謎のアプリを削除せずに一年間放置したら、化け物だらけのデスゲームに巻き込まれて命がヤバい

白林透

chapter 1

第1話 カウントダウン

 午前6時30分を知らせる目覚ましのアラームに1秒で反応し、鍬野恭平くわの きょうへいはベッドから跳ね起きた。


「ついに来たあぁぁッ……」


 充電ケーブルを引き抜いたスマートフォンは、『2022年6月17日』を表示している。

 高鳴る鼓動を深呼吸で整えながら歯磨きを済ませ、冷蔵庫から小分けのヨーグルトを引っ張り出して口に流し込む。

「恭平、行儀が悪い」と注意する父親の叱責しっせきよりも、彼の目と耳はテレビのニュースに釘付けになっていた。


『一年前に突如として全世界のスマートフォンに強制インストールされた謎の“アプリ”が本日、日本時間の午前十時丁度にカウントダウンの刻限こくげんむかえます。その時、いったい何が――』


「へぇ、トップニュースになるんだ」


 スマホを操作し、黒地に銀のダイヤ型が刻印こくいんされたアイコンのアプリを起動する。

 アプリを開くと、赤茶色の背景に簡素な白文字だけのカウントダウンクロックが数字を規則正しく減らし続けていた。カウントがゼロになるまで、あと4時間ほどだ。


「一年経っても、犯人の一人も見つかってないんだから当然だろうな」

「父さんはどう思う?」

「テロの予行演習の線が一番しっくりくる」

物騒ぶっそうすぎ」

「それぐらいのことなんだよ、これは」


 まさに今、テレビのスタジオコメンテーターも同じ話題を取り上げている。

 何しろ全世界の数億のスマートフォンのプロテクトを片っ端から破って謎のアプリがインストールされたのだ。それも電源が入っている、入っていないに関わらず。

 それだけ異常な状況でありながら、肝心のアプリはカウントダウンといくつかの暗号を提示するだけ。

 犯人だと名乗り逮捕された狂言者きょうげんしゃ愉快犯ゆかいはん数多あまたいたが真犯人は見つかっていない。

 この謎のアプリは削除不可かと思いきやそんなことはなく、通常の操作で簡単に削除が可能という事もあり本腰を入れてこの件を調査する組織はごくわずかか。

 現状では限りなく無害な代物というのが逆に不気味で、人々の間で様々な憶測おくそくを呼んでいた。

 アプリは天才ハッカーの『何に対しても介入できる』というデモンストレーションであり、このカウントがゼロになった瞬間、アプリの有無に関わらず全ての電子機器が乗っ取られ、世界に大混乱が巻き起こる! ――と予想する者もいる。


『このアプリ『PRIMARY OF THE DEAD』の意味についてですね、全世界で様々な考察がされていますが……、ゲストの向井学むかい まなぶさんに歴史学の観点から――』


「父さん、何が起きるか賭ける?」

「馬鹿。それより、急がないと電車が混んで間に合わないんじゃないか。行くんだろ、渋谷しぶや

「げっ、わかる?」

「そのくらいわからなきゃ、父親失格だよ」


 一応、学生服は着ていたが今日までの態度で全て見透かされてしまっていたらしい。


「父さんこそ、会社いいの?」

「今日は交通網が規制だらけで仕事にならないから、在宅勤務。いい時代になった。水ぐらいは持ってけ。コンビニなんて絶対入れないからな」

「昨日の内に準備万端じゅんびばんたん。それじゃ、行ってきます」

「スリとひったくりには気をつけろよ。人が多い所には絶対居るからな」

「父さんの若い時じゃないんだから、そんなに治安悪くないよ」


 忠告を背で受けながら、小ぶりなリュックを背負って家を出る。

 アプリに仕込まれた暗号には世界中の地名が隠されていた。

 日本では東京の渋谷、大阪の難波なんば該当がいとうする。


「ゲームが始まるんだよ。絶対」


 駅に向かって自転車を全速力でぎながら、自然と口角が上がる。

 アプリが示した暗号情報は各都市の名前以外にもう一つあった。


『各自、武器をかまえよ』


 カウントダウン画面で特定の入力操作をすることで、新たに浮かび上がる文字。

 続けて、その下には弓や銃等、武器を連想させるシルエットが浮かび上がる。

 面白いのは、人によって表示されるシルエットが違うという事だ。

 複数の武器から選択出来る人もいれば最初から一つしかない者、シルエットでは武器なのかどうか判別できないものまで様々だ。

 恭平に示されたシルエットは弓。弓と言っても銃のグリップに似たものが付いた、いわゆるボウガンである。


 アンインストールしたやつは馬鹿だな。


 一度削除したアプリは復元しようとしても復活しない。跡形もなく消滅してしまう。

 謎のアプリであるがゆえに、一度アンインストールすると再度インストールする方法はないのだ。


 あの日から一年、得体の知れないアプリを携帯に残している者は三分の一もいない。

 己の意志でアプリを消した者、携帯の機種を変えたことでアプリが消失した者、理由は様々だ。理由はどうであれ、平等に分配された権利を自ら放棄したのである。


 午前8時15分、渋谷の街は既に混雑をきわめていた。

 電車は父親の言った通り十分も延着し、電車の中は寿司詰め状態。

 その大半が渋谷で降り、それが数分おきに繰り返されるのだからこれから増える人の数は予想できない。駅周辺は人であふれて真っすぐ歩くこともままならなかった。

 間もなく、駅構内の入場規制を知らせるアナウンスが響く。間一髪、現地入りが間に合ったようだ。

 大勢の警官が「立ち止まらず移動してください!」と拡声器かくせいきで声を張り上げ、誘導を行っているが、殆どうまみみ念仏ねんぶつ

 ざっと見回しただけでも『世界の終わり』と書かれたプラカードを持った上半身裸の一団や、何の関係があるのか分からないコスプレ、仮装をした人々が目に入る。

 振る舞いを見るに、このイベントにかこつけてさわぎたいだけなのだろうと察しがつく。

 この日の為に他県から遠征して来たであろう、大きくて邪魔なキャリーカートを持った人も多い。

 年齢も幅広く、恭平のように学校をサボって出てきたと思しき学生服や私服の少年少女から、白髭しろひげのおじさん、濃い化粧のおばさんまで十人十色だ。


 恭平は十分以上かけて人混みを抜けると、大通りを避けて比較的道路を探して歩く。必然的に大通りからは外れてしまうが、事前に現地はリサーチ済みなので迷いはしない。

 人の多さに圧倒あっとうされるだけなら、リアルタイムの定点カメラで十分だ。

 普段なら誰一人居ないような場所も、今日に関しては数人がたむろしていた。

 一般のイベントなら中心地は渋谷のスクランブル交差点になるが、アプリの指定地点は渋谷という非常にざっくりとした広い範囲。

 勿論、巨大モニターをジャックして盛大にオープニングセレモニーが行われる可能性は高いが、恭平の背丈では人の波にのまれて見逃すのがオチだ。

 少し離れた場所でも空気は十分に感じられる上、開始と同時に集中してスマートフォンを操作出来なければゲームのスタートダッシュに失敗する。

 大事なのは、初動の立ち回りと必要に応じたしみない課金で他のプレイヤーに差をつける事だ。

 この日の為に貯めていたお金はほぼ全額、電子マネーに変換へんかんを済ませている。その額、7万4千円。よほど酷い課金要素でもなければ、初期投資しょきとうしとしてはまずまずの筈だ。

 今まで色々と我慢に我慢を重ねた努力の結晶である。


 ……課金要素があれば、だけれど。


 目的が同じ者達は自然と同じ場所に集まるもので、喧騒から数百メートル外れるだけで、スマートフォンに視線を落とした人々ばかりになった。

 果たして彼らは仲間になるのか、敵となるのかは分からない。

 中心部の喧騒けんそうとは異なる緊張感が周囲に漂っている。


 9時45分。カウントダウンが残り15分を切った瞬間、恭平の周囲で小さなどよめきが起きた。今まで白一色だったカウントダウンの文字が七色に光り始め、新たな文字が浮かび上がる。


『手にした希望は武器となる。希望を自ら捨てた者はしかばねとなる』


 スマートフォンが文字の点滅と共に振動する。バイブレーター機能ともリンクしているらしい。

 意外と凝った演出じゃないか、と口元が緩む。


 更に5分後、次の一文が出現。


『手にする希望は己の魂に刻まれた後悔こうかい追憶ついおく


 これも何かの暗号だろうか。あるいは、ヒントか。

 続けてボウガンのシルエットが浮かび上がる。


『身に宿る力は執着しゅうちゃく


 ――やっぱりそうだ。俺の予想は正しかった。


 恭平は心の中でガッツポーズ。

 これがゲーム開始の壮大なプロローグでなければなんなのか。

 信じ続けた者だけが参加できる謎のゲーム。否応なく胸の鼓動が早くなる。


 カウントダウンに合わせて携帯が更に強く振動する。

 心臓の鼓動がリンクしていく奇妙な感覚。


 残り15秒、10秒、……5秒、4、3、2、1


ときた。回避不能かいひふのう終末しゅうまつそなえよ』

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