第27話 自覚と眠る後輩
「長い時間お待たせしてすみませんでした」
香りがいいのはもちろんの事、盛り付けもキレイな料理――惜しむらくは僕の部屋の皿が完全に料理に負けている事だ――を出してもらったのは19時を少し過ぎた頃だった。
「全然待ってないよ。楽しみにしてたから時間が過ぎるのが早かった」
申し訳なさそうな美園に安心して欲しくてそんな事を言ったが最後の部分は大嘘である。楽しみにしていたのは紛れもない事実だが、時間が過ぎるのはとんでもなく長く感じた。自分の精神の弱さを嫌という程思い知らされた時間だった。
僕の言葉を受けて嬉しそうに笑う美園に、心の中で嘘を謝っておく。
「サーモンのカルパッチョと、こっちのミニトマトの間にチーズが挟まってるのは、なんか見た事ある気がするんだけど、何だったっけ?」
「カプレーゼです。普通のトマトをスライスして作る方が一般的だと思うんですけど、食べやすさ重視でミニトマトで作ってみました」
「そうだ、カプレーゼだ。見た目も可愛くていいと思う」
ミニトマトを切った間にチーズとバジルを挟んだ一口サイズのカプレーゼが、オリーブオイルと黒コショウで彩られ、センス良く配置されている。皿さえ良ければ、どこかの店で出てきたと言い張っても疑われないだろう。
バジルソースで彩られたサーモンのカルパッチョも、メインのビーフシチューも、バターが香るピラフも、残念なのは皿だけだ。次の機会の為にも皿を買っておこうと決意した。
「冷めない内に食べてもいいかな?」
「はい」
全ての料理を並べ終わり、髪を元に戻した美園に尋ねる。早く食べたい、と意思表示のつもりだが、伝わったようで満面の笑みで返事をしてくれる。
「いただきます」の言葉がぴったり被って、お互いに少し気恥ずかしく笑い合ってから、僕はカプレーゼを口に運んだ。
「美味い」
伝えるつもりではなく、自然と口から出た言葉だったが、正面の美園は少しホッとしたように見える。彼女はまだ料理に手を付けていない。
調和の取れた美味しさのカプレーゼをもう一つと思っていたが、次はカルパッチョに箸を伸ばした。
「これも美味い」
ビーフシチューとピラフにも手を付け、ワンパターンだが今度はしっかりと意思を持って「美味い」と伝えた。
「ちゃんとすごく美味しいから、心配しなくても」
「お口に合って、本当に良かったです」
心底ホッとした、そんな様子を見せた後、美園はやっと笑った。
「味見はしてるんだろ?」
「自分でも味見はしましたけど、やっぱり食べてもらうとなると緊張します。しかもお相手は牧村先輩ですし」
「僕は別に味にうるさい人間じゃないから……この言い方は作り甲斐が無いかな?」
「そう言う意味じゃありませんけど、作り甲斐は最高ですよ」
「そりゃ光栄だ」
そう言って貰えるのが嬉しくてたまらない。照れ隠しも込めて美園に食事を勧め、美味しい料理に舌鼓を打った。
◇
「残りは冷蔵庫に入れさせてもらいますね。良かったら明日食べてください」
「助かるよ。ありがとう」
普段の夕食よりもかなり多めの量を食べたつもりだが、ビーフシチューはまだ残りがあった。明日もこれが食べられるのは、正直かなり嬉しい。
「じゃあ最後にデザートをお出ししますね」
「至れり尽くせりだよ、本当に」
冷蔵庫にしまっていたあった箱から、美園が取り出したのはチーズケーキ。それにナイフを入れて、皿とフォークを用意してくれる様子を見て思わず呟いた。
ふふっと笑って「どうぞ」と出してくれたチーズケーキもきっと美味しいのだろうなと、多大な期待を寄せざるを得ない。
ふとここでテーブルの上を見ると、飲み物が水しかない。先程一口貰った赤ワインもあるが、美園に飲ませる訳にはいかない。
「コーヒーしかないけどいいかな?」
「私が淹れますよ」
立ち上がろうとした僕を制して、美園はキッチンに戻りすぐにカップを二つもって戻って来た。既にほとんど準備済みだったのだろう。本当に至れり尽くせり過ぎて、ここは僕の家だったのか疑ってしまうレベルだ。
「どうぞ」と、テーブルの上に静かに置かれたカップを手元に寄せて、「ありがとう」と返すと、美園はニコリと笑った。
「美味い。甘すぎなくて、濃厚って言うのかな。これ赤ワインとも合うんじゃないかな」
「牧村先輩は甘さが控えめの方がお好みのようだったので、合わせて作ってみました。赤ワイン注ぎましょうか?」
「せっかくだけど食事中にも飲んだし、やめとこうかな。酔っぱらっても困るし」
「ワインも置いて行きますので、良かったら合わせて楽しんでみてください」
「このワイン結構するだろ?いくらなんでも悪いよ」
調べたら1本2,000円程のワインだった。何万もする高級な物では無いが、その辺りで売っている物で、大学生が飲むには結構なお値段だと思う。
「どうせ私は飲めませんから」
美園は苦笑しながらそう言った。確かにそれはそうだ、ビール一口で眠ってしまう美園にワインは飲ませられない。
「じゃあありがたく貰うよ」
「はい。赤ワインと合わせた感想も聞かせてくださいね」
「ああ」と頷き、内心でこれはお返ししないとなぁ、と考えて楽しくなった。
「ところでこれ、プリンの時も思ったけどいつ作ったんだ?実務の後じゃ結構厳しくないか?」
「今朝ですよ。実務の前にデミグラスソースと一緒に作っておきました」
「結構早く起きたんじゃないか?」
「い、いえそんな事ないですよ。普通の時間に起きました」
この子は本当に嘘が吐けない。目が泳いでいてバレバレだ。とは言え、それを指摘するのも野暮と言うものだろう。
「そうか。ありがとう、どれも凄く美味しかったよ」
僕に出来るのは素直に感謝を伝えるだけだ。それだけしか出来ないというのに、こんなにも眩しい笑顔が返って来るのだから、なんて幸せな事だろうと思う。
◇
食後の片づけは、固辞する美園に対して半ば無理矢理手伝った。キッチンが狭いので、皿拭きや整頓くらいしか出来なかったが、ただ座っているというのも大概手持無沙汰だというのは先程も思ったし、何より再びの精神修行タイムは勘弁して欲しかった。
「今日はありがとう。もう少ししたら送って行くよ」
時刻は21時を回ったところ、改めて感謝を伝えると、美園は「何を言っているんですか?」とでも言いたげな瞳で僕を見ている。
「本気で泊まる気でいる?」
「ダメですか?」
僕に対して必殺の上目遣いで問われる。
「大した事じゃないって言っていたじゃないですか。それに香さんや別の先輩もここに泊まったんですよね?私だけダメなんですか?」
その通りだと思う。香たちを泊めたのは他に手段が無かったからではあるが、泊める事には大した抵抗が無かったように記憶している。たとえ相手が女子であっても、家に泊める事など大した事ではない。少なくとも文実ではそうだ。その通りなんだ。
「わかったよ」
「お布団は持ってきていますから安心してください」
僕が了承すると美園は嬉しそうに笑って、水色のキャリーバッグを開いて、中からこれまた水色のタオルケットを取り出した。大きなキャリーバッグを使う訳だ。
「敷布団どうするんだ……」
「くるまれば平気です。あ、クッションは貸してくださいね」
「ベッド使って。床で寝かすのは無しだから。ダメなら送って行くよ?」
そう伝えると、美園は拗ねたような表情で何やら考え始めてしまった。
「僕に迷惑だとかは、前にも言ったけど考え無くていいよ。今日の料理に大満足させてもらったし、そのお礼だと思ってくれればいい」
自分で言って思うが、泊めずに送って行く方が当初の考えでは無かっただろうか。何故今、ベッドで寝るように説得をしているのか。
「ちょっと考えさせてください。その間に牧村先輩はお風呂でもどうですか?」
その言葉が受け取りようによってはマズイ言葉だと、きっとわかってないだろうなあと、内心苦笑しながら頷く。
着替えのジャージと下着類とタオルを用意し、「覗くなよ」と冗談めかして声をかけると、美園は顔を赤くして「もう……」と小さく言った。
「適当に使って。映画なんかも見られるから」
そんな反応に気恥ずかしくなって、デスクからノートPCをテーブルの上に移動させ、動画配信サービスのページを開いて渡した。
「ありがとうございます」
そんな声を聞きながら、後ろ手で手を振って部屋の扉を閉め、普段より温度を下げたシャワーを浴びた。
◇
着替えまで終えてドアを開けると、部屋の中は静かだった。PCはスクリーンセーバーの状態だし、美園はベッドに背を預けて眠ってしまっていた。
本人は否定していたが、早起きした分と疲れもあっては、食後の眠気に逆らえなかったのだろう。
風邪をひいてもいけないので、ベッドで寝てもらおうと一旦起こすために近づいて屈んだが、その寝顔から目が離せなくなる。
「美園」
手に感じるサラサラとした心地良い感触と、自分の視界で動く右手で気付くが、僕はいつの間にか美園の頭を撫でていた。
眠ったままの美園が発した「んー」と言う声で、ようやく自分の意識が戻って来た。
「なんで」
慌てて手を引いて、自分の右手と美園を見比べるが、もうその疑問の答えは分かっている。今までだってきっとそうだった。
僕は、美園が好きなんだ。
それをやっと、自覚した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます