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 下校前のホームルームが終わると、ヤマティがすぐに声をかけてきた。窓際に位置する僕の席まできて、机に両手をつくなり口を開く。


「マサキ、さっきの話だけどさ」

「うん?」

「だから、さっき先生が言ってた話だよ。二年の奴らがやられたって話」

「ああ」


 九月のまだ暑い太陽に照らされたグラウンドをぼけっと眺めていた僕は、「ヤマティ」こと友人の山手やまてしんぺいが発した「やられた」という単語で、ようやくその話を思い出した。なんでも僕たちより一つ上、二年生の不良っぽい生徒の何人かが、どこかの男性に喧嘩をふっかけて返り討ちにされたのだとか。


「病院送りで、しかも転校していく羽目になったらしいぜ」

「へえ」


 それはたしかにおおごとだ。ヤマティが興奮した顔をするのも、ちょっとだけわかる。不良中学生が病院送りになるほどやり返されたうえ、同じ学校にいたたまれなくなるくらいだから、よっぽどボコボコにされたのだろう。


 ヤマティがさらに詳しく語った内容は案の定、というか予想以上のものだった。


「三人やられたんだけどさ、揃って片腕と片脚、あと鼻の骨をへし折られてたんだって。合わせて九本」

「うわ……」


 鼻の骨は本数で数えるものなのかとか、そもそも折られた骨の数を合計することに意味があるのかとつっこむのも忘れて、さすがに僕も顔をしかめた。思わず自分の腕と脚、そして鼻に軽く触れてしまったほどだ。やられた不良たちは相手をよっぽど激怒させたか、もしくはちょっとやばい人間に手を出したのか。


「相手はヤクザ屋さんとかじゃないよね?」


 右手で左腕をさすりつつ尋ねたところ、「違うっぽい。見かけた人によれば、若い男が一人だけだったらしいよ」との答えが返ってきた。けど一人でそれってことは、ますますやばい人なんじゃないだろうか。


 ここにきてようやく、僕も身を入れて話をする気になった。


「でも先生は、うちの学校で喧嘩に巻き込まれた生徒がいるから、下校の際も気をつけるように、としか言ってなかったよね?」


 一応確認すると、「そりゃそうだろ」とヤマティは軽く肩をすくめてみせる。


「自分たちから喧嘩吹っかけたのに病院送りになって、しかもショックで転校してったアホが何人もいるなんて、わざわざ詳しく説明しないよ。うちのクラスの人が含まれてたならともかく」

「そっか。たしかに」


 頷くとともに、もう一つ納得できる部分があった。上級生ではあるものの、ヤマティは容赦なく「アホ」とか「奴」と不良たちのことを呼んだ。病院送りにされた人間とはいえ、そこは僕も賛成だ。他人に迷惑をかける連中は好きじゃない。


「やられたのは二年の高田谷たかだや金分かなぶん、あと佐田さだだって。ほら、体育館裏によくたむろしてたあいつら」

「ああ」


 体育館裏にたむろしてた、という言葉で何人かの顔が思い浮かんだ。誰が誰だかはさっぱりわからないけど、茶色い髪だったりピアスをしていたりで、漫画に出てくるような典型的な「不良」っぽい二年生たちだった。


「たしかにあの人たちならやりそう、いや、やられそうだね」


 もう一度頷いてヤマティに答える。同時に「自業自得」という言葉も頭に浮かんだ。繰り返すけど、僕だって不良は嫌いなのだ。

 そんな僕――なかまさは、名前も含めていたって地味な人間だけど。


 取り立てて優秀ってほどじゃないものの、学年の三分の一ぐらいにはいつも入れる成績。音楽や美術は苦手だけど体育はそつなくこなし、やっているスポーツはサッカー。背は高くないし女子にもてたこともないけれど、別に太っているわけでもなく、特別に不細工でもない(はずだ)ルックス。


 五ヶ月前、中学に入学してすぐの頃に知った「スクールカースト」っていう分けかたで見れば、ちょうど真ん中あたりに位置してて、あとは自分で言うのもなんだけど「縁の下の力持ち」みたいな行動も少しできちゃうタイプ。ヤマティをはじめとする周囲から見た僕の印象は、多分こんなところじゃないだろうか。


 でもまあ、それでいい。将来に向けて頑張れる人間になるように、と名前を付けてくれた両親にはちょっぴり申し訳ない気もするけど、地味な立ち位置を僕自身はわりと気に入っている。小学三年生から始めたサッカーでもずっとそういうポジション、汗をかいてチームを支えるサイドバックとかボランチだし。

 だからきっと高校も、その先も、同じようなキャラで生きていくんだろうなと思う。


「ま、ざまあみろだよな。あいつらすぐにガンつけてきて感じ悪かったし。〝ジャスティス、ここにあり〟だ」


 自分がやっつけたみたいな顔で、ヤマティは得意げに語り続けている。ちなみに彼が口にした台詞は、人気のヒーロー番組で主人公が最後に言う決め台詞らしい。


「返り討ちだしね」


 ざまあみろという言葉には正直、僕も賛成だ。つまりその男性は正当防衛というわけだ。それにしても、一対三にもかかわらず合わせて九つもの骨を折るほどの返り討ちって、どれだけ強いんだろう。

 ひょっとしたら格闘家とか自衛隊員だったのかな、などと考えていたら、下校を促すチャイムが鳴った。


「あ、ごめんヤマティ。クラブ行かないと」

「おう。俺も部活だ。おたがい頑張ろうぜ。んじゃ、また明日」

「うん。また明日」


 軽く笑い合ったあと、ヤマティは急いで教室を出ていった。一年生はグラウンドの準備とかもしなければいけないのだと前に言っていた。部活は大変だ。


 やってるスポーツは同じなのになあ。


 ちょっぴり肩をすくめてから、僕も自分の練習に参加するため、通学用の自転車を停めてある駐輪場へと向かった。




 ヤマティと同じく僕もサッカーチームに入っているけれど、中学のサッカー部ではない。僕がプレイするチームは『しょうなんパイレーツ』。トップカテゴリーのプロチームはJリーグにも所属する、いわゆるクラブチームというやつだ。ホームタウンは名前にもあるように神奈川県湘南地区。地元の平塚ひらつか市にはスタジアムもあって、トップチームの公式戦が開催される日は駅前や周辺が多くの人で賑わう。


 サッカー以外もそうだろうけど、街のクラブやスクールと部活動との一番の違いは、「お金を払って、そのぶんいい環境で教わることができる」という点だろう。パイレーツも人工芝の綺麗なグラウンドが二面、観客席付きの天然芝グラウンドが一面ある立派な練習場を持っていて、僕らも普段からそこで練習している。もちろんコーチの人たちも、全員がサッカー協会の公認コーチだ。


 そして環境っていうのには、人間関係とかも含まれる……と思う。小学生年代の「スクール」チームの頃から僕を通わせてくれている父によれば、「アットホームな雰囲気がパイレーツの良さだからな」とのことで、たしかにその通りだと感じる。練習場の『せんじきフレンド公園サッカー場』で、僕たちジュニアユース(中学生年代はこう呼ばれる)チームの前にトップチームやユース、つまり高校生チームの練習が入っていると、入れ替わりの際に「お、今から練習か。頑張れよ!」と、憧れのプロ選手やプロ候補の格好いいお兄さんが気軽に声をかけてくれるし、逆にスクール生の子どもが僕たちの練習を、クラブハウスから興味津々で見学していることもある。少なくとも我がパイレーツには、部活で聞くような意味のわからない上下関係などはまったくなくて、クラブ全体がなんだか家族みたいなのだ。


 プロになれるとは欠片も思っていないし、そもそもユースチームに上がれるかどうかもわからないものの(トップチームがプロである以上、ふるいにかけられるのだ)、こういう居心地のいいチームでサッカーをさせてくれる両親には本当に感謝している。僕の試合にまでパイレーツのユニフォームにタオルマフラーっていう、ガチのサポータースタイルで応援に来るのだけは、ちょっと勘弁して欲しいけど。


「マサキ、最近少しフィジカルが強くなってきたな。いいじゃんか。筋トレしてんの?」

「あ、はい!」


 その日、僕は練習後にコーチの五月さつきさんから、そんな言葉をかけてもらえた。

 身長百五十五センチとやや小柄な僕は、五月コーチの言う通り「フィジカル」、特にフィジカルコンタクトと呼ばれる、身体をぶつけ合うようなプレーが苦手だ。それもあって最近、アドバイスに従って町の体育館にあるジムで自主的に筋トレを始めた。ちなみにクラブハウスにも立派なトレーニングルームが設置されているけれど、さすがに立派すぎて(?)トップチーム専用だったりする。

 なんにせよ自主トレの成果が出てきたことは少し、いや、かなり嬉しい。


「筋肉がつくと背が伸びなくなる、なんて誤解してる人も多いけど、ありゃまったくのデタラメだから気にしなくていいぞ。むしろ今のうちから正しい筋トレを覚えておけば、高校や大学、もっと言えば大人になっても絶対役に立つんだ。サッカーだけじゃなくて他のスポーツでもだし、俺みたいにおっさんのダイエットにもな。ははは」

「ありがとうございます」


 最後の方はリアクションに困ってしまったものの、僕はもう一度五月コーチにお礼を言った。自分でネタにするほど太ってはいないし、じつは元プロ選手だったという凄い経歴の五月コーチだけど、この人の「サッカーだけじゃなくて、人生そのものを大事にしろよ」みたいな考え方こそ、僕はひそかに尊敬している。自分の名前とは裏腹に将来のことはまだ全然ノープランなものの、サッカー協会のコーチ資格を取って五月コーチみたいな仕事もいいかなあ、なんて思ったり。


 ともあれ褒められて上機嫌になった僕は、練習が休みの翌日も、学校帰りに町立体育館へと立ち寄ったのだった。

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