偽りの代償 1

 アリサ・ユーヴェリアと名乗った少女は、丁度今日から空いた――リタの――席に、我が物顔で座っていた。その様子を前方席で振り返りながら、不満そうな視線を向けるのは、ラキ・ミズールである。


 先ほどの休み時間、アリサはアレクに丁寧な挨拶をしていた。聞くところによれば、アレクはアリサの父であるダニエル・ド・ユーヴェリア辺境伯とは以前より知り合いだったらしい。


 だが、アレクはどうやら辺境伯からアリサのことを何も聞いていなかったようで、何とも微妙な空気が漂う状況であった。無論、アレクに苦手意識を持つラキが、近づくことすら出来なかったのは言うまでもないだろう。


「チッ……!」


 思わず舌打ちをしてしまったラキは顔を顰める。アリサを見ていると、どうしようもなく心がざわめくのだ。その原因が、やはり視線の先の彼女にあるのは間違いない。


 ふつふつと浮き上がる感情は、怒りなのか、それとも――。ラキは頭を振って、浮かびそうになる悪い考えを追い出す。


 午後は、ロゼッタが言ったように訓練場で楽しい催しがあるようだ。だが、ラキには先にやらなければならないことがあった。


 授業終了の鐘の音が鳴ると同時に、ラキは立ち上がる。その足は真っすぐにアリサの方へ向いていた。窓際の席に座る彼女の髪は日光を浴びて輝き、透き通る空を閉じ込めたような両目には、自信と意志が漲っている。


 周囲を見渡せば、視線を向けないにしても、誰もがアリサの言動に注目しているように感じた。確かに、あんな衝撃的で意味不明な自己紹介をした彼女に、興味を持たない生徒などいないだろう。現に、既に数名の女生徒がアリサの元に集まろうとしていた。


「すまない、どいてくれ」


「ちょっと! 痛いよラキったら!」


「ラキ、どうかしたの?」


 そんな女生徒たちを無理矢理押し退けたラキに幾つもの非難の声が掛かるも、ラキは止まらない。そうしてアリサの眼前に達したラキは、身を屈めて小さく発した。


「おい、お前。少し、オレと話をしないか?」


「申し訳ございませんが、わたくしはこれから皆さまと友好を深めなければなりませんの。抜け駆けはなし、というものですわ?」


 だが、アリサはまるで相手にしないと言った様子で、ゆっくりと首を横に振ったのだ。ここまでされては、流石に腹が立つというもの。ラキは、アリサの胸倉を掴んで無理矢理立ち上がらせた。


 周囲から聞こえる黄色い声に、ラキは多少の恥ずかしさを覚える。悲鳴ではないのは、この学院、もしくはこの学級だからこそだろうか。


「ちょっ待っ! と、取れ――」


 アリサは、まるで先ほどまでの態度とは別人のような声を出して慌てている。そして、自分の手に伝わる奇妙な感触に、ラキはやはりそうかと笑みを深める。


「いいから、ちょっと顔貸せや?」


「ちょっと! 変なところ触らないで下さる!? あんまり引っ張るとズレ――じゃなかった! わ、わたくし、割と大貴族の令嬢なんですのよ? いきなり失礼ですわ。そそ、それがお分かり?」


 腰に手を当てたアリサが不満そうな声を出しているが、ラキにはどこ吹く風である。ラキはにやりと笑みを浮かべると、アリサの制服を強く握り込み、そのまま自分の方に引き寄せた。よっぽどのことを気にしているのか、アリサは堪らず大きな声を出す。


「だーかーらー! 引っ張らないでと言っていますのにぃぃぃぃぃ!!」


「だったら、黙って付いて来な?」


 ラキの低い声に、アリサはわざとらしくやれやれと大仰に頷いた。ラキは思わず頭を抱えそうになるも、どうにかそれを抑えて、アリサを促す。


 そうして、半目でこちらを見ていたエリスとキリカにアイコンタクトを投げたラキは、アリサをそのまま非常階段の裏まで引きずって行ったのであった。




「――――で、お前何やってんだ?」


 開口一番がこれである。ラキに引きずられ、非常階段裏まで連れてこられたアリサことリタは困惑していた。おかしい、魔法は最小限の展開にしているとはいえ、瞳の色も変えているし、輪郭も微妙に弄っている。


 最小限の展開にしている理由は、敵対する可能性のある魔術師――特に統一教会に属する術師――に、見破られないように干渉規模を小さくしているという理由も勿論ある。


 だが、何よりもこの魔法『仮面舞踏会マスカレイド狂騒曲ラプソディ』は燃費が悪いというのが、一番の理由である。特に自分とかけ離れた容姿にすればするほどに、魔力の消費は莫大となるようで、ジ・エンドの姿だと恐らく数時間が限度だと思われる。


 そう、魔法は恐らく完璧の筈なのだ。それなのに、どうして目の前のラキは、あんなに確信を持った言い方をしたのだろうか。基本的な肉体は自分のままだ。何か自分が気付かない癖があるのだろうか、とリタは見当違いなことを考えていた。


(えっと、結構演技にも自信あったんだけど、なんで気付いたんだろ? せっかくマギー先輩に仕込んで貰ったのに!)


 リタのアリサとしての演技は、前世で見たアニメの影響が大きい。だが、一応マグノリアにも王国の貴族としての仕草や動きを監修してもらっていた。


 一番近くに、キリカという公爵令嬢がいるのは承知であるが、アルベルト含めシャルロスヴェイン家の二人はリタの思う大貴族っぽくないのだ、いい意味で。


 そのため、リタが知る中で最も貴族っぽい気がするマグノリアを師と仰いだ。そして、ようやく彼女のお墨付きが出たのが数日前。そこから色々と調整し、本日に至るである。


 尚、マグノリアにはミハイルが昔使っていた木剣を報酬として渡してある。鼻息荒く、恍惚とした表情で木剣に頬ずりするマグノリアに、姉妹揃って「うわぁ……」とドン引きしたのが懐かしく感じる程、ここ数日は忙しかった。


 とはいえ、こんなところでバレるのはマズい。自分の考えた壮大な計画がおじゃんになってしまう。リタは、手で口元の表情を隠しつつ、いかにも貴族のお嬢様っぽいと思っている声で笑った。


「オーッホッホッホ! なななな何を、仰ってますの?」


「気色悪ぃ笑い方だな、オイ」


「キィーッ! き、気色悪いとはなんですの!?」


「気付いてないなら、教えてやるけどよ。偶然が重なることはよくあるぜ? でもな、リタが今日から休学で、その枠にそのままお前が入るってのは、あまりにも出来過ぎてんだ。あのクラスは特殊だし、何より席や部屋のことを、エリスが簡単に受け入れる訳ないしな? だから多分、皆怪しんでるぜ。…………怪しんでたか?」


 自分で言っておきながら、ラキは分からなくなった。先程の様子を鑑みるに、意外と騙せているのかもしれない。少し恥ずかしくなったラキは、一度咳払いをすると更に続けた。


「……それにな、お前の動きや仕草には迷いが無さすぎるんだよ。目線も、足の運びも、何もかもだ。学院も、あのクラスも初めてって奴には、オレには到底思えねーよ」


「クッ……! そんなの偶然に決まってますわ!」


「さっきから、すげー目が泳いでんぞ?」


「き、気のせいですわ!」


 ラキ自身、ここまでリタが頑なに否定するとは思ってもいなかった。だが、どうやら本人はまだ続行する気らしい。面倒になってきたラキは、半目でぼそりと呟く。


「偽乳」


「ハァ!? テメェ何言ってんだオラァ! ――はっ!?」


 下着の内側に盛りに盛りまくった試作品のパッドを指摘されたリタは、思わずドスの効いた声を出してしまう。しまった、と思わず口元を押さえるも、時すでに遅し――。マグノリアと過ごし、仕草や言葉を真似しているうちに、口の悪い所も移ってしまったのである。


 尚、件の魔法では自分や自分の因果同位体の姿とかけ離れる程に、魔力の消費量が増大する。どうせなら、とスタイル抜群の美女を目指してみたところ、とてもじゃないが半日と保たなかったのだ。試作品のテストだと自身に言い聞かせながらパッドを詰めるリタの両目には、光るものが浮かんでいたとかいないとか。閑話休題。


「それにしても、輪郭も変わってんのか? どうやってんだ、これ?」


 気付けば、ラキがリタの頬や顎をべたべた触っていた。そして、どうやら瞳の色が変わっていることが、非常に興味深いらしい。リタの右眼を正面から凝視するラキ。最早吐息がかかる距離である。


 例え、自分はとっくに女の子になったと思い込んでいるリタであったとしても、鼓動が早くなるのは仕方が無い。慌てて、ラキの両肩を掴んで引きはがす。


「近い近い近い近い! ――ですわ!」


「もうなんか、適当になってきたな……。なぁ、リタ。なんでオレが、わざわざこんな真似してるか分かるか?」


 そう発したラキの表情に、リタははっとした。先程まで、ラキから感じていた感情は、微かな怒りと困惑。そして、今の彼女の瞳の奥にあるのは……。


 思わず下を向いたリタは、無言で唇を噛む。


 彼女を、親友だと呼んだのは自分だった筈なのに。

 もっと、人とちゃんと関わろうと、決めた筈なのに。


 逆の立場だったら、自分はどう感じただろうか。ラキが正体に気付いたのは、他でもない自分だったから、ではないだろうか?


 それが例え、思い上がりだとしても、それでいい。

 それでもいいから、まだ私は君と親友でいたい。


 覚悟を決めたリタは、その顔を上げた。


「ごめん。それから……、ありがとう。ラキ」


 リタはそう言って、ラキの手を握る。相変わらず、硬くて厚い手だった。小さく笑って頷いてくれたラキを見て、リタは安堵の息を漏らす。


 これで正体は完全にバレたが、相手がラキなら仕方がないとエリスやキリカも許してくれるだろう。恥ずかしそうに目を逸らしたラキが小さく何かを呟く。


「お……親……って……たから――」


「うん? 何?」


「いいや、何でもねーよ」


 そう言って肩をすくめるラキに、リタは笑みを向ける。もう、躊躇う必要なんてない。きっと、彼女は待っていてくれるはずだから、この言葉を。


「ラキ、いつか必ず、全部話すからさ。……今は、事情を聞かずに協力して」


「フッ! そうこなくっちゃな!」


 拳をぶつけ合った少女たちは、肩を並べて教室へと帰ってゆく。

 その先に、クラスメイト達からの壮絶な追及が待っているとも知らずに。

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