波乱の入学試験 1

 王立学院の入学試験を翌日に控えた朝のこと、まだまだ朝方は冷えるクリシェの街。アステライト邸の子供部屋には、早朝にもかかわらず照明の明かりが灯っていた。


「あ、やば……これって、もしかして……」


 朝起きた途端、下半身に感じる違和感に、リタは真っ青な顔で呟く。

 そう言えば、ここ数日、魔力もなんだか不安定だったかもな、と思う。

 頭もお腹も痛い。ほんのり熱っぽく、強烈な倦怠感が襲う。


(キリカ、初めての時はそんなにきつくないって言ってたのに……え? これ以上きつくなるの?)


「も、もしかして、お姉ちゃんも……?」


 隣のベッドでは同じく青い顔で俯くエリスの姿があった。お腹をさすっているように見える。

 双子だからなのか分からないが、まさか同時とは。


「うわぁ……明日、試験……なの、に……この、タイミング?」


 顔を顰めて話す姉の表情はきつそうだ。あまりあんな顔を見たことは無い。


「はぁ、キリカちゃんの気持ち、ちょっと分かった……」


 エリスもまた、溜息をついてそう返す。


「エリス……動けそうだったら、母さん、呼んできて……」


 エリスは頷くと、ゆっくりと両脚をベッドから降ろし、覚束ない足で部屋を出ていく。扉の向こうで母を呼ぶエリスの声が聞こえて、少しだけ安堵する。


(とりあえず母さんに話さないと。専用の下着は先に買ってて良かった……お腹いた……)



 遂に迎えてしまった初潮女の子の日――――。


 あぁ、もう戻れないんだね……。

 リタは一粒の涙を流した。




「やばい、本っ当にやばい……」


 リタは時間が経つに連れて、自身の体調が急激に悪化していくのを感じていた。今はまだクリシェの街の自宅に居る。今回は馬車での旅は早々に諦め、試験前日、つまり今日王都付近に転移して試験を受けようと思っていたのだ。


 しかし、体内の魔力が乱れ全く集中できない。最悪、転移も難しい可能性が出てきた。特に長距離の転移は座標設定に非常に気を遣う。キリカの首飾りをキーにしたとしても、この状態であれば座標がずれて、壁の中や地中深くなど、とんでもない結果になる可能性を否定できない。

 気分は悪いが、最悪は高高度の目視飛行で王都まで行かねばならない。もしくは、多少ずれても問題が無い、超高度の王都上空への転移だ。だが、着地地点は考えなければならない。


 隣で脂汗を流す姉を心配そうに見つめながら、エリスの右手は高速で自分のお腹をさすっている。とりあえず、温めた方が楽な気がするのだ。


 クロードは姉妹の部屋に入室禁止と突然言い渡され、扉の向こうで何事かと騒いでいる。リィナは色々と箪笥の奥に仕舞ってあった厚みのある下着やナプキンを消毒し準備してくれていた。


 リタは右手を額に当てると、治癒魔術を行使する。ほんの少しだけ、痛みが和らいだ気がする。


(もしかして……行ける?)


 両手を頭に当てると、次は回復魔法を行使しようとした。


(あ、ダメだ。目が回る……。上手く魔法陣が構築出来ない。)


 構成の小さい魔術くらいしか、脳が受け付けないようだ。使えそうな単一構成の治癒魔術と回復魔術をひたすらに行使する。

 余談ではあるが、治癒魔術は生命に備わる自然治癒力そのものに働きかけるもので擦り傷や軽い病気などに使われる。対して、回復魔術は身体が持っている――とこの世界では言われるが、実際には魂と同じ深層領域に存在する――存在情報を読み出し、身体を本来のあるべき姿に近づけるものだ。こちらの方が、術者によっては劇的な効果をもたらす事が多い。


 だが、どちらにせよ今の状況は生命としてのあるべき姿には違いなく、正常な状態なのだ。だから少なくとも彼女が知る既存の魔術では対応が出来なかった。


 彼女が使える魔法的な手段を以ってすれば、完全にこの月の日を失くすことは出来るが、それは最終手段だ。その魔法は自身を造り替える不可逆の魔法。行使すれば最後、リタは永遠に成長しない身体になってしまう。局所的に使用しても、成長途中の今は難しい。それに何より、両親から貰った大切なこの身体をそんなに簡単に変えてしまいたくは無かった。


「ふぅ、多少はマシ、かな」


 ほんの少しだけ痛みが和らぎ、気分が良くなったのを感じる。いつしか、対処法を考えなければ、ここが戦場であれば死ぬかもしれない。ノルエルタージュを守れない自分に、生きる価値は無い。


 リタは溜息をつきながら、ようやく立ち上がることが出来た。下着の違和感が凄い。流石に前世で見たような高性能な生理用品が期待できるはずも無く、こっちもいつかどうにかしたいと考えるのであった。




 そうして、長い時間をかけてようやくまともに起き上がることのできた姉妹は、リビングでホットミルクを飲みながら軽い朝食を取っていた。


「あなたたち、本当に大丈夫?」


 リィナは心配そうに姉妹に声を掛ける。特にリタは顔色が悪い。彼女はこれまで病気らしい病気も一度もしたことが無く、このような姿を家族に見せることは無かった。


 リタはテーブルに突っ伏したまま、力無く頷く。パジャマの上から毛糸の腹巻を巻いている姿も相まってとても間抜けだが、仕方が無いだろう。


 基本的に女性の魔術師は、魔力が大きい者ほどその影響を受けやすいと言われている。これは、魔力量や性質は母親から遺伝する事が多い事と関係性が疑われているが、少なくとも現在までに解明されたとは聞いていない。成長と周期の安定に伴い、少しずつ慣れていくものではあるが、初めての彼女たちには辛い数日間になるだろう。


「ちょっと、お姉ちゃんはダメかも……」


 エリスもまた、行儀が悪いと知っていつつも、テーブルに両肘をつきその頭をを両手で支えている。


 そんな時、近くの市場に果物を買いに行かされていたクロードが帰宅した。リビングに入るなり場違いな明るい声を発する。


「おいおい、お前たちもそんな顔できるんだな! 明日試験だろ? よ~し、パパに何かしてほしいことがあれば何でも言ってくれ!」


 父の声が、凄く頭に響く。


「父さん、お願い、黙って」


 リタは頭を押さえつつ、低い声でそう言った。


「お父さん、空気読んでくれる?」


 エリスもまた、不機嫌そうな視線を隠しもせずにクロードに向ける。


「ぐはっ……これは……は、反抗期!?」


 相変わらず騒がしいクロードであったが、リィナはにひと睨みされると「もう、パパって呼んでくれないんだな……」と寂しそうに呟きながら、買ってきた果物の入った紙袋を台所に置き、自身の寝室に消えていった。


 少しだけ、リタの胸に罪悪感が去来したが、今度甘えてあげればすぐに調子良くなるだろうなと思えば、直ぐにその気持ちは消えていった。


 とにかく、王都へ移動しなければならない。今回は姉妹二人だけでの旅を予定している。それも含めて、来年から親元を離れて暮らす二人に課せられた試験だと言えるだろう。出来れば昼頃には到着してゆっくりしたいものだ。数週間前にキリカに会いに王都へ行った際に、以前も宿泊した露咲き亭の一室を予約している。


 このままでは、いつまでも動けそうにない。正直、かなり億劫になっていたリタであったが、この後体調が改善するという保証はない。これ以上悪化する可能性すらあるのであれば、早めに移動すべきだろう。


「エ、エリス……転移して、どうにか、近くの村から……馬車で行くか……ゲロまみれで空飛んでいくか――――どっちが、いい?」


 今回は正式な試験である。門で受験票を見せるようにと、届いた受験票に記載されている。直接王都内へ降り立つのは難しい。


「前者しか、選択肢が無い……よね?」


 エリスは呆れたような顔を見せるも、リタは相変わらずテーブルと一体化している。エリスは溜息を突きながら、立ち上がる。そうして姉を立ち上がらせると、着替えのために部屋まで引きずっていくのであった。



 明日で、人生が決まると思えば、受験辞退の選択肢などない。

 それは間違いなかった、受験資格は入学する年に十三~十五歳を迎える者となっているが、基本的には新入生は十三歳を迎える年齢が圧倒的に多い。リタも流石に、ラルゴでも受かったのに自分が浪人するのは恥ずかしいという思いはあった。


 吐き気を催しながら、何とか動きやすくラフな格好に着替える。今日は仕方がない。密着する服は着たくなかった。リタはフード付きの厚手の外套を羽織ると、フードを目深に被る。無論、ブラウスの下には腹巻を装着済みだ。


 そんな姉妹の様子を見つめていたリィナであったが、彼女たちならきっと大丈夫だろうと思う。これまでも、多くの理不尽を覆してきたのだ。今更心配したところで、結果が変わることは無い。たとえ、どんな結果であろうと、私は母親として彼女たちを迎えてあげればいい。本音としては、せめてエリスだけでも学費免除を勝ち取って欲しいところであるが……。


「あなたたち、きついだろうけれど、悔いが無いように頑張ってらっしゃい!」


 リィナは努めて明るい声で姉妹に話した。


「行けそう? お姉ちゃん」


「分かんない……座標ズレが許容範囲内に収まればいいけど……」


「ちょっと見せて、私が補助するから」


「はぁ……ぅあ゛あ゛あ゛あぁぁぁ!」


 リタは大きく息を吐くと、痛む頭を振りながら、無理矢理床に魔法陣を展開した。彼女の右眼からは紫電が迸っている。エリスは肌に痺れを覚えて、思わず顔を顰める。


「で、何でこんなに複雑なの?」


 エリスは呆れ顔でリタを見る。こっちだって気分が悪いのに、こんなものを読み解くのは勘弁してほしい。


「空間、転移だよ……? 他の術者に、割り込まれたら……どんな時空に、放り出されるか、分かんないし……ちゃんと空間座標と、転移タイミングは暗号化しなきゃ……」


「はぁ、ここまで隠蔽してたら、よっぽどの術者でも割り込めないし、暗号鍵もここまで複雑に変化させなくていいのに……あ、しかもこれ、割り込まれた時の攻性防壁まで入ってるじゃん……」


 エリスはさっさと、床の魔法陣に干渉すると、シンプルな記述に書き換えていく。これは双子ゆえに魔力の波長が同じだからこそ、出来る芸当だと言えるだろう。


「お姉ちゃん、対象の座標出すから、視覚魔法を直接私に繋げて」


「えぇ~、きつい……」


「失敗したらまずいから、お願い」


「はいはい……うっ……気持ち悪……」


 リタがうめき声を上げながら魔法を行使した。エリスの視界に、リタの魔法で映し出されるのは、王都の遥か上空の風景。姉の体調が悪いからか知らないが、所々が乱れ座標認識が上手くいっていないようだ。


 エリスはその魔法に干渉しながら、不必要なノイズを取り除き、正確な座標をトレースしていく。


「行けるよ、お姉ちゃん。荷物持って! タイミングは十秒後!」


「持ったよ――やば、吐きそう……うっ、無理――――」


「ちょ、今はやめて! って、三、二、一、今っ!」


 姉妹は手を繋いで、魔法陣に飛び乗ると消えていった。リィナは、彼女たちが姿を消した瞬間、エリスの悲鳴を聞いた気がして、苦笑いを浮かべる。


「着替え、多めに入れといて良かった。……頑張るのよ」

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