ロケット・ザ・ハードパンチャー 2

 ラキ・ミズールは、本当の親の顔を知らない。育ての親は、とある傭兵団の団長である。既に滅んだ街で気まぐれに拾ったラキを、これまた彼の目的のために自分勝手に育て上げたに過ぎない。


 ラキは、幼いころから傭兵団の男たちに囲まれて育った。女性の団員もいるが、それは数えるほどだ。その環境は彼女が男勝りな性格に育った一因でもあったのだろう。そして彼女は、ずっと死と隣り合わせの環境で生きて来た。


 父親はいつも、幼いラキを連れて戦場に立った。


 死を遠ざけ、生き抜く術を教えるために。

 いつか、自分の罪を裁く少女を育て上げるために。


 自分の命を繋ぐ食物は、父親が人を殺して稼いだ金で買ったものだった。身を飾る装飾品は、敵の死体から漁ったものばかりだった。ラキにとって、それは至極当たり前のことであり、自分もいつかそうして死んでいくのだと信じていた。


 だが、とあることを切っ掛けに、ラキは自らの生きる道に疑問を覚えた。自分がどう在るべきか、分からなくなったのだ。その時、初めて覚えた衝動があった。それは、“知りたい”であった。自らのルーツを、本当の名を。自分が本当はどう生きたいと思っているかを知りたいと思ってしまったのだ。


 それからのことは、あまり思い出したくもない。


 何度父親と殴り合い、その度に地に這いつくばっただろうか。いつだって父親は、そんなラキを笑うのだ。悔しかった。何度血を吐き、無力さを呪っただろうか。


 だが、いつの間にかラキは王都行きの馬車に揺られていた。王立学院への入学と寮生活。これは初めて、自分で勝ち取った時間なのかもしれない。何故、許可が出たのかは分からない。きっとあの父親のことだ。気まぐれに違いない。


 そうして手に入れた学院生活は、驚きの連続であった。こんなに狭い王都で、こんなにも世界の広さを教えてくれる友人たちがいた。これまでに、ラキが知らなかった色々なものを、与えてくれる存在が。


「なぁ? マジで恨むぜアンタ。オレはどうやら、この生活を滅茶苦茶気に入ってたみたいなんだ……!」


 ラキは誰にも聞かせるつもりのない言葉を吐き捨てると、心拍数を下げるために大きく息を吐きだした。頭がより冷えて、冴えていくのを感じる。


 建物の外に吹き飛ばした女は、既に体勢を整えていた。空中に浮かんだ、いくつもの炎の矢。どうやら、相手は純粋な魔術師タイプだと見受けられる。ラキは、少し苦し気に高速詠唱を繰り返す女に接近するべく、地を蹴った。


「目的とか、教えてくれる気はあるのか? 大人しく捕まってくれてもいいんだぜ?」


 ラキはそう言いながら、女の仕掛けた空中に漂う鋭い氷の塊を避けるように走る。


「はッ! お前たちはアタイの言葉を信じるか?」


「さぁな?」


 先ほど吹き飛ばした時に付いたのであろう額の傷。そこから滴る血を拭いながら、吐き捨てる女の言葉にラキは短く返事を返した。


「それにしても、その声……。お前、まだガキだろ? 特別サービスだ、教えてやんよ。これは、ただの復讐だ!!」


 そう言って笑みを浮かべた女が左手を振るうと、服の袖から刃物のようなものが飛んでくる。


「奇遇だな? オレもだよ!」


 ラキはいくつかの刃物を砕きつつ前進する。一本が肩を掠めるも、痛みは無くコートには傷一つ付いていない。ラキが止まらなかったのは、予想外だったのであろう。女が軽く舌打ちをするのを尻目に、ようやく距離を詰めたラキは女の首元を目掛けて回し蹴りを叩き込む。


(こいつ、手慣れてやがるな)


 ラキの蹴りを軽くいなしつつ、女は至近距離でどこからともなく取り出したナイフを振るう。ラキもそれを右手で払いつつ、女が展開する障壁の隙間を縫うように左の拳を突き出した。


「かッ――――!」


 ラキの格闘術は、柔軟な間接と筋肉によって成し得るものだ。人体の関節の可動範囲とされるものを、訓練によって大きく逸脱させ、時に絡みつくように、時にしなるように全身を使い相手を破壊する。女も流石にその軌道までは読み切れなかったようで、顎を掠めた拳に頭を揺らした。


「もう一発だ!」


 微かに女に出来た隙を見逃すわけにはいかない。ラキは女の腹部に右の拳をめり込ませた。だが、妙な感触だった。恐らく何か防壁でも張ったのだろう。女は弾かれるように遥か後方まで跳躍していく。


 ラキは、もう一度距離を詰めようとして、目の前の地面に仕掛けられた罠に気付く。中々、戦いなれてやがる。ラキは、舌なめずりをすると、腰を落とし駆け出した。




 ――――それから、いくつかの攻防を経るも、どちらも決定打に欠ける状況が続いていた。


 初撃で建物から弾き飛ばし、もう一撃を入れたまでは良かった。だが、やはり距離を取らせたのは失敗だったかもしれない。そんなことを考えながら、ラキは迫りくる炎の矢を避ける。耳元で炎が爆ぜる音が響くも、熱さは感じない。


(くく、流石だぜリタ。こいつは、最高にいい)


 サングラスという黒いレンズの眼鏡は初めて掛けたラキであったが、爆炎のような強すぎる光は遮り、暗闇でも明るく見える。そして、常に相手の居場所が確実に分かる。これだけで、どれだけこちらの戦術の幅が広がっただろうか。


 前方より五本同時に迫る炎の矢。使い勝手が良く、多くの魔術師が使用する炎熱系初級術式『火炎矢フレイムアロー』であろう。初級とはいえ、相手はそれなりの腕だということが分かる。速度も威力も、普段見ている同級生たちの魔術とは桁違いであった。


(向こうは確実にこっちを殺しに来てるな。こっちは捕縛しなきゃなんねーってのによ)


 ラキは、魔術師の女を正面に見据えると、真っすぐに突っ込んだ。少なくとも、一本は受けなければ接近は難しいが、仕方が無い。これ以上、詠唱時間を与えることは悪手だと判断したラキは、全速力で突っ込む。


 凄まじい速度で迫る炎の矢。何もしなければ、額を貫かれるであろうそれを、ラキは翳した左手のグローブで握りつぶした。やはり、何の痛痒も感じない。途端に勢いを失って広がる炎を突っ切りながら、ラキは口元を吊り上げる。


「馬鹿げてる――」


 女が目を見開き、そんなことを口走ったのが聞こえた気がした。


「オレも、そう思うぜ?」


 既に距離は十メートル程度。突っ込んできたラキに、女は凶暴な笑みを見せる。そしてその背後から現れたのは、鋭利な岩石の槍であった。


「さっさと死ね! クソガキが!!」


 女が手を振ると、それらが一斉にラキに向かって加速していく。更に、空中に待機していた火炎矢も降り注いでくる。それらに絶対の自信があるのか、女は動こうとはしなかった。ラキの死に様でも眺めるつもりなのだろう。


(フン、ここで距離を取らなかったのが、お前の敗因だ)


 ラキはその勢いのまま、思いきり飛び上がった。これからやることは、装備の性能を信頼していなければ出来ないことだ。賭け金ベットは、自分の命。苦しんだ友人の為に、不甲斐ない自分の為に、役を譲ってくれた少女の顔が脳裏をちらついた。翻る漆黒のコートの裾が、夜闇にはためく。だが決して動きの邪魔になることなどは無く、音も発していない。間違いなく、今の高揚にはこの装備が一役買っていた。


「よし、上等だ……!」


 ラキは小さく呟くと、コートの裏側に括り付けていた、いくつもの球体を回転しながらばら撒く。そしてそれらは、女の放ったいくつもの魔術が到達する寸前に、一斉に炸裂した。


 一瞬のうちに、空気を震わせるような波動が周囲に広がる。それに触れた途端、女の放った幾つもの岩石の槍は砂塵と化して霧散し、火炎矢もまるで最初から何も無かったかのように掻き消えた。


「な、何をし――――」


「まずは、オレのダチの分だ!」


 最早、女が何を言おうとしているのか、ラキには微塵も興味が無かった。ただひたすら身体を前進させるのみ。魔術で地面と相対位置を固定した靴裏が、全身を急激に加速させていく。そしてラキは、強く握った右の拳を振りかぶった。


雷撃拳ライトニングフィストッ!』


 右手のグローブが、唸り声のような音を響かせて青白い雷電を纏う。拳の正面にはいくつもの魔術式が展開し、更に急速に加速していく。どうにかそれを制御しつつ、ラキはその拳を女のみぞおちに叩き込んだ。インパクトの瞬間、放出された電撃が更に女の身体の内側を焼き、大きな楔を打ち込む。


「ギャフッ……!」


 獣が絞殺されたような呻き声を上げながら、女は転がっていく。ラキはそれを追うことはしなかった。もうすでに、勝負は決していたからだ。振り返れば、リタも頷いている。どうやら、もう一人の学院生らしき少女は捕獲しているようだ。建物が崩壊する前に、退出してくれて助かった。


 焼け焦げた匂いと煙を漂わせながら、女がゆっくりと立ち上がるまで、ラキはじっと待っていた。凄まじい形相でこちらを睨んでいる。目的は復讐だとか言っていたが、それを自分が知る気は無い。ただ、己の信念に従い、傲慢な報復をしに来ただけなのだから。


「余裕の、つもりか……?」


 息も絶え絶えに、女はそう発した。ラキはただ、無言で肩をすくめる。


「お前たちが、悪いんだ……! 全部、お前たちみたいな奴らが、アタイから奪うんだ!!」


 意味不明なことを言いながら、女は自らの胸に真っ黒なナイフを突き立てた。これには流石に、ラキも絶句してしまう。だが、決して自死を選んだのではないことは、すぐに分かった。


『ロケット、奴が魔人化するぞ』


 脳内に響いたのは、リタからの念話だった。器用に、念話ですら男性の声に変えている。どこか楽しそうに聞こえるのは、気のせいだろうか。


「とりあえず、アレをぶち込むぜ?」


 ラキはヘッドセットから伸びるマイクに、小さくそう返した。魔人化されて、逃がすわけにはいかない。逃がすくらいなら、これ以上誰かを傷つけられるくらいなら――――。


『任せる』


 リタの承諾に、ラキは振り返らずに頷くと覚悟を決めた。初めて見るが、これが噂の魔人なのか。皮膚の中を沢山の虫が這っているように、皮膚の表面が蠢き、紫色に変色していく。はっきり言って、非常に気味が悪い。


「――――わりーけどな、さっきの一撃で、既にお前の負けは決まってんだ」


 ラキは真っすぐに、右手の人差し指を女に向けると親指を立てる。目標は、女に打ち込まれた楔。後はただ、術式を発動させるだけでいいのだ。


「う゛ぼぉああ゛ぁぁぁぁ!!」


 奇妙なうめき声で、何を伝えようとしているのだろうか。女だった何かが、髪を振り乱している。


「これは、オレたちの分だ――――」


 ラキは光を放つ右手の人差し指に力を込める。勝手に制御してくれるのは助かるが、これは本当に大丈夫なのだろうか。体内で暴れ狂う魔力が、収束していくのをラキは感じていた。このまま放置していれば自分がはじけ飛びそうだ。


 そしてラキは、込められた術式を解放した。


雷神の巨槌トールハンマーッ!!』



 ――――刹那、光が夜闇を蹂躙した。



 奇しくも、この夜姉妹がそれぞれ選んだ魔術は槌の名を冠していた。お互いに、そこに込めた同じ意志があったのだ。


 ラキは一瞬、目の前に光り輝く巨塔が出現したような錯覚を覚えていた。サングラスをかけていなければ、視力を失っていたかもしれないと思う。それほどまでに圧倒的な光量を放つそれは、天から地を膨大な熱量で繋いだ。


 自分がちゃんと地に立っているかどうかさえ疑いたくなるほどの光が、周囲を白に染め上げる。影という影を塗りつぶし、全てを飲み込んでいく様は、正に蹂躙だと思えた。続いて雷鳴のような爆音が、大地を震わせ、その衝撃で周囲の廃屋や瓦礫を吹き飛ばしていく。


 間違いなく王都の明日の話題を独占することだろう。ラキは思わずつぶやく。


「やりすぎだろ……。何を仕込んでやがるんだ、アイツは……。オレか? 使ったオレが悪いのか?」


『まずいロケット!』


「ああ、多分あいつ死んだわ。跡形も残らねーな、あれじゃ。……すまん」


 リタからの慌てた念話に、ラキは出来るだけ落ち着いた声で返した。どう取り繕ったところで、やはり人を殺すのに慣れることは無い。慣れたいとも思わないが、覚悟を聞いてきたリタに対して、そんなところは見せたくなかった。


『そうじゃない! 貴官はすぐに離脱しろ!!』


「――――え?」


 気付けば隣にいたリタが、ラキに触れた次の瞬間、彼女は既に姉妹の部屋にいた。静寂が満たす部屋に漂う、確かな戦いの残り香と耳鳴り。それだけが、今夜の出来事が全て現実だと伝えていた。




 ラキと女が攻防を繰り広げていた頃、リタは後ろからそれを眺めながら、周囲の警戒に徹していた。


(くふふふふ! 必殺技の名前を叫んでから殴るのってやっぱ最高!!!)


 ラキが雷撃を纏う拳を振るった時には、リタは歓喜の涙を流しそうになったほどだ。あれ程のロマンを感じさせるものは、そうそうあるものでは無い。クールそうな見た目の装備のラキが、全力で叫びながら放つのだ。燃えるに決まっている。


 極め付きは、『雷神の巨槌トールハンマー』である。モチーフは前世の神話から拝借したものだが、勿論神など信じていない。信じていないからこそ、人がその力を振るえることを証明し、奴らの存在を現実に堕とすのだ。


 ラキが放った神雷の威力を以てすれば、確実に女が蒸発するのは間違いない。だが、リタはそれを許すつもりは無かった。女の頭部と上半身が多少残るように、後ろから調整していた。そしてそんな時、リタは気付いてしまったのだ。


(転移魔術の兆候――――! この波長は……マズい!!)


 そうしてリタは、ラキを部屋に転移で送り返した。ラキの顔を見られれば、バレてしまうからだ。彼女の事だ、邪推してしまわないようにフォローが必要であろう。


 そして、少し離れた場所の景色が歪んだ。転移魔術で出現したのは、見目麗しいダークエルフ。恐らく、今の状況においては王都で最も厄介な存在。


(あの魔人の女も私がぶん殴るまでは死なせる訳にはいかないし、精神干渉受けてるこの子もどうにかしないといけないのに……!)


 頭の中には、いくつもの選択肢が過る。とはいえ、選ぶことの出来る選択肢は少ない。


「貴様、何者だ? 我の学院の生徒に、何をしているのか教えてもらおう」


 ロゼッタは、右腕をこちらに向けると、そう問いかけた。魔人を遥かに超えるプレッシャーを放つ彼女を見ながら、リタはエリスの言っていた“生徒想い”という言葉が事実なのだと実感していた。


 傍から見れば、黒服の顔の見えない怪しい人間が、魔術で学院生を拘束している格好である。リタは、思わず吐き出しそうになった溜息を飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。


「――――とりあえず、怪しい者じゃない。そう言ったら、信じるか?」

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