30.お兄ちゃんアウト(ニコ)


天道秤てんどうはかりからいくらもらった」


 夏休みが始まった。


 とは言っても、私はもともと夏休みみたいなものだったけれど。久しぶりの日本の夏は蒸し暑くて、帽子の下がじっとりと汗ばんでいる。


 今日は映画研究会の集まりがある日で、私は円と一緒に高校の部室棟に向かっていた。部室の扉をノックすると、しかめっ面をした色杏さんが顔を出してさっきの言葉を言った。


「何万で雇われたの」


 円の顔がサッと青ざめた。


「え? 何の話ですか」


「しらばっくれても無駄。もうその反応で分かった」


「う」


「私の情報網を甘くみないで」


 責めるような視線を彼に向けた後で、色杏さんは私に微笑んできた。


「おはよう。ニコちゃん」


「おはようございます。あの、何の話ですか」


「君のお兄ちゃんが天道秤側に寝返ったんだよ」


「ええ」


「誤解です。寝返ったと言うより手伝いで」


 円は慌てたようにブンブンと手を振った。


「ちゃんと義理は通しますから」


「ぶー。キャスト被りとか問題外」


 むすっとした様子で色杏さんは腕を組んだ。


「これはゲームじゃなくて真剣勝負なんだから。と言うわけで円は帰って」


「なんで」


「スパイ疑惑。シナリオを見せるわけにはいかないよー」


「そんな殺生せっしょうな。俺だけ仲間外れですか」


「金の亡者は反省しなさい。ニコちゃんは入って入って」


 そう言うなり、色杏さんは円を部室の外に放り出して鍵を閉めてしまった。


「これで良し」


 すっきりしたと言った感じで色杏さんはうなずいた。


「さあ始めよっか」


「あの。色杏さん」


「なあに」


「さっきの話。私のせいかもしれません」


 合格祝いでプレゼントされたカバン。

 随分と高そうなカバンだなあと思ったけれど、ひょっとすると円はあれのために天道さんに協力したのかもしれない。


「へー、そんなことが」


「だから、お兄ちゃんも悪気があってやったわけじゃないんです」


「事情はわかったけどね」


 うーん、と色杏さんは悩んだように腕を組んだ。


「それとこれとは話は別。寝返りは寝返り」


「お兄ちゃん、ちょっと楽しみにしてたっぽいです」


「可愛い妹と映画出られるからねえ。罰として重い機材でもかついでもらおうか。キャストは交代。円は裏方にしよう。と言うことで良いよね。竹満くん」


 部屋の端で声もなく目をぬぐっていた男の子が、こくんとうなずいた。


「何泣いてんの」


「いや。マドも健気なことするなあ、と思いまして」


 ラグビー部かと思うくらいがっしりしたその人は、ドクロのマークが沢山ついた黒い服を着ていた。立ち上がると、私の方を向いてゆっくりと口を開いた。


「そして初めまして、ニコさん。マドの親友やってます。竹満です。どうぞよろしく」


「お兄ちゃんから良く聞いています。こちらこそ、いつもお世話になっています」


「ううむ。写真で見るよりも可愛い。すごい」


「写真?」


「マドが送ってくれた写真」


 何のことだろうと思ったけれど、そういえば出会ったばかりの頃に急に写真を撮られたことを思い出した。


「やだ、あれ本当に送ってたんだ。恥ずかしい」


「照れる姿も可愛い。ううむ」


「何か竹満くん主役にするのもやだなあ。贅沢ぜいたく言っていられないのは確かだけど。ちょっと脚本変えるか」


 ぶつぶつと呟いた色杏さんは、積み上がった書類を蹴り飛ばして、ホワイトボードを引っ張り出した。


「じゃあ、まずこれからのスケジュールを説明するね。2人とも座って」


 座ってと言われたものの、椅子は全て紙束に埋もれていた。どうしようかと悩んでいると、竹満くんがソファの上を片付けてくれた。


「ありがとう」


「お礼を言う姿も可愛い。ううむ」


「早く座って」


 竹満くんは床に正座した。


「さて。今回の撮影だけれど」


 ホワイトボードにスケジュール表が書かれていく。


「文化祭は9月の金土日、3日間を利用して開催される。その3日間でより多くの投票を得た方が、正式にクラブとして認められる、とルールを決めたよ」


「ええ。それじゃあ、人望のある天道会長の方が、有利じゃないですか。その条件のんじゃったんですか」


「うん」


 焦ったような竹満くんの声に、色杏さんはあっさりとうなずいた。


「文化祭は校外の人もたくさん来るから、浮動票はある」


「そうは言っても。ちなみに負けた場合は?」


「相手の言うことを何でも聞く」


「やだなあ」


 はあ、と竹満くんは私の横で大きなため息をついた。


「何言われるんだろ。「豚になれ!」とかかなあ。それなら良いんだけど」


「良くはないけれど。負けるつもりはないし。それに今回はニコちゃんもいる。五分五分ではないけれど戦える」


「私なんかに期待しても。演技とかしたことないですし」


「大丈夫。これは舞台じゃなくて映画だから。カメラの中だけ役になってもらえれば十分だよ」


 色杏さんはペンのキャップを外すと、ホワイトボードに文字を書き始めた。 


「上映時間はおおよそ10分。前回より少し長いから、今回はきっちりテーマを決めて作っていこうと思う。撮影は夏休み中に合宿所でやる」


 締め切り8月と、ホワイトボードに書き足した。


「脚本はもうできてる。円のバカのせいで変更は加えるけれど」


「俺、まだ見てないんですが」


「見させないよ」


「え」


「撮りながら指示していく。そっちの方が自然な演技が取れる」


「どんな役かも分からないってことですか」


「そゆこと」


 ふふふと意地悪っぽく、彼女は笑った。


「テーマは教えるよ。恋愛映画を撮るつもり」


「れんあい?」


 思わずポカンとして、竹満くんと顔を見合わせる。


「どうしたの。そんな不思議そうな顔して」


「いや。まさか色杏先輩から恋愛なんて言葉が飛び出すとは思わなくて」


「失礼な。私だって女子高生なんだから」


 ひらひらと自分の制服のリボンをかざしながら、彼女は言った。


「恋愛に対する含蓄がんちくくらいあるよ。ニコちゃんに相応しいようなとっておきのやつ」


「私できるかなあ」


「きっとできる。保証する」 


「ちょっと待ってください。となると俺は恋愛映画でニコさんの相手役をすることになるのですか」


 ものすごく慌てたような口調で、竹満くんは口を挟んだ。


「まさか。俺が。美少女の彼氏役」


「まあ。彼氏という設定ではないけれど。そんな感じ。だって君しか男役いないし」


「おお。がぜん、やる気が出てきた」


「よろしくね、竹満くん」


「おお。おお。ちょっと走ってきます」


 ガタンと立ち上がると、竹満くんは叫びながら部室の外へと駆け出していった。窓から顔を出すと、校庭をグルグル走っているのが見えた。


「あーあ。嬉しがっちゃって」


 色杏さんはその姿を見ながら呆れたようなため息をついた。


「単細胞だなあ。不安になってきた」


「竹満くん、すごいですね。あ。野球部も追い越してる」


「本当は円くんくらい湿っぽい雰囲気の男が良かったんだけど。ま。いっか。仕方がない」


「ちなみにタイトルはなんですか」


 私が聞くと、色杏さんはもったいぶったよう間を置いて、口を開いた。


「世界の果てまで君を追いかけていく」


「わあ。ロマンチックですね」


「これで天道秤をギャフンと言わせる」


 色杏さんはすごく楽しそうにニンマリと笑った。

 

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