始源の魔女と常闇の執行者 1

「貴様の恰好を見て、その言葉を信じる者が居ると思うか? なぁ、“常闇の執行者”よ。――――貴様なのであろう? ここ最近、王都を騒がせている存在は」


 ロゼッタは、変わらず臨戦態勢のまま視線を細める。よもや、ロゼッタまで知っているとは。単にロゼッタが普段から情報収集を欠かしていないだけなのであるが、少しだけ気分を良くしたリタは口を開く。


「ご名答。――流石は、“始源の魔女”と言ったところか」


 リタは演技を続行する。いつもの自分、前世の自分、そのどちらでもない男。傲慢で、冷静で、ただ目的の遂行を第一としながらも、ユーモアがありつかみどころのない男。そんなイメージだ。


 問い掛けに対し、正直に答えたリタにロゼッタは小さく頷いた。普段からこの姿で活動する際にはそう名乗っているから問題はない。今夜、個体名称が新たに設定に加わったくらいだ。


「目的は何だ。怪しい者じゃないと言うなら答えろ」


「……人助けさ。この子も単に保護しただけに過ぎない。魔人化した女も、一応生かして確保している」


 リタは出来るだけ、平静を装ってそう答えた。あまり嘘をつくのは得意では無い。出来る限り、この人生では正直に生きたいと思っていたからだ。こんな時は顔を隠してて良かったとリタは思う。


「そうか……。それはご苦労。とりあえず、そこの生徒を渡して貰おう」


 ロゼッタが、本心から労いの言葉を掛けた訳ではないのは、流石のリタにも分かっている。わざと気付かれるように使っているのか不明だが、ロゼッタは会話を交わしながらもいくつもの術式を行使している。こちらの正体を探っているのであろう。


(けどね、先生。悪いけど私はそこまで甘くないよ?)


 表情を見られないのをいいことに、リタは口元に巻いた布の内側でほくそ笑む。目の前には、現代最高の魔術師。対峙するは、正体不明の黒服の男。男というより少年なのは、考慮に入れないとしても最高のシチュエーションだ。アニメならガッツポーズをしていたであろう場面に、自分が立っている。顔を隠していなければ、だらしない顔になっていたかもしれない。


 魔人化途中でラキに消滅寸前まで追い込まれた女の方は、まだ動けないのか干渉する素振りは見せない。どちらにせよ、そちらの方は多重結界で封じ込めている。特に問題は起きないだろう。


「渡すのは構わないが、そちらにはこの子の精神干渉とこの首の痣をどうにかする手段があるのか?」


 ロゼッタの視線の動きを見るに、女子生徒の首の痣のことについて彼女が情報を持っているのは確実だ。先にエリスに詳しい話を聞いておくべきだったかもしれないが、時間が無かった。


「答える義理は無いな」


 リタの問い掛けに対し、ロゼッタはそう吐き捨てた。ロゼッタならどうにか出来そうな気もするが、万が一があれば非常に後味が悪い。それに、そうなってしまっては今夜協力してくれた友人たちに申し訳が立たない。


「それなら渡すわけにはいかないな。魔人化した女も、こちらで対処させてもらおう。ある程度調べたらどちらも衛兵には引き渡しておくから、安心して帰ってくれ」


 リタはそう言うと、魔術を行使する。途端に、女子生徒の四方の地面が盛り上がると、彼女を囲むように頑丈な建造物の体を成す。今後の展開に備えて、かなり頑丈にしておいた。これなら、恐らく大丈夫だろう。


「中々の使い手のようだが、痛い目に遭う前に渡した方が身のためだぞ? 目的が本当に人助けとして――、貴様の正義ごっこに付き合ってやるほど、こちらは暇じゃないんだ」


(はぁ、この人ってなんでこんなに煽り性能が高いの? 正義ごっこ、ね……。傍から見ればそうなのかな? でも、流石にちょっとムカつくなぁ)


 リタは、相変わらず右腕をこちらに向けるロゼッタに対し、あえて余裕を見せつけるようにコートのポケットに両手を突っ込んで答える。


「何を勘違いしている? 俺に傷を付けられるとでも思っているのか?」


 さて、ロゼッタは乗ってくれるだろうか。多少の頭痛はあるが、先ほどのラキの戦いぶりを見ていて多少昂っていることは否めない。


 とはいえ、ロゼッタは乗るだろう。リタにはそんな確信に近いものがあった。正体不明の存在に敵意を向けられて無視出来るような人間が、八百年以上も生を謳歌出来る程、この世界は平和ではないのだから。


「我を前にして大した自信だ。先程の光、あの魔術も貴様か?」


 ロゼッタは、あくまで冷静にそう返した。リタは、意趣返しとばかりに、先ほどのロゼッタの発言を真似る。



 リタの言葉に、ロゼッタはピクリと眉尻を動かした。流石にロゼッタの立場ともなれば、ここまで露骨に挑発されることも珍しいのであろう。気のせいで無ければ、少しだけこの状況を楽しんでいるようにも見受けられた。


「成程、うちの学院の問題児の仕業だと思ってたんだがな。あれくらいの術式が使えるのなら、慢心しても仕方が無いのかもしれんが、我も生徒の手前引く訳にはいかんのでな。それに、貴様のような目的も正体も分からない輩が大きな力を持って、この王都を闊歩しているのはどうにも気持ちが悪い。必死に隠しているようだが、どんな生意気な顔をしているんだろうな? その面、我が拝んでやろうじゃないか、少年」


 ロゼッタの想定通りの返答に、リタは口元を吊り上げる。さぁ、楽しい楽しい延長戦の時間だ。生徒も魔人も後回しで構わない。


 折角の機会だ。エリスの師に相応しい実力を持っているのか、見定めてやろうじゃないか。

 ついでに、普段の学院生活の色々な恨みつらみも多少込めても問題無いはずだ。


 リタは、ロゼッタの戦闘を直接見たことは無い。エリスから聞いた話では、それなりの使い手のようではある。それに、恐らくリタの正体に勘付いているとも聞いていた。少しばかり、揺さぶってやるのも一興だ。


「くく、慢心してるのはどっちだか教えてやるよ、お嬢ちゃん。敵対するつもりは無いが、教育者が身の程知らずだと生徒も気の毒だ。俺も暇じゃないんだが、少しだけ遊んでやろう。――――――来な」


 リタはそう言うと、突き出した左手の人差し指を曲げて、ロゼッタに合図を送る。先手は譲ってやる、と。


 ロゼッタは、あくまで余裕そうな笑みはそのままに、軽く左手を振るった。即座にリタの右眼が煌めき、ロゼッタの術式を解析する。空中に出現したのは、二百四十本の光の矢。王国式の魔術では無属性に分類される初級術式だ。その全ての照準がこちらを向いている。エリスからも聞いていたが、流石の演算速度だ。恐らく、これでこちらが降参するとでも思っているのだろう。


 だが、甘い。あまりにも、こちらを甘く見過ぎている。多少魔術の心得がある程度の少年とでも思っているのかもしれない。いいだろう、魔術だけで相手をしてやる。リタはほくそ笑みつつ、ロゼッタを真似るように左手を振るう。


 そして、空中には更に本の光の矢が所狭しと並んだ。相手を逃がさないと、周囲を囲んだそれらは、まるで光で出来たドームのようだ。ロゼッタの顔が微かに歪む。幻術じゃないと気付いたようだ。


 リタは更に、右手の人差し指と親指を重ねると、パチンと音を鳴らす。勿論、魔術で音を拡散するのも忘れていない。こういうところまで気を遣えるという余裕を見せつけるためだ。そして何より、カッコいい。それが一番重要だ。


 乾いた音が響くと同時に、ロゼッタが展開していた二百四十本の矢の照準がロゼッタの方を向いた。小手調べのつもりだったのか知らないが、術式の隠蔽すら施していないとは舐められたものだ。簡単に干渉し、書き換えることが出来るというのに。


「さてさて、どうするお嬢さん?」


 リタは、少しずつ殺気を高めていくロゼッタに軽い調子で笑いかけた。ようやくいい表情になってくれた。


「面白いじゃないか、貴様。それなりの年数を生きてきたつもりだが、今年は本当にどうかしている。はてさて、これが偶然だとは到底思えないが……まぁいい。多少は痛い目を見てもらうぞ、少年」


 リタは、軽く頷く。準備が必要なら、いくらでも待ってやろうじゃないか。将来的に、もし自分たちが世界の敵となるならば、彼女はその戦術面の知識も含め厄介な存在になるかもしれない。


 だが、だからと言って、キリカとの未来を手に入れるためには、ただの一度の敗北も許されないのだ。

 死ねば、そこで終わり。それはこの世界の絶対の法則なのだから。


 だから、今が彼女を安全に見極める絶好の好機だ。ロゼッタは、こちらを殺す気はないように見受けられる。こちらとて、それは同じだ。


 これは、互いにそれを分かった上で、どちらが強者なのか確かめ合う儀式なのだ。それは同時に、未成熟なこの世界においては、どちらに正義があるのかを証明するのと同義だ。王都の中で制限があるのはもったいないが、せいぜい楽しませてもらおう。


 それに、ロゼッタならば――――。

 もしかしたら、リタの胸の奥にある渇望を少しでも満たしてくれるのかもしれない。キリカが埋めてくれる分とは別の、生への渇望を。あの空間で長い時間を過ごし、命懸けで三百年間戦い抜いたせいで、すり減ってしまった何かを。


「お嬢ちゃんも、それなりの腕だ。俺の気持ちも分かるだろう? 渇いて、渇いて、仕方が無いんだ。俺をひりつかせてくれないか?」

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