると、竹満くんが炭に火を入れようとしているところだった。


「お。ナイスタイミングです」


 バーベキューのコンロから、静かに煙がのぼっている。


「ちょうど準備できたところです。マドどうでした?」


「うん大丈夫そうだよ。あれ。色杏さんは?」


「食料持ってくるところです」


 しばらくすると色杏さんがガラガラと台車を引いてきた。たんまりと食料の段ボールが積んである。


「お待たせー。何か冷蔵庫にある食料めちゃくちゃ多かったんだけど」


「家から焼きたいもの持ってきて良いって言われたんで。つい」


 竹満くんが申し訳なさそうな顔をする。


「ついついサラダチキンを持ってきてしまいました」


「こんなにはいらないなあ。竹満くんしか食べないだろ」


「私も肉なのに魚持ってきちゃって。オイルサーディンを……」


「ニコちゃんも問題ないの。これだよこれ。冷凍庫の大部分を占領してたぞ」


 色杏さんがやたらと大きなクーラーボックスを開ける。ドライアイスの煙がもうもうと広がっていく。


 中から現れたのは立派な木箱だった。


「何でしょうこれ」


「ああ、それ」


 天道さんが自慢げな顔で、木箱を取り出した。


「私の入れた大福アイス」


「うわあ。いらねえ」


「餅を焼くと美味しいの」


「本当かなあ。絶対いらないような気がする。とりあえず隅っこによけとく」


 色杏さんはデッキの隅にクーラーボックスを運んで行った。


 お肉と野菜から焼くことにした。真っ赤な肉がジュウと良い音を立てる。


「わあ。何この肉。美味しい」


 瑛子ちゃんがお肉を頬張ほおばりながら、ぷるぷると口を震わせた。


「こんなに柔らかい肉あるの。嘘でしょ」


「土鍋先生からの差し入れだよ」


「ああ。あの人、結局一度も現れなかったですね」


「毎年こんなもんよ」


 色杏さんが手際良く次から次へとお肉を焼いていく。


 だんだんと辺りの日が暮れていった。最初の日と違って風の勢いもない。炭の火がぼうっと暗闇に浮かび上がった。


「くしゅん」


 時間が経つにつれて、潮風が冷たくなってきた。このパーカーだとちょっと薄手過ぎたかもしれない。風の当たらない隅のベンチに座っていると、天道さんが寄ってきた。


「どうしたの。眠くなっちゃった?」


「いえ。ちょっと疲れちゃったのかもしれません」


「それもそうね。本当にお疲れ様」


 天道さんが私の隣に腰掛ける。

 コンロの方では竹満くんが大量のサラダチキンを焼いていた。色杏さんと瑛子ちゃんが、その姿を遠巻きに眺めている。


「ニコちゃんが持ってきたお魚、とても美味しいわ」


「良かったです。私も好きで。お醤油とマヨネーズかけても美味しいんですよ」


「うん。初めて食べたけど。気に入った」


 もぐもぐと口を動かしながら、天道さんは顔をほころばせた。側にあるライトの白い光が彼女の顔に照っている。本当に綺麗な横顔だ。


 フォークを置いた天道さんは、私の方を向いた。


「いつもご飯とか作ったりしているの?」


「たまにですけど。お兄ちゃんがよく手伝ってくれます」


「へえ」


「お兄ちゃん、料理上手なんですよ」


「それは意外ね」


「お味噌汁作るのが得意なんです」


「ふむふむ」


 興味深げに天道さんは言った。


「そういう話。もっと聞きたい」


「料理の話ですか」


「ううん。ニコちゃんと円くんの話。普段どんな風に生活してるのか」


「ええと」


 それは少し照れる。


「大した話ないですよ。一緒にご飯作ったり、買い物行ったりしてるだけで。お兄ちゃんはいつもバイトで忙しいから」


「一緒に暮らし始めたのはいつから?」


「今年の6月からです」


「意外と短いのね」


 天道さんは目を丸くした。


「すごく仲良さそうに見える」


「だって、家族ですから」


「家族だからって仲良いとは限らないじゃない。仲の良くない家族だって沢山いるし」


 天道さんは、遠く向こうに視線をやった。ボソリと小さな声で彼女は言った。


「うらやましいなあ」


 表情は分からなかったけれど、声色は寂しそうな感じだった。天道さんがそんな反応をするのは意外だった。


 昨日見せた浮き足だった感じとも違う。


「天道さんはお兄ちゃんのこと好きなんですか」 


「んっ」


 息をつまらせて、天道さんはゲホゲホと咳き込んだ。


「どうして分かったの」


「見れば分かります」


「ああ。やっぱり役者を引退して正解だった。昨日のダウトもそうだけど、そんな簡単に当てられちゃダメね」


 照れ臭そうに彼女は自分の髪に触れた。


「好きなのかもしれない。あなたのお兄ちゃんのこと」


「かもしれないんですか」


「まだ分からない。でも目で追っちゃう。話しかけたくなる。いないと寂しい気持ちになる」


「それって多分好きって言うんですよ」


「そうなんだ」


 天道さんはグッと脚を伸ばした。今日の彼女は藍色のスカートと、少しの高めのヒールを履いていた。


 竹満くんがサラダチキンを焼き終わっていた。その上に瑛子ちゃんが持ってきたチーズをかけている。とても美味しそうな匂いがする。


「演技の上では何度か恋はしたことあるんだけれどね」


 そんな光景を見ながら、彼女はぼんやりと言った。


「でも今考えると、つたない演技だったわ」


 まだ子どもだったからかな、と彼女は言葉を続けた。


「認めるのも恥ずかしいくらい。だから、まだ良く分からないの」


 自信なげに小さな声で彼女は言った。手をぎゅっと握って、何度もまばたきをしている。


 本当に子どもみたいな顔だ。

 天道さんもまだ子どもなんだ。


「ふふ」


 そう思うと、なんだかおかしくて笑ってしまった。「どうかした?」と言った天道さんは不思議そうな顔をした。


「何か変だった?」


「いや。あの。天道さんが「子どもだった」なんて言うとは思わなかったから」


「そう?」


「すごく大人な人だと思ってました」


「まさか。歳1つしか変わらないじゃない」


 それもそうですね、と言葉を返す。天道さんは「そういえば」と思い出したように言った。


「この前聞けなかったら聞かせて。ニコちゃんの恋話」


「い。今ですか」


「今、聞きたいわ」


「本当に無いですよ。そう言うの」


 慌てて手を振る。


「話すようなことなんて何も無いです」


「でもモテたでしょ。可愛いし」


「そんなことないです。私、コミュ障でしたし」


「じゃあタイプの人」


「うーん、と」


 ずいずいと詰めてくる天道さんから、視線をそらす。


 タイプ。

 タイプの人。


 お味噌汁が思い浮かんだ。そう言うことじゃないな。


「くしゅん」


 冷たい風が頬に当たる。唐突に頭がぼうっとしてきた。


「ニコちゃん?」


 ヒヤッとした手がおでこに当たった。天道さんが「あら」と目を丸くしていた。


「ちょっと熱い」


「頭がぽうっとしてて」


「大変」


 慌てた様子で天道さんは立ち上がった。


「大丈夫? 部屋に帰る?」


「そんな大したことないです」


「無理しないほうが良いと思うけど。明日は移動しないといけないし」


 天道さんが心配そうに言った。確かに誰かにうつしてしまったらちょっと悪い。


「じゃあ。ちょっとだけお願いが」


「お願い。何かしら」


「余ったお肉をちょっともらって良いですか」


 眠りに落ちる前に円が「行きたいなあ」と言っていた。


「お兄ちゃんに持っていくって約束してて」


 こんなに楽しいんだから、ちょっとくらい分けてあげたい。


 天道さんはニッコリとうなずいた。


「分かった。待ってて」


 天道さんがコンロの方に歩いていく。

 コンロではまだ竹満くんがサラダチキンを焼いていた。チーズと炭の匂いがする。いつもは食欲をそそる匂いだけれど、今はちょっと重い。


 やっぱり風邪かな。

 潮風が冷たい。もうちょっと厚着して出てくるんだった。


 ぼんやりと視界がかすんでいく。


 遠くなる波の音を聞いていると、パサリと肩に黒いジャージがかかった。


「どうした。めちゃくちゃ顔色悪いぞ」


 心配したような声がすぐそばで聞こえた。 


「お兄ちゃん」


 円はうなずいて私の隣に腰掛けた。

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