第12話 交換条件と律儀な後輩

 昼食を終えて、城址公園へ向かう為に店を出て、美園と一緒にホテルのエレベーターに乗っている。

 その美園は、店を出る時からずっと不満げな表情で僕を見ている。そんな表情も可愛いと思う。


 しかし、言われる前に胸に手を当てて考えてみるが、理由は全く分からない。店の雰囲気も料理の味も良かったと思うし、美園もそう言ってくれていた。美園を窓側の席に誘導したし――外の景色が見たかったのなら最初の時点で不満を見せるはずだ――支払いだって美園が見ていないところで済ませた。

 ダメなところが見つからない。僕は意外と完璧なのではないかと、錯覚と言う名の現実逃避に走りかけた。


「牧村先輩。ご馳走様でした」


 ホテルを出ると、丁寧なお辞儀とともに美園からお礼の言葉があったが、上げた顔に浮かぶ表情にはまだ不満の色が僅かに残る。言動と表情が不一致な美園が、肩に掛けた白く小さいバッグから財布を取り出したのを見て、僕はようやく気付く。


「受け取らないよ」

「でも!」


 この子はそういう子だった。たった数百円の苺のムースでさえ代金を払おうとした美園からしたら、先程の昼食の代金を僕が持った事が不満、というよりも心苦しく思っているのだろう。


「とりあえず歩きながら話そうか」

「はい……」


 促してみたものの、美園の足取りは重く、表情も暗い。不満げな表情と違って今の顔を可愛いとは言えない。いや可愛いんだけれども。


「ほんとに気にしなくていいから」

「ダメです。一緒にお食事をってお願いしたのは私なんですから――」

「店を決めたのは僕だ」

「でも……」


 律儀な子だと思う。美園を基準にして考えたら、いつか女性関係で痛い目を見そうなきがする。いや、痛い目に会う所まで行けないか。


「だって。ご馳走になってばかりじゃ、また一緒にってお願い出来ないじゃないですか」

「え?」


 そんなくだらない事に考えが逸れた僕に届いたのは想像していなかった言葉だった。


「ええと。その……自惚れかもしれないんだけど。また一緒に出掛けたいって事でいいのかな?」

「そうです!」


 ここまでストレートに言われると顔から火が出る思いだ。


「その、何と言うか。ありがとう?」

「…………あっ!!」


 僕自身意味不明な「ありがとう」だったが、その言葉の意味を考えた美園は少し冷静になったのか、自分が何を言ったのかようやく自覚したらしい。


「忘れてください……お願いします」

「ごめん。ちょっと無理かなあ」


 僕たちは同じように火の出たような顔をして、しばらく無言で並んで歩いた。



「牧村先輩」


 体感3分程の沈黙を破ったのは美園だった。


「やっぱりご馳走になってばかりじゃ良くないと思うんです。その、次も、と言うのは抜きにしても」


 後半部分では、やっと熱の引いて来た顔に、また朱を注いでいた。律儀な彼女のそんな様子が可愛くて、顔がニヤケそうになるのを我慢する。


「わかったよ。ただ、今日は僕を立てると思って、悪いんだけど我慢して欲しい。は、その、どうするか一緒に考えよう」


 元は美園が言い出した事ではあるが、出会って2週間程度の女の子相手に、自分から次の約束を口に出来るとは思っていなかった。

 とは言え、後輩女子に奢らせる訳にもいかないので、「一緒に考えよう」と言葉を濁しておいたのは我ながらファインプレーだと思う。


「そういう言い方はズルいです。でも、次は私がご馳走する番ですからね。絶対ですよ」


 赤い頬のまま拗ねたような表情を作って見せた後、美園は笑顔で小指を差し出した。


「ええと、これはつまりアレ?」

「アレです。ハイ」


 所謂指切りの約束。指を突き出す美園の顔は赤い。


「恥ずかしいならやらなくても――」

「ダメです。ちゃんと約束しないと、牧村先輩は理由をつけてまたご馳走してくれようとします。きっと」


 完全に見透かされている。僕はそんなに分かり易いだろうか。


「じゃあ……約束だ」

「はい。絶対ですよ? 次は私がお店選びますね」


 右の小指と右の小指が結ばれる。流石に「指切りげんまん~」などとは言わないが、これは中々に恥ずかしい。


「牧村先輩、顔赤いですよ」

「お互い様だろ」



 駅北の城址公園までは歩くと約20分。

 美園から新生活の話を聞いて、僕からは大学内部や近辺の便利情報などを教えている内に、公園が目に入る場所まで来ていた。


「思ったより大分混んでるな」


 五月連休なので家族連れやカップルなどが多いかとは思っていたが、それでものんびり散歩できるくらいの余裕はあると思っていた。しかし、目の前の人だかりを見ると、そうもいかないような気がしてくる。


「グルメイベントが開催中みたいですね。調べておくべきでした。すみません」

「あー。調べてなかったのは僕も一緒だし、気にしなくていいよ」


 料理の方を調べるのに必死で、こちらの方は適当に散歩くらいにしか考えていなかった僕の落ち度でもある。


「せっかくだし見て行こうか。おやつ程度に食べられる物があればいいし、無くても散歩がてら冷やかして回ろう」

「はい。ありがとうございます」


 とは言ったものの、今日のグルメイベントは割とガッツリ系の屋台ばかりだったようで、昼食を食べたばかりの僕たちが食べようと思えるものはほとんど無かった。

 更に言うなら、散歩をしようにも人が多すぎて美園とはぐれそうになるし、少し休もうにもベンチどころか木陰にすら座れない。

 結局、僕たちは諦めて公園の外へと向かった。


「すみませんでした。牧村先輩は素敵なお店を案内してくれたのに、私はダメで……」


 元々城址公園に来たがっていたのは美園だったので、大分責任を感じてしまっている。そんな彼女に対し、どう声をかけようかと悩む。

 気にするなと言って気にしないような子であれば、そもそもこんなに責任を感じないだろう。そこで、下手に慰めるよりは、逆の手を打ってみようと思いつく。


「じゃあ一つ交換条件で今回の件は水に流そう」


 人差し指を立てて見せると、美園は僕の方を向いて身を乗り出してきた。近い。


「私、何でもします」


 ひどく魅力的な言葉の誘惑が当初の言葉を吹き飛ばそうと襲って来た。大丈夫、僕は冷静だ、大丈夫大丈夫。


「この事を気にしない事」


 美園はその大きな目をぱちくりとさせ、口を開こうとしたが――


「初めての経験は印象に残る。だろ? そのお相手に暗い顔をしていて欲しくない。だから笑って笑って」


 僕は美園の言葉を借りてそれに先んじた。言い終わってから、両人差し指で自分の口角を押し上げる仕草をして見せた。

 今日の事はきっと記憶に深く残る。美園の笑顔も、拗ねたような顔も、不満げに僕を見る視線も、全部。ただ、そこに暗い顔は残したくない。


「ふふっ」


 口元を抑えて美園が小さく笑う。

 多少のぎこちなさは残るが、今僕に見せてくれているのは笑った顔だ。


「やっぱり牧村先輩を――」

「僕を?」

「――やっぱり内緒です」


 はにかみながら口元に人差し指を当てる美園が、何を言おうとしたかはわからない。

 ただ、その表情もきっと、今日の記憶に残るだろう。



 その後は、美園の希望で街中の裏通りをぷらぷらと歩いて駅に戻った。公園で出来なかった散歩の代わりだという。

 予定より少し早いがバスに乗って大学方面まで戻り、美園を家まで送ってから僕も家に帰る。


 そして家に帰りしばらく経った後、少し冷静になった僕は、今日の自分の発言集を思い出して死にたくなって酒に逃げた。

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