44.巫女さん(円)


 目を開けると、窓から明るい光が差し込んでいた。たぶん正午くらい。風邪を引いて、寝込んでいたことを思い出す。


 解熱剤のおかげか、朝よりかだいぶ調子が良い。竹満に感謝しないといけない。誰かが冷えピタを変えててくれたのか、頭もスッキリしている。


 腹が減った。

 何か食べようと思って身体を起こすと、部屋の隅に誰かがいるのが目に入った。


「お?」


 紅白の羽織袴はおりはかまを着ている。長い金髪を一つ結びに結えている。


 服についている飾りが、チリンと音を立てた。


 ニコだった。


「あ、起きた」 


 彼女が俺の方を振り向いた。ホッとしたような笑顔を浮かべている。


「良く寝れた?」


「あ。うん」


「良かった」


 彼女は嬉しそうに笑って、ポカリを持って枕元に置いてくれた。ありがとうと言って、口の中に入れる。


「ひょっとして、ずっと看病してくれたのか」


「いや。ちょうどさっき戻ってきたところだよ」


「そうなんだ。あの。その格好」


 あ、と照れ臭そうに笑って、彼女は袖を上げて見せた。


「巫女さんだよ」


 ふふ、とニコは笑った。


「ちゃんとした巫女さんの衣装じゃなくて、それっぽいやつだけど」


「巫女?」


「これに着替えて竹満くんをクライマックスで成仏させるの」


「何だよ、それ。恋愛映画じゃなかったのか」


「色杏さんは、誰かが恋をすれば恋愛映画なんだ、って言ってた」


 ニコは楽しそうに撮影のことについて話し始めた。撮影場所と旅館を行ったり来たりしていたらしい。俺の横でちょこんと正座しながら、彼女は「それでね」と言った。 


「この衣装ね。色杏さんが私に合わせて作ってくれたの」


「そうなんだ」


「可愛いでしょ」


「うん」


 いつもより一際まぶしく見える。


「すごく似合ってる」


 ニコは満面の笑みで応えた。


「嬉しいな」


 目が合うと、しばらくそうしていた。部屋は静かで、遠くの方から波の音が聞こえてきた。


「みんなは?」


 聞くと、ニコはゆっくり首を傾げた。


「いないよ。撮影に行っちゃった」


「そっか。ニコは行かなくて大丈夫か」


「うん。私のシーンはもう午前中で終わりにしてもらった。さっきまでお昼ごはん食べてたけど、みんなはもう夕方まで帰ってこないって」


「わざわざ残ってくれたんだ」


「そうだよ」


 彼女はうなずいた。


 それからおもむろに身を乗り出して、俺に顔を近づけた。サラサラと衣擦きぬずれの音がする。


「だから。今は私とお兄ちゃんの2人きり」


 鈴がチリンと音を立てる。


 いつかみたいに目が離せない。頭がぼうっとしてくる。これが風邪のせいじゃないことくらい分かる。


 2人きりなんて、今まで散々あったはずなのに。


「おかゆ食べる? レンチンで食べるやつ」


 ニコが置いてあったレトルトのパックを手に取る。うなずくと彼女は「寝てて」と立ち上がって部屋の外に出て行った。


 しばらくしてニコが戻ってきた。すっぱい梅の香りがする。


「温めすぎちゃった」


 器が枕元に置かれる。ホカホカと白いおかゆの上に梅干がのっている。


 ありがとう、と手に取ろうとすると、彼女は小さな声で言った。


「自分で食べられる?」


 ビニールの包装を破る音がした。手を動かして、おかゆをカチャカチャと混ぜている。


「あーん、する?」


「え」


「熱くて大変だから」


 身体をあげると、おかゆをスプーンですくった彼女はふうふうと息で冷ましていた。


「はい」


 彼女が身体を近づける。


「口開けて」


 夢みたいだ。


「あー」


「熱いよ。気をつけて」


 スプーンが口の中に入ってくる。彼女の指がちょっとだけ口の方に触れる。舌におかゆが落ちてくる。


 どうかな、とニコが言う。


「おいしい?」


「おいしい」


「全部食べてね」


 また彼女がスプーンを差し出してくる。心臓がバクバク音を立てている。


「大丈夫だよ。ニコ。もう」


「そんなことないよ」


「ただの風邪だし」


 そう言うと、ニコはぶんぶんと首を横に振った。


「だってほら。風邪ひいた時にひとりだったら寂しいでしょ。分かるもん、そのくらい」


 彼女は再び、ふうふうとおかゆを冷ましていた。


「分かるよ、私」


 ふと小学生の頃に長い風邪を引いたことを思い出した。母親がどうしても外せない仕事があって、一人で部屋で寝ていた時のこと。


 夕方になって起きた時も誰もいなかった。近所で遊ぶ子どもの楽しそうな声が、窓の外から聞こえてきた。それがたまらなく寂しかった。


「そっか」


 きっと、ニコも同じ様なことがあったのかもしれない。


「そうだな」


「ね」


「うん」


「だから甘えて良いよ」


「風邪、引いてみるもんだな」


「何言ってるの。早く治さなきゃダメだよ」


 クスクスと笑ってニコは「ほら」とスプーンを差し出してきた。


 あーん、と食べる。

 ニコが楽しそうに笑っている。


 時間がゆっくりと流れていくみたいだった。外は嘘みたいに静かで、風も止んでいた。最後の一口が喉の奥に滑り落ちてくる。


 ニコがお盆にのせた錠剤と水を持ってくる。


「はい。薬飲んで」


「この薬、めちゃくちゃ効いた」


「竹満くんに感謝しなきゃね」


 薬を飲むと、身体が落ち着いてきた。ご飯を食べて、ダルさが抜けて純粋に眠気がだけがやってきた。


 枕の上に頭を置く。


「だいぶ良くなってきた。寝て起きたら、もう普通になってるかもしれない」


「それは良かった」


「今日、夜はバーベキューするんだよな」


「うん。ほら旅館のすぐそこに展望デッキがあるから。そこでいつもやってるんだって」


「良いなあ、肉。行きたい」


「無理しちゃダメだよ」


 ずいっと彼女の顔が現れる。昨日みたいに眉間にシワが寄っている。


「今日は絶対に安静。ね」


「分かった」


「よしよし。お肉くらい持ってきてあげるから」


 満足そうに笑った彼女は「片付けてくるね」と器を持って立ち上がった。赤いはかまが扉の方に遠ざかっていく。


「ニコ」


 その背中を呼び止める。


「ありがとう」


「えー、お礼なんか良いよ」


 こっちを見た彼女は微笑んでいた。最初に会った時みたいな柔らかい笑顔だった。


「好きでやってるんだから」


 扉がパタンと閉まる。

 足音が遠ざかっていく。


 頭の火照りはさっきよりも強くなっているような気がした。それが風邪のせいか、何なのか。考えれば考えるほど、頭が熱くなっていく。

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