41.様子がおかしい(ニコ)


「これなら十分だね。明日で撮影自体は終わりそう」


 撮れた動画を確認しながら、色杏さんはうんうんとうなずいた。


 今日は大体同じところで撮影していたので、円が機材を運ぶことに来ることはなかった。場所は、近くの神社の敷地。古い神社で、所々に雑草が生えている。


 全身が緑の絵の具に染まった竹満くんは、石段の上に座りながらラムネを飲んでいた。


「ふう。疲れた」


 1日中走りっぱなしだった彼は、だらだらと汗をかいていた。


 撮影2日目にしてようやく、竹満くんの役が『私が間違えて呼び出してしまった森の妖精さん』だと言うことが分かった。間違えて呼び出されたことに怒った妖精さんが、私のことを追いかけてくると言うのが大まかなあらすじだった。


 宗教上の理由で妖精さんは境内けいだいに入れないので、石段のところで立ち往生している。そこにたまたま通りかかった霊能力者の色杏さんが助け舟を出す、と言うところまで話は進んだ。


「早ければ明日に撮り終えちゃえるかも」


 進行表を持った色杏さんは、満足そうに言った。

 その横に座ってラムネのふたを開ける。プシュと音が鳴る。初めて飲んだ。シュワシュワして美味しい。


「明日は森の妖精さんを御払いするところを撮ろう」


「あのう。これって恋愛映画じゃなかったんでしたっけ」


「恋愛映画だよ」


 ふふん、と色杏さんは笑った。


「追っかけてる内に、妖精さんは女の子に恋に落ちていく。だからほら、昨日撮ったシーンは竹満くんの緑のメッキががれてたじゃん。だんだんと人間になっていくんだよ」


「そういえば、そうでした」


「でも最後は御払いされて、妖精さんは思い半ばのまま消える」


「何だか、かわいそうですけど」


「人間との恋は報われないからね。そう言うおはなし」


 昨日撮った場面は映画で言うと、後半の方らしい。改めて聞くとかなり変わった映画だ。色杏さんらしいといえば、色杏さんらしい。


「お兄ちゃんの方はどうなんだろう。ちゃんとできてるかな」


 天道さんとの昨日の会話を思い出す。


 タイプよ、と。あれは本気なんだろうか。

 天道さんには、きっと恥ずかしいのとか無いのかもしれない。グイグイいくタイプだ、きっと。


 瑛子ちゃんが付いているから、今日はそう言うのは無いと思うけれど。


「大丈夫かな」


「心配?」


「あ。いや。ちょっと気になっただけです」


「じゃあ。そろそろ帰ろうか。日も暮れてくるし。ハルクくん、機材持ってー」


「うい」


 3人で宿まで帰っていく。機材を担ぎながら、竹満くんはお腹をおさえた。


「はあ。お腹空きました」


「今日はカレーだよ」


「カレー良いですねえ。早く食べたい」


「その前に緑のメッキ落としてね」


 私たちも先にお風呂に入ることにした。

 大浴場に入ると、天道さんと瑛子ちゃんがもう先にお風呂に浸かっていた。2人ともぼうっとした様子で天井を見上げている。


 身体を洗い終わって私たちが入っても、2人とも黙ったままっだった。


「どうした。何かあったの」


 色杏さんが呼びかけると、瑛子ちゃんは目をパリクリとさせて反応した。


「あ。いたんですか」


「さっきからずっといたよ。何かトラブル?」


「いや」


 口をモゴモゴさせていた。


「あった、ちゃ。ありました」 


 変わらずほうけた様子の天道さんをチラッと見て、瑛子ちゃんは小さな声で言った。


「今日、キスシーンがあったんですけど」


「え。もしかして本当にキスしちゃった?」


 色杏さんが「うひゃー」と口を抑えた。


 波打ち際。

 キスシーン。


『タイプよ』


 あれえ。


「いや、そうじゃないです。むしろ逆です。できなかったんです」


「できなかった? はかりが?」


「はい。天道会長が恥ずかしがってできないって」


 ほおー、と色杏さんは口を開けた。


「あの子がねえ。珍しいこともあるもんだ」


「びっくりしました。本当に。あの、ちょっと聞きたいんですけど」


 瑛子ちゃんは、色杏さんの方にざぶざぶと近づいていった。


「俳優が役に影響されちゃうことってあります?」


「人によってはあると思うけど。あの子は無いんじゃない。もう何年も舞台に立ってきてるし」


「ですよね。そうですよねえ」


「もしかして恋する女の子みたいだったとか?」


 瑛子ちゃんはコクンとうなずいた。その答えに色杏さんは「あはは」とおかしそうに笑った。


「そっかあ。恋しちゃったかあ」


「笑い事じゃないですよ。ああ、本当に他の部員がいなくて良かった。卒倒じゃ済まなかった」


「むしろ、いなかったからじゃない? あの子どちらからと言うと、ずっと気張りっぱなしのタイプだから。気が抜けちゃったところに、ズドン」


 ポーッと天井を見上げる天道さんを見ながら、色杏さんは言った。瑛子ちゃんは大きなため息をつくと、私の方を向いた。


「何か言ってなかった。昨日の夜」


「何か?」


「4人でトランプやってたんでしょ。その時に」


 あった。あった。

 思い当たること。


「あの」


「ん」


「タイプだって」


 あんなあからさまなアピールもない。


「お兄ちゃんのこと。タイプだって言ってた」


「ああー。もうビンゴじゃん」


「ほら、やっぱり。もう放っておきなよ」


「そうですかね。そうするのが良いんですかね」


「もっともはかりが自分の気持ちに気がついてるかは別だけど」


「気がついてない?」


「そうそう」


 色杏さんはお湯の中に手を入れて、ギュッと手を組んだ。


「だってそう言うことに関しては、くそ初心うぶだからね」


 色杏さんの手から、お湯がピュッと水鉄砲みたいに出てきた。熱いお湯が天道さんの顔に直撃した。


「は」


 水鉄砲で我にかえった天道さんは、私たちを見て目を丸くした。 


「あら。いたの」


「さっきからずっと。なんか良いことあった?」


「あー。うーん」


 天道さんは視線をふせて、ちゃぷちゃぷとお湯の中で手を動かした。 


「あった、ちゃ。あった」


 顔を手で隠して、天道さんはよろよろとお風呂から上がった。ふらふらし過ぎて、浴室のドアに激突した彼女は「あうち」と声をあげた。


「重症だ」


 色杏さんの言葉の通り、お風呂から上がっても天道さんの様子はおかしかった。晩ご飯の時間になって、カレーのお盆を持った彼女は、円のテーブルに直行した。


「竹満くん。その席代わってもらって良いかしら」


「え? え?」


 呆然とする竹満くんをどかして、天道さんは円の横に座った。竹満くんはすごすごと、瑛子ちゃんの横に着席した。


「どうしたんだ、あの2人」


「私は何も見ていない。知らない」


「ええ」


 天道さんはカレーに手をつけずに、円のことをジッと見ていた。何事か、と先にカレーを食べていた円はスプーンを止めて固まっていた。


 天道さんがゆっくりと口を開いた。


「円くん」


「え」


「私の福神漬け分けてあげる」


 スプーンで福神漬けをすくうと、彼女は円のお皿に入れた。 


「あ。ありがとうございます」


 彼女はこくんとうなずいた。再びカレーを食べ始めた円を、天道さんは見つめている。


「円くん」


「は」


「おかわり、取ってくるわよ」


「いやあ。自分でいけますよ」


「遠慮しないで」


 そう言うと、天道さんは彼のお皿を奪って、山みたいなご飯を持って帰ってきた。 


「はい。どうぞ」


「あ。ありがとうございます」


 天道さんは微笑みながら、大きくうなずいた。


「うん」


 それで満足したのか、天道さんは自分のカレーを食べ始めた。食べている間、2人は何も喋らなかった。


「おい。なにが起きてる」


 竹満くんはスプーンを落として、瑛子ちゃんに言った。


「なにが」


「私は何も見ていない。知らない」


「何だ幻か」


「そう言うことにした方が良いと思うよ」 


 黙々とカレーを食べていた色杏さんが、呆れたように言った。


「清々しいくらい純情だねえ」


「天道さん、どっかで頭打ったんですか」


「そうそう。そんな感じ。カレー食べな。冷めるよ」


 竹満くんはコクンとうなずいて、カレーを食べ始めた。


「ニコちゃんも」


 そう言われて、自分がスプーンすら握っていなかったことに気が付く。我にかえって、カレーを一口食べる。


 味が良く分からない。

 胸がざわざわする。


 気になるものは気になってしまう。


 天道さんがとても嬉しそうな顔をしている。円の表情は山盛りのご飯に隠れて良く分からない。

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