夜更けのアステライト邸 2

 クロードの発言に暫し考え込んでいたリィナであったが、確かに納得出来る気がする。


 魔眼、それはアルトヘイヴンにおいては決して珍しいものではない。

 存在自体は、ほとんどの人が知り得ているだろう。

 その力は、それぞれに異なるため本人が魔眼と気付いていない場合もあったりするが、大体数百人に一人は魔眼持ちが居ると言われている。


 これは別名、生まれ持った固有魔法とも言われる。

 絶大な力を持つ魔眼は、魔術を超える奇跡を操るとも言われるほどだ。

 未だに魔眼の発現する理由や、その力について解き明かした者はいなかった。


「なるほど、魔眼。あり得る話ね」


 どんな力を持つものかは、分からないがきっと身体機能の強化もしくは治癒に関するものだろうと、彼らは予想することになった。

 実際のところは魔術の解析装置兼、彼女オリジナルの魔法陣を転写するためのプロジェクターのようなものであったが。

 勿論、最初は見た目がカッコいいから魔法陣を光らせていた時に、これで直接魔法陣を魔素に転写したら早いなって気づいただけだったが。


「なぁ、リィナ。君が何を心配しているのかは知らない。確かに俺たちじゃ彼女たちの才能を伸ばしてあげるのは難しいかもしれない。……金も大して無ければ、今のところは継いでやれる領地もない。それでも、それでもだ。とにかく言えるのは、あの二人は俺たちにとっての宝で、世界一可愛い双子だってことだ。あの娘たちの幸せを他の誰より、俺たちが願っているってことだ。俺は、あの娘たちのためなら全てを捨て去ってもいいと思ってる。だから、俺たちはいつまでも彼女たちの味方で、帰る場所を守り、後ろから支え、夢を叶える手助けをする。それしか出来ないんだ。迷う必要なんてないだろう?」


「えぇ、そうね。たまには、本当に数年に一度くらいは、まともなことも言えるのね、あなたも。……じゃあ、とりあえず今日見つけた剣はさっさと売っ払って双子の絵本でも買おうかしら?」


「えぇーっと、その件に関しましては、私の方といたしましても……」


「嘘よ」


「おぉ、女神様!」


「絵本じゃなくて、魔術の家庭教師でも雇うわ」


 ふふっと笑うリィナを見て、がっくりと項垂れたクロードであったが妻が笑ってくれるなら剣の一本くらいは構わないだろう。


「それじゃ、あなたの冒険者時代からのコレクション、高い順に持ってきて?」


「それだけは勘弁してください!」


 クロードは全力で土下座した。





 ――――そのころリタの分身は、町の外を徘徊していた。

 誰かがその姿を見たなら、叫び声を上げるかもしれない。うすぼんやりとした白い塊がふわふわと宙を漂っているのだ。そしてその中央には真っ赤な瞳が輝いている。リタの右眼と視覚が連動している偵察端末だ。


 クリシェの街の治安は悪くないが、町の外に一歩出たなら全く様子は異なる。

 街道に照明などは勿論無い。真の暗闇の中、夜道を急ぐ人々のランタンや魔道具の頼りない光だけが辺りを照らすのだ。街道を移動する乗合馬車や商人であっても、よっぽどの事情が無ければ殆どは野営して夜を明かし、移動を続けることはない。


 今の姿なら万が一誰かに姿を見られてもばれることはないだろう。

 リタは、最近魔物の生態を観察することにハマっていた。


 最初は、本当に異世界に魔物っているんだなと感動していた。

 正直、初めてゴブリンを見たときは、その想像通りの小さく醜い姿にガッツポーズしてしまった。逆にあの薄汚い緑がかった体表が可愛く見えてきたくらいだ。

 恐らく地球に転生した異世界人があの姿を広めたに違いない……。リタはそんなことを考えながら街外れの森に端末を飛ばす。


 さて、太郎と花子は元気にやってるかな?

 勝手に名前を付けたゴブリンの雄と雌の姿を探して森を分け入って進んでいくと、やがて目的のゴブリンたちだったモノを発見する。

 あちゃー、もう食べられちゃったか。この世界は弱肉強食だもんね……。そこには無残な姿と成り果てた彼らの残骸と、その肉を貪る醜いオーガの姿があった。オーガは所謂人食い鬼と呼ばれる肉食の魔物である。身長は二メートルくらいで、薄黒い肌に正に筋骨隆々。骨ばった顔には角のような突起が上部に二つ。一般的な人間であれば簡単に引きちぎる膂力がある。


 アルトヘイブンの人間は、よく分からない。

 これが魔術的な要因でそう変異しているのか分からないが、死の危険を潜り抜けたときに魂が成長するとでも言えばいいのだろうか。

 特に戦いに身を置く冒険者や傭兵、騎士などに多いのだが、おおよそ人間とは思えないほどの身体能力を持つ者たちがいる。肉体の耐久性も強靭で素手で剣と渡り合える人間もいるという。


 そういえば、父さんもたまに母さんにフライパンで殴られてるけど、いつもフライパンがひしゃげてるもんね……もう慣れたけど。他の人には見せないでね、母さん……。


 あぁ、それにしても太郎と花子は逝ったか。暇だし敵討ちがてらこのオーガと遊ぶとしようか。


 端末は、ヒト型に変形する。ノルエルタージュと初めて出会った時の、卑猥な存在モードだ。赤い瞳が一つだし、サイクロプスモードの方がいいかな? ……いや、今はどうでもいいか。

 とりあえず今の自分の身体と同じ大きさにしておく。安全に小さな体での戦い方を覚えさせてもらうとしよう。これで相手が魔術の達人であれば、危険があったかもしれないがオーガは魔法的な攻撃手段は持っていないと思われる。ちょうどいい。


 とはいえ、どう戦うか。現在の不定形の姿はただの魔力と魔素の塊であり、物質世界に直接干渉が出来るわけでは無い。かと言って、単純に魔術で戦うのも面白くない。とりあえず最初は物理で殴りたいなと思ったリタは最初だけ魔術で土を操り圧縮して体の表面に膜を張った。

 これで多少殴っても大丈夫だろう……これで足りなければまた砂鉄で剣でも作ればいいよね。



 オーガは目の前で起きている光景を理解できなかった。

 悍ましい赤い瞳の怪物は最初、不定形の霊体系アンデッドかと思っていた。魔法的な攻撃手段を持っていないオーガにとっては相性の悪い相手だ。だが、そのアンデッドは小さな人型をとると、土をまとったのである。何故だろう。触れられるのであれば、オーガは負けるわけがないのだ。

 おそらく、一撃。一撃で終わるであろう。躊躇の必要もない。敵か味方かなど関係ない。この世界では強いものが正しい。だから、目の前の存在を殺す、食らう。そうして生き延びてきた。

 そしてオーガは身を屈めると、右腕を乱暴に突き出すのであった。

 ――目の前の存在が何故そんな行為をしたのか、オーガが理解することは遂になかった。



 唸りをあげて、大きなオーガの右腕が迫る。この身長で見ると中々の迫力だ。この身体に臭覚がなくて良かった。だって絶対臭そうだもん。リタは身を翻し、軽々とその腕を避ける。

 うん、流石にこの程度の相手なら余裕だね。胸元に飛び込んだリタは、屈めた身を伸ばすように飛び上がる。醜悪な顔が驚愕に染まるのが見える。そうして、リタの右腕がオーガの顎に突き刺さる――かと思われたが、首から上を吹き飛ばし脳漿をバラまいた。首から噴き出る赤黒い血液の噴水が弱まるころ、頭を失った巨体は倒れこんだ。


 うん、ある程度までは大丈夫そうだね。

 でも自分の身体では無いとはいっても、肉片や血液を浴びるのはさすがに気持ち悪い……。


 正直この程度なら生身でも大丈夫だろう。実際のところ、リタは自分の生身の身体が子供にしてはあまりにも強靭であることには気づいていた。今のところ、傷一つ付いたことが無い。

 決して鋼鉄のように硬いということではなく、女性らしい柔らかさはまだ期待できないものの子供ならではのきめ細やかで滑らかな肌に、ぷにぷにの頬は彼女の自慢だった。

 これは、筋肉が破壊を経てより大きく成長するように、彼女が転生の時に千年にわたり破壊と再生を繰り返したため、魂自体が大きく成長していたことに起因する。そのため人が宿せる量ではない魔力をリタは宿し、なおかつそれを隠蔽するために体の内側に押し込んでいたために、魂や魔力の圧力に耐えられるよう身体が適応していったのかもしれない。



 ――――もうそろそろ、寝ようかな。

 それから暫く徘徊を続けたが小動物程度としか出会わなかった。

 リタは端末を解体する。途端に視界が子供部屋の天井に戻る。

 下のリビングからは、両親の話声が聞こえてくる。正直、あの修行を経たからなのか分からないが、アルトヘイブンに来てから感覚が鋭すぎて困る。意識的に感覚をシャットアウトすると、今度こそリタは目を閉じて眠りについた。




「――――それにしても、子供たちの成長は本当に早いわ。特にあの娘たちは早いけれど。……子供の成長がこんなに嬉しくて、こんなに寂しいだなんて、今まで知らなかったわ」


「あぁ、そうだな。いつまでパパと呼んで慕ってくれるのか……」


「慕われて……いたかしら? すぐに彼氏とか連れてくるかもよ?」


「……斬る。KILLLLLゥゥゥゥ!」


「シッ! 子供たちが起きるでしょ!?」


 それから暫く、アステライト邸には夫婦の笑い声が響いていた――――。

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