黄金の剣姫は負けず嫌い 2
リタはキリカに連れられて、着替えの場所に向かう。
てっきり、庭の奥にある巨大な邸宅に向かうと思っていたリタであったが、キリカは庭を横切ると門を開け隣の敷地へ案内する。
そこでは、多くの人間が汗を流し稽古をしていた。そういえば、公爵家お抱えの騎士団がいるとか聞いたな、とリタは思い出していた。
騎士団の団員であろう人間たちは、こちらに気付くと一様に目を見開き、慌てて口々にキリカに挨拶をしている。流石はお嬢様だと思わざる得ない。
「キリカ様? どちらに向かわれるのですか?」
一応周囲の目が気になったので、リタは丁寧にキリカに問いかける。
「こっちよ。訓練場備え付けの更衣室があるから」
家の隣に訓練場まであるのか……レベルが違う。邸宅の中に入るのが怖い。何も壊さないように細心の注意を払わなくては。リタは決意を新たにするのであった。
キリカに案内されたのは、彼女専用の更衣室らしい。部屋にはいくつもの剣が掛けられ、清潔に保たれた真っ白な部屋には、彼女の着替えが何枚も畳んでおいてある。
(すごく、女の子の匂いが、します……)
「専用でこんな部屋あるとか、すごすぎ……」
周囲の目がなくなった途端に、だらけた態度でリタは笑う。
「そ、そうかしら? それより、何をそんなに匂い嗅いでるの? もしかして臭う?」
睫毛を下げて、少し顔の赤いキリカが、着ていたドレスから袖を抜きながらそう話す。
「いいえ、とてもいい香りがしますわ」
頬に手を当てて恍惚とした表情でリタはそう答えた。
「ふ、ふぅん」
ここは喜ぶべきなのか良く分からないが、少なくとも臭うと言われるよりは良いだろう。
キリカは視線を感じて顔を上げる。
リタはじっとキリカを見つめていた。その姿に目を逸らせなかったのだ。
「そんなに見られると、恥ずかしいんだけど……」
はだけたドレスから覗くのは、綺麗な鎖骨と首筋に、白い下着の紐がかかる細い肩。なだらかな曲線を描く白磁のような肌は羞恥の色に染まりつつある。そんな神聖な姿から、ようやく目を逸らすことに成功したリタは、頬を掻きつつ答えた。
「ごめん、あんまり綺麗だったから、つい」
「昔からだけど、そんな恥ずかしいことを良く言えるわよね?」
「まぁ、本当のことだからね」
そう言って笑いながら、リタも着替え始める。
「もう……」
キリカの小さな呟きは、衣擦れの音に掻き消され、虚空に溶けていった。
短めのパンツに、薄めの服に着替えて、髪を結ぶリタ。キリカもまた、動きやすそうな服に着替えると、その髪を綺麗な紐で結んでいる。
「さ、行きましょうか」
キリカは闘志の籠った笑顔で、壁に掛けてある長剣を手に取った。リタもまた、ミストルティンと呼ぶミスリルの長剣を腰に佩く。
「キリカ、安いのでいいから剣貸して? できれば壊れてもいいやつ」
キリカは胡乱な眼差しを向ける。
「腰のそれは飾り?」
「これを抜いたら、すぐに終わっちゃうからね」
「あら、大した自信ね」
「事実だよ」
キリカはリタの答えに、口元を吊り上げる。そして、そこそこ手入れされていそうな剣を一本リタに寄越した。
「それは捨ててもいいやつだから、好きに使って」
「ありがとう」
リタは受け取った剣をくるくると回しながら重心を確かめる。
「抜かせて見せるから」
「楽しみにしてる」
そう言って少女たちは笑みを交わした。
二人の美少女が、訓練場の中央で向き合うと、騎士団の団員たちからはどよめきが起きる。アルベルトのお達しにより、団員たちの訓練は一時中断、恥ずかしいがキリカとの模擬戦を見学するようだ。
アルベルトも最前列で、腕組みをして見ている。
「おい、キリカ様と模擬戦ってあの子正気か?」
「知らんけど銀髪のあの娘、めちゃくちゃ可愛いじゃん。結婚してぇ」
「馬鹿、キリカ様こそ至高に決まってんだろ。見ろよあの、美しい曲線を描くおみ足を……」
周囲から聞こえてくるそんな声に、リタは苦笑いを隠せない。声のする方をアルベルトがひと睨みすると、竦み上がる団員達が見えた。
(気持ちは分かるけど、ロリコンと変態は自重してほしいな……)
二人は、数メートルの距離を置いて向き合う。周囲を囲む観戦客たちとの間は十分に離れている。後方と前方は石壁、両側に観客たちという構図だ。普段の訓練で酷使されているのであろう地面は、芝生が抉れ土がむき出しになっている箇所も多い。リタは、足元の感覚を確認する。特に問題はなさそうだ。
目の前のキリカを見据える。集中しているのか、特にその表情に感情は見受けらない。けれど、足元はいつでも飛び出せるように、踵を少し浮かせている。キリカの手には、よく手入れされているであろう長剣が握られている。六年前に使っていた美しい剣では無いようだ。流石にあの剣だったら本気で斬り合うのが躊躇われるから良かったのだが。
「そろそろ、準備はいい?」
キリカは強い意志の宿る眼差しを向ける。六年前と同じだ。あの時以上に、自信に満ち溢れている。
「先手はキリカ様に譲って差し上げますわ」
そう言ってリタは正面に剣を構えた。
「貴方の、その似合わない敬語、ちょっと腹が立つわね……じゃ、遠慮なく――」
そう言うが早いか、キリカは地面を蹴り駆け出した。一瞬見失いそうになるほどの速さだ。姿勢を低く保ちながら疾走するキリカは、剣を真横に振り抜く。それを正面から受け止め、その感触を確かめるリタ。確かに、速くて重い。けれど、まだまだこんなものじゃないはずだ。
そのままキリカは横にステップしつつ、四方から高速の斬撃を繰り出す。リタは片手でそれを受け流していく。この場にいる殆どの団員達の耳には、音はひとつしか聞こえていない。だが、その目に映る剣筋は数多。それからも、ひとつ音が鳴るたびに、いくつもの剣閃が煌めいていく。
そしてキリカは突然肉薄した。リタは零距離で放たれる下からの斬撃を剣で受け止めつつ、左脚でキリカの右肩を蹴りつける。キリカは軽く上体を逸らして避けると、そのまま剣を真横に振るう。その動きとシンクロするようにリタは下半身を浮かし、上体をひねり回転すると右の踵でキリカの頬を抉った。
「流石ね、リタ」
唇から流れる血を乱雑に拭い、キリカは笑みを漏らす。リタは、まだまだ余裕だと言わんばかりに右手に持った剣を回している。
「お褒めに預かり光栄ですわ、キリカ様」
そう言ってリタは、わざとキリカの神経を逆なでするように優雅なお辞儀をした。
「何だか、そろそろ本気でムカついて来たわね」
キリカの額に青筋が浮かんでいるのが見える。リタは思わず笑う。そのまま半身になったリタは、左手の手のひら上にしてキリカの方に向けると、指を曲げて挑発した。
キリカは、目の前で笑う銀髪の親友が、これ見よがしに挑発してきているのを見て、思わず笑いが零れそうになった。自分相手にあんな態度を取れる人間なんてそう居ない。ましてや、同年代なら尚更だ。
(ありがとう、リタ)
そしてキリカは、駆け出していく。
何度も、何度も斬りつける。より速く、より強く。それでも、ただ一撃たりとも、目の前の少女には届かない。その表情には、未だ余裕すら浮かんでいる。
どんなに複雑なステップを踏んだつもりでも、奇をてらったつもりでも、緩急も速度も全て、彼女の前には意味を成さない。
――――悔しい。
あの時から、六年。
ずっと、ずっと努力してきた。
それでも、まだ届かない。
私は、誰よりも強くならなければならない。
だから、もっとだ。
もっと、もっと、速く――。
身体の限界なんかに囚われている内は、絶対に届かない。
跳べるはずだ――。私の魂がそう囁く。
そう、跳べるんだ。
知っているはずだ。
音より早く、彼女の背後を奪え。
キリカの視界が歪む。そして彼女は、空間を跳んだ。
目の前のキリカの姿が掻き消える。右眼が警鐘を鳴らす。
そのまま、振り返ることも無くリタは後ろに剣を突き付ける。
奇しくも、二人そろって喉元に剣を突き付け合う構図となった。
(まさか、キリカが『
だが、キリカは少し驚いた顔をしている。それは、反応してみせた親友に対してであり、自分自身に対してでもあった。
「で、出来た……」
キリカは茫然とした顔で笑っている。そうか、初めてで成し遂げたのか、彼女は。リタは自分のことのように嬉しくなる。
だが、そんなものでは、まだ足りない。
リタは予備動作なしに、キリカの腹部を蹴り飛ばす。キリカは吹き飛び、石壁に思い切り身体を打ち付けた。そのぐったりとした姿に、リタは少し強すぎたかな、と思った。
だがキリカは、震えながらも剣を支えにして、ゆっくりと立ち上がる。その姿に、観客たちは呆然としている。けれど、その瞳に映る闘志の前に、誰も止めることなど出来ない。
「油断大敵ですわよ? キリカ様。――もっと、もっと私を楽しませて下さる?」
リタの声に、キリカは凶暴な笑みを返した。そう、魔術程度で彼女に届くはずがなかった。自惚れるのもいい加減にしろ、と自分の頬を叩く。
「行くわよッ! リタァァァ!」
キリカは自尊心を捨てて叫んだ。周囲の目なんてどうでもいい。今、この瞬間よりも大切なものなんて、他に無いのだから。だから、きっと彼女も、それに応えてくれる。
「来いッ! キリカ!」
キリカは駆け出す。
そして、その両眼に、燃える金色の輝きを宿した。
――――彼女の正真正銘の切り札が来る。
リタはじっと、その両眼を見つめた。
リタの右眼には、「因果天廻の魔眼」と表示されている。詳細は、解析不能――――。面白い。
(さぁ、何が出る?)
爆発的に高まる彼女のプレッシャーに周囲がどよめく。
そして何か暗く悍ましいモノが、這い出てくるような異常な気配。
「廻りし因果と可――――」
だが、彼女が何か言葉を発しようとした途端、キリカの意識はぷっつりと途切れた。そのまま倒れ込むキリカ。リタは慌てて転移すると、キリカの肩をそっと支えた。
キリカは、穏やかな顔で眠っていた。上下する薄い胸に、リタは安堵の息を漏らす。
走って近づいてくるアルベルト。リタが苦笑いを零すと、アルベルトも安心したように笑い返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます