腹違いの妹と一緒に暮らすことになった

スタジオ.T

1.きょうだい(円)


 ニコと出会ったのは、雨の降る帰り道だった。


 大きなキャリーケースを引いた彼女は、透明なビニール傘をさして立っていた。


 目深まぶかにかぶった帽子の後ろから、金色の髪が見える。綺麗にまとまった髪。何となく地毛っぽい。


 旅行か、ホームステイか。


 年は何となく俺と変わらないように思える。高校生かそのくらい。背も同じくらい。


 思わず見惚みとれてしまった人形みたいな横顔は、地図の看板の上を行ったり来たりしていた。どう見ても困っている。


 声をかけるべきか、どうしようか。

 もうちょっとマトモな服を着てくれば良かった。部屋着の薄汚いジャージでは格好がつかない。


 黙って通り過ぎようとしたが、彼女の足元がビショビショに濡れているのが目に入った。


 多分、かなり長いこと迷っている。


「はろー」


 見捨てるのは忍びない。


 勇気を出して声をかけてみると、彼女はこっちを見て、目をぱちくりとさせた。大きな緑色の瞳だった。


「めいあいへるぷゆー?」


 とりあえず頭に浮かんだフレーズを口にすると、彼女はくすりと笑った。


「あの、日本語しゃべれる」


「あー。そうなんだ」


 柔らかい笑顔だった。


「ごめんなさい。笑っちゃって」


「悪い、下手な英語で」 


「そうじゃなくて。あの。そのジャージ」


 彼女は俺の胸元を指さした。


「表裏反対だよ」


 見ると、アディダスの文字が反転している。


「うわ。寝ぼけてた。恥ずかしい」


「傘貸して。持っておいてあげる」


 彼女はそう言うと、傘を手に持って俺の上にかざした。距離が近づく。思わず固まってしまう。


 目が合う。


 彼女がキョトンと口を開く。


「なあに?」


「いや。大丈夫かなと。君濡れてるけど」


「そんなでもないけど」


 近くで見る彼女の顔は、恐ろしいくらいに可愛かった。指の先から、雨のしずくがポトンと落ちた。


 六月の雨は、足元で跳ねて生温かった。


 俺がジャージを着直すと、彼女は困ったように聞いてきた。


「ね。道に迷っちゃって。メゾン神代かみしろってアパートに行きたいんだけど」


「メゾン神代って、そこ俺ん家あるけど」


「本当? 全然見つからなくて。どこにあるの?」


「路地の奥。ちょっと分かりにくいかもしれない。良いよ、ちょうど俺も帰るところだし。案内する」


「やった。ありがとう」


 嬉しそうに微笑んだ。うわあ、可愛い。

 2人で傘をさして、家までの道を歩いていく。


「高校生?」


「うん。1年生」


「同い年だ。あれ? 今日、学校ないの?」


「あー、あるんだけど」


 平日の昼間からブラブラしてたら、突っ込まれるのは当然か。


「実は停学中」


「へー、何か悪いことやっちゃたんだ」


「まあ。そんな感じ」


「そんな風には見えないけど。真面目そう」


「事故みたいなもんだから」


「何それ」


 変なの、とおかしそうに彼女は声をあげた。


「君は? 旅行?」


「ううん。パパに会いに来たの」


「パパ?」


「ううん、パパが日本人で、ママがロシア人。8歳の時までこっちにいて、今日は久しぶりにパパに会う日なの」


 元気かなあと、彼女は楽しそうな調子で言った。


 メゾン神代はすぐそこだった。築50年近い木造二階建てのアパート。ぼうぼうと雑草の生えた庭を抜けて、赤びた階段の下で俺たちは傘をたたんだ。


「案内してくれて、ありがとう」


 くるりと傘をまとめながら、彼女は言った。紺色こんいろのジーンズについた雨粒をはらっていた。


 それじゃあと言って帰ろうとしたが、立ち止まって考え直した。


「あのさ。名前聞いても良いかな」


 我ながら勇気を出したと思う。彼女は「良いよ」とうなずいてくれた。


「私、ニコ。君は?」


安生円あんじょうまどか


「円くん」


 ニコが帽子を脱ぐと、ふわりと髪が広がった。予想通り、腰まで届く長い金色の髪だった。


「どうもありがとうございました」


 丁寧にお辞儀をする姿に見惚れていた。顔を上げてニコはまっすぐ俺のことを見ていた。


「私たち多分、また会えるかもしれない」


「え」


「ひょっとしたら、ここで暮らすことになるかもしれないから。だから次はお隣さん同士かも」


「へえ。そうなんだ」


 何だかとてもワクワクしてきた。


「部屋はどこ?」


「えーと」


 彼女はポケットから、水に濡れた小さな紙を取り出した。


「201」 


「201?」


 聞き違いか。

 ニコは「201だよ」と繰り返した。


「どうかした」


「201って俺ん家なんだけど」


「え」


 ニコは慌てたように、さっきの白い紙に目をやった。誰かからの手紙のようだった。


「でも201って書いてあるんだけどな。パパ、間違えたのかな」


「ちょっと見せて」


 ニコから手紙を受け取る。確かにメゾン神代と書いてある。


 差出人の名前を見て、心臓がぎゅうっと締め付けられる。


「ねえ、この浅見窓式あさみまじきって」


「パパの名前だよ」


「ニコのお父さん」


「うん、もちろん。知り合い?」


「俺の親父なんだ。この人」


「おやじ」


 固まった彼女は、コンクリートの床にカシャンとビニール傘を落とした。


「お父さん?」


「うん」


「そんな」


「なあ。てことは、もしかして俺たち」


 互いに顔を見合わせる。


「きょうだい?」

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