大切な事を決める時に大切な事

「誰がお目当て?」

「愚問も愚問ですね。でも、ああいう光景はいいですね」


 リビングからキッチンで朝食の支度をしてくれている三人を眺めている――手伝いの申し出は当たり前のように却下された――と、向かいのソファーに座った花波さんがからかうような調子で尋ねてきた。

 当然美園以外はあり得ないのだが、それでもお母さんと乃々香さんと一緒に楽しそうにしている姿を考えると、三人を見ていたいというのも一面の正解かもしれない。


「悪い男があの仲良し家族から一人引っこ抜こうとしてるんだよねー」

「悪いとは思ってますけど、それについてはもう譲らない覚悟をしてますんで」


 Tシャツ姿のラフな花波さんに応じると、彼女はニヤリと笑った。


「いいね、そういうわがままな感じ結構好きだよ」

「……すみません。心に決めた人がいるので、お気持ちもあんまり嬉しくないんですけど」

「フラれた感じになるの腹立つ。ってか今お気持ちも嬉しくないって言わなかった?」

「言いましたね」


 冗談だとわかってはいるが実際嬉しくない。正直なところ美園と付き合っている今でも異性から好意を向けられれば多少は嬉しいのだと思うが、困る面の方が大きいだろう。美園から気持ちが動く事など絶対にあり得ないのだから、僅かな嬉しさなどかき消して余りある面倒が発生するだけ。

 そしてそれが美園の姉である花波さんとなれば――もちろん冗談で言っているのはわかっているが――想像するだけで身の毛がよだつ。


「あのヘタレの牧村君がここまで言うようになるとはね。義弟おとうとの成長が嬉しいよ」


 美園がするような可愛らしいものとは少し違ったが、造作のよく似た顔にムッとした表情を浮かべていた花波さんが肩を竦めてまたもからかうような言葉を向ける。


「義弟になる覚悟は決まってるんでしょ?」

「ええ、よろしくお願いします。お義姉さん」

「うん。昨日お父さんに啖呵切っただけの事はあるね」

「別に啖呵切った訳じゃ……ってか何で知ってるんですか?」


 知っているのはお父さんと美園と僕。僕は言っていないし美園は昨日の夜から花波さんには多分会っていない。つまり――


「昨夜べろべろになったお父さんが泣いてたから」

「泣いていないが」


 声は後ろから聞こえた。振り返ると不本意と気まずさを同居させたような顔をしたお父さんがいて、そのまま歩いて花波さんの隣に腰を下ろした。


「えー。『美園が嫁に行く』って泣いてたじゃん」

「泣いていない。そもそもまだ嫁に行く訳ではない。そうだろう?」

「はい。ここから先は僕次第です」


 話を振られてそう答えれば、お父さんは満足げに二回頷いた後で花波さんに「だそうだが?」と勝ち誇ったように笑った。

 花波さんは「だってさ」とわざとらしく肩を竦めてみせながら僕に苦笑を見せるので、僕としても同じ表情をするしかない。


「ところで美園はお嫁に行くの? それとも牧村君がお婿に来てくれるのかしら?」


 そんな微妙な空気の中で聞こえたどこかゆったりとした雰囲気を感じさせる声。いつの間にと思ってキッチンに目を向けるといるのは既に二人で、目が合った美園が優しく微笑みながら小さく首を傾げてみせた。

 こちらも小さく手を振ってみると、美園の頬が少し弛み、僕も自身のそれを自覚した。


「二人とも幸せそうな顔して、ねえ?」

「……ところで、朝食の支度の方はいいのか?」

「ええ。美園に任せておけば問題ありませんから。それに普通の朝食ですから、美園の方がもう上手で悔しくって」


 苦笑の花波さんから渋い顔のお父さんへ、そこから楽しそうな笑顔のお母さんへとバトンの異なる言葉のリレーが繋がる。

 お母さんはそのままの笑顔で手に持ったお盆から人数分のお茶を渡してくれ、そのまま僕の隣に腰を下ろした。


「それに、美園と乃々香が二人だけでお料理をする機会なんてもう何度も無いかもしれないでしょう? 見てください、楽しそうでしょう? 特に乃々香が」


 細められたお母さんの瞳の先には二人の姉妹、優しい表情で妹を見守る姉と、大好きな姉の横で一生懸命楽しそうに手を動かす妹。

 僕についてきてもらうつもりでいる美園が卒業後にこの家に戻る確率は低く、確かにこの光景はもうほとんど見られないのかもしれない。そう考えると、覚悟などと言ったくせに少し胸が痛んだ。


「あら、気にしなくていいのよ。みんなそういうものなのだから。牧村君は美園と一緒にまた別の幸せな景色を作ればいいの。それを私たちに見せてちょうだい」


 そう言って僕に優しく笑ったお母さんに「ねえ?」と顔を向けられ、お父さんは口を結んで顔を逸らし、お茶に口を付けた。


「私は味方だから安心してね。敵はあの人だけよ」

「敵って」


 美園がたまにするのと同じ、可愛らしいガッツポーズを胸元で作ってみせたお母さんに花波さんがまたも苦笑を見せる。


「それで、お話を戻すけれど、美園がお嫁に行くの?」

「ええと、特に考えていませんでしたけど、僕はどちらでも構いませんので美園さんの希望に沿おうかと――」

「あら、ダメよそれは。ねえ、花波?」

「あー、うん。なんか牧村君、結婚式とか披露宴も『君の好きにしていいよ』とか言いそうなタイプ。投げやりとは違うけど根っこの部分が草食って言うか」

「え、それダメなんですか?」


 思わず聞き返すと隣と正面から「ダメよ」「ダメでしょ」と声がハモる。

 全て任せきりにするつもりは毛頭無いが、正直僕としてはそういった部分に関しては女性の方が思い入れも強いだろうし、美園が満足してくれるものを選びたいと思っていただけに衝撃が大きい。

こちらを窺っていたお父さんが気まずげに顔を逸らす。どうやら思い当たる節があるらしい。


「牧村君が優しいのは知っているけれど、大切な事なのだから二人で決めないといけないわ」

「特に美園はね、結婚式の話した時に牧村君は和洋どっちがいいかなあ、なんて言うような子だからね。ちゃんと意見言ってあげてよ」

「はい。ありがとうございます、肝に銘じます」


 金言に感謝して下げた頭を上げると、花波さんがニヤリと笑っていた。


「まあでも、結婚式とかであんまり自己主張が強い男もどうかと思うけど」

「どうすりゃいいんですか」


 そんな冗談に苦笑しながらお茶をいただくと、隣のお母さんがふふふと品良く笑う。


「難しく考えなくていいわ。だって、牧村君は美園が何をしてほしいかわかるでしょう?」

「……はい。それについては誰にも負けません」

「ええ」


 優しく微笑んだお母さんにもう一度頭を下げたところで、斜め前からずずずとお茶を啜る音が聞こえ、女性陣二人が苦笑とおかしそうな笑みを見せた。


「大人げないなあ」

「娘のいる父親の気持ちはわからんだろう。牧村君も、娘ができればきっとわかる」

「……娘作っていいんだ?」


 一瞬ぽかんと口を開いた花波さんが口角を上げて問えば、お父さんは「言葉のあやだ」ともう一度お茶を啜り、口をへの字に曲げた。

 女性陣二人と一緒に、申し訳ないが今回は僕も少し笑わせてもらった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る