宵闇からの反撃 1

「――――来たのか?」


 すっかり周囲は暗くなっているが、ここは王都。魔道具の照明が照らす、賑やかな繁華街を歩くラルゴは隣の少女に声を掛けた。いきなり怯えるように肩を震わせたのだ。きっと例の襲撃者だろう。


「た、多分ですけど……はい」


 あんな事があったばかりだ。間違いなく怖いだろう。だが、気丈に前を向くユミアの瞳には確かに強い意志が宿っていた。学院には珍しい、大人しく内気な少女だと思っていたが、思い違いだったようだ。


「あー、その……あれだ。一応作戦だし、な? 手、繋ぐか?」


 周囲に聞かれないような小声で、ラルゴはそう声を掛ける。百戦錬磨のモテ男なら、黙って気を遣えたのかもしれないが、あいにくそうではない。カッコつかないのは分かっているが、ちゃんと意思を確認したかったのだ。


「あ、ありがとう、ございます……」


 雑踏に消え入りそうな声でそう呟いた、ユミアの小さな手がそっとラルゴの左手に触れた。ラルゴは、出来るだけ力を入れないように気を遣いながら、その手を握り返す。


「あれだ……、結構恥ずかしいもんだな?」


 少しでもユミアの気が紛れればいい、そんな思いでラルゴは隣のユミアに声を掛けた。髪を纏めていることもあり、街灯の薄明かりの中浮かび上がるようにも見える白いうなじは、微かに紅潮しているようにも思える。


「そう、ですね……。何かすいません、私なんかで。本当はラルゴ先輩ももっと――――」


「ユミア? あんまり卑下するな。……だ、大丈夫。その、最初にも言ったが、うん。き、綺麗だから……。自信もっていい、ぞ?」


 ああ、これは恥ずかしい。無駄に疑問形になってしまった。頭を抱えそうになるラルゴだったが、流石にこれ以上の恥の上塗りは避けたい。ほんのりと隣から香る、甘い匂いを感じながら、きっと赤くなっているであろう顔を隠すように前を向いて歩みを進めた。


 周囲を見渡すが、少なくともラルゴには怪しい人影は見えなかった。とはいえ、あまり刺激するのは避けたいところだ。その役目は、離れたところで動いているであろうミハイルに託し、ラルゴは決めていた夕食の店に向かう。


 ちらほらと、学院生らしき姿も見える。隣にいるユミアは先ほどから無言であるが、今の姿は誰が見ても綺麗だ。行き交う人々の視線を見るに、思い違いでは無いだろう。少しだけ、自慢したいような、知り合いに見られたら恥ずかしいようなそんな気持ちであった。


(つっても、誰か知り合いに見られたらユミアにも迷惑掛かるよな……)


 ラルゴがそんなことを考えながら歩いていると、握ったユミアの手に力が入ったのが分かった。ラルゴは即座に、身体を寄せる。触れた肩が微かに震えているのを知覚しながら、ラルゴは出来るだけ口を動かさないようにしながら、声を掛ける。


「奴らを見たのか? 怖くないか?」


 ラルゴの意図を正確に把握したのかは分からないが、周囲が見ても気付くか気付かないくらいの微かな動きでユミアは頷いた。


「大丈夫。ちゃんと、俺が守るからよ」


 恥ずかしい台詞だが、別に恋人同士ならこんな事を言っても、おかしくないだろう。あまり無言で歩いているのも怪しまれる可能性がある。ラルゴは、隣を向いて笑顔で声を掛けた。こちらを振り向いたユミアは、一瞬驚いたような顔をした後、恥ずかし気に笑う。


「ありがとうございます。優しいんですね?」


「さぁ、どうだろうな」


 何故だか分からないが、ユミアと目を合わせていることが出来なかったラルゴは、前を向きつつ誤魔化すようにそう言った。最初の目的地の店まではもうすぐだ。


 そうして二人は、無事に飲食店の扉を開けることに成功したのであった。




「全く、見ているこっちが恥ずかしいな……」


 ミハイルは、ラルゴとユミアから距離を空けて追いつつ、小さく呟いた。二人は飲食店の多い繁華街を進んでいる。貴族街に近いが、あまり気取った店が多くないこのエリアは、貴族の子女を除いた学院生たちが背伸びして通うのに丁度いいのだ。


 ラルゴも気付いているだろうが、学院生の姿もそれなりに見える。話し掛けられて、万が一にも何かを見逃すことは避けたい。ミハイルは出来るだけ気配を消しつつ、それでいて不自然にならないように気を付けながら雑踏の隙間を抜けるように歩いた。


 場所は聞いていないが、エリスとキリカも既に展開しているはずだ。あの二人が、失敗をすることは考えられない。せめて自分のせいで作戦が瓦解することは避けたい、そんなことをミハイルが考えていた時であった。微かにユミアに緊張が走ったのが見えたのだ。


 ミハイルは、周囲に視線を向けながら、胸元から懐中時計を取りだすと蓋を開く。これは合図だ。基本的にこのままミハイルは、あの二人に注視していくことになる。襲撃者へのアプロ―チは、エリスとキリカの役目だからだ。


(とはいえ、相手の姿を視認しておくことに越したことはないな)


 ミハイルは、腰に差した武装を確かめるようにひと撫ですると、視野を広く保ちつつ二人が入った店へ向かっていった。




「キリカちゃん、ミハ兄からの合図だよ」


「分かったわ」


 エリスとキリカは、繁華街を見渡せる位置にある時計台の屋根にいた。この高さまでは、街灯の明かりが届くことも無い。特に誰かの視線を感じることもなく、この場所まで到達できた。


 キリカはエリスの方を見て頷くと、音も無く姿を消した。エリスとキリカは、魔道具で通信が可能だ。エリスは遠距離からの監視を継続しつつ、キリカは荒事が発生した時の為に動く段取りにしていた。エリスは、魔術で視覚を拡張しつつ人混みに視線を向ける。


 多くの人々が行き交う大通りを眺めていたエリスは、若干の違和感を感じて動かしていた視線を止めた。


「……多分、アレかな。本当に、技量は大したこと無さそうだけど」


 エリスの視線には、くすんだ金髪の二人組。こちらに気付いた様子は勿論無い。何かを小声で言い争っているような様子で、ラルゴとユミアが入った店の方に向かっている。きっと、ユミアが完全に元気な姿を見せていることに対して、何かを言っているのであろう。


「キリカちゃん? 聞こえる? 見つけたよ。やっぱり、ユミアちゃんには気付いてる。ま、変装って程では無いからね。でも、多分、本当に大したことは無さそう。バレバレだし……。キリカちゃんの場所から、南西に三十メートルだよ、視認できるよね? ――――うん、それ」


 キリカが、雑踏に紛れて二人組に接近するのが見える。まだ、大きく動く場面ではない。悔しいが、学生がいきなり騒ぎ立てたところで、結果は目に見えているからだ。


 キリカがこちらを見て頷いた。どうやら成功したようだ。二人組は、それに気付いた様子も無い。エリスは、小さく息を吐くとリタへと念話を繋いだ。


「――――お姉ちゃん、襲撃者を確認したよ。追跡術式トレーサーを仕掛けたけど……うん、気付いた様子はないね。私とキリカちゃんはこのまま展開するよ。――――うん、お姉ちゃんも。気を付けてね?」


 さて、友人を傷つけ、最愛の姉の笑顔を曇らせたのだ。

 戦闘に移行した際も、深追いはするなと言われているが、多少痛めつけるくらいは問題無いだろう。エリスは、無言で微笑むと音も無く走り始めた。




 その頃、女子寮のリタの部屋では、リタとラキが床に描かれた光る模様を見つめていた。


追跡術式トレーサーからの信号も来たね。この赤い点だよ、ラキ」


 リタは、隣のラキにそう話す。床に描かれている光る模様は、王都の地図だ。その中で、標的と友人たち、それぞれを示す光点が動いている。


「お前、本当にとんでもねーな?」


 目を細めるラキの視線を躱しつつ、リタは二つの真っ黒なスーツケース型の物体を取り出した。


「それじゃ、着替えようか? 脱いで?」


「は?」


 リタは、ラキに微笑みかける。ラキは、首を傾げているが、まさか私服のまま向かうつもりだったのだろうか。


「あのさ、まさか私服で行くつもり? ありえないでしょ」


 肩をすくめるリタに、ラキは抗議するような視線を向ける。


「ちゃんと下に着てるっつーの!! というか、それ……」


「うん、私特製の隠密強襲装備だよ。性能は折り紙付き」


 リタの言葉に、ラキは唇の端を吊り上げる。興味を持ってくれたようで、非常に喜ばしい。ラキは早速、服を脱ぐと下に着ていた身体にぴったりとフィットした装備を脱いだ。


「え!? ちょ! 待って!?」


 リタは思わず叫んだが、既にラキは装備からほっそりとした足首を抜いたところであった。まさか、下着を着用していなかったとは。鍛えられていることが、一目でわかるすらっとした四肢。だが、リタの視線が下腹部にある小さな刺青に向けられているのに気付いたのか、ラキはさっと手で隠した。


「おい、早くしろよ? は、恥ずかしいだろ!?」


 頬を赤らめるラキから、リタは目を逸らしつつ謝罪の言葉を発する。例えルームメイト時代に裸は見慣れてるとはいえ、当時もタオルくらい巻いていたはずだ。


「ごめん、下着は付けてて良かったんだ……」


「……クソッ! 装備を準備してるなら先に言え!!」


 そんなやり取りがありつつ、リタも服を脱ぐと下着姿になる。そして、それぞれスーツケース型の装備の取っ手に手を掛けた。


「いい、ラキ? 魔力を込めながら、私に続いて復唱してね?」


「分かったから早くしろ!」


 わざわざ服を着直して、下着を取りに行くのも面倒だというラキの叫びにリタは肩をすくめると、装備を展開するための呪文を紡ぎ始めた。

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