5

「え?」

「若者たち?」


 きょとんとするマユさんとサクラ先生に、オウジさんがにやりと笑ってみせる。そのまま視線をずらして、僕とヤマティを交互に見つめてきた。


「肩を外すのはマサキ、で、目潰しは友達の君。ええっと――」

「あ、山手です。山手真平」

「そっか。じゃあ山手君、君がやろう。サクラ先生、山手君にスプレーを貸してあげてもらってもいいですか?」

「はい!」


 オウジさんに笑顔で頼まれたサクラ先生は、むしろ嬉しそうに首を縦に振るやいなや、「はい、どうぞ」とさっそくヤマティに催涙スプレーの缶を握らせた。


「え……あの、俺がこいつに、これを吹き付けるんですか?」


 勢いに負けて受け取ったものの、戸惑いを隠せないヤマティにオウジさんが大きく頷く。


「その通りだ。君も被害者だからな。そっちのポニ子ちゃんがやってもいいけど、可愛い女の子がわざわざ手を汚す必要はないし」


 それを聞いたマユさんとサクラ先生が、同時に頬を膨らませる。


「ちょっとおじさん、どういう意味? しかも若者たちって、あたしたちは入ってないの?」

「可愛くなくて悪かったですねー。オウジさんにはあとで、新型スタンガンの実験台になってもらおうかしら」

「!? あ、いや、今のは言葉の綾でございまして」

「何、いきなり敬語になってんのよ」

「どうせあたしたちは、汚れた美女ですよーだ」

「サクラ先生、さり気なく凄い自己肯定が混ざっている気がするんですが……」


 年上の皆がまたしてもいつもの緩い雰囲気に戻ってしまいそうだったので、僕は苦笑しつつ割って入ることにした。


「わかりました。やり方を教えてくれれば、こいつの肩は僕が外します。オウジさんが押さえててくれるんですよね」


 そうだ。僕だってABCの一員なんだ。たまには悪党を懲らしめる役も務めなくちゃ。

 僕はもう、こういう場面でためらいを感じたりしない。クズどもを潰すのに容赦はしない。したくない。卑劣ないじめや嫌がらせは、その場で徹底的に叩き潰さなきゃいけないんだ。


「ヤマティ」


 気づけば自然に、友人の名前を呼んでいた。


「え?」

「ヤマティもやろうよ」

「マサキ、それって」

「うん。オウジさんが言ったけど、ヤマティも被害者だし」

「でも……」

「ヤマティ」


 もう一度、さらにしっかりと視線を合わせる。


「ジャスティス、ここにあり」

「!!」

「目の前に明らかな悪があって、誰かが助けを求めてる。待ってる。でもヒーローなんて、そんじょそこらにいるもんじゃない」

「マサキ?」


 ヤマティの目を見つめたまま、「だけど」と僕は抱えている気持ちを言葉にし続けた。


「だけど正義の心は、みんな持ってるはずだろ? ここにあるだろ? それを出そうよ。シュートを打とうよ。ヤマティはフォワードじゃんか。ゴールに向かわなきゃ何も起こらないんだ。逆にゴールを目指す奴は、どんなに泥臭くても不格好でもヒーローだよ。格好いいよ」

「マサキの言う通りだぞ、ヤマティ」

「え」


 オウジさんも、僕に親指を立ててからヤマティに呼びかける。というか、いきなりあだ名呼びですか。まあこの人らしいけど。


「誰かを守りたかったら、正義を守りたかったら、君がヒーローになればいい。ライセンスなんていらないんだ。心に正義があって悪を憎む気持ちさえ持っていれば、その時点で君がヒーローだ。『ジャスティス・ライダー』になれるんだ」

「俺が……」


 オウジさんは、ヤマティが好きな戦隊ヒーローの名前を知っているようだった。


「知ってるかい? いじめや嫌がらせはたった五年で時効になってしまうことを。けど、やられた方は五年経とうが十年経とうが、決して忘れない。決して許さない。俺は逆に訊きたいよ。五年で人がトラウマから立ち直れるのかって。そんな時間、あっという間だ。だから」


 言葉を切ったオウジさんは、強い口調で言い切った。


「こいつらみたいな奴は、見つけた瞬間に叩き潰すべきなんだ。少なくとも罰を与えて二度とくだらない真似ができないよう、逆にトラウマを植え付けておくぐらいしなきゃいけないんだ。ゴキブリを見つけても、かわいそうだとか殺生は良くないとか思わないだろう? 問答無用で殺すだろう? それと同じだ。同じでいいんだ」


 今やゴキブリ呼ばわりされたクズ男は、完全にびびって声すら出せなくなっている。それだけオウジさんの顔も、口調も、真剣だった。心底悪を憎むものだった。


「ねえ、彼女。ええっと――」

「あ、白根です。白根真凜」

「オッケー。真凜ちゃんは、あたしたちとそこのコンビニに行こっか。怪我とかしてないか、一応もっと明るいところで見せてね」


 こちらも沈黙していた白根に、いいタイミングでマユさんが声をかけた。サクラ先生と二人でこの場から退避させてくれるようだ。年が近い感じの美少女に優しく言われたからだろうか、戸惑った様子ながらも「はい」と答える白根の声が聞こえてくる。


「じゃあオウジさん、マサキ君。あとはよろしくね。いきましょう、真凜ちゃん」

「は、はい」


 続けてサクラ先生にもそっと手を取られた白根は、ぽかんと見とれるような顔をしてから素直に二人のあとを付いていった。うん、良かった。ここから先は見ないに越したことはない。


「よし、じゃあやるか」


 部屋の掃除でも始めるかのような気軽さでオウジさんが言い、「マサキ、ちょっとスイッチしてくれ」と自分が握っていたクズ男の右腕を僕に差し出してくる。


「はい」

「うん。そうしたら、せーのでこのまま腕を後ろに倒すんだ。肘は直角のままにしておくといいな。おお、そうそう、そんな感じ」

「い、いてててて!」


 どうやら僕はなかなか筋がいい(?)らしく、クズ男の右肩を外すくらいなら問題なくできそうだった。オウジさんが押さえてくれているというのも、あるだろうけど。


「で、ヤマティ」

「は、はい」

「君も同時に、こいつの目を潰せばいい。You,スプレーしちゃいなyo !」


 どこぞの社長みたいな口調でおどけながら、オウジさんは続けてヤマティにも指示を出した。


「大丈夫だよ、ヤマティ。僕も一緒にやるから」

「お、おう」


 じつは自分も若干緊張していたけれど、それでも僕はヤマティを安心させるために頷いてみせた。

 そして。


「よし、二人とも準備はいいな。じゃ、いくぞ」

「や、やめてくれ! もうしない! もう彼女に付きまとわないから!」


 クズ男が今になって必死に頼み込んでくるが、そんなもの知ったことじゃない。


「うるせえな。もうしないって、つまりはすでにやっちまってるんだろうが。おまえのやった犯罪は一度だって許されねえんだよ。潔く罰を受けろ、クズ男君」


 面倒くさそうに顔をしかめたオウジさんが「では、あらためて」と続ける。


「せーのっ!」


 オウジさんの言葉に合わせて、僕の両腕とヤマティの指に力がこもる。


「この野郎!」

「て、てめえ、よくも真凜を!」


 肚をくくって出した大声と同時に、ゴリッという嫌な音と、シューッという軽い音が重なった。


「ぐああああああっ!」


 直後、僕の真下でクズ男の身体が海老みたいに跳ね回った。さすがに押さえつけていられず、僕もヤマティも、さらにオウジさんもすかさず離れてその姿を遠巻きに見つめる。


「いてえ! いてええええっ!」


 無傷で済んだ左手で顔と右肩を交互に押さえながら、クズ男がのたうち回り続ける。


「うわ、痛そうだなあ」

「オウジさん、他人事みたいですね。って、他人事か」

「おう。自業自得としか言いようのない他人事だ」


 相変わらず冷静かつすっとぼけたオウジさんと、そんなリアクションにも馴れた様子の僕を見て、ヤマティだけはさすがに呆然としている。


「これでいいんだよ、ヤマティ」


 笑顔で呼びかけると、オウジさんもすぐに続いてくれた。


「おう。マサキの言う通りだ。クズはその場で潰す必要がある。二度と悪事ができないようにな」

「は、はい」


 そこでオウジさんは僕にも視線を向けてきた。


「大人になって、俺は思うんだけどさ」


 僕とヤマティ、二人を交互に見つめながら語り出す。相変わらずとぼけた口調だけど、目に真剣な光が輝いているのがわかる。


「生きてる限り、人間はいいことをしながら悪いこともしてしまう。そりゃそうだ。神様でもない限り、生まれてから一度も過ちを犯さない奴なんていないもんな。けどな、絶対にやっちゃいけない悪事ってのは、やっぱりあるんだよ。誰かの心や体を理不尽に傷つけるような行為だ。絶対に許されない犯罪だし、一ミリたりとも許しちゃいけない。そしてそんな真似をする輩を、クソみたいな悪を排除することは逆に、いいこと以外の何物でもないんだ。悪を見たら正義を成す。これって人として普通だろう?」

「はい」


 なんとなく理解した様子でヤマティが首を縦に振ると、オウジさんは「ゴミ拾いと同じだよ。目の前にゴミが落ちてたら拾う。処分する。いたって普通のことさ」とも言い切った。

 僕らから少し離れた場所で、生まれたての子鹿みたいによろよろと起き上がったクズ男が右肩を押さえたまま逃げていく。その後ろ姿を見るオウジさんの顔は実際、ただ単にゴミ拾いをしただけのような穏やかさだった。


 この人は――。


 あらためて僕は実感する。痛感する。この人は、オウジさんは、いじめや嫌がらせが骨の髄から許せないんだ。誰かを傷つけるような存在を、本当の本当に人間だとは思っていない。処分すべき「クズ」や「ゴミ」だと本気で思っている。振り切っている。なんていうか、凄い。


「ま、これにて一件落着だ。君の彼女を迎えに行こうぜ、ヤマティ」


 表情を元に戻したオウジさんが、もはや友達のような調子でへらりとヤマティに呼びかけた。どうやらこちらに関しても、すでに本気でそう思っているらしい。


「行こう、ヤマティ」


 相変わらずの調子に笑ってしまいながら、ますますぽかんとするしかないヤマティを僕も促す。

 大丈夫だよ。オウジさんは信頼できる人だから。すっとぼけててマイペースで子どもみたいな大人だけど、本気でいじめを、悪を憎んでいる人だから。

 僕たちABCのリーダーだから。


「多分、近くのコンビニとかですよね」

「ああ。マユとサクラ先生が、できるだけケアしてくれてるはずだ。あとは彼氏の優しさがあれば大丈夫じゃないかな」


 頷き合って歩き出す僕とオウジさんを、慌てた声が追いかけてくる。


「か、彼女じゃないっすよ!」

「あれ? そうだっけ?」


 わざとらしく言ってやりながら、僕は笑顔のまま親友を振り返った。

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