第110話 基準にならない恋愛観
出展企画部では、文化祭2日目の準備も変わらず6時から行われる。椅子や机を並べる作業が無い分、夜通し屋外に出しっぱなしだったそれらの清掃があり、加えて構内の見回り及びゴミ拾い――昨夜暗くて発見できなかった分――もある。
更に言えば2日目からは文化祭スタート時間も1日目より1時間早い為、作業開始時間を遅らせる訳にはいかない。
「出展企画の人は大変ですね。3日間ずっと6時なんですよね?」
「まあそうだけど。広報だって昨日は4時からでしょ?」
「その分今日は7時からですし、昨日だって昼くらいからは結構休めましたよ」
そして現在僕は、正門横の案内所――文化祭のロゴの入ったアーチ状のゲートの脇――で広報の1年生と一緒に座っている。
今までほとんど絡みの無い子だったので、本来の僕であれば挙動不審になっていたかもしれないが、疲労のせいで僅かにハイになっていると思われる精神と、何よりそれなりにする事が多かったので会話には困っていない。
案内所は合計で6か所設置されているが、大学の玄関口となるここは当然一番需要が多い。しかも半ば学内向けだった昨日と違い、今日は学外からの来客も多く、「パンフレットください」「ここにはどうやって行けばいいんですか?」といった声を多くかけられる。
「今日は美園とあんまり会えないんじゃないですか?」
2日目は通常の案内所配置の他に、招待企画の為の人員割り振りがある為、1日目より担当外の仕事にとられる時間が増える。事実彼女の言う通りだ。
「まあそうだね。ってかみんな僕と話す時の話題それだな」
ほとんど絡みの無かった1年生との共通の話題など、そのくらいなのだから仕方ないが。
「あ、すみません。嫌でしたか?」
「いや、全然」
美園の話題が嫌な訳が無い。
「……ですよねー」
一瞬申し訳なさそうな顔をした彼女だったが、何故か遠い目をしだした。
「せっかくだから女子会なんかの僕の知らなそうな美園の情報くれ」
「そうですね……っとバスが来ましたね」
「残念だよ」
バスが来るという事はつまりお客さんが一気に増えるという事だ。いくら重要な話だとはいえ、雑談に興じている暇は無くなる。
そして予想通り――
「パンフレットもらってくね」「第1ステージってどっちですか?」「たこ焼き食べたい」「天文学サークルの展示見たいんですけど」
などなどの質問攻めに遭う事になった。正直暇よりは忙しい方がいいのだが、それでもやはり一度に対応するとなると疲れる。
「すいません」
バスからのお客さんがほとんどはけた頃、僕が足元の箱から机の上にパンフレットを出そうとしゃがんだタイミングで声がかけられた。
「あれ、美園……」
パートナーの彼女の少し驚いたような声で顔を上げると、聞き覚えのある呼び声の主は、彼女が美園と間違えるのも無理もない相手だった。
「こんにちは。花波さん、乃々香さん」
「やあ牧村君」
「こんにちは。牧村さん」
美園より少し長く、少し明るい髪の花波さんは相変わらずパンツスタイル。
美園を少し幼くしたような乃々香さんは、大好きな姉を意識しているのか明るめなワンピース。
「ええと……」
「見て何となくわかったかもしれないけど、美園のお姉さんと妹さん」
状況がよく呑み込めていないであろう1年生に二人を紹介し、お互いに軽い挨拶を済ませてもらう。
「あと5分くらい待ってもらえれば少し案内できますけど、どうしますか?」
「じゃあせっかくだしお願いしようかな。ちょっとその辺見て来るね」
「ありがとうございます、牧村さん。すぐに戻って来ますね」
花波さんはひらひらと手を振って、乃々香さんは美園のように一礼して構内の装飾を見に行った。
「遺伝子って影響強いんですね。ってか分けてほしい」
少し声の抑えられた後半は聞こえなかった事にして「そうだね」とだけ返した。
◇
「あれ、それ脱いじゃうの?」
「一応委員会活動の外なんで」
多少出歩く程度なら構わないが、模擬店で買い物をしたり、出展を見て回ったり、友人と歩くような場合は、威圧感を与えないように、そして遊んでいると思われないようにスタジャンを脱ぐ事になっている。
「わざわざすみません」
「いいよ、気にしないで」
申し訳なさそうな上目遣いの乃々香さんに笑いかけると、彼女は「ありがとうございます」と安心したように笑った。外見だけでなくこういうところも美園によく似ている。
「今日来るって美園が言ってなかったんでびっくりしましたよ」
「だって言ってないもん。だから牧村君に会えて良かったよ」
けろりとそんな事を言う花波さんに、乃々香さんがまたも申し訳なさそうな顔になってしまう。
「本当はお姉ちゃんに伝えておきたかったんですけど、言ったら一緒に行ってあげないって、カナ姉が」
「ああ……」
それならば一人で行くと言った乃々香さんに対し花波さんは、「お父さんが何て言うかな~」「乃々香はナンパに囲まれて泣いちゃうかもね」などと、本人曰く硬軟織り交ぜた交渉の末、美園に本日の来訪を伏せる事に成功したらしい。
「美園が忙しくしてるのは知ってたしね。会えるなら会いたいけど、わざわざ時間作らせるのも悪いしさ」
「なるほど。聞いてみればまともな理由でしたね」
「牧村君私の扱い雑じゃない?義姉に対して」
今のは「(恋人である美園の)姉」ではなく「(僕の将来の)義姉」という意味の発言だと思う。からかうような花波さんの表情でわかる。
「お義姉さんだからですよ」
怯まずに言い返すと、花波さんは「言うようになったね」と楽しそうに笑った。
◇
「美園の姉の花波です。妹がお世話になっています。こっちは妹の乃々香」
「初めまして。君岡乃々香です」
結局二人とも美園に会いたいという点は一致していたので、今なら問題なく会えると連れて来たのは第2ステージのテント。当然驚いた顔を見せる美園を放って、花波さんは香と挨拶を交わしている。
「お姉ちゃん。来るなら言っておいてよ」
「ごめんごめん。美園の驚く顔が見たくて」
恐らく半分は諦めながらも抗議する美園に対し、花波さんは悪びれた様子も無く、図らずも共犯にされてしまった乃々香さんが代わりに狼狽えている。
「美園が忙しいと思って気を遣ってくれたんだよ」
「あ、ちょっと牧村君」
なので僕の方からあっさりとネタばらしをしておく。大事な妹に気を遣った姉と、大好きな姉の前で気まずい思いをする妹の名誉回復だ。
「そうだったんだ。ありがとう。お姉ちゃん、乃々香」
はにかみながら姉妹に礼を言う美園に、花波さんは照れ笑いをしながら、乃々香さんは嬉しそうに近寄って話し始めた。
「マッキー、もう家族ぐるみなの?」
「会った事があるだけだよ」
「9月にウチの両親に挨拶に来てくれたからね」
「そうだったんですか」
半分呆れたような香の質問に、姉妹トーク中だったはずの花波さんが横やりを入れたせいで、香の呆れがもう1/4程増えたように感じる。
「その時の話聞く?」
「面白そうですね」
「面白くねーよ」
何とかしてその話を阻止しようとしていると、今度は「あれ、お姉ちゃん、指輪」との声が美園達の方から聞こえてくる。ここは地雷原か。埋めたのほとんど僕だけど。
「智貴さんがくれたの」
「そうなんだ。綺麗な指輪だね」
「うん。凄く嬉しいよ」
顔が見られない。声だけでも頬の弛みが抑えられないのだから、顔など見てしまったら酷い事になる。
「指輪どうやって渡したか知りたいですか?」
「知りたーい」
「言うな。ってか何で知ってるんだよ?」
「志保から聞いた」
「あーもう」
収拾がつかなくなってきて、睡眠の足りていない頭の機能が鈍くなる感覚を覚える。もうバレてもいいかなとさえ思えてきた。
「ん?智貴さん?」
「あ、そう言えば。前の時は牧村先輩だったよね」
違和感に気付いた姉妹が、別方向からそれぞれ美園の方に顔を向けると、当の本人も気付いたようで「失言でした」というような顔をしている。指輪の渡し方と違って、いつかはわかる事なので僕としては構わないのだが、経緯を考えると美園の口からは言いづらいかもしれない。
「指輪を渡した日から呼び方を変えてもらってるんですよ。美園の誕生日です」
「あー。まあ丁度いいかもね」
「なんだか素敵ですね」
ぽーっとした様子を見せる乃々香さんの頭越しに、美園が目配せで「ありがとうございます」と示してきたので、同じように「どういたしまして」と返すと、彼女はホッとしたように笑った。
「相変わらず目線でイチャつくんだから」
「やっぱりそうなんだ」
それを見ていた香が呆れ半分で発した言葉に、花波さんが苦笑で応じる。
「妹の教育に悪いなー」
「どう言う意味?」
ぽんぽんと頭を叩く花波さんを見上げ、美園とよく似た動作で首を傾げる乃々香さんの向こうで、美園も同じ仕草をしていて面白くて可愛い。
「この二人を基準に恋愛観作っちゃうと将来苦労するよ、って事」
「ですねー」
そんな可愛らしい姉妹を他所に、花波さんと香は顔を見合わせて苦笑していた。
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